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だから俺は諦めない⑥



 一心不乱に剣を木に打ち込んでいく。


 毎夜の日課。孤児院から少し離れた場所にある空き地に出向き、そこに植えられた木を的に見立てて剣の修行に励む。誰かに教えられたわけではないので、これで剣の修行として正しいかは分からないが、きっと無駄ではないと信じて繰り返している。


 木の幹の表面は、俺の度重なる剣戟を受け止めた所為で削られてきている。昨日まではそれが努力の証に見えたが、今夜は違うように見える。


 木は修行を始めた日から変わらず、どっしりと地面に根を張って天へと枝を広げている。見た目はいくらか削られていたとしても、実際のところはなにも変わっていないのだ。


「くそっ!」


 苛立ちを力に変えて、がむしゃらに剣を振るう。


 手に伝わってくるしびれ。腕がぱんぱんにふくれ、握力が落ちていくのが分かる。


 それでも思い切り剣を振っていた所為で、木に当たった瞬間、剣が手からすっぽ抜けてしまった。剣は木の幹に跳ね返され、俺の額を強かに打った。


「っぅ!」


 ちょうど丸く削られた木剣の切っ先がかすめたため、額からわずかに血が流れ出た。


 ぽたり、ぽたり、と血の玉が地面に吸い込まれていく。


 ……俺は一体なにをしてるんだろう?


 不意にそう思った。我に返った、と言ってもいいのかも知れない。


 剣の修行? こんなことを続けてなんになるのだろう? これを続けていれば俺は強くなれるのか? 騎士になれるのか?


 普通の人はこういうとき、自分のステータスで確認をする。


 上がっていく能力値。あるいはスキル熟練度。それを見て自分のやり方が正しいのか正しくないのかを判断するという。けど俺にはそれが出来ない。今の自分の行いに価値を付けるのは、ただ、この胸にある意思だけだ。


 そう言ってくれた人がいた。騎士になる夢を応援してくれると言ってくれた人がいた。


「先生だけは、俺の味方だと思ったのに……」


 今日の昼間に見てしまった光景を思い出す。


 偶々人気を忍んで街を歩いているリグ先生を見つけたから、驚かせてやろうと思って後を尾けた。けどそこで見たのは、リグ先生があの髭の司祭と隠れて会っている姿だった。


 聞こえてきた言葉は断片的だったが、『連れて行かれた』『咎持ち』といった単語ははっきりと聞こえた。そこから導き出される答えは、俺はひとつだけしか思いつかなかった。


「リグ先生が、教会から派遣された俺の監視役」


 つぶやいて、首を横に振る。


 違う。嘘だ。


「そうだ。直接リグ先生からそう言われたわけじゃない。疑っちゃいけない」


 けど……俺の脳裏をかすめるのは、以前、教室で兵士に連れて行かれる俺の声に応えてくれなかったリグ先生の姿だった。


 助けてくれなかった。助けてくれなかった。あのときリグ先生は俺を助けてくれなかった!


 信じようとするほどに、そう叫んでいる自分の姿を自覚する。俺は許してなんていなかった。心の奥底では、今もあのときのことを気にしていたのだ。


 そして今もこう思っている。あのとき俺を裏切ったように、リグ先生は今も俺を裏切っているのではないか、と。


「先生……なんで……」


「――ずいぶんと落ち込んでいるようじゃないか」


 突然、声をかけられる。


「……あんたかよ」


 顔を上げれば、俺が今まで剣を打ち込んでいた木に背中を預けるようにして、仮面の騎士が腕を組んでこちらを見ていた。


「どうした? ライ・オルガス。剣の修行を続けないのか? いつもなら、この程度のことは気にせず続けていただろう? 私は君のその馬鹿みたいなひたむきさだけは、それなりに評価していたんだがね」


