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だけど私は諦めない⑤



 お母さんは倒れたきり、意識はいつまで経っても戻らなかった。


 駆け付けてくれたお医者様の診断によると、お母さんの病気はかなりまずいものらしい。


「大変珍しい病気です。これを患った人は激しい発作をお越し、急速に衰弱して死を迎えます」


 お医者様はお母さんが患った病気の名前を口にした。

 聞いたことがない病だった。けど一緒にいて手を握ってくれていたライは知っていたようで、顔を真っ青な色に変えた。


「俺の母さんが死んだ原因になった病気だ」


 つまりライは母親と慕う相手を二度、同じ病気で失おうとしているのか。そんなことってないだろう。


「けどあの病気は、母さんが患ったときはなかったけど、今は特効薬があるって聞いたことがある」


「え? 本当に?」


「そう、治す薬はある」


 お医者様も同意を示した。だがその顔から沈痛な色は消えない。なにかその薬を使えない理由があるらしい。


「……お金ですか?」


 私はまず最初に思いついた可能性を聞いた。


 同じことを思ったらしいライも、私の言葉に続いて言った。


「たしかにうちにはお金はありませんけど、それでも院長先生のためならどんなことをしても集めて見せます。だから薬を!」


「違う。たしかにあの薬は高価だが、今は手元に在庫がないため処置ができないんだ。元々手に入りにくい薬ではあったが、今はまったく手に入らなくなっている。恐らくは材料が集まらないのだろう」


「材料が集まらない? どうして?」


「――薬の原料となる薬草の生息地に、モンスターが住み着いたからだ」


 私の疑問に答えたのは、お医者様ではなく、廊下の奥からやってきた仮面の騎士だった。


「あなたは?」


「王国騎士団に属するものです。任務中のため、素性を隠す無礼を許して欲しい」


 その格好の異様さにお医者様は警戒するが、仮面の騎士が慣れた様子で応対する。そのあと、私とライに視線を向ける。


「すまないな。色々と情報を集めるのに手間取った」


 いつもの仮面の騎士からは想像もできない殊勝な態度だった。どうやら仮面の騎士も、お母さんが倒れたことに対して思うところがあるらしい。


「なあ、さっき薬が手に入らない理由がモンスターにあるって言ってたけど、なにか知ってるのか?」


「ああ」


 ライの質問に頷いて、仮面の騎士は話し始めた。


「この病の薬を作るのに必要となる薬草は、採取したあと時間が経つと効力を失ってしまうらしい。薬草を採取してきたあと、すぐに薬剤師スキル持ちの専門家に頼み、薬を作ってもらう必要がある代物だ。だが王都近くにあるこの薬草の群生地にモンスターが住み着いてしまい、薬を作れなくなっていることが判明した」


「それなら冒険者に頼んで、そのモンスターを退治してもらえば」


 ライの言葉に仮面の騎士は首を横に振る。


「それは無理だろう。誰もそのような依頼を受けはしない。住み着いたモンスターというのが、厄介極まりないモンスターなのだ」


「それって一体?」


「ヒュドラだ。討伐推奨レベル七十八のヒュドラが突如として現れ、住み着いてしまっているんだ」


「ヒュドラ……!」


 私は愕然となった。その桁外れの討伐推奨レベルは、即ち王都中の冒険者をかき集めて挑んでも倒せないレベルであることを示していた。数少ないSランク冒険者でも単身では不可能。それこそSランク冒険者の中でも上位の冒険者が複数名でなければ話にならない。


 いや、それでも倒せるかどうかは分からないだろう。仮面の騎士も、私の考えを後押しするように告げた。


「このフレンス王国でヒュドラを倒せるのは、恐らくただ一人、『大剣聖』ヴァン・ヘルメス卿だけだろう」


「……その『大剣聖』様は?」


「無論、ヒュドラとなれば国の大事に関わる。騎士団の精鋭を率いて、討伐に赴くことが決定された。だがいかな『大剣聖』とはいえ、ヒュドラとなればなんの準備もなしでは行けないだろう。いや、国が行かせないと言うべきか。隣国とのこともある。討伐が完了するのは、早くとも五日後ほどになるだろう」


