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だから俺は諦めない④



 どうやら俺は学校のみんなに嫌われてしまったらしい。


 そう確信したのは、俺の教科書への謎の落書きを発見した日から一ヶ月後のことだった。


 最初は俺がステータス開示のときの兵士に連れて行かれたのを見て、俺が咎持ちであると勘違いされて怖がられているだけだと思った。だから自分から積極的にステータスを周囲に見せることにした。俺のステータスが読めないだけで、咎人系スキルがあるわけではないのだと。


 それに俺のステータスは聖女様にも保証してもらえたものだ。そのことは俺よりもシスティナの方が声高に口にしていた。だから俺のステータスがただ読めないだけの代物であることは、二週間後には学校中の生徒の知るところになったものだと思う。


 けれど――なにも変わらなかった。


 ステータスが読めない。だから良きステータスがある。そういう風には捉えてくれなかったらしい。

 

 ステータスが読めない。だから悪しきステータスがあると、そういう風にしか捉えてくれなかったらしい。


 聖女様が保証してもそんなことは関係ない。話しかけても避けられるし、すれ違い様にぼそりと咎持ちと言われたりするのはなくならなかった。むしろ時間が経過するごとに、流行病のように広がっていき、周囲から向けられる視線は冷たく尖ったものになっていった。


 そして二週間が経つ頃には、ライ・オルガスは嫌うべき存在だと、そんな空気感が出来上がっていた。


 その事実に俺はもちろんへこんだ。同時に、こんちくしょう、と怒りたくなった。


 その上でどうしようと悩んだ。どうにかみんなの誤解を解く方法はないかと、周りからの圧力に負けずに学校に通い続け、みんなに自分から話しかけ続けた。


 その試みが少しだけ効果はあったのだろう。あるいは他に要因はあるのか、同じ教室の級友たちは話しかければ無視することなく答えてくれるようになった。けれど、その態度から余所余所しさがなくなることもなかった。友達と思っていた相手は、ただの知り合いになってしまった。


 それでも教室の外の生徒たちに比べれば、それでも全然マシな方だった。


 なにをされたのかは、正直、思い出したくもない。よくも知らない他人の言葉ひとつ、行動ひとつでまさか自分があそこまで傷つくとは想像してもいなかった。


 そしてそんな周りの態度に俺よりも先に、


「――は? もう一度言ってみなさいよ?」


 システィナが切れた。


 その日、全校生徒がシスティナ・レンゴバルトという少女の恐ろしさを知ることになった。治癒魔法って拷問用の魔法だったんだ、という間違った知識と共に、彼女の名を脳裏に刻んだことだろう。


 けれど、そんな事件を経ても変わることのなったみんなの態度を見て、俺も認めざるを得なかった。


 俺は学校のみんなに嫌われてしまったのだと。

 ステータスひとつで、ここまで世界は変わってしまうのだと。







 だが一方でステータスだけでは俺への態度が変わらない人もいた。


 システィナはもちろん、院長先生を始めとして孤児院の家族たちもそうだった。年下のチビたちはそもそも理解しているか怪しかったが、年上の兄姉たちも気にする素振りは見せなかった。直接口にしたりはしなかったが、こっそり泣いてしまうくらい嬉しかった。


 家は変わらず俺の家だった。それに学校にも態度の変わらない人はいる。ありがとうなんて、絶対に言ってやらないけど。


 だから学校にも毎日通えていたのだが、


「あ~あ。ついに学校をさぼっちまったなぁ」


 その日、俺は学校に登校する振りをして、街に来ていた。


 授業をさぼった理由は周りの視線もあるにはあるのだが、それよりもシスティナの苛立ちがまた限界に達しようとしているのが目に見えて分かったからだ。


 前々からシスティナは俺のことを守るべき弟のように見ている節があったのだが、今回のステータスの件でその感情が強くなっているようだった。学校では俺から片時も離れず、ちょっかいをかけようとする奴ら全員を威嚇して追い払う有様だった。


 ライのいいお姉ちゃんだなぁ。むしろお母さんじゃね? と言って孤児院の兄姉たちは微笑ましそうに笑っていたが、これが実際には笑いごとじゃない。


 ただでさえ前回の股間はやめてあげて事件でシスティナも浮いた存在になっているのに、自分の友達も無視して俺に四六時中くっついているのだ。これでは俺より先にシスティナが全校生徒たちに無視されるようになってしまう。


