だから俺は諦めない⑪
「ダメだったかぁ」
すべての入学試験が終わったあと、合格者を発表する掲示板に自分の名前がないことを確認した俺は、別の場所で見ているだろうニルドと会わないよう、逃げるように試験会場を後にした。
宛もなく街の中を走っていると、自然と足は学校に向いていた。
今年の卒業生たちはもう卒業式以外では登校する必要のない学校だけど、先生たちは色々な準備のために毎日通っているらしい。俺は自分の教室に向かった。
「よう、ライ」
リグ先生はまるでこうなることが分かっていたように、教壇に立って俺を出迎えてくれた。
俺が合格することを信じてくれなかったのかな。と、昔なら考えていたかも知れない。けど今はそうは思わない。リグ先生は俺の合格を誰よりも信じてくれていた。自分のことのように気にしてくれていた。だから俺の不合格をすぐに知って、こうして俺の来そうなところで待っていてくれたのだろう。
「先生。俺、騎士学校に落ちたよ」
「知ってる。残念だったな。てっきり余裕で受かるものとばかり思ってたんだが」
「ほんとだよ。俺も自信あったんだけどなぁ」
「試験官に見る目がなかったんだろう。お前はがんばったよ」
「そうかな?」
「そうさ」
「うん、ならそうかも」
教壇の目の前にある自分の席に着くと、机に額を押しつけた。ひんやりとした木の感触が心地よい。
「先生。悪いけど愚痴聞いてくれ」
「ああ」
顔を机に伏せた状態で、俺はリグ先生に思う存分愚痴をぶちまけた。
やれ一次試験の対戦相手が嫌な奴だった。二次試験の試験官たちが最後まで変な目で見てきた。騎士の質が下がったんじゃないか。ああけど、今日までにあれをもっとがんばっておけば良かった。ニルドの奴は受かったんだ。くそっ、うらやましいなおめでとう。
リグ先生は最後まで黙って愚痴を聞いてくれた。
いつからだったか、俺は嫌なことがあるとこうして先生に愚痴を聞いてもらうようになった。信頼、という意味ではシスティナやニルドだってしているが、こうして愚痴や弱音を吐くのはリグ先生相手くらいのものだ。
なんでだろう?
ふとそう考えて、すぐに答えが頭に思い浮かぶ。
本人がそう言ってくれたのもあるが、それ以上に、きっと俺にとってリグ先生は……。
「……なあ、リグ先生。先生は俺たちが卒業しても学校の先生を続けるのか?」
「それなんだがな。実は俺も今年で教師辞めることになったんだ。今更だが、他にやりたいことが出来てな」
「それって昔教えてくれた夢?」
突っ伏していた顔を上げて聞くと、リグ先生は少し照れくさそうに鼻の下を指でこすった。
「まあ、そうだ。料理人を目指そうと思ってな。しばらく他の料理屋でなんとか修行させてもらって、それから家の宿屋を改装して食堂を始めようと思う」
「そっか。先生は今からまた夢を追いかけるんだな」
「ああ。ライがずっと夢を追いかけてるのを見てな、今からでもまた目指してみたいと思っちまったんだよ。ま、料理人が調理スキルなしの料理屋なんて流行らないだろうから、家族には迷惑をかけると思うが、協力してくれると言ってくれてよ。ありがたい話だ」
「すごくいいと思う。店が出来たら絶対に食べに行くよ」
「おいおい、別に店を開く前だって遊びに来てくれてもいいんだぞ?」
「いや、先生の邪魔をしたくないからやめておくよ」
先生に会ってしまったら、きっと俺は甘えてしまう。先生は優しいから愚痴でも弱音でもどれだけでも聞いてくれるだろうけど、だからこそ一度自分を律しなければならないのだと思う。
「先生には夢をまっすぐ目指して欲しい。だから卒業式が終わって先生が先生じゃなくなったら、一度そこでお別れだ」
「ライ、俺はお前さえよければ……」
リグ先生はなにかを言いかけ、それを途中でぐっと飲み込んだ。