 私はお医者様を見た。話を聞いていたお医者様は、首を横に振る。


「残念だが、そこから薬を作ってとなると、とてももたないだろう。どれだけ患者ががんばっても、三日が限度だ」


 つまりお母さんは助からない。お母さんは死んでしまう。


 最初告げられたときは実感の湧かなかった事実が、今になってじわじわと襲いかかってくる。足下に突然穴が開いたみたいに、自分の身体を自分で支えられなくなる。


 そんな私の身体を支える手があった。


「なら自分たちがやるしかない」


 ライは私を支えながら、はっきりとそう言った。


「冒険者も、騎士団も行けないなら、俺が直接そこに行って薬草を採ってくる」


「ライ、なにを!?」


「馬鹿な。ヒュドラを倒せると思っているのか?」


「いや、さすがに倒せないだろうさ。けどなにも倒す必要はない。ヒュドラに遭遇しないように薬草だけを採ってくればいい。違うか?」


「……危険すぎる賭けだ。討伐推奨レベル五十を超えるモンスターの強さはある種の災害だ。それが七十八ともなれば、小さな村ならば一瞬で滅ぼしてしまうような巨大災害に等しい。実際に、過去ヒュドラによって滅ぼされた村はひとつやふたつでは足りない」


 この中で唯一強大なモンスターと戦った経験のある仮面の騎士は、ライの顔をまっすぐ見た。


「自分の命を賭ける覚悟はあるのか? ライ・オルガス」


「あるさ」


 一瞬の迷いもなくライは言い切った。

 母親を救うためなら自分の命を賭ける、と。


「ライ。ダメよ」


 けどダメだ。そんな危ないことは認められない。


 だってお母さんは、ずっとライに嘘を吐いているのだ。


「ライ。あんたは知らないでしょうけど、お母さんは教会に命じられてずっとあんたのことを監視してたの。それでお金を受け取ってた。そういうことをする人なの」


 だからライが命を賭ける必要なんてない。命を賭けるのなら、それは私だけで十分だ。


 そう思っての言葉だった。

 ライは驚いたように目を見開いて、それから困ったように笑う。


「システィナ。前から思ってたけど、お前ってもしかして本当に俺が馬鹿だと思ってないか? もう小さな子供じゃないんだぞ? 院長先生が監視役――そんなことは、もうとっくの昔に気付いてたよ」


「嘘、本当に?」


「ああ。最初は本当に分からなかったけど、今は気付いてる。時間はかかったけど、隠し事なんていずれは気付くもんさ。俺はまあ、頭がいいとは言えないけど、ずっと自覚できないほど馬鹿でもない。本当だぞ?」


「じゃあ、気にしてないの? ライは私のお母さんにお金で売られたのよ?」


「まったく気にしてない、って言ったら嘘になるけど、そのお金がチビたちのために使われてるならいい。あいつらが元気に育っていくために使われてるなら、俺のことくらいいつまででも監視してくれて結構だ」


 笑ってそこまで言い切ったあと、ライは申し訳なさそうな顔になる。


「けど、そうか。システィナと院長先生が最近仲が悪いのって、もしかしてそのことが原因だったのか? だとしたら悪いな。もっと早くにそう言っておくべきだった。これじゃあ、馬鹿って言われても仕方ないな」