「うるせえよ」


 額の血をぬぐい、剣を拾い上げる。


「そっちこそ、話しかけてくるなんて珍しいじゃないか。いつもはこそこそと人をつけ回してる癖に」


「否定はしないさ。それが私の今の任務だからね」


「なら黙ってろよ。俺がどうしようとあんたには関係ないだろ?」


「まあ、そうなんだが。君を見続けることを強いられてる身としては、君にそううじうじと落ち込まれていると気分が悪いのさ」


「じゃあ、あんたが相談にでも乗ってくれるのか?」


 騎士団側からの監視役のこいつなら、教会側の監視役が誰かは知っていることだろう。そして昼間のこともこいつは見ていたはずだ。


「教会側から派遣されてる俺の監視役ってリグ先生なのか?」


「それには答えられない。口止めされていてね」


「役に立たない奴だな」


「幻滅したかな? だがこれでも君の目指している騎士なのさ」


 仮面の騎士は木にもたれかかるのをやめて、俺の前に自分の姿を晒した。


「仮面で顔を隠し、言葉で素性を煙に巻き、ただ命令を遂行する。それが騎士だ」


「あんたは普通の騎士じゃないんだろ?」


 どこかどう違うのかは分からないが、それでも目の前にる仮面の騎士が、誰もが知っている煌びやかな白亜の騎士とは違うことくらいは俺にも分かった。だからこいつに対して憧れのようなものは抱かないし、尊敬の念も沸かなかった。


「そう、私は黒騎士だからね」


 仮面の騎士もそれは肯定し、


「だが王と国に仕える兵器という意味であれば、黒も白も本質は変わらない。要は戦争で敵兵を殺すために用意された駒に過ぎないのさ」


 戦争。その言葉にだけ、仮面の騎士は本人でも気付かないうちに熱を込めていた。


 俺は先の戦争が終わったあとに生まれた世代だから、戦争というものがよく分からない。ただ、今孤児院にいる子供たちの多くは、その戦争の所為で孤児になった者がほとんどだった。


 親を戦争で失った者。親が戦争で職を失ったために捨てられた者。俺も実際に父親を戦争で亡くしている。


「あんたも戦争に参加してたのか?」


「……そうだ。あれが私の初陣だった。酷い戦いだったよ」


 仮面の騎士は多くを語らなかったが、その眼の奥に俺は激しい憎悪の炎を見た気がした。それは戦争に対してか、あるいは……。


「だが君も戦争のある時代に生まれた方が良かったかも知れないな。そうすれば、君も騎士になれたかも知れない」


「どういうことだ?」


「国は戦時中、戦力欲しさに騎士になる条件を引き下げた。さらに私のような、本来であれば騎士になどなれないような人間も、ただ殺傷能力の高さだけを理由に騎士に引き立てた。ステータスの読めない君も、あるいはあの時代ならば騎士になれたかも知れない」


「今の平和な時代じゃ、俺は騎士になれないって言いたいのか?」


「なれると本当に思っているのか?」


「…………」


「無理だ。ステータス画面の読めない君では、騎士になどなれっこない。なぜなら君は才能を形として示せない。力の証を形として見せられない」


「けど、けど修行して強くなれば!」


「いつか私のような特別措置で騎士になれるかも知れない、か。残念だが君にはそれすら無理だ。強くなるというのは、すなわちステータス画面に記された数値の上昇を指す。それを見えない君は、自分が強くなったと自覚することすら難しいだろう」


「けど俺は強くなってる! 少しずつだけど、ちゃんと強く!」


「少しはな。毎日それだけ努力しているのだ。当然そうなる」


 仮面の騎士は俺の努力を認め、その上で声に憐憫すら込めながら言った。


「だが騎士になるのに、君は自分があとどれだけ努力すればいいのか分かっているのか? どれだけ努力すれば騎士になれるのか、その展望は見えているのか?」


「そ、それは」


 わからない。わかるはずがない。


 前に読んだことのある、騎士になるための上級学校の入学条件。そこにはBランク以上の戦闘系スキル、あるいは魔法系スキル、もしくはランクが低くても十三歳の時点でレベル三十以上であれば合格が認められるという、入学のための水準が書かれていた。


 騎士学校だけではない。宮廷魔導師になるために通う必要のある魔法学校などでも、必須とするスキルや水準となるステータスが設けられている。


 他にも。他にも。他にも。


 この世界で生きているだけで当たり前のように日々目にする、要求ステータス。そのどれにも俺はあてはまらない。


 なぜなら、すべてはステータスが読めることが前提とされているのだから。


「ステータスの読めない君が騎士を目指すということは、無明の闇の中をただひたすら進み続けることに等しい。その努力が正しいかも分からず、その努力が報われるかも分からないまま、それでも自分だけを信じて進むしかない」


 それはリグ先生が言ったことと同じことだった。未来を切り開くのは俺の意思だけということ。


「それは想像を絶する苦難の道だろう。人の身で成し遂げられるとは思えない」


 けれど仮面の騎士は、それが正しいと認めた上で目指すべきではないと否定する。ある意味では優しさとすら言える言葉で、ライ・オルガスは騎士を目指すべきではないと、リグ先生の言葉を否定したのだ。