きっとすごく嬉しい言葉を言おうとしてくれたのだろう。けどそれを言われてしまったら、きっと俺はその言葉に流されてしまうだろうから。先生と一緒に料理をするのもいいかも知れないと、そう思ってしまうだろうから。
だから先生は別の言葉を口にする。
「わかった。そのときお前がどこにいても、なにをしていても俺の夢が叶ったって分かるように、王都で評判の店にしてみせるからな! そんときはなんだってどれだけだってごちそうしてやる!」
「楽しみにしておくよ。ま、この街を出て行くつもりはないから、店が出来たら流行る前に遊びに行っちゃいそうだけど」
「それならそれでいい。お前は我慢ばかり得意だからな。そのときはまた、なんでも相談してこい」
「……ありがとう、先生。俺、リグ先生が先生でほんとによかった」
「俺もだ。ライが俺の教え子で本当によかった」
先生は俺の頭の上に手を置いた。
大きな手だった。俺だって成長してニルドよりも大きくなったけど、それでも先生の手はいつだって大きく感じられた。
「ライ。お前は周りに影響を与えられる人間だ。俺もそうだし、システィナだってそうだ。ニルドなんて特にそうだろう。この先もきっと、お前は多くの人に影響を与えていくだろう。そうしていつか、きっと誰もがお前の名前を知ることになる」
俺は先生になにも言わなかった。騎士学校を辞めたことは伝えたが、この先なにをするのか、夢をどうするのかは一言だって言わなかった。
けどリグ先生にはすべてがお見通しのようだった。
俺の背中を押すように、一番言って欲しい言葉を言ってくれる。
「お前ががんばってるのは知ってる。だから、がんばれとは言わない。ただ、楽しんで来い。お前はお前らしく全力で人生を楽しんで、そうやって夢を叶えてこい!」
「ああ。任せてくれ! 俺、諦めないから! 絶対に騎士になってみせるから!」
叶えないといけないからではなく、叶えたいと思うからそう約束する。
「オープン」
ある意味ではすべての始まりの日となったあのときのように、魔法の言葉を口にする。
それは自分のすべてが分かる魔法の言葉ではなかった。
けれど、俺の物語を告げる始まりの言葉ではあったのだ。
「先生、ステータス画面が読めないんだけど――」
待ち受ける未来も知らずに口にしたあの日の言葉の続きを。
すべてを理解した今、この読めないステータスを開いて口にする。
「――俺は騎士になる夢を絶対に諦めないから!」
夢の続きを目指すために。
◇◆◇
「――とまあ、そういう感じかな? そのあとは縁もあって冒険者になったんだ」
かれこれ一時間近くは話していただろうか?
黙って俺の昔話に耳を傾けてくれていたロロナちゃんは、今まで呼吸を忘れていたかのように一度大きく深呼吸してから、心臓の鼓動を押さえるように自分の胸に手を当てた。
「色々とお話を聞かせていただいてありがとうございます。わたし、今のお話を聞けてすごく良かった」
「大袈裟な。面白い話でもなかっただろ?」
「そんなことありません!」
ロロナちゃんは力強く俺の言葉を否定した。
「わたし、今までライさんのこと、この一年間の思い出とお父さんがしてくれた話でしか知りませんでした。けどこうしてお話を聞かせてもらって、ライさんのことが少しだけだけど分かって嬉しいんです!」
「そっか。なら話した甲斐があるってもんだ」
正直、酔いが残っていた所為でいらないことまで話してしまった感はあるのだが、ロロナちゃんがすごく嬉しそうなのでよしとしておこう。
「けど、ひとつだけ気になってることがあるんです」
「気になること?」
「はい」
ロロナちゃんは真剣な顔で俺を見た。
もしかして、俺がわざとぼかしたこのあとのことだろうか?
