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だから俺は諦めない⑨



 神聖魔法――それは数ある魔法の中で、暗黒魔法と並んで最強の魔法のひとつと言われている魔法だ。


 術者の信仰心によって威力が左右される神聖魔法は、長い詠唱を唱える必要性がない。ステータスを開き、マジックウィンドウを表示すると、そこには魔法の名前だけが書かれている。


「ホーリーエンゲイジメント」


 手のひらに集わせた光を解き放つ神聖魔法を、バレル司祭は俺に放った。


 その美しい輝きの威力を、俺はすでに知っている。バレル司祭の言葉に頭をぶん殴られたような衝撃を受けていたが、身体は勝手に助かりたいと動いていた。


 横っ飛びで魔法の軌道からずれる。外れたホーリーエンゲイジメントが当たった壁が崩れ落ちる。聖女様のものよりは威力が下がるが、それでも数発も当てれば人一人を殺すには十分すぎる破壊力だ。


「いけませんね。避けてしまっては審判にならないではないですか。オープン」


 バレル司祭はステータス画面を開き、再び魔法を放つ準備を整える。


 淡々と凶器を構えるバレル司祭を見て、俺は強く自分の死を意識した。


 殺される。殺される。殺される。

 俺のステータスが読めないという、ただそれだけの理由で殺されてしまう。


 それはなんという理不尽なのだろうか。俺のステータスは俺が望んで手に入れたものではない。生まれながらのステータスを理由に殺されるというのなら、なんだよ。俺は最初から生まれてきちゃダメだったっていうのかよ?


 俺は悲しみよりも怒りを覚えた。腹の奥底から、ドロドロとした暗い感情が沸き上がってくる。


 理不尽。そう、理不尽だ。


 俺が悪いことをして、それが理由で裁かれるのなら理解できる。

 俺が愚かなことをして、それを理由に責められるのなら納得できる。 


 けれど――俺はなにもしていない。悪いことなんてなにもしてないじゃないか!


「なんだよ。くそっ! お前らはなんでそんなに俺を寄って集って!」


 目の前のこいつだけじゃない。他の奴らもそうだ。


「そんなにステータスを読めないのが悪いのか!? そんなにステータスが読めるのが偉いのか!? そんなに、ステータスだけで人間の全部が決まっちまうのかよ!」


 それはずっと俺が胸にしまっていた文句だった。口にしてしまえば、俺はきっと周りのすべてを嫌いになってしまうと思ったから、必死になって我慢し続けてきた憎悪だった。


「馬鹿にされて俺が傷つかないとでも思ってるのかよ? 虐められて俺が辛くないとでも思ってるのかよ? 俺が、俺がこの二ヶ月、どれだけの思いでがんばってたのか……なんで誰もわかってくれないんだよ!」


 思いの丈を叫びに変えてぶつける。


 人を導く聖職者の老人は、静かに俺の言葉を聞き届けた。


「そうですか。ならば我が審判をもって聖女様に問いなさい。ホーリーエンゲイジメント」


 その上で欠片も意に介さず光を放った。


 そこからはまるで時が止まっているかのように、すべてがゆっくりと過ぎていった。


 魂の叫びに対して下されたあまりにも無慈悲な一撃に、俺の中でなにかが変わろうとしていた。もういいや、と我慢することをやめた瞬間に、それは闇の中から顔を出して俺に囁いた。


 俺を殺すというのなら、その前に。

 俺を排他するというのなら、その前に。


 目の前にあるすべての理不尽に――死と破壊の鉄槌を。


「kjhggfvda」


 口から言葉にならない声がもれる。俺の中の獣が唸る。


 殺意には殺意をもって応えようとした、まさにそのとき。

 

「……え?」


 俺を庇うようにして、大きな背中が目の前に立ちふさがった。


 時が正しく動き出す。

 バレル司祭の放った光は、俺ではなくリグ先生を飲み込んだ。


「リグ先生!」


 光が破裂する。衝撃と熱に全身を灼かれたリグ先生は、しかし倒れることなく俺を守るために、バレル司祭の前に立ちふさがり続ける。今の攻撃で拘束の縄は切れていた。両手を広げ、間違いなく俺を守ろうとしてくれていた。


「やめろ。これ以上、俺の生徒に手を出すな!」


 リグ先生の気迫に、バレル司祭が目を細める。


「なにゆえその子を守るのですか? 血のつながりもない他人の子を、自分の命をかけてまで守ろうとするなど正気とは思えない」


 同感だ。リグ先生がそこまでして俺を守る理由なんてないはずだ。娘さんならいざ知らず、いつも迷惑かけてる俺なんかのために。


「馬鹿を言え。これは他でもない、あんたたち教会で習ったことだ」


「ほう?」


「俺は教師には向いてない。本当に、今ほどそう思ったことはない。大事な生徒の胸の痛みに気付いてやれなかった。どれだけ辛い思いをしているのかくみ取ってやれなかった」


 リグ先生は俺の方を振り向いた。その眼差しはひたすらに申し訳なさそうで、鋭い眼差しには涙がにじんでいた。


「ライ。本当に、ダメな先生ですまなかった」


「せん、せい……」


 胸の中の暗い感情が溶けて消えていく。


 俺はなにを疑っていたんだろう?

 俺のために泣いてくれるようなこの人の、一体なにを疑っていたんだろう?


