だから俺は諦めない⑧
屋敷の中を進むと、散発的に人形が襲いかかってきた。
けど所詮は小さい女の子が集めるような人形だ。軽いその身体は、たとえ勢いよくぶつかってきても大した威力にはならない。
見た目の衝撃だけはかなりのものだけど、それもシスティナから逃げ惑う姿を見たあとでは恐怖も薄れるというものだ。飛んでいる羽虫を落とすように、俺とニルドは襲ってくる人形を剣で次々に叩き落としていった。
「システィナさん、この程度の雑魚はオレに任せてくれ!」
「システィナさん言うな」
最初の情けなさを挽回しようと、ニルドは先頭に立って意気揚々と進んでいく。その呼び名のどこが琴線に触れたのかは知らないが、未だシスティナのことをさん付けで呼んでいた。
「わはははっ! システィナさんには指一本触れさせんぞ!」
実際に、ニルドの戦闘力は大したものだった。
物陰から突如として襲いかかってくる人形に対しても、見事な反応を見せて迎撃している。一撃の威力も高く、俺が剣を叩きつけた人形がふらふらとしながらも飛行可能なのに対し、ニルドにやられた人形は壊れて完全に動かなくなっている。
最初はまったく頼りにならないと思ったけど、それなりにやるじゃないか。それを認めるのは少し癪だけど。
「どうした? 呪術師の力とやらはこの程度なのか?」
煽る煽る。完全に調子に乗っている。
屋敷の持ち主である咎持ちの子にニルドの声が届いていたかは定かではないが、そのうざい感じは伝わったのだろう。だいぶ奥に進んだそのとき、これまでの人形とは二回りほど大きさの違う人影が立ちふさがった。
いや、人というよりかは、
「クマ?」
「クマね」
それは大人の人間と同じ大きさのクマのぬいぐるみだった。のほほんとした顔が愛らしい。
「ふんっ、人形共の親玉の登場といったところか」
夜の廊下にたたずむクマのぬいぐるみというのもなかなかに不気味だけど、それでも手下の人形たちに比べれば遥かにマシだ。ニルドは勇ましく剣先を向けた。
「いいだろう。かかってこい。お前にAランクの剣士スキルの恐ろしさを思い知らせてやろう!」
かかってこいと言った癖に自ら斬りかかっていくニルド考えてその台詞言ってるんじゃないんだなぁ、と分かる瞬間だった。
「くたばれぇえええええ!!」
ニルドは両手で剣を握り、最大威力を発揮する上段からの一撃をクマにお見舞いした。
「ふっ、これが騎士になる男の強さって奴さ」
背中から床に倒れ込んだクマに背を向けると、ニルドは髪の毛をふぁさとかき上げ、格好良く決める。
ん? おい、後ろ後ろ!
「ニルドまだだ!」
「へ? がふっ!?」
振り返ったニルドの頬に、クマの拳が突き刺さる。
さらに左、右、と小刻みに揺れながら、クマはその両の拳をニルドの身体に叩き込んでいく。見た目の可愛らしさとは裏腹に、その拳は鋭く重かった。最後の右アッパーが腹に突き刺さったニルドの身体が、放物線を描いて飛んでいく。
「クマつえぇ!」
シュッシュッとステップを踏みながら拳を振り回しているクマのぬいぐるみ。やはり攻撃力は体重の重さによるところが大きいようだ。
「――って、感心してる場合じゃない!」
俺は剣を構え、システィナの前に出た。
「システィナ! ニルドに治癒魔法を頼む!」
「分かったわ!」
床にたたきつけられ、ぴくぴくと痙攣しているニルドをシスティナに託し、俺は慎重にクマに戦いを挑んだ。
「ほっ! よっ!」
ぬいぐるみにしては機敏な動きだけど、それでも注意していれば捌けないほどではない。
問題はこちらの攻撃だった。
俺は拳を避けて、カウンターを何発が叩き込む。
その衝撃にクマはよろめきこそするが、すぐに体勢を立て直してくる。
その布と綿で出来た身体に痛覚はなく、さらに柔らかく弾力もあるため、こちらの攻撃はほとんど効いていなかった。このクマ、本物の剣ならばいざ知らず、木剣で相手にするにはかなりの難敵だ。
けどあせってはいけない。あせって呼吸を乱せば、ニルドの二の舞になる。
「くそっ、クマのぬいぐるみにこれ以上こけにされてたまるか!」
そのニルドもシスティナの治療を受けて、戦いに戻ってくる。怒りで冷静さを欠いているが、それでもニルドの一撃の攻撃力は頼りになった。
二人がかりでクマを追い詰めていく。
「この野郎!」
俺は一瞬の隙を見計らってクマの足下に飛びつき、その身体を押し倒すことに成功した。
「今だニルド!」
「おぉおおお!」
俺が床に押さえ込んでいる間に、ニルドが強烈な一撃を何発もその顔に叩き込む。
「これで、どうだ!」
とどめとばかりに、ニルドはクマの頭にフルスイングした剣を叩きつける。その衝撃は、つかんでいた俺が思わず手を離してしまうほどだった。
「これなら!」
「ああ、やったな!」
勝利を確信し、俺とニルドは軽く手を叩き合って喜んだ。
しかし……
「まだよ二人とも!」
システィナの声がした直後、起きあがったクマが突進してきた。
なんとかその攻撃は避けられたが、くそっ、こいつきりがないぞ!