 そして俺は、その言葉が正しいと、そう思ってしまった。


「君の過去はすべて調べさせてもらった。なぜ君が騎士を目指しているのかは、おおよそ察しがつく。死んだ父親が騎士だった。だからその意思を継ぐと口にすれば、母親が喜んでくれたから。そうではないか?」


 仮面の騎士の言葉はどこまでも正しかった。俺が騎士を目指そうと志した根底にあるのは、騎士になりたいと口にしたとき、死んだ母さんが喜んでくれたことが大きい。そのときの母さんの笑顔だけは、今もしっかりと覚えている。


「そして母親が死んだことで、君はその口にした言葉を守らなければならないとそう思った」


 それも正しい。母さんとの最後の会話で、俺は父親のことを尊敬していると嘘を吐いた。本当は父親のことなんてどうも思っていなかったのに、母さんを喜ばせたくて嘘を吐いたのだ。


 そして、きっとそれは母さんにばれていた。そう気付いた瞬間に、母さんへの言葉の中で、唯一嘘ではなかった言葉が重くなったのだ。


 仮面の騎士は言葉のない俺を見て、罪を突きつけるように指摘した。


「ライ・オルガス。君は騎士になりたいのではなく、騎士にならないといけないと、そう思っているだけではないのかい?」


 俺はその言葉に、なにも言い返すことができなかった。


「悪いことは言わない。それならやめておくといい」


 仮面の騎士は俺の手から剣を取り上げると、まるでゴミかなにかのように放り捨てた。


「騎士のように高いステータス要求を必要としないものを目指すといい。最初に言ったが、私も君のそのひたむきに努力できる姿勢は評価している。高望みさえしなければ、君なら慎ましやかな家庭を作り、小さな幸せを手に入れられるだろう」


「もしかして、心配、してくれてるのか?」


「心配? 私が君を? まさか。そんなわけがないだろう?」


 仮面の騎士は肩をすくめ、誰かが近付いてくるのに気付いて姿を消す。


「ただ、君を見ていて、ふと昔の馬鹿な自分を思い出してしまっただけさ。……ああ、そうだ。物語に出てくるような騎士になりたい。そんな夢はゴミだろう?」


 最後に自嘲するように、そう零して。


「ライ!」


 ぱたぱたと、スカートを裾を翻しながらシスティナが駆け寄ってくる。


「システィナ」


「ああもう、また怪我してるし!」


 システィナはいつものように治癒魔法を行使しながら、周りをきょろきょろと見回す。


「ねえ、ライ。今、誰かと話をしていなかった?」


「それは……」


 咄嗟に誤魔化そうとして、なんで誤魔化す必要があるのかと思い直す。別に仮面の騎士からも、俺が監視されていることは誰にも言うなとは言われていない。


「実はさ」


 俺はシスティナに話すことにした。誰かに相談したかったのだ。


 自分がステータスの件で王国と教会に監視されていること。

 この近くに今は姿を見えないが、仮面をつけた騎士が潜んでいること。

 そして教会側の監視役が、リグ先生かも知れないこと。全部を話し聞かせた。


「嘘。そんなのありえないわ」


 話を聞いたシスティナは動揺した声でそう言った。


「嘘じゃない。さっきまで俺はそいつと話してたんだから」


「いや、あんたが監視されてる方じゃなくて、リグ先生が監視役だって話の方よ。そんなのあり得ないわ」


「なんでそう言い切れるんだよ?」


「……お、乙女の勘?」


「おい」


 システィナが自分の髪をかき上げ、指先で耳に触れながら下ろしたがら言う。なにか隠し事をしているときの彼女の癖だった。


「と、とにかく、私はリグ先生が監視役とは思わないわ」


「じゃあ、なんであのときの司祭のじいさんとこそこそ会ってたりしたんだ?」


「う~ん。そうね。あくまでも私の予想に過ぎないんだけど。あのときのクソ司祭、実はステータス開示の魔法をうちの学校で毎年教えているクソジジィなのよね」


 システィナ・レンゴバルト。これでシスターの卵である。


「で、あのクソジジィに数年前にうちの学校から咎持ちとして連れて行かれた子がいるの。その生徒も、どうもリグ先生と仲が良かったみたいなのよ。もしかしたら、ライと色々話をしていて、その子のことを思い出して気になったのかもね」