 というわけで、システィナと少し距離を開けるために学校をさぼった。


 問題は昼まで暇をもてあますことだ。いや、怒り心頭だろうシスティナへのいい訳は考えておかないとだけど。


「なにしよっかなぁ」


 お金もないのですることがない。これなら木剣でも持って来れば良かった。けど護身術の授業の日でもないのに木剣を持ってくると、システィナに勘付かれてただろうし、どちらにせよ無理か。


 結局、俺は目的もなく適当にぶらぶらと散歩することにした。


 そうなるとやはりこれまでに行ったことのない場所に行ってみたくなるもので。


 孤児院からも大通りからもだいぶ離れた裏路地への入り口を前にして、俺の冒険心がうずき出した。


「そういえば、院長先生がこっちの方には行くなって言ってたっけ」


 理由は思い出せない。


 たしか危ないからとか言ってた気がするけど、言われたのは俺がもっと小さいときのことだし、今なら大丈夫だよな?







 結論から言うと大丈夫じゃなかった。


「なんだぁ? ガキがこんなところになんの用だ?」


 路地を進めば進むほどに道路が汚く、道行く人の人相が凶悪になっていたときに引き返せば良かった。けど後悔しても時すでに遅く、俺は片手に酒瓶を持って、顔を盛大に赤らめた大男に絡まれていた。


「ははん、さてはスリだな? この俺の財布を盗もうとしたんだな?」


「そんなわけあるか!」


「泥棒は大抵そう言うんだ。まったく、これは少しおしおきが必要だな」


 酒臭い息を吐き出して、その太い手を伸ばしてくる酔っぱらい男。


「その辺にしておけ」


 だがその腕が俺に届く前に、突如として横合いから伸ばされた手に止められていた。


「誰だ?」


 酔っぱらい男が助けに入ってくれた人の方を見て、怪訝そうに眉をひそめる。俺も同じだった。


 いつの間にか俺と酔っぱらい男の間に立っていたのは、全身をフード付きのローブで覆い隠した人物だった。


 それだけでも怪しいのに、さらにその人物は顔を覆う仮面を身につけている。その所為で声もくぐもっているので、男か女かも判別がつかなかった。あるいはあえてそういう風にしているのか。それくらい、その人物からは一切の素性がうかがい知れなかった。


 その人は酔っぱらい男から手を離すと、逆に仮面からのぞく目でぶしつけに観察し、小馬鹿にするように鼻で笑った。


「どうやら冒険者らしいが、昼間から酒浸りとはな」


「おい」


 酔っぱらい男の雰囲気がこれまでとは変わる。目が据わり、腰に下げていた得物の剣に手を伸ばす。


「やめた方がいい。その得物を抜けば、私も相応の対処をせざるを得なくなる」


「知ったことか。冒険者が舐められたままで黙ってられるかよ」


 冒険者の男はそう言って、やや反りの入った剣を引き抜いた。


「それに心配するなら自分の心配をするんだな。俺はそんなちんけな仮面で素性を隠さないといけないような後ろ暗いテメェとは違って、剣士スキルっていうすごいスキルを生まれ持ってるんでな」


「ランクは?」


「なに?」


「だからランクはなんだと聞いている。そこまで言うのならば、さぞや高いランクなのだろう? Bかな?それとももしやAランクだろうか?」


「う、うるせぇ!」


 男はなぜか激昂して、仮面の人に斬りかかっていった。


 その速度と技量は俺の目から見てもかなり高いように見えた。なにかしらの特技も使っていたのかも知れない。


 刃の切っ先は吸い込まれるようにして仮面の人に突き刺さ――らなかった。


「な、に?」


 刃は仮面の人の服を裂いたあと、恐らくは肌に触れたところで完全に停止していた。その切っ先はわずかだって仮面の人の身体には届いてない。


「馬鹿な。一体なんのスキぐべっ!」


 愕然とした男の顔面に、仮面の人の拳が突き刺さる。


 軽く小突いただけのように見えた一撃は、男を遠くの壁まで吹き飛ばすほどの威力を発揮し、男は白目を剥いて地面に倒れ伏した。


「これで酔いも醒めただろう」


「す、すげぇ!」


 仮面の人の強さは、子供である俺にも分かった。素手であんな大男を吹き飛ばすなんて、きっとすごい人に違いない。


 そんな風に思って憧れの視線を向けた俺に対し、仮面の人からの視線は冷たいものだった。


「ライ・オルガス。ここは低所得者や身分不確かな者たちの集まる、いわゆるスラムと呼ばれる場所だ。なにを思って近付いたかは知らないが、命を投げ捨てるような真似は慎んでもらえるかな? 私の任務に差し支えが出るのでね」