多少顔から綿がはみでていたが、それでもクマはダメージなどないかのように拳を構えている。その微笑ましい顔が、今の俺には余裕の微笑みにしか見えなかった。
「くそっ、どうすりゃいいんだよ!」
「諦めるなニルド! 倒せるまで何度でもやるんだ!」
「けどよ!」
ニルドの不安も分かる。このままじゃ、体力が先に底をつくのは俺たちの方だ。そうなればあの拳を避けられない。
「あ、そうだ」
俺とニルドが脳裏に絶望が過らせていると、頼りになる方の幼なじみがなにか思いついたようだった。
「ニルド! さっきのライみたいに、もう一度そのクマを床に押し倒して!」
「よしわかった! 任せろ!」
システィナの指示に従って、ニルドがクマの身体を床に押し倒す。暴れるクマの拳が何発が頭に叩きつけられるが、必死に堪えている。
「今よライ!」
「ああ、剣で滅多打ちにすればいいんだな!」
「違うわ!」
システィナは剣を手に走り出そうとした俺を止めて、別の指示を出した。
そしてそれを実行に移した結果がこれである。
ジタバタと両手両足を動かし、なんとか起きあがろうとするクマ。しかし起きあがる途中で、不意にバランスを崩して倒れてしまう。壁に手をついてなんとか支えようとしても無駄だった。やはりバランスを崩して転倒してしまう。
なぜなら頭が重すぎるからだ。俺の手によって、全身の綿のほとんどを頭部へと移動させられたクマのぬいぐるみは、もう二度と二本足で立ち上がることはできないだろう。
「その手じゃどうにもできないでしょう。所詮ぬいぐるみはぬいぐるみね」
短い手足を必死に動かしてもがく姿を、システィナは哀れみを込めて見下ろす。
けれど――クマのぬいぐるみを甘く見てはいけない。
ゆっくりと、けれどしっかりと床に足をつけてクマは立ち上がろうとする。その背中はさながら大切な人の命がかかっている騎士のような、そんな男の背中だった。
「起きあがるな」
そんな男の背中に容赦なく蹴りを入れるのは、そう、システィナさんである。
「言っておくけど、私も女の子として少し手を抜いてあげたんだからね? それ以上抵抗するっていうなら、その身体の綿という綿をむしりとるわよ?」
「…………」
必死になってもがいていたクマが、急に動きを止めて動かなくなった。
死んだふり。いや、ただのぬいぐるみの振りか。
「無駄に時間を食ったわ。急ぐわよ、二人とも」
「「へい、システィナ姐さん!!」」
俺とニルドは思わずそう応えていた。
システィナさんマジぱないっす。
「たぶん、呪術師はこの近くの部屋にいるわ」
システィナの機転で危機を脱した俺たちは、藻掻いているクマのぬいぐるみを横目に近くの部屋の散策を開始した。
最強の人形をこの場所に配置していたのだ。となれば、きっと親玉もこの近くにいるはず。
扉という扉を開け放ち、中を覗き込んでいく。
「いたぞ! リグ先生だ!」
そのほとんどは家具もなにもない寂しい部屋だったが、その中のひとつを見たニルドが声を上げた。
すぐに俺はそちらに駆け寄った。そしてニルドを押しのける勢いで、部屋の中を覗き込む。
果たして、リグ先生はそこにいた。他に比べて格段に広く、フリルやレースであしらわれた少女趣味の部屋の片隅。縄で両手足を縛られ、ぐったりとした様子で床に倒れ伏している。
「リグ先生!」
「おい、ライ! 危ないぞ!」
ニルドの制止を無視して、リグ先生に駆け寄る。
「先生! 大丈夫か? 生きてるか!?」
声をかけ、身体を揺する。
するとリグ先生はうっすらと目を開いて俺を見た。
「ライ、か……?」
「そうだよリグ先生! すぐに縄を解くから!」
リグ先生の後ろに回り、縄の結び目に手をかける。くそっ、固い!