「そうだったのか」


 リグ先生が、咎持ちの生徒と。

 あるいはリグ先生が俺を気にしてくれていたのは、そのことも理由としてあるのかも知れない。


「けど先生が俺のこと本当は信じてくれてなくて、危険だと思ってて、それで教会の仕事を手伝ってる可能性はゼロじゃないだろ?」


「あんた、リグ先生を信じたいのか疑いたいのかどっちなのよ?」


「そりゃ信じたいに決まってるだろ!」


「なら信じればいいじゃない。どっちか分からないなら、とりあえず信じてみる。ライ、そういうの得意でしょ?」


「……それ、馬鹿にしてないか?」


「馬鹿にしてないわよ。褒めてあげてるんじゃない」


 そう言われてもあまり嬉しくはなかった。


「それに、もしも仮にリグ先生が監視役をしているとして、別にあんたが嫌いだからとか、怖いからだとか、そういう理由からじゃないかも知れないわ」


「どういうことだ?」


「ほら、監視役を打診されて断ったら、別の誰かがライの監視役になっちゃうでしょ? それがどんな奴か分からない。それなら自分がやった方がライのためにはなるかも知れない。そういう風に考えて引き受けた可能性だってあるじゃない」


「なるほど。たしかに」


 俺はてっきり監視役と聞いて、俺が危険な人物ではないかを監視する人間だと思っていた。仮面の騎士を見て、そういう風に判断していた。


 けどシスティナの言うとおり、そういう考え方もあるのだ。


「そっか。そうだよな!」


「そうよ。そうに決まってるわ!」


 俺が自分に言い聞かせるように頷くと、システィナもまた自分に言い聞かせるように頷いた。


「よし、こうして悩んでいてもしょうがない。明日、実際にリグ先生に聞いてみよう!」


「うん。それがいいわ。怖かったら、私も一緒についていってあげるし。ほら、じゃあ額の傷を治しちゃうからじっとしてて」


 システィナがいつの間にか止めてしまっていた治療を再開させる。


 温かな光が傷口を包み込み、ゆっくりと傷が塞がっていく。同時に胸の中にあった苛立ちが小さくなって行くのがわかった。


 俺は真剣な顔で治療してくれるシスティナを見て、少しだけ見惚れてしまった。こいつ、こんなに可愛かったっけ?


「システィナ」


「なに? 集中してるんだから、あんまり話しかけないで」


「お前、好きな奴とかいないの?」


「ひゃへ!?」


 システィナが変な声をあげて顔を真っ赤にする。


「な、なにを突然!? 好きな奴なんて、い、いないわよ!」


「そっか。じゃあ、ニルドの奴にもしも告白とかされたら?」


「全力で断るわ」


 哀れな。


 そうニルドのことを思ってしまう一方で、少しだけ、ほんの少しだけ安堵してしまった。


「そ、それを言うなら、ライはどうなのよ?」


「俺? やめてくれよ。ニルドの奴に告白されるとか、考えたくもない気持ち悪い!」


「そういうことじゃなくて、す、好きな相手とかいないのか、ってことよ!」


「そっちか。驚かすなよ」


「普通はそっちに決まってるじゃない」


 そりゃそうか。


「好きな奴か。う~ん」


 腕を組んで考えてみる。好きな奴。好きな奴ねぇ。


「た、たとえば、すぐ近くにいる女の子とか。いつも一緒にいて、怪我とかしたら助けてくれる女の子とか、気になったりしていない?」


 システィナがもじもじと照れくさそうにしながら、どこか期待するように見てくる。


 やはりシスティナも女の子ということか。恋の話とか好きなのだろう。


「いないなぁ」


 けど悪いな。俺には気になってる奴とかはいない。


「そ、そう」


 システィナは落ち込んだようにうなだれる。けどすぐに元気になって、俺の額に軽くデコピンした。


「まあ、まだおこちゃまなライに恋とかは早かったかしらね」


「なんだよそれ? システィナだって好きな奴いないって言ってたじゃないか?」


「それはそれ。これはこれよ!」


 意味が分からない。女ってよく分からない。やっぱりまだ彼女とかそういうのはいいな。それよりも夢とか剣とかそういう話をしていたい。


 うん。やはり明日、リグ先生に会いに行こう。本当のことを聞きに行こう。うじうじ悩むのなんて俺には似合わない。


 そして、その上でもう一度夢のことを相談したい。


 仮面の騎士に言われたことは、まだ俺の心の中に強く残っていた。彼の言葉はどこまでも正しくて、けどなぜかどうしても納得できなくて。


 だから話をしたい。リグ先生と。


 けれどーー翌日、リグ先生が学校に来ることはなかった。




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