けどそれは言えない。この先を語ろうと思ったら、必ずその冒険の話をしなければならなくなる。
冒険者になる切っ掛けのひとつともなった、俺にとって初めてのクエスト。
システィナと仮面の騎士と一緒に赴いた、あの後悔しか残っていない冒険のことを……。
けれど――いい機会なのかも知れないな。
俺もあれから色々とあのときのことを考えていた。一度、誰かに話して情報を整理するのも、この先を考えたらいいのかも知れない。
ロロナちゃんが望むならすべて話そう。
覚悟を決めた俺に、ロロナちゃんは告げた。
「なんか今のわたしよりも、昔のわたしの方がライさんとの距離が近い気がします!」
「そこなんだ!?」
色々と話をした気がするんだけど、一番気になってるのそこなんだ!?
「大事なことです! 他の誰かに負けていることよりも、昔の自分に負けていることの方が悔しいんです!」
「いや距離が近いと言っても、あの頃のロロナちゃんは自分の名前すらちゃんと言えないくらい小さかったし」
「ええ、そうです。正直ほとんど覚えてません! 話してもらって、そういうこともあったんなぁと薄ぼんやりと思い出したくらいです!」
ロロナちゃんはカウンターに両手をつくと、悔しそうにつぶやいた。
「くっ、無垢な幼女であることを利用してほっぺにちゅーとか、結婚の約束とか、あざとい! さすがわたしあざとい!」
「あの、ロロナちゃん? 昔のことだからそんな気にしなくても――」
「ライさん! いえ、ライちゃん! 昔のわたしたちに負けないよう大人のちゅーをしましょう!」
動揺と衝撃が店内に駆け抜けた瞬間だった。
「よし、ロロナちゃん。色々と待とうか」
「待てません行きます!」
ロロナちゃんはがしりと俺の顔をつかむと、顔を近付けてくる。
「大丈夫です。初めてですけど、実はわたし床上手スキル持ちです。ライちゃんを舌技だけで腰砕けにしてみせます!」
ロロナちゃんのこの発言に、店内にいたすべての男性客が立ち上がった。
「床上手スキル……だと!?」
「二番目の調理スキルを大きく引きはがして、男が結婚する女性に持っていて欲しいスキルナンバーワンに輝いているあの!?」
「しかもたしかロロナちゃんは調理スキルも持ってたはず!」
「あり得ない! 嘘だろ!?」
「女子力! 圧倒的女子力に、くそっ! なぜか邪魔が出来ない!」
「まぶしい! ロロナちゃんがまぶしすぎるよ!」
くそっ、こいつら揃いも揃って役に立たねえ!?
ロロナちゃんはもはや完全に覚悟を決めた様子で、顔を近付けてくるのをやめない。無論、俺の力をもってすればロロナちゃんを引きはがすのは簡単だが、そこはそれ、俺も男だからロロナちゃんが床上手スキル持ちと聞いては抵抗できない。
ステータスだけで相手を判断しないって決めてたのに、くそっ、先生ごめん! 色々な意味でごめん!
「やめんかバカタレ」
「あいたっ!」
もう少しで唇と唇が触れそうだったそのとき、ロロナちゃんの頭にチョップを喰らわしてキスを回避させた人がいた。
「仕事を長々とさぼってるだけなら許すが、俺の目の黒いうちは店内でいやらしい真似は許さんぞ、ロロナ」
「止めないでお父さん! これは負けられない女の戦いあいたっ!?」
親父さんはもう一度ぺしりと娘の頭を叩くと、首根っこをつかんでずるずると店の奥へと引っ張っていく。
「アホなこと言ってないで仕事を手伝え、仕事を」
「あ~ん。せめてほっぺに! 昔のロナと同じように、ライちゃんのほっぺにちゅーさせてよおと~さん!」
ロロナちゃんが軽く幼児退行を起こしていた。そんなに俺の話はショックだったのだろうか?
あとこの殺気立った状況に俺を一人置いていかないでくれないかな?