「っ!? ダメだライ! すぐに逃げろ!」
意識をはっきりさせたリグ先生が、慌てたようにそう言った。
「大丈夫だ、先生。俺だけじゃなくてシスティナもニルドもいる。呪術師の奴が襲ってきても追い返してやる!」
「違う! 違うんだ! ミュゼットはずっとそこにいる!」
先生が目で指し示したのは、部屋の中央付近にある天蓋付きのベッドだった。
そしてそのベッドの上に、リグ先生と同じように両手両足を縛られたゴシックドレス姿の少女――呪術師の咎持ちであろう少女が気を失った姿で横たわっていた。
「この子が咎持ちの生徒なのか? けど俺たちはさっきまで人形に襲われて」
「――ええ、それは彼女の力で間違いありませんよ」
唐突にしわがれた声がした。同時に、人が床に倒れ込む音がふたつ。部屋の入り口のところで折り重なるようにして、意識を刈り取られたシスティナとニルドが倒れていた。
その二人の横から、法衣姿の老人は現れる。
「彼女がリグ先生を追い返すために用意した仕掛けが、術師である彼女が気を失ってもなお働いていたのでしょう。ですがご安心下さい。この老骨がしっかりと浄化しておきましたので」
それは俺たちをこの場所へ導いた、あの老司祭に他ならなかった。
「あんた、なんで?」
「逃げろ、ライ。バレル司祭の目的は最初からお前だ!」
「リグ先生の言うとおりですよ、ライ・オルガスくん」
老司祭――バレル司祭は穏やかな顔で髭をしごきながら、ゆっくりと近付いてくる。
「どういうことだ? もしかして俺を監視していた教会の監視役って、リグ先生じゃなくてあんただったのか?」
「監視役? なんだそれは?」
リグ先生がなにも知らない顔で聞き返してくる。
リグ先生は俺を監視なんてしていなかった。その事実は嬉しかったが、今のこの状況で喜んでもいられなかった。
バレル司祭は俺の言葉を理解していると見えて、しかし首を横に振る。
「いいえ、私は君の監視役ではありませんよ。ただし、その者の報告を教会の聖女様へ届ける役割は担っていますがね」
「聖女様に?」
「そう、聖女様は君のことを大変気になされているのです。そのステータスが周囲にどのような影響を及ぼすのか危惧されていた。私がこのような真似に及んだのも、すべては聖女様のご命令あればこそなのです」
「う、嘘だ。だって聖女様は俺に祝福をくれた! ステータスだって保証してくれて!」
「ええ。ええ。それも間違いではない。けど悲しいかな、聖女様にあってもその意思には優先順位というものが存在します。聖女レフィ様の祝福と保証よりも、聖女フィリーア様のご意思の方が重要なのです。少なくとも、私はそう思っています」
意味が分からなかった。聖女レフィ様も聖女フィリーア様も、つまりは同じ人を指しているのに。
「フィリーア様のご命令は、君の存在によって周囲に悪影響があれば、直ちに正しい処置を行うこと。私もつい先日までは監視役からの報告を聞いて問題なしだと判断していましたが、どうも君の監視役には事情があって、その報告が正しいものとは言い難かったようですね」
バレル司祭は気絶したシスティナの方を見てから、リグ先生の方を見た。
「すでに悪影響は出始めている。でなければ、リグ先生がかつて正しく見送った咎持ちの生徒に、今更会いたいなんて私には掛け合って来られないでしょう」
「悪影響なんかじゃない! 俺はライを見て、あのときの自分の判断が間違っていたと気付いただけだ!」
リグ先生は吼えるようにそう言った。
「俺はあのとき、ミュゼットが咎持ちだと分かったとき、彼女を黙って見送ってしまった。あの子が色々と俺に話してくれて、懐いてくれていたのに、なにも言わずに見捨ててしまったんだ。俺はせめてそのことを謝りたいと、ただそう思っただけだ」
