だから俺は諦めない⑤
それはステータス開示の日から、二ヶ月が経過した頃のことだった。
「ふぎゅう」
地面に叩き伏せられた俺の口から、空気と一緒に変な声がもれる。
「勝者! ニルド!」
直後、審判を努めていた生徒が勝者の名前を呼んだ。
「まあ、当然だな」
今回の試合でも危なげなく勝利を収めたニルドを、俺は打ちつけた部分をさすりながらにらみつける。
木剣を片手に俺をにらみ返してくるニルドは怪我ひとつない。今回もまた、俺はニルドに剣を一撃も当てられなかった。
「くそっ、もう一度だ!」
俺は取りこぼしていた木剣を拾って、もう一度ニルドに挑戦しようとした。まだ護身術の授業時間には余裕がある。けどニルドはあからさまにいやな顔をする。
「ライ。何度やっても結果は同じだ。お前じゃオレに勝てない」
「そんなのやってみないと分からないだろ!」
「いやわかんだろ。お前、これで何回オレに負けた?」
「まだたった八十三回だ!」
「たったって数じゃないだろうが!」
「うるせ! ここから俺の快進撃が続くんだよ! いつの間にか負けた数より勝った数の方が多くなってんだよ!」
「そんな日は一生来ねぇよ! お前はこれから先、何度やってもオレに負ける。そもそも試合にだってなってないだろうが」
「それは、そうかもだけど」
今回の試合もニルドには攻撃を当てられずに叩き伏せられてしまった。ニルドが剣士スキルを手に入れてから、ずっと同じように。
「けど今日は一回、お前の攻撃を弾いた。これまで一撃で負けてたんだ。俺だってちゃんと成長してる!」
「そんなのまぐれだろ。大体、成長って言ったら、週に二回先生に来てもらってオレだってちゃんと熟練度は上げ続けてるんだ。差は開く一方だろ」
「俺は毎日剣を振ってる! まぐれかどうか、もう一回戦って証明してやる!」
「はあ……仕方ないな」
ニルドは面倒くさそうにしながらも剣を構える。
こいつだって分かっているのだ。今や同年代で自分と試合をしてくれるのは、何度負けても立ち向かってくる俺以外にはいないことを。他の生徒たちははやし立てるばかりで、自分の剣の用意すらしてきていない奴も多かった。
「まったく。弱いものいじめは好きじゃないんだけどな」
「うぜぇ!」
昔から乱暴で言動が鼻につく奴ではあったが、剣士スキルを手に入れてからはそれが加速している。きっと他の生徒たちから羨望のまなざしで見られることが多くなったのと、他の生徒たちを剣で叩きのめて自分の方が上と思っているからだろう。
けど基本的に馬鹿なのは変わりないので、恐らくは気付いていないだろう。
最初こそAランクの剣士スキルを手に入れたことでみんなから人気者だったニルドだが、その言動の所為で今となっては周囲から避けられつつあることを。同じ教室限定で言えば、あるいは今の俺よりも扱いが悪いのではなかろうか?
少なくともここ最近、ニルドのことを本気で嫌い始めている奴を俺は知っている。
「ライ、がんばれ!」
剣を手ににらみ合う俺たちに近づいて来て、そうはっきりと俺を応援したのは、誰であろうシスティナであった。
「ニルドのことなんてボコボコにしてやりなさい! もうボッコボコよ!」
「…………」
ニルドが切なそうな顔でシスティナのことを見た。
システィナはその視線に気付くと、まるで虫の死骸でも見ているかのような眼をニルドに向けた。学校の男子生徒たちからは、股間がひゅんとなる視線ということで有名になりつつある、システィナの氷の眼差しである。
前はニルドのことを好きでも嫌いでもなかったシスティナだったが、俺が護身術の授業のたびにニルドにボロボロになるまで叩きのめされていると知り、現在ではご覧の有様である。いや、あくまでも俺の怪我は自分からニルドに挑んでいった結果なんだけどな。そこまで酷い怪我でもないし。