周りの冒険者たちが全員、俺を嫉妬の眼差しで見てるんだけど。ほら、今店に入ってきた客も、店内の様子を見て驚いてるし。
いや、違う。その一見すると女性のようにも見える中性的な男性客が驚いたのは、殺気だった客ではなく俺を見てだった。
「ライ?」
幼なじみのニルド・クリストファがそこに立っていた。
襲いかかってきた冒険者たちをすべて床に沈めたあと、半ば巻き込まれる形で手伝ってくれたニルドに俺は向き直り、軽く手を挙げた。
「よう」
「ああ」
ニルドも手を挙げて答えたあと、苦笑をその口元に浮かべた。
そのあとどこもかしこも空席となった店内を見回して、そのあとひとつの席を指さした。
そこは乱闘騒ぎでも起きることなく眠りこけるドワーフの隣の席。俺が座っていた席だった。
「隣、いいかな?」
「好きにしろよ」
「なら、好きにさせてもらおうかな」
ニルドはボンマックがいるのとは逆方向のカウンター席に腰掛けた。先程までロロナちゃんが座っていた席だ。
「すみません! ボクにも隣の彼が飲んでいるのと同じお酒をひとつ!」
「あいよ!」
ニルドの注文に、店の奥から親父さんの返事が返ってくる。
その間に俺もカウンター席に座り直し、偶然の再会を果たした幼なじみに問いかけた。
「ニルド。お前、今日はどうしてこの店に?」
「街で評判の料理屋だと聞いてね。近くに寄ってみたから足を運んでみたんだ。まさかこんなところで君に会うとは思わなかったけどね」
その言葉に嘘はないようだった。どうやらニルドはここが誰の家だったのか忘れてしまっているらしい。一階のほとんどを客室から食堂に作り替えてるから、見た目もかなり違うし、仕方がないか。
ならばあえてなにも言うまい。気がついたときの反応が楽しみである。
「ライ。君はどうしてここに?」
「今はここの二階に泊まってるんだよ」
「そうか。今は君、冒険者をしているんだったね」
「まあな」
少しだけ恥ずかしくなった。ニルドは今や立派な騎士。対して俺はしがない冒険者。街中ですれ違ったときも感じた幼なじみとの距離を、今も感じてしまう。
けどニルドの方はそれ以上はなにも言わなかった。俺が冒険者をしていることを気にしている素振りもない。
「なにも聞かないのか? 俺の今の冒険者のランクとか、どうして冒険者をやってるのかとか」
「聞いて欲しいなら話してくれてもいいけど、ボクが一番知りたかったことはこの前すれ違ったときに聞けたからね。――まだ騎士を目指しているんだろう?」
「もちろんだ」
間髪入れずにそう答える。
「ならいいさ。君の冒険譚をゆっくりと聞く時間なんて、一緒に任務をこなしていれば、いずれ有り余るほどに出来るだろう」
「そっか」
「そうさ。それにボクに言いたいことがあるのは君の方じゃないのかい?」
ニルドは申し訳なさそうな顔をして、
「この前、街ですれ違ったときのことは本当にすまなかった。グィンゲッツ・ニルヴァーナ卿はご覧のとおり、あんな性格でね。面倒事ばかり起こしてくれる」
「ああ、あいつのことな」
ニルドと一緒にいた尊大な大男。そうだ。たしか、騎士学校の入学試験のときそんな名前を名乗っていた気がする。
「気にするな。あのときはたしかにいらっとしたが、ああいう手合いは誰かさんのお蔭で慣れてるからな」
「待て。それはもしかしてボクのことか? ボクはあそこまで酷くなかっただろう?」
「いやぁ、どうかな? 調子に乗っていた頃のお前は、割とあんな感じだったぞ?」
「そ、そうか。それは……ショックだな」
本当に傷付いた様子でニルドはうなだれる。
「たしかに彼を見ていて思わなくはないよ。ライ、もしもボクが君に出会うことなく、そして君に負けることもなければ、もしかしたら今頃ボクは彼のようになっていたかも知れない。ステータスがすべてだと、生まれ持ったスキルがすべてだと、そう言ってすべてを見下していたかも知れない」