 スラムと聞いて、背中に冷たいものが流れる。どうしてここに来てはいけなかったのかを思い出した。


 けれどそれよりも気になったのは、


「どうして俺の名前を知ってるんだ?」


「……なにも聞いていないのか?」


 仮面の人は考え込むようにあごに手をあて、


「そうか。それは職務怠慢だな。あるいは情にでも絆されたか。……まあ、いい。教会側が事情を説明していると思ってこれまで接触しなかったこちらにも責がある。今更ではあるが、説明責任は果たそう」


 淡々と感情のこもらない声で仮面の人は説明を始めた。


「ライ・オルガス。君のそのステータスが今、王国の上の方で問題視されている」


「俺のステータスが?」


 ステータス。またステータスなのか。


「どうして? 俺のステータスは、聖女様が問題ないって」


「そう、それこそが問題なのさ。あの聖女フィリーア御自らが、君の王国史において初めて確認されたその読めないステータスを保証し、なおかつ祝福まで与えた。そこにはなにかしらの思惑があるのは明らかだ。そんな人物を王の膝元である王都で野放しにすることなど出来はしない。かといって、聖女の保証を無視して一方的に監視するのは、教会との今後の関係性から問題だ」


「…………」


「そこで王国と教会とが話し合ってこういう結論に至った。しばらくの間、王国騎士団から一人、教会から一人、それぞれ派遣して対象の警護にあてる、と」


「それってつまり実際には――」


「君の監視が目的だな。まあ、建前上は警護である以上、今みたいなことがあれば守りはする」


「じゃあ、ずっと俺のことを監視してたのか?」


「ああ。ずっとな」


 具体的な時期ははぐらかし、仮面の人ははっきりと告げた。


 俺はこの事実をどう受け止めていいか分からなかった。ずっと監視されてたなんて、そんなのまるで咎持ちじゃないか。


「ちなみに」


 俺が呆然としていると、仮面の人は続けた。


「私は王国騎士団側から派遣された人間だ」


「じゃあ、あんたは騎士なのか?」


「一応そういうことになる。もっとも、白を纏うことなんてない黒の騎士だがな」


「黒の騎士?」


「騎士団も君が憧れるような煌びやかな白騎士ばかりではないということだよ、ライ・オルガス」


「……俺の夢も知ってるのかよ?」


「言っただろう? ずっと見ていた、と」


 どこか愉しそうに含み笑いを浮かべるそいつに、俺はなんとか苛っとした。憧れの騎士、という感じがまったくしないのもある。


「ずっと見ていたのなら、さっさと顔を見せに来ればよかっただろ? 教会の所為にして、職務怠慢なのはあんたじゃないのか?」


「生憎と、こちらは最大限教会側に譲歩しろときつく上から言い含められているのでね。その教会側からの監視役――おっと、警護役に可能なかぎり君には近付かないようにと言われてしまえば、そうせざるを得ない弱い立場なのさ」


「もう一人、俺を見張っている人がいるっていうのか」


 周囲を見回してみる。だがどこにもその監視役の姿は見あたらない。


「ではね。しばらくよろしく頼むよ、ライ・オルガス」


 そして俺が視線を逸らした一瞬の隙に、仮面の人もいなくなっていた。けれどあからさまな視線だけを背中に感じた。ずっと見ているぞ、と言わんばかりの視線だった。


「くそっ!」


 俺は近くの小石を蹴飛ばして、来た道を戻り始めた。この先にさらに進んで、またあの性格の悪い仮面の騎士に助けられるのはまっぴらごめんだった。


「見つけたぞ!」


 表通りまで戻ってきたところで、いきなり大声で声をかけられた。


 野太い声。そちらを見ると、リグ先生が息を切らした様子で立っていた。


「リグ先生。なんでここに?」


「お前を捜してたに決まってるだろ。ライ、お前こそ学校をさぼってこんなところでなにをしてるんだ?」


「……先生には関係ないだろ」


 まっすぐ俺の目を見てくる先生から視線を逸らす。


 こうすると、最近のリグ先生は困った顔になってなにも言えなくなる。それを分かっていたからこその言葉と仕草だったのだが、今日は頭を無理矢理つかまれて正面に向けさせられてしまった。


「関係ないわけがないだろ? 俺はお前の先生だぞ?」


 先生は真剣な顔でそう言って、


「すまんかった!」


 深々と頭を下げた。


「あの日、兵士たちに連れて行かれるお前を助けてやれなかった! 本当にすまんかった!」


「ちょ、や、やめてくれって!」


 道行く人々の視線が集まってくるのを感じて、俺は慌てて先生に頭を上げさせようとするが、リグ先生は頑なに頭を下げ続ける。


「それに今もだ。正直、俺は先生としてお前になにもしてやれていない。役に立たない先生で、本当にすまない!」


「ちょ、やめ! やめろってば!」


 なんだよそれ? なんでそんなに真剣に謝るんだよ?


