だけど私は諦めない③
聖女――それはフィリーア教における指導者の称号であると同時に、同名のスキルを手に入れた超越者のことを指し示す単語だ。
聖女スキルは唯一無二のレアスキルであり、数多くあるスキルの中でも極めて異質なスキルとして知られていた。
確認されているスキルの中で唯一、聖女スキルだけは生まれながらに備わるスキルではなく、後天的に継承されるスキルなのである。
聖女スキルを持つ先代聖女が亡くなったあと、早ければ数時間後に、遅くても一年以内に新たな聖女スキルを持つ者が現れる。
選ばれる条件は、Bランク以上の聖職者スキルを持つ乙女であること。年齢職業人種国籍の関係なく、Bランク以上の聖職者スキルを持つ者の中から選出され、聖職者スキルを失う代わりに聖女スキルがそのステータスに刻まれる。
選出理由は聖職者スキル以外はランダム、あるいは神の意志だと言われているが、傾向としてやはり教会関係者であることが多い。自分以外の誰かのためにより真摯に祈れる人。それが選出されるもうひとつの理由だと噂されていた。
以上がこの世界で暮らしている人ならば、誰もが知っている聖女と聖女スキルの情報だ。
『そしてここからが市井の者の知らない、聖女スキルの秘密となります』
他でもない、聖女スキルがそう前置きして話し始めた。
『ご覧になっているとおり、聖女スキルには意思があります。こうしてステータスの持ち主と意思疎通することも可能です』
「……みたいね」
礼拝堂の椅子に座るわたしの脳内に直接響く声。これは私のステータス画面に芽生えた、聖女スキルの意思なのだという。
信じられないことだが、実際に自分のステータスが別物となり、現在進行形で聖女スキルの説明文が切り替わっているのだから信じざるを得ない。一応、幻覚と幻聴が同時に襲いかかってきている可能性も捨てきれないが、恐らくはこの聖女スキルの説明が真実なのだろう。
『わたくしは初代聖女フィリーア・ヴァレンタインによって誕生したスキルとなります。その生涯を信仰と世界平和のために費やした彼女は、自分の死後の世界を憂い、わたくしを生み出しました』
「生み出したって、スキルって自分で生み出せるものなの? 神様が創造するものなんじゃないの?」
『神の愛はあったのでしょう。ですが正確なことはわたくしにも分かりません。初代聖女フィリーア・ヴァレンタインがわたくしを生み出したのは、その命が尽きようとしていたときですから。けれどスキルであるわたくしには分かるのです。自分が彼女の最後の願いによって生み出されたものであることが』
その事実を誇らしげに聖女スキルは語る。感情の変化。スキルがただ用意された文面をしゃべっているのではなく、自分で考え話しかけている証拠だった。
『そして推察はできます。この世界には神ならぬ身でステータスに変質を起こせるものが、いえ、ステータスを歪めてしまうものが存在しているのです。初代聖女フィリーア・ヴァレンタインは、その存在と長く接しすぎました。恐らくはその影響と、彼女が不断の意思によってステータスを超越、昇華させたことで、奇跡的にわたくしは誕生したのでしょう』
「ステータスを歪める存在って?」
『この世界を滅ぼしうる怪物。初代聖女フィリーア・ヴァレンタインが封印し、決してその封印を解いてはならないと、わたくしに管理を託した破滅です。即ち――』
聖女スキルは恐れるように、呪うように、
『――ドラゴン』
その伝説の名を口にした。
『ドラゴンこそが、わたくしと歴代の聖女たちが封印し続けている怪物の名です』
「つまり聖女の使命っていうのは?」
『ええ。聖女スキルの力をもってドラゴンを封じ続けること。それが聖女の唯一にして絶対の役割なのです。それに比べてしまえば、フィリーア教の指導者としての顔も、国家間の調停などの仕事も、聖女にとっては些末事でしかありません』
「……それじゃあ」
あまりにも大それたことを聞かされた私は、少しの躊躇いのあと、聖女スキルに尋ねた。
「もしも私が聖女になんてなりたくないなんて言ったらどうするの?」
『ドラゴンが復活します』
予想されていた答えが返ってくる。
『施された封印はすぐに綻ぶことはありませんので、ある程度の猶予はあるでしょう。ですが、そう遠くないうちに世界を破滅させる獣が封印から解き放たれる』
「ドラゴンが解き放たれたら、本当に世界が滅ぶの?」
「少なくとも、多くの死傷者が出るでしょう。今から十三年前、前回の話になりますが、わたくしの継承が上手くいかなかったことで、ドラゴンの封印の一部が解れ、その力の一端を地上に現出させてしまうことがありました」
「十三年前、それってもしかして」
ドラゴンの伝説は私も風の噂で色々聞いていた。その中のひとつに、ドラゴンが十三年前に現れたという噂があった。フレンス王国と隣国バレス帝国との戦場に突如ドラゴンが現れ、両国の兵士が一〇〇〇人以上亡くなったというのだ。
実際にその戦場では大規模な破壊現象が起きており、両国の兵士が数多く亡くなっている。生き残ったのはフレンス王国側の騎士一名のみで、その一人も半ば正気を失っていたと言う。