「それが悪影響だと言うのですよ」
バレル司祭はリグ先生の後悔をそう断じて、懇々と眠り続ける咎持ちの少女、ミュゼットをにらむように見た。
「咎人系スキル保持者は、正しく教会と国によって管理されなければならない存在です。特に彼女のように高いランクを持って生まれてきた者は、厳しい管理の下に置かなければならない。それが聖女フィリーア様のご意志なのです。リグ先生、あなたは数年前のあのとき正しい選択をされたのですよ」
その瞳に強い感情が浮かぶ。言葉もそれに合わせて強く、激しいものになっていく。
「だというのに! それを今更後悔するなど! ましてや直接彼女に会いに行き、正しく家に閉じこもっていた彼女を外へ連れ出そうとするなど! なにゆえフィリーア様の意思を否定するような真似をなさるのか!」
「なにを言っている? 今代の聖女フィリーア様は、咎持ちだとしても、実際に罪を犯すまでは普通の子供と同じだと以前おっしゃられたはずだ!」
「言ったでしょう? 聖女レフィ様のお言葉よりも、聖女フィリーア様のお言葉の方が正しいのです」
なおも言い返すリグ先生の言葉を、長い時を信仰と共に生きてきた老司祭は、一転して穏やかな目で受け流した。
「フィリーア様の危惧は正しかった。やはりあり得ざるステータスを持つその子は、周囲に悪影響を与える。フィリーア様の永遠の尽力によって正しく、そう、正しく管理されていたこの秩序ある世界を乱す不穏分子であった! ゆえに正さなければ。正さなければ。正さなければ!」
「バレル司祭。あなたは……」
両手を天に向けて上げ、高らかに信仰を謳い上げるバレル司祭を見て、リグ先生は表情を強ばらせた。
俺も先生の気持ちは分かった。なんて言おうとしたのか理解できた。
激したかと思えば、急に凪いだように微笑むその姿。けれどその瞳の奥にある、強烈な熱意だけは老人とは思えないほどに強い。
曰く、教会には特に熱狂的な聖女信者がいると言う。
彼ないし彼女らは、聖女フィリーアのためと口にしながら、時の聖女の下した令を無視した暴挙に及ぶことが多々あった。時代の移り変わりを無視して、ただ始まりの聖女の意思にのみ従って行動する。
いつからか、彼らは教会内で畏怖と侮蔑を込めてこう呼ばれるようになった。
「バレル司祭、あなたは『初代主義者』なのか?」
リグ先生の問いにバレル司祭は誇らしげに頷いて、それからその光を集わせた手のひらを俺に向けた。それは聖女レフィ・トラベリオ様に以前向けられた破壊の光と同じものであった。
「フィリーア様はこうおっしゃられました。ステータスこそが神の愛の形であると。であれば、ステータス無き者に神の愛は存在しません。神の愛なき怪物は滅するのみです」
穏やかに微笑みながら、殺意の矛先を俺に向け、バレル司祭は言った。
「ここならば、私の教会とは違って誰に被害が出るわけでもない。少年よ。その本性を露わにしても構いませんよ?」
「馬鹿言うな。俺は怪物なんかじゃない!」
「ええ、そうかも知れません。もしもすべて私の勘違いで、あなたが神の愛に守られているのならば、そのときはきっとフィリーア様の大いなる祝福がその身を守ってくださることでしょう」
だから死んだらお前は怪物なのだと、バレル司祭は躊躇なく光を俺に向けて解き放った。
迫り来る光を呆然と見ながら、俺は思い出していた。
初代主義者。彼らはこうも呼ばれている。
即ち――狂信者、と。
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