「別に先生は悪くないだろ? 俺が兵士に連れて行かれたときだって、俺はただちょっと怖いから先生のことを呼んだだけで、あのときは俺がどうなるかも分かってなかったんだしさ」


「いや、俺は少しだけあのとき予想がついたんだ」


 リグ先生は心底後悔しているような声で、


「……前にステータス開示のとき同じように兵士に連れて行かれた生徒がいた。だからなんとなくだが、よくないことになるって分かってた。それなのに、俺はなにも出来なかった。見ている事しかできなかったんだ」


「…………」


「すまん! 俺は先生としてお前を守ってやらなくちゃいけなかったのに! 俺は教師失格だ!」


「……そんなことない」


 その否定の言葉はすんなりと口から出た。


「先生は、いい先生だと思う。少なくとも俺にとっては、リグ先生はいい先生だ」


 他の先生とも授業などで接する機会は多いが、孤児で頭もあまりよくない俺に対して、それでも真摯に接してくれるのはリグ先生だけだった。きちんと悪いことをすれば叱って、そしていいことをすれば褒めてくれるのはこの人だけだった。


 だからこそ、勝手に期待して、勝手に裏切られた風に感じていた。


 先生がなにも悪くないっていうのは分かっていたのに、ずっとずっと仲直りしようと話しかけてくれていたのに、今日の今日まで無視していた。俺が今ちょうどされていて嫌なことを、八つ当たりするように先生にしていたのだ。


 格好悪い。ほんと、俺って格好悪いな。


 きちんと謝ってくれた先生に比べて、俺って奴はなんて情けないのか。情けなさすぎて涙が出てくるよ。


「俺の方こそ、ずっとふてくされててごめん。ごめんなさい」


「ライ。お前……」


「俺、先生のこと嫌いじゃない。嫌いじゃないからさ」


 顔を上げた先生は、涙する俺を見て、やっぱりどうしていいか分からないようだった。おろおろとした空気が伝わってくる。


「お、おい。なにも泣くことないだろ。泣きやめって」


 さっきの俺みたいなことを言ってくる。一応、先生は結婚してて子供もいるみたいなんだけど、これじゃあきっと家で奥さんに呆れられてるに違いない。


 リグ先生のへたくそな慰めの言葉を聞きながらでは、なかなか泣きやむことができなかった。本当に色々と言ってくるから、なんかこれまでの辛かったこととかも思い出してきてしまう。


「そうだ、お腹! お腹空いてないか? なんでも好きなもん食べさせてやる。だから泣きやめって。な?」


「……ブラウンシチューが食べたい。柔らかい肉がたっぷり入ってる奴」


「おう、わかった。すぐに材料そろえて作ってやる」


「ぐすっ……なんだよ。先生が作るのかよ?」


「お前なぁ、教師の安月給であんまり無茶言ってくれるなよ。あの料理、肉とワイン使うから高いんだぞ。そこそこ高級な店じゃないと取り扱ってないし」


「冗談だよ。今日のところは先生の手料理で我慢しとくよ」

 

「言ってくれるな。これでも料理は得意……とは言えないが、それなりに手慣れてるんだからな?」


 なぜかとてつもないやる気を出している先生は、ぶつぶつのブラウンシチューに必要な材料と手順をつぶやき始める。


 俺はそれを見て、涙をぬぐった。


 そうだ。俺の生活はステータスの所為で変わってしまった。けれどリグ先生みたいに、なにも変わらない人だっているんだ。


 それでいい。それでいいじゃないか。

 悪いことを数えるよりも、嬉しいことの方を数えよう。


「よし、じゃあ材料買いに行くか!」


「おう!」


 学校のことをすっかり忘れているリグ先生。もちろんそのことは伝えずに、俺は先生について行った。


 その途中、一度だけ足を止めて振り返る。


「……あとはこれさえなければな」


 きっと今は無理だろうけど、いずれ前と同じように戻れるのに。


 姿形のない監視者の、けれど愉しげな視線を感じる。

 そしてもう一人、姿もなければ気配さえ感じない監視役の存在がある。


 まだまだ俺のステータスを巡る問題は、終わっていないようだった。





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