「そう言うからには、今は違うのか?」
「ああ。なにせ高くなっていた鼻を何度だって君に折られたからね。その上でステータスがすべてなんて、恥ずかしくてとても言えないよ」
オープン、と口にして、ニルドは自分のステータスを表示させた。
「ボクにとってこれは、未来を目指す上でのひとつの武器でしかない。手入れを怠るつもりはないし、いざというときのために備えもしよう。けど、これがすべてではないよ」
「武器、か。なるほど、そういう考え方もあるのか」
「ああ。よければ見るかい?」
「馬鹿言え。お前が俺に自分の武器を見せるはずないだろ?」
「ははっ、分かってるじゃないか」
ニルドはステータス画面を消す。
「けどこれだけは伝えておこう。この前、スキルの熟練度が六〇〇を超えたよ」
「六〇〇か。すごいじゃないか」
ニルドの年齢で熟練度六〇〇超えはかなりのものだ。それだけ自分の技を磨き抜いたということだろう。
ニルドも自分の成果を誇らしげに語る。
「そうだろうとも。今ならどんな人形も完璧に直してみせるよ」
「裁縫スキルの方かよ!?」
剣士スキルじゃねえのかよ!
「あはは、君が言ったんじゃないか。ボクが自分の武器を見せるはずがないって」
「そうだけどさ。ていうか、高いな。裁縫スキル。なんでそんな高いんだよ?」
「ああ。君も覚えてるだろう? リグ先生が気にしていた、呪術師の女の子」
「ミュゼットか」
「そう、ミュゼット・バルランシー。彼女との一件で人形を直してから、そういうのが好きになってね。暇なときにチクチクとやっていたら、いつの間にかご覧の有様さ」
「なるほどなぁ。ちなみに、ミュゼットとはあれ以来?」
「会ってないよ。いや、会いたい気持ちはあるんだけど、どうも怖くてね」
ニルドは俺を恨めしそうに見上げる。
幼い頃は逆だったのだが、いつのまにか俺とニルドの身長は逆転していた。
「ボクの身長はあれ以来ほとんど伸びてない。今でも時折女に間違われる始末さ」
「あ~」
「もちろん、偶然だとは信じているよ。彼女はボクを呪ってなんていない。偶然。そう、すべては偶然なんだ」
くすっ、とそのとき店内と冒険者の片付けにやってきた『黄金の雄鶏亭』の女性店員が、ニルドの後ろを通りかかるとき小さく笑った。
そのことが気になったニルドは振り返り、一度前に戻って、それから勢いよくもう一度後ろを振り返った。
「……ねえ、ライ。あそこにいる女性店員なんだけど」
「可愛いよな」
「いやそういうことじゃなくて、あの一人だけフリルとかリボンとかがたくさんついた特別な制服を着てる女性店員ってもしかして」
「似合ってるよな。すげぇ可愛いよな」
「え? いや正直、大人になってあの少女趣味はどうか――」
「呪われるぞ」
「ものすごく可愛いと思います! もう最高です!」
椅子から立ち上がってニルドが全力で褒め称える。
可愛い可愛い女性店員さんは、ニルドに向かって意味深なピースを送った。
「あ、あはは」
ニルドは引きつった笑みで椅子に座り直すと、真剣な顔で俺に聞いた。
「ライ。この店はなんなんだ?」
「「王都で評判の美味しい料理屋だよ」」
俺とお酒を持ってきた親父さんの言葉が重なる。
「ほいよ。酒ね。美味しい料理屋の美味しい酒だ」
「す、すみません。いただきます」
ニルドは陰口を叩いていた相手にその事実が見つかってしまった子供のような恐縮した様子で、お酒を受け取り、俺へと向けた。
「じゃあ、気を取り直して乾杯と行こうか」
「なにに?」
「もちろん、この偶然の再会に」
「ん、じゃあ」
俺もお酒を頼み直そうとしたところ、先んじて親父さんが新しい酒を目の前に置いてくれた。