このことから両国はこれが相手国による新たな大規模破壊魔法かなにかだと判断し、様子見のために互いに侵攻を控えるようになり、結果的に停戦条約が結ばれる遠因となったとされていた。
「戦争でドラゴンが現れたっていう噂、あれって本当だったんだ」
『そのときわたくしはまだ適合者がおらず、こうして意思を世界と直接ふれ合わせることができなかったので、直接この目で見て聞いたわけではありませんが、それでもドラゴンの気配をこのわたくしが見逃すはずがありません』
「……その戦場には両国の騎士たちがたくさんいたっていうけど、ドラゴンはそれでも倒せないような怪物なのね」
『違いますよ、システィナ・レンゴバルト。そのとき現れたのはドラゴンの力の一欠片が形となったもの、言うなればドラゴンの影に過ぎません。それで千人以上の被害が出たと言えば、ドラゴンの脅威は伝わるでしょうか?』
頭が痛くなってきた。次から次へともたらされる事実に、頭についていかない。
「と、とにかくドラゴンが恐ろしい怪物で、聖女がそのドラゴンを密かに封印している救世主だってのは分かったわ」
『救世主……なるほど、よい表現です。わたくしも今後説明するときには、その表現を使わせていただきましょう。メモメモ、と』
聖女スキルは忘れないように、自分の説明欄に救世主という単語を連打する。その際に声は聞こえなかったので、なにも説明欄に書き込んだすべてが声となって伝わってくるわけではないらしい。
『さて、話を戻させていただきます。先も言ったとおり、もしもあなたが聖女となることを拒否した場合は、ドラゴンが復活します。これは絶対です』
「けど私、ドラゴンを封印できるスキルなんて持ってないわよ?」
『ご安心を。正確には、聖女の役割は初代聖女フィリーア・ヴァレンタインがドラゴンに施した封印の維持となりますので。いえ、これも厳密な意味では正確ではありませんね。ドラゴンに施された封印とは、即ちこのわたくしです。聖女スキルという名の大封印。聖女の役割は、その封印たるわたくしが十全に動けるように力を貸していただくことなのです』
「貸すって、今みたいに私のステータス画面を貸している状況のこと?」
『いいえ、今の状態では不十分です。現状、わたくしができるのはこうしてあなたに話しかけることだけ。わたくしの本来の機能を行使するには、あなたにわたくしを受け入れてもらい、その肉体を貸していただかなければなりません』
「に、肉体を貸すって、もしかしてあなた私の身体を乗っ取ろうっていうの!?」
『乗っ取るとは人聞きの悪い。協力であり共生です。わたくしはあくまでもスキルですから、ステータスの持ち主であるあなたに力を貸してもらわなければなにも出来ません。無力な存在なのです』
「その割には、私の聖職者と治癒魔法のスキルがステータスから消えてるんだけど?」
『それは致し方ありません。そのスキルのどちらも、わたくしの前身となったスキルですので。聖女スキルの中には聖職者スキルも治癒魔法スキルも含まれているため、一覧からは消えてしまったのでしょう。ですが実際に使おうと思えば使えますよ。魔法の詠唱に関して言えば、わたくしがその処理を代行させていただきますので無詠唱で行える特典つきです』
「じゃあ試しに……ヒーリング」
廊下の床板を踏み抜いたときにすりむいた自分の足に手をかざし、使い慣れたヒーリングの魔法を使ってみた。治癒魔法は自分の傷を治すことはできないが、行使すること自体はできる。
いつもの感覚で魔法を使用すると、手のひらから光が発せられた。
「本当だ。詠唱してないのに魔法が使える」
『無詠唱で使うという感覚になれれば、魔法名を口にする必要もなくなるでしょう。知力の能力値が上昇したことで、効果も増大しております。あなたはわたくしを宿したことで、人の身を超越しました。よってその能力値は倍加しているのです』
「じゃあ、扉とか壊しちゃったのもそれが原因なの? 私、そんなレベル高くないし、二倍の力になったからって壊れるとは思えないんだけど」
『二倍ではありませんよ。スキルの超越による能力値倍加は重複しますので』
「どういうこと? 今の私にあるのって、聖女スキルSだけよね?」
『先程も申し上げたとおり、わたくしは前身となったスキルが合わさって生まれた複合スキルなのです。なので聖女スキルひとつで、前身となったスキルすべての恩恵が得られます。即ち、初代聖女フィリーア・ヴァレンタインが熟練度一〇〇〇まで磨き上げた『聖職者』『治癒魔法』『神聖魔法』の三種のスキルの超越分が今のあなたには付与されています』
「ひとつで二倍だから、つまり元の数値の四倍? それとも倍の倍の倍だから八倍?」
『四倍です。ひとつ超越するごとに、元々の能力値が加算されていく、と言った方がわかりやすいでしょうか。それに、それだけではありません。今のわたくしの状態では、あなたが使える魔法は、元々持っていた治癒魔法の熟練度分までですが、わたくしを受け入れていただければ、熟練度九〇〇で獲得する治癒魔法のリザレクションも、同じく熟練度九〇〇で獲得する最強の神聖魔法であるホーリージャッジメントも使えるようになりますよ。教会という組織の力も使いたい放題です』