そしてニルドは、実は本人たち以外はみんな気付いているのだが、システィナのことが好きだったりする。
つまり今俺の目の前にいるのは、意中の相手に全力で嫌われているかわいそうな少年ということになる。
「ニルド。元気出せ」
「うるせぇよ! 元はといえば、ライが弱すぎる所為だろうが!」
「言ったなこの野郎!」
じゃっかん涙ぐみながら振り下ろされたニルドの一撃を、俺はなんとか剣で受ける。
「ぐっ!」
しびれが木剣を握ってる手まで伝わってくる。大柄のこいつは昔から他より力が強かったが、今はあからさまに強化されている。この前、剣士スキルの熟練度だけじゃなくて、経験値稼ぎも手伝ってもらってるって言ってたからな。レベルアップしたのかも知れない。
それでも俺はニルドの一撃を受け切りことができた。一ヶ月前はどう足掻いても一撃目で倒されていたのだが、今は耐えることができる。
やはり少しずつだけど、俺もちゃんと強くなっている。毎日朝夜に剣の訓練を始めたのは無駄ではなかったのだ。
「うぉりゃあああ!」
ニルドの攻撃を受け流し、剣を振るう。
それをニルドは簡単に避けてしまう。俺の攻撃を見てから回避行動を取っているというのに、余裕をもって避けていた。
そこからさらに流れるように剣を叩きつけられる。それを俺は再び剣で受けることに成功した。これには初めて、ニルドの顔に驚きの色が浮かぶ。
同時にわずかな苛立ちが。
「せいりゃあ!」
剣士スキルを手に入れてからの試合で、初めてニルドがかけ声をあげた。
「がはっ!」
力強く一歩を踏み込み、大上段から力任せに剣を叩きつけられる。剣での防御が間に合ったというのに、その防御ごと叩き伏せられてしまった。剣先を受けた肩から鈍い音がして、俺はたまらず剣を取りこぼしてひざをついた。
「ライ!」
システィナが血相を変えて駆け寄ってくると、ステータス画面を開き、治癒魔法を紡ぎ始めた。
「へっ、そんな慌てることないっての。骨を折ってはないからな」
治療を受ける俺を見て、ニルドが鼻で笑う。
「これで分かっただろ? たしかに前よりはすこーしだけ強くなったみたいだけど、オレには勝てないんだよ。いい加減、それを認めろよ」
「ちょっとニルド! あんたね!」
システィナが噛み付くような勢いでにらむと、ニルドはややひるんだが、すぐに強がって胸を張った。
「ふんっ、オレは好意で言ってやってるんだぜ? 無駄な努力をし続けるよりも、他のことでがんばった方がいいだろ? 世の中にはステータス画面が読めなくても出来る仕事があるはずだ。なんだったら一緒にそれを探してやってもいいぞ?」
「余計な、お世話だ……」
未だ痛む肩を抑えながら、俺は立ち上がると剣を拾った。
「ちょっと、ライ。まだ治療が」
「いい。これくらいなんてことないぜ」
「……まだやるつもりなのかよ?」
剣を構えなおす俺を見て、むしろニルドの苛立ちは強くなったようだった。
「そうだよな。別に怪我しても、お前はシスティナに治してもらえるもんな。けど分かってるのか? お前がそうやって怪我をするたびにシスティナに迷惑をかけてるんだぞ?」
「別に私は迷惑だなんて思ってないわ。熟練度だって上がるし」
「じゅ、熟練度をあげたいだけなら、お、オレの怪我の治療をするとかでもいいだろ?」
「……ニルド、どこも怪我してないじゃない。悪いんだけど、頭の悪さは治癒魔法じゃ治せないわよ?」
心にはたぶん深い傷を負ってるだろうけどな。
「と、とにかく、試合はこれで終わりだ! 一回の授業で一回だけ挑戦は受けてやるが、それ以上は絶対に受けないからな!」
ニルドは本格的に涙声になって、逃げるように駆け去っていってしまった。
「なにあれ。まったく。気にしちゃだめよ、ライ」
そしてまったく男心が分かっていないシスティナだった。お前は少しだけ気にしてあげろと言いたくなる。
ニルドの奴も、どうしてこいつなんかに惚れたんだろう?