「ライ……」


「だからさ、システィナ。院長先生と仲直りしようぜ。あの人は間違いなく、俺たちを愛してくれてるよ」


 ライは握ったままの私の手ごと自分の手を持ち上げると、もう一度強く私の手を握った。


「だから行ってくる。留守は任せた」


「……馬鹿。違うでしょ?」


 私はあふれそうになった涙を袖でぬぐって、それからライの手を握り替えした。


「私も行くわ。二人で薬草を手に入れましょ」


「けどお前」


「足手まといにはならない。だからお願い。連れてって」


「……わかった」


 ライの手はかすかに震えていた。私の手も震えていた。

 だから私たちは繋いだ手にお互い額をくっつけて、恐怖を吹き飛ばすように約束する。


「俺たちの母さんを助けよう」


「うん。お母さんが死んだら仲直りすることも、嫌いになることもできないもんね」


 話がしたい、と私は思った。もう一度お母さんと話をしたい。


 ライも交えて三人で、本当はもっと早くに私たちは話をしなければならなかったのだ。けどまだ間に合う。今からでも遅くはない。


 だから――冒険に行こう。私たちみんなのお母さんを助けるために。


「感動的な場面に水を差して申し訳ないが」


 そのとき、私たちの間に仮面の騎士がぬっと顔を寄せてきた。


「今回は特別だ。私もその冒険に同行しよう」


「あんたが? なんで?」


「なに、これが最後になるだろうからな。餞別の代わりだ」


 ライに訝しげな顔で見られ、仮面の騎士は肩をすくめる。


「君は気付いていただろうが、最近、私が君を監視している日は週に一度あるかないかだ。私も他に色々とやらないといけない仕事があるし、それくらいで問題ないと私は判断した。これは上も了解している。つまりもうすぐ私は君の監視役ではなくなるということだ」


「だから最後に手伝ってくれるっていうのか? あんた、そんな奴だったっけ?」


「何度も言わせないで欲しいな。私はこれでも騎士だよ? 病気の母親のためにがんばる子供たちを放っておけるほど、悪人ではないつもりだがね」


「そっか。……正直、助かるよ」


「よろしい。ではこの三人で薬草を採りに向かうとしようか」


 仮面の騎士は黙って聞いていたお医者様に視線を向ける。


「もし材料となる薬草を手に入れられれば、あなたはそこから薬を作ることができますか?」


「いえ、私では無理です。ですが薬剤師スキルを持つ者に伝手があります。もしも薬草を手に入れていただければ、必ず患者を治してみせると約束しましょう」


「その言葉が聞けただけで十分です」


「ご武運を」


 そう言い残し、お医者様はもう一度お母さんを診察しに部屋の中へと入っていった。このまましばらく付き添ってくれるそうだ。


「今日はもう夜遅い。今から動くのは逆に危険だ。出かけるのは明日の朝としよう。それまでに体力と気力を十分に回復させておくといい。特にシスティナ・レンゴバルト。冒険で足手まといになるようなら、君は置いていくからそのつもりでいるといい」


「わかった。道中はあなたの指示に従うわ」


 時間がない以上、すぐにでも動きたい気持ちはあったが、仮面の騎士がそう判断したのなら従った方がいいのだろう。


 それに私には冒険に行く前に、ひとつ確認しないといけないこともあった。


 二人と別れて誰も来ないような場所まで移動し、私は一ヶ月ぶりに自分のステータスを開く。


「オープン」


 一ヶ月前と変わらないステータス画面が目の前に現れる。聖女スキルも健在だ。


『ごきげんよう。システィナ・レンゴバルト』


 そして早速と言わんばかりに、聖女スキルが話しかけてくる。


 きっと文句を言ってくるだろうと思って身構えたが、聖女スキルは軽いあいさつだけ口にして黙った。


「……なによ。拍子抜けね。てっきり無視し続けた文句を言ってくるものだとばかり思ってたわ」


『ええ。言いたい文句は山ほどありますが、この状況ではそれを言っても仕方のないことでしょう』


「もしかして、今の状況を把握してる?」


『ステータス画面を閉じられてしまえば意思疎通は叶いませんが、あなたが見聞きしたことは私も共有しております。……お母様のこと、さぞお辛いでしょう』


 心配する言葉をかけられ、私は少し申し訳なさを抱いてしまった。こういうことを言える相手なら、もっとしっかりと話し合って相互理解を深めればよかったかも知れない。


 けど今は聖女スキルの言うとおり、聖女になるならないと言い争っている場合じゃない。


 禁を破ってまで聖女スキルと話しているのは、聞きたいことが、聞かなければならないことがあったからだ。


「ねえ、もし私があなたと契約して正式な聖女になれば、お母さんの病気を治せる?」


『残念ながらそれは不可能です。身体の傷は癒せても、その病までは治癒魔法でも治せません』


「……使えないわね」


『ですが、薬草を手に入れる冒険の手助けは出来ますよ。あなたがわたくしを受け入れ、それできっちりとレベル上げをすれば、たとえヒュドラと遭遇しても戦える力を手に入れることができます。時間制限がありますので、絶対に勝てるようになるとは保証できませんが、少なくとも薬草を採取して逃げ切ることは簡単でしょう』