「ありがと、親父さん」
似合わないウインクを零して、親父さんは下がる。
同時に俺は酒の入ったカップを持ち上げ、ニルドと打ち合わせた。
「「乾杯!」」
そして俺たちは同じタイミングで一気に酒をのどに流し込み、
「ぶふぉっ!?」
その途中でニルドが思い切り吹き出した。
「うわきたねっ!? ニルド、お前なにやってるんだよ!?」
「す、すまなっ! けほ!」
変なところに入ったのか、ニルドは咳き込みながらも、それでも視線はカウンターの向こうにいる親父さんに釘付けだった。
それに飽きたらず、指で指して、親父さんのことをそう呼んだ。
「リグ先生なんでこんなところに!?」
「こんなところとは失礼な奴め!」
「いだっ!」
親父さん――俺たちの恩師であるリグ・カミュー先生は、久しぶりに会った元問題児の頭に拳骨を落とす。
「あはははっ! ニルド、その年になって拳骨もらってやんの!」
「お前もだライ! わざと俺のことを言わなかっただろ!」
「いだっ!」
俺の頭に拳骨が落ちる。久しぶりの先生からの愛の鞭に、鍛えて本当は痛くないはずのに痛みを覚えてしまう。
「そうか。そういえば、ここってリグ先生の家だったか。オレとしたことが完全に忘れてたぜ」
「ニルド。口調があのころに戻ってるぞ」
「おっとボクとしたことが」
礼儀正しく生まれ変わったクリストファ卿は、慌てて口元を押さえる。目とか鼻とか口とかから色々垂れ流している時点で、色々と手遅れだが。
「リグ先生、料理屋を開くって夢を叶えられたんですね。遅くなりましたが、おめでとうございます」
「おう、ありがとよ。ニルドも立派……かどうかは微妙だが、ちゃんと騎士になったみたいだな」
「すべてはリグ先生の教育のお蔭ですよ」
「あのニルドの口からそんな言葉が聞ける日が来るとはなぁ。俺も年を取ったもんだ」
教え子の成長した姿に親父さんは目を細める。
「けど俺はもうお前らの先生じゃなくて、この『黄金の雄鶏亭』の店主だ。恥ずかしいから先生だなんて呼ぶな」
「ボクにとっては先生はいつまでも先生なんですけど……そうですね。ライは今はなんて呼んでるんだい?」
「俺? 俺は親父さんって呼んでるよ」
「親父さん、ねえ」
「……なんだよ? そのニヤニヤ笑いは?」
「いや、普通はこういうとき店主さんとか店長さんとか、そういう風に呼ぶ方が自然なのに、なんで親父さんなんだろうと思っただけさ」
「べ、別に親父さんって呼び方もおかしくはないだろ?」
「そうだね。おかしくはないね」
そう言いつつも、ニルドはのどの奥でクツクツと笑う。
この野郎、表面上は礼儀正しくなったけど、根っこのところは馬鹿ニルドのままだな。
「よし決めた。先生のことはこれから店主さんと呼ぼう。親父さんて呼び方はライに悪いからね」
「どういう意味だ!?」
「言っていいのかい?」
「……やめてください」
俺がそう言うとニルドは大声で笑った。
「くそっ、ニルド。お前笑ってられるのも今のうちだからな? すぐに追いついて、いや、追い抜いてやるからな!」
「やはりライは馬鹿だな。馬鹿ライだ」
馬鹿ニルドは本当に楽しそうな顔で俺を見て、懐かしむように、誇るようにそう言った。
「その台詞はね、もうだいぶ前から君じゃなくてボクの台詞なんだよ」
◇◆◇
数時間後、完全に酒が入った俺とニルドは肩を組んで盛り上がっていた。
「ライ! 騎士になってもいいことなんてあんまりないぞ! グィンゲッツはうざいし貴族はうるさいしグィンゲッツが超うざいしね!」
「うるせっ! 自慢かば~か! ば~かば~か馬鹿ニルド!」
「馬鹿に馬鹿って言われたくないね!」
「変わらんなぁ、お前たちは」
騒ぐ俺たちを見て、リグ先生が笑う。ん? リグ先生じゃなくて、今は親父さんか!