もしかして虐められるのとか好きな――
「いやいやないない」
俺は頭を振って、頭に浮かんだ妄想を振り払った。
今の俺にとって一番倒したいライバルが、そんな趣味だというのは考えたくもないことだった。
「青春だな」
そんなことを教室に残っていたリグ先生に話すと、先生は声を出して笑った。
「先生、なんか嬉しそうだな。そんなにニルドの奴が傷心なのが嬉しいのか?」
「そんなわけないだろ。ニルドだって俺の可愛い生徒だからな」
「真顔で可愛い生徒とか言って恥ずかしくない?」
「恥ずかしくない。俺は最近、そのあたりは正直に行こうと思ってな」
先生はなぜか少しだけ自慢するようにそう言い切った。
「可愛い生徒たちだよ。ニルドも、システィナも、この教室にいる奴は全員可愛い俺の生徒だ。何度だって俺はそう言ってやるぞ」
「そうかよ。……ところで、俺も?」
「ああ、ライはな」
先生はなぜかそこで口ごもる。え? なんで俺だけ?
「俺は可愛くないのか?」
「いいや、可愛い生徒だ。本当に可愛い生徒だよ、お前は」
先生は大きな手でガシガシと俺の頭を撫でた。力が強すぎるので、ただでさえまとまりの悪い髪がさらにぐちゃぐちゃになる。これは先生の子供も、撫でられるたびに迷惑そうな顔をしているに違いない。娘さんって話だからなおさらだろう。
奥さん似のかわいらしい娘の髪をぐちゃぐちゃにするわけにはいかないので、俺は仕方がなく、本当に仕方がなく先生の手を受け入れてやることにした。
「……教師っていうのは、自分の生徒には平等でないといけないんだ」
リグ先生は俺の頭をなでながら、先ほど口ごもった理由を口にした。
「そうあれと教会からは教えられたし、そうするべきだとも思っていたんだがな。一人だけ、ついつい特別扱いしちまう。そいつが友達と楽しくやれてるのを知ってにやけちまう」
その一人が誰なのかは、さすがの俺も気がついた。
「やっぱり俺は教師には向いてないらしい。誰かを導いてやれるなんて、そんな風には自信が持てない。ははっ、Dランクだからかな? 聖職者スキルもほとんど機能してないな」
そんなことはない。リグ先生がこの一ヶ月の間、色々とがんばってくれたから、俺はここ最近学校に来るのが前よりも嫌ではなくなった。
俺は気付いているのだ。先生が俺のために色々と動いてくれていることに。
俺に学校を辞めさせるように訴えてきた他の生徒の保護者のところに行って頭を下げたり、それとなく俺が疎遠になった友達がまた仲よくなれるように、場を設けてくれたり。
感謝しているのだ。照れくさくて、直接言えないけど。
先生がリグ先生で良かったって、本当にそう思っているのだ。
「……先生は、ちゃんと先生やれてるよ」
「ありがとな。俺もがんばってるお前を見て、色々と元気をもらってるよ」
「がんばってる? 俺が?」
「ああ。負けてもニルドに挑み続けてるんだろ? 他の生徒はもう騎士になるって夢を諦めたのに、ライだけは騎士になるって夢を諦めてない。違うか?」
「……違わないけど」
そうだ。たぶん、俺がニルドに対して負けを認めることなく挑み続けているのは、騎士になるって夢を諦めたくないからだ。
ニルドはきっと将来騎士になるだろう。
本人からも、学校を卒業後は騎士学校を受けると聞いている。
だからニルドに勝てれば、もしかしたら俺も騎士になれるかも知れない。少なくとも、ニルドには絶対に勝てないと認めてしまえば、俺は騎士になんてなれないだろう。
「まあ、ニルドには負けたくないって気持ちも大きいけどな」
「ライバルって奴か。青春だなぁ!」
「先生にもいたのか? そのライバルっての? ていうか、そもそも先生って先生になるのが夢だったのか?」
「ん~、いや、夢ではなかったなぁ」
先生は俺の頭から手を離すと、授業に使った教科書をまとめつつ教えてくれた。
「俺にもライみたいに小さい頃からの夢があってな。けど俺にはその夢を叶えられるようなスキルがなかった」
「だからその夢を諦めたのか?」
「ああ、しばらくは足掻いてたけどな、大人になるにつれてそうも言ってられなくなった。必要なスキルを持ってない俺を雇ってくれるような店はなかったんだ。だから俺は教会の門を叩いて、生きてくために先生になることにした。こういうとお前たちには怒られるかもだけど、先生には簡単になることができたよ」
教師になるには聖職者スキルを必要とする。人を教え導く才能だ。