至高であり最強の存在と今なお謳われる初代聖女フィリーア・ヴァレンタイン。聖女スキルの言っていることは、彼女と同じ力を手に入れられるということだ。
道理でこれまでの歴代聖女全員が、恐るべき力を持っていたわけである。つまり聖女一人で三人分の超越者と同等の力を持ってるということなのだから。
……まったくその力に引かれないかと言われれば嘘になる。
特に攻撃魔法である神聖魔法があれば、私もライと一緒に戦うことができるようになる。これまでのように傷を癒すだけではなく、隣に立って、背中を預け合って戦い、また守ってあげることができるようになるのだ。
それに聖女となって教会の権力を使えるようになれば、ライを騎士にしてあげることだって簡単だろう。
けれど……私は知っている。
これまでの歴代聖女がどういう結末を辿ったのか。
『システィナ・レンゴバルト。どうかこの世界を守るために、わたくしに力を貸してください』
「その前にもうひとつ聞かせてもらえるかしら?」
懇願するような響きで告げる聖女スキルに、私は尋ねた。
「歴代聖女、あなたを宿していなかった初代聖女をのぞいて全員が短命だった。それはどうしてなの?」
『そうですね。それも先に伝えておくべきことでしょう』
聖女スキルは思いの外すんなりと答えてくれた。隠すようなことでもない、と言いたいように。
『わたくしを受け入れることによって寿命が削れたり、病気になったりするわけではありません。むしろ病気知らずの健康体になることができます。若さだっていつまでも保つことができるでしょう。これは数代前の聖女に殺し文句だと教わったのですが、本当なのでしょうか?』
「そんなことはいいから、早く聖女になることで短命になる理由を教えなさい!」
『すみません、つい。こうして誰かと普通に話すことが久しぶりだったもので』
こほん、と咳払いをするような音を立ててから聖女スキルは続けた。
『歴代の聖女の死因ですが、これはすべて同じ死因なのです』
「病に倒れたって教会からは発表されてるけど、違うのよね?」
『はい。皆が皆、病気ではなく自分で命を絶っています』
「……は?」
軽く告げられた重すぎる事実に、私は二の句が告げなかった。
けれど聖女スキルは、あくまでも些事を語るかのような感じで、歴代の宿主たちの死を説明する。
『皆が皆、素晴らしき素質と精神をもって救世主となった聖女たちでした。ですがドラゴンを封印し続けることは、人の身では精神的な負荷が大きいようなのです。だから皆、耐えきれずに自分の命を絶ちました』
そして私は本当の意味で、今話している相手が人間ではない、ステータス上に存在するスキルなのだと理解する。
『嘆かわしいことです。彼女たちは使命から逃げた。先代聖女レフィ・トラベリオに至っては、第二のドラゴンになりかねない危険分子を、子供だからという理由で見逃しました。これは許し難きこと。世界を救う大事の前では、人一人の感情など無視すべきこと。そうは思いませんか? 我が新しき聖女よ』
世界を守る。人々を守る。それは大いなる偉業であると同時に、人間ならば当たり前に引き受けるべき使命である。
だから聖女スキルは私が断るなんて考えてもいないのだろう。
『では契約を結びましょう。そして今すぐ、第二のドラゴンになりかねないあなたの幼なじみを殺しに行きましょう』
すべてをきちんと説明した上で、締めくくりとして、聖女スキルは提案してきた。
『世界の平和のために、ライ・オルガスは今のうちに抹殺さねばなりません』
私の手でライを殺せ、と。
この時点で私の返答は決まったも同然だった。
「聖女になんてなってたまるもんですか! おととい来なさいこの馬鹿スキル!」
『あ、待って――』
「クローズ!」
魔法の言葉を唱え、ステータス画面を消す。すると聖女スキルの声も聞こえなくなった。
「はあ……なんだっていうのよ、まったく」
聖女に選ばれてしまった事実に頭が痛い。気持ちが悪い。
「忘れよう。うん、私も今日からライと一緒で、ステータスが読めないと思えばいいんだわ」
もう二度とステータスなんて開かない。
その結果、ドラゴンが開放されることになっても、きっとかの『大剣聖』が喜び勇んで退治してくれることだろう。
「……オープン」
決意を深めるためにも、ひとつ聞いておかないといけないことがあったのを思い出し、私はステータス画面を呼びだした。
『ああ、よかった。考え直してくれたのですね』
「ねえ、聖女って一応は教会の指導者、シスターになるのよね?」
『え? そうですね。そうなりますが』
「教会の上の方に地位にあるシスターって、たしか結婚できなくならなかった?」
『はい。それがどうかし――』
「クローズ」
うん、決めた。絶対に聖女になんてならない。神様に祈るのももうやめよう。
私はそう心に誓い、礼拝堂を後にした。
システィナ・レンゴバルト――将来の夢は、可愛いお嫁さんになることである。
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