けど酔いに酔っていられたのもそこまでだった。
「あとはシスティナがいれば、本当にあの頃と同じなんだけどな」
リグ先生が思わず零した一言に、すー、と自分の中から酔いが消えていくのがわかった。
「システィナさんなら、この前ちょっと会ったよ! おっと、ありがとうクマくん」
一方で顔を真っ赤にしたままのニルドは、自立歩行するクマのぬいぐるみからお酌され、さらに酒を呷る。
「相変わらずシスティナさんはお美しかった! いや、警備の任務の途中で少しだけお話しただけなんだけどね」
「システィナの奴は元気だったか?」
「それはもう、あの蔑むような凍える視線と言ったら素晴らしいという他ないよ。ご褒美だったよ」
「お前システィナになにしたんだよ?」
最終的にシスティナもニルドのことは嫌っていなかったはずだだが。
「う~ん、なにもしていないはずだけどね。いくらボクが幼なじみで貴族といっても、所詮は騎士候。さすがにフィリーア教の聖女その人に親しく話すことはできないからね。聖女様に対する完璧なごあいさつだったと自負してるよ」
「それで逆に嫌がられたんじゃないか?」
リグ先生がニルドのために水を用意しながら言う。
「システィナの性格だ。昔みたいに接して欲しかったと思うぞ? この店が出来て少しした頃に一度システィナも食べに来てくれたんだが、そのときにそんなことを言ってたからな」
「そんなことがあったんですか。けどそうは言いますけどね、リグ先生。システィナさんは今や雲の上も上の人ですよ? そんな失礼な態度を今でも取れるのは、ライくらいのものじゃないですかね? ね? ライのことだから、今でもシスティナさんとは昔みたいに接してるんだろ?」
「……いや。俺は正式に聖女になったあとのシスティナとは、一回も会ったことがないから」
「ん? けどシスティナさん、この前ライがいきなり教会を訪ねてきて、後輩冒険者の治療を押しつけていったとか言って怒っていたけど?」
「人命がかかったからな。あいつの力を頼らせてもらった。けどそれでも俺は、あのときからシスティナとは一度も直接会ったことはないんだ」
「待て待て。そいつはおかしいぞ、ライ」
俺の言葉に親父さんも待ったをかける。
「少なくとも、システィナがここに食べに来てくれたときは、お前もあとから来て彼女を教会まで送っていったじゃないか」
「違うよ、親父さん。少なくとも、俺が一緒にいるときは違うんだ」
親父さんが言っていたときのことを思い出す。
『黄金の雄鶏亭』が出来た頃、その噂を聞いた俺は懐かしくなって足を運び、そのあとこの宿で暮らし始めた。だからシスティナが食べに来たその夜も、俺は冒険を終えてこの宿に戻ってきた。
『――お久しぶりですね、ライ・オルガス』
まさかシスティナがいるとは思わず、驚く俺に彼女はそう言った。
システィナと同じ顔と声で、けれどまったく違う、冷たい目と声で言ったのだ。
俺はシスティナの身になにが起きたのかは分からない。あいつはなにも教えてくれなかった。
それでも、ひとつだけ分かっていることがある。
「俺と顔を合わせたときのあいつはシスティナじゃなかった」
システィナの中に、システィナじゃないなにかがいる。
それだけを俺は確信していた。
次回から他者視点。ライが話さなかった初めての冒険の話となります。
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