それを持っているものだけが教会で教師になる教えを受けることができて、各地の学校に配属されることになる。このフレンス王国ではそういう仕組みになっている。これが騎士学校や魔法学校といった上級学校では必要となるスキルが違うのだが、少なくとも七歳から十三歳の子供が通う学校では、教師は全員聖職者スキルを持っていた。
「自分のスキルに沿った生き方はな、将来が約束された道なんだよ。だから俺は、生徒たちが自分のスキルを知って、その道に進もうと決めたことにはなにも言えない。それは少なくとも、自分の持ってないスキルを必要とする夢を追いかけ続けるよりは、ずっとずっと安全で安泰な道だ」
「……けど俺は、その将来に続く道が一個も分からない。だから他の奴らみたいに、騎士になるって夢を諦められないのかな?」
「そうだな。もしかしたら、なにも分からないからこそ行ける道ってのがあるのかも知れないな」
先生が拳を握って、俺の胸に軽くぶつけた。
「ライ。ステータスが読めないお前は、その胸の意思だけが進むべき未来を切り開く。俺はそう思う」
「リグ先生……」
「なれよ、騎士。先生は応援してるからな」
応援してる。それはこのステータスを手に入れてから、初めて誰かに言われた言葉だった。身体の奥から、むずむずとした震えのようなものが駆け上がってくる。
「ああ! 任せとけ! 先生が自慢できるような、そんなすごい騎士になってみせるからさ!」
「期待してるよ」
先生は優しく笑うと、どこか後悔を残した顔で遠くを見やった。
「お前を見てると、俺もただ自分の夢に向かって目を輝かせていた。あの頃を思い出すよ」
「そういえば、リグ先生の小さい頃の夢って結局なんだったんだ?」
「あー」
先生は恥ずかしそうに頬を掻く。
「笑わないか?」
「笑わないって。約束する」
「じゃあ、うん。俺の昔の夢はな」
先生は声を潜めて、俺の耳元で囁いた。
「――料理人だ」
瞬間、俺の脳裏にエプロンをまとって料理する先生の姿が浮かんできた。
我慢だ。ここで笑ってはいけない。
「い、いいん、じゃないか? 先生の料理、美味しいし」
「そこまで必死になって我慢されるくらいなら笑われた方がマシだ」
「いだっ」
先生は軽く俺の頭を小突いてから、教科書をかばんの中にしまった。
その代わりに包みを取り出すと、俺に渡してくれた。
「これは?」
「シフォンケーキだ。昨日、娘の誕生日でな。そこで俺が焼いたものだ。あんまり量はないが、システィナと二人で分けて食べる分くらいはある。他の生徒には内緒だぞ?」
「うわぁ、そりゃシスティナの奴が喜ぶな。ありがと、先生!」
さっそく取り出してかぶりつく。ふわふわとした生地に甘さが心地よい。これは美味い! すごく美味い!
「いいさ。さっき言ったとおり、俺の夢は料理人になることだったからな。誰かに作ったものを喜んで食べてもらえるのなら俺も嬉しい」
リグ先生は本当に嬉しそうに目を細めて俺を見た。
「結局、夢は叶わなかったが、こうしてお前や家族に喜んでもらうことはできる。俺はそれでいいさ」
「ふ~ん。こんなに美味しいんだから、今からでもまた目指せばいいのに」
「今から料理人を? いやいや、遅すぎるだろう?」
「なんで? 夢を追うのに早いとか遅いとか関係あるの?」
「関係は……ない、のかも知れないが」
先生はそんなこと考えたこともなかったのか、真剣に考え始める。軽い気持ちで言った側としては、少しだけ申し訳ない。
「……まあ、そうだな。そういう道も、もしかしたらあるかも知れないな」
やがて結論が出たらしい。リグ先生は教壇のところまで行って、そこから教室を見回し、それから俺を見た。
「少なくとも、お前たちが卒業するまでは俺は先生を続けるぞ。この教室は三人も問題児がいるからな。そいつらを無事社会に送り出すまでは、おちおち自分の夢も追いかけられないからな」
「なんだよそれ」
唇を尖らせ、それから俺は笑った。
先生には夢を叶えて欲しい。
そう思う一方で、俺は先生が先生を続けてくれることに安堵していた。
やはり俺にとっての先生は、リグ先生しかいなかったのだ。
そう、思っていたのに……。
その数日後、俺は見てしまった。
誰かとこそこそ隠れて会っているリグ先生を。
その誰かは、以前俺を教会に連れて行った、あの髭のすごい司祭のじじぃだった。