 たったひとつの、しかもすでに謝ってもらっていた過去の出来事を気にして、目の前にいる先生がどれだけ真剣に俺のことを考えてくれていたのか、その心に気付こうともしなかった。


 誰もステータスが読めないという辛さは分かってもらえない。


 けれど、それでも俺のことを、こんなにも想ってくれている人はいたのだ。


「ごめん。ごめん、先生! 俺の都合に先生を巻き込んだのに、俺、先生のこと疑って……!」


「いいんだよ、ライ。ダメダメな先生だが、それでも俺はお前の先生だからな。いくらでも迷惑をかけてくれていいんだ」


 リグ先生は笑ってすべてを許してくれた。


「俺はダメな教師だ。それでも教師にになったときに、こんな俺でも覚悟していたことはある」


「それは一体なんですか?」


 リグ先生は決意した眼差しでバレル司祭に向き直ると、質問の答えの続きを口にした。


「生徒の危機には自分の命をかけてでも守る! それだけは、教師になった最初の日から覚悟してるんだよ馬鹿野郎!」


 リグ先生はそう言って、バレル司祭に立ち向かっていった。傷ついた身体で拳をにぎり、俺を守るために戦いを挑んだ。


「……理解できませんね」


 バレル司祭は心底理解できないと言った顔で、手のひらをリグ先生に向けた。


「ですがそこまで言うのであれば、せめてその生徒と共に神の御許へ送って差し上げましょう」


 そこに集う輝きは先の倍を超えていた。俺もリグ先生もまとめて葬り去るつもりだ。戦闘系スキルもなければレベルも高くないリグ先生では、その攻撃は避けられない。今度こそ死んでしまう。


「リグ先生! 俺のことはいいから逃げてくれ!」


「出来ん!」


「愚かな」


 バレル司祭は嘆息し、魔法を放つ。


「ホーリージャッジメント」


 唱えられた魔法。けれど光は放たれることなく霧散してしまった。


 魔法が紡がれるその直前、光をかき集めていたバレル司祭の腕を白刃が切り落としていた。仮面の騎士の黒いローブの裾が、視界の端で躍った。


「なっ!? 私のう」


「俺の可愛い生徒に――」


 驚くバレル司祭の顔に、懐へと踏み込んだリグ先生の拳が突き刺さる。


「――手を出してるんじゃねえええええッ!!」


 そのままリグ先生は、渾身の力で拳を振り抜いた。


「くげふっ!」


 鼻血をまき散らし、殴り飛ばされたバレル司祭の細い身体が床に沈む。白目を剥いて、そのままバレル司祭は気を失ってしまった。


「毎日拳骨とフライパンを振るって鍛えた腕を舐めるなよ!」


 老司祭を見下ろして、リグ先生は鼻息も荒く拳をかかげる。


 そのまま俺を振り返ると、おどけるように似合わないウインクをした。


「どうだライ? 先生もなかなかやるもんだろ?」


「リグ先生!」


「おっと」


 リグ先生の胸の中へと飛び込む。そしてポカポカとその胸を叩いた。


「馬鹿! なんで逃げないんだよ! 出来ん、って駄々をこねる子供かよ!」


「まあな。少年の心をいつまでも忘れない、そんな大人に俺はなりたいんだ」


「なんだよそれ! 馬鹿じゃねえの! 馬鹿じゃねえの!」


「そうだな。自慢じゃないが、学生時代の俺のテストの成績は、お前やニルドに劣ることのない点数だったよ」


 先生はその大きな手で、小さな赤子をあやすように俺の背中を叩いた。


 俺は叩いていた拳を開いて、先生の服にひしとつかまった。


「ライ。学校は辛いか?」


「……辛い。すごく辛いよ」


「みんなのことが嫌いか?」


「当たり前だ! あいつら、俺のことを怪物みたいな目で見るんだ! 俺を変な目で見なかったのは、先生とシスティナ、あとはニルドだけだった! 他の奴らはみんなみんな大嫌いだ! がんばって仲直りしようとふざけてみても、あいつらなにも変わらなかった!」


「そうか。ならもう無理に好きになろうとしなくていい。嫌って、憎んで、避けて逃げて無視すればいい。好きなものだけを見て、嬉しいことだけを数えればいい。それとも、好きなことも嬉しいことも、まったくないか?」


「あるよ。好きなことも、嬉しいことも。剣を振り回すのは好きだし、システィナはなにも変わらないでくれた。ニルドの馬鹿も、剣士スキルがあるからって調子には乗ってるけど、俺を見る目は前となにも変わらなかった。先生のことは、色々あったけど、前よりももっと好きになったかな?」


「そうか。俺もだ。ライのことが前よりも好きになった」


「ステータスが読めないのに?」


「ステータスが読めないのに、だ」


 リグ先生はまっすぐに、照れることなく本心を伝えてくれた。


「ステータスなんて関係ない。俺の目の前にいるのは、俺の可愛い生徒だ」


「……うん。ありがとう。それなら俺、この読めないステータスでもう少しがんばってみるよ」


 この先も辛いことは待っているだろう。

 多くの人々は俺を嗤い、遠ざけ、蔑むだろう。


 ステータスが読めないという、ただそれだけの理由で。


 それなら、と俺はリグ先生を見て思った。


 人が俺のことをステータスで判断するというのなら、俺はちゃんとその人のことを見よう。ステータスじゃなくて、その人自身のことをしっかりと見よう。リグ先生が俺にそうしてくれたように、ステータスなんて関係ないと、そう言い切れるようなそんな人になろう。


「……うぅ」


 だから――今は泣かせて下さい。


「うぅうううう」


 今だけはこの理不尽な世界に対して泣かせてください。

 ステータスが読めなかった辛さと悲しみを吐き出させてください。


「うぁあああああああ! ぁあああああ!」


「いいんだ。ライ。俺の前では愚痴って、弱音を吐いて、思い切り泣いていいんだ。俺の胸くらい、いつだって貸してやる」


 泣いた分まで強くなると約束するから。

 泣いた分まで笑ってみせると約束するから。


 だからどうか今だけは……。



 


すみません。感想返し等は明日以降にさせてください。

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