「そう」


 私は悩んだ。聖女スキルの言葉は真実だろう。けど……


「……私が身体をあなたに貸したら、あなたはライのことを殺すんでしょ?」


『ええ。その決定は変わりません。あなたの幼なじみは危険過ぎる』


「やっぱり馬鹿スキルね。ここは嘘でも殺さないって言っておけば、そしたら私、あなたと契約したかも知れないのに」


『そうして得られた協力に意味はありませんから。あくまでもわたくしはスキル、あなたという持ち主あって機能する存在なのです。ドラゴンを封印するという使命を共にこなすには、あなたにはすべてを理解した上で聖女になってもらわなければなりませんので』


「あなたがライを殺すことを諦めない以上、聖女にはなれない。それは絶対よ。けど一応は聞いておいてあげる。もしも私が聖女になったら、ずっとあんたに身体を貸し続けないといけないの?」


『いいえ、わたくしを受け入れて契約したとしても、基本的には肉体の主導権はあなたにあります。わたくしはあくまでも必要なときだけその身体を貸していただきます。どの程度、どういうときに貸していただくかは応相談の上で決定となります。そしてこの決定はよほどのことがなければ破れません。なにせ自分のステータスとの間に交わされた約束ですので』


「で、あんたが望むのはドラゴンと相対しているときと、ライと顔を合わせているときなのよね?」


『その通りです。あなたはもうあれと顔を会わせるべきではない。言葉を交わすべきではない。感情を繋げるべきではない』


「それはどうして?」


『決まっています。あれが必ずドラゴンになるからです。それは確定事項、避けられない未来です。そうなったとき、あなたは世界のためにあれを滅ぼし、あるいは封印しなければなりません。……思いを寄せていればいるほど、そのときの苦痛は増すとわたくしは判断します』


「そっか」


 私はなんとなく、この聖女スキルのことを理解した。


 彼女は人間ではない。けれど、血も涙もない怪物でもないのだ。世界を救うという使命に忠実なだけの、融通の利かない馬鹿スキルなのだ。


「じゃあ、やっぱり私はあんたとは契約できないわ」


『……そうですか』


 聖女スキルは残念そうにつぶやくが、それ以上はなにも言わなかった。


 ……ていうか、あれよね。


「ねえ、あなたのことなんて呼べばいい? 聖女スキルって言い方はすごく言いにくいし、これまでの聖女様たちはなんて呼んでいたの?」


『フィリーア、と呼ばれることが多かったですね。わたくしは初代聖女フィリーア・ヴァレンタインの残した意思ですので。中には自分ではなく、わたくしこそが脈々と受け継がれてきた聖女フィリーアであると言った者もいました』


「じゃあ、私もそう呼ぶわ。フィリーア。あなたもシスティナって呼びなさい」


『はい、システィナ』


「よし。じゃあ、騙して私を聖女にしなかったことに免じて、これまでみたいにステータス閉じっぱなしはやめてあげる。けど話しかけてくるときは、きちんと空気を読んで判断してよ? あと隠し事もなし。わかった?」


『かしこまりました。あなたには真摯に向き合うと約束しましょう、システィナ』


 ステータス画面が頷くように動く。


 約束。そう口にした意味がどれほど重いかはまだ判断つかないが、聖女スキル改めフィリーアは早速と言わんばかりに語りかけてきた。


『今のあなたに言うのは酷かと思い伝えませんでしたが、隠し事はなしと言うことですのでお伝えしておきましょう』


「なに? やっぱりなにかまだ聖女になるにあたって伝えていないことがあったの?」


『いいえ、違います。逆に聖女にならないことの影響の話です』


「ならないことの影響? それって封印が弱くなるとかのことよね?」


 思い出して、私は嫌な予感がした。


『ヒュドラですが、これは教会において眷族と呼ばれているモンスターの一体になります。ドラゴンの力によって生じたモンスターのため、こう呼ばれております』


 ヒュドラはドラゴンによって生まれたモンスター。であれば、今のお母さんをこの状況は……。


『封印を維持する聖女がいなくなって約一ヶ月、ドラゴンの封印になにかしらの影響が出てきてもおかしくはありません。十中八九、今回のヒュドラはそうして漏れだしたドラゴンの力によって生まれたモンスターでしょう』


 フィリーアは事実だけを告げる。これが約束を守ることなのだと信じて。


『つまりあなたのお母様は、あなたが聖女にならないことで今、命の危機に瀕しているわけです』


 残酷な言葉を、残酷に告げたのだった。




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