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生まれながらの咎人⑨



「なるほど」


 涙する私とライさんを交互に見て、人喰いは納得したように頷いた。


「我ら咎持ちをそれがどうしたの一言で笑い飛ばせるなんて、君はやはりこの世界においては異端の存在のようだ。誰もが生まれもったステータスに縛られるこの世界で、君だけはまるで自由な翼を持っているかのようだ」


「おい、ひとつだけ訂正しろ」


 ライさんは私に声をかけてくれたときとは打ってかわって、ぞっとするような底冷えする声で人喰いに向き直った。


「おや? 自分には君は自由に見えたのですが、やはりステータスには縛られてるのですか?」


「そんなことはどうでもいい。そんなことより、リカさんとお前が一緒だっていう暴言を取り消せ」


「ですが実際、自分は人喰いを、リカリアーナは殺人鬼と暗殺者を持って生まれてきた咎持ちですよ」


「同じわけないだろ! リカさんは咎人系スキルをもって生まれてきただけの優しい人で、テメェはそのスキルを使って人を傷つける最低野郎だ!」


 ああ、この人は私を何度泣かせたら気が済むのだろう?


 様々な感情が胸の奥から込み上げてきて、先程から出そうとする言葉はすべて嗚咽にしかならなかった。


「たしかに間違ってはいませんね。リカリアーナは咎持ちであることを隠そうとしていたようですが、自分は人喰いであることを隠そうとは思っていませんから。だってそうでしょう? あなたはステータス画面がその人のすべてではないと言いましたが、多くの人にとってはそれがすべてだ」


 止まらない。止められない。ライさんは人喰いを親の仇でも見るようににらみつけていて、そして今、人喰いもまたライさんをどこかこれまでとは異なる目で見始めていた。


「そして、自分にとってもこれがすべてです。人喰いスキルをもって生まれてきたから、自分は人喰いとなった」


「……リカさんみたいに、歯を食いしばって耐えようとは思わなかったのか?」


「欠片も思いませんでした。ええ、あるいは人喰いスキルだけならば、そう思ったかも知れません。ですが自分にはもうひとつスキルがあったのでね」


 人喰いはうっすらと暗くなり始めていた空を仰ぎ、そのスキルの名を口にした。


「星詠み。即ち、あの空にある星の英知をこの身に下ろすスキルです」


「星の英知?」


「そう。星は空よりこの世界のすべてを見ている。そこに時間も障害物もなにも関係ない。自分は暗闇の塔の中でも外の世界のことをうかがい知ることができました。いえ、実際に塔の外に出て世界各地を出歩くよりも遥かに多くのことを知ったのです。そして、自分のステータスを、この在り方をおのが運命として受け入れたのです」


 人喰いもまた言い切った。こうなったことに後悔などない、と。


「そうか。なら」


「ええ、ならば」


 ライさんが剣を構える。人喰いが拳を握りしめる。


 もはや言葉は不要。目の前にいるのは分かり合えない敵であると、二人ともが同時に理解し了解した。


 ならばこの先に語り合うべきは刃と拳のみ。


「行くぞ、人喰い」


「ええ、来なさい」


 ここに超人が再び激突を果たす。


 烈風が巻き起こる。鮮血が渦を巻く。

 先程の激突よりもなお激しく、ライさんと人喰いは幾度となくぶつかり合う。


「ははははははっ! 楽しいな! ここまで自分と戦ってみせたのは、エルフの老雄に続いて君が二人目だよ!」


 その中で途切れることなく人喰いの嗤い声が響き渡る。


 ケタケタと、全身を切り刻まれ、時に小さな肉片になりながらも、人喰いは全員の傷口で嗤う。


 ……本当に、この男は不死身なのだろうか?


 恐らくは人喰いの恩恵なのだろうが、だがそれにしたってこの再生能力は異常だ。その底の見えない再生力は、ライさんの攻撃が剣で海を斬るがごとき徒労と化す。そして疲労はライさんの身体に着実に積み重なっていき、その身体が血にまみれていく。


 せめて、せめて人喰いの再生力の謎さえ分かれば勝機はある。


 だが人喰いというスキルについて私はなにも知らなかった。かつて読んだ手記にも、人喰いという項目は存在しなかった。前例の存在しない唯一無二のスキルだとすれば、彼の弱点は世界中のどこを探しても存在しないだろう。


 ――否、存在している。他でもない、人喰い自身のステータスにその力の在り方は刻まれている。


 そして私には、他者のステータスを見抜くスキルが、鑑定がある。


 逃亡生活を続けてきた私にとって、優先的に熟練度を上げていたのは暗殺者スキルだ。だがその傍らで鑑定もいくらかは鍛えていた。現在の熟練度は約三五〇。通常の人間やモンスターならば、一目で看破できる熟練度だ。


 だが人喰いには一度鑑定を行っているが、そのステータスを見抜くことはできなかった。


 人喰いのレベルが高いからか、あるいは妨害を行えるスキル構成となっているかだが……。


 けれど――やるしかない。


 目を凝らすようにして人喰いの動きを追う。


 鑑定スキルのステータス看破には、相手の姿を視界内に直接おさめる必要性がある。だがこうも高速で動かれては。


「おお!」


 そう思った直後、ライさんが剣を人喰いの腹ごと地面に突き刺して、その動きを地面に縫い止めた。


「リカさん!」


「はい!」


 名前を呼ばれ、大きな声で返事をする。


 あの戦いの中でもライさんはずっと私のことを見ていて、そして私がなにかやろうとしていることを理解してくれたのだ。ならば、その期待に応えるしかない。応えたい!


「鑑定開始!」


 人喰いの姿を視界に捉え、鑑定スキルを行使する。本来ならば、かけ声などなくても発動できる鑑定を、さらに精度を高めるためにあえて口に出して発動した。


 視界の中にもうひとつ、別の視界が生まれる感覚。

 焦点が定まらずにぼやけたその視界を、人喰いを中心にして焦点を合わせる。


 自分のステータス画面を見ているように、視界内に映り込む人喰いのステータス画面。


 だがその画面内に映り込んでいる文字や数値は存在しなかった。ライさんのそこに存在しているのに読めないステータスとは違い、内容が記載されていないステータス。鑑定に失敗し、見抜くことが出来なかった証明だ。


「鑑定開始!」


 それでも諦めない。再度鑑定を発動させて、人喰いのステータス看破を試みる。


 だがやはり今度もステータス画面には、レベルも能力値も、スキルの記載もない。せめてスキルさえ、人喰いスキルの内容さえ見抜ければ他はどうでもいい。スキルの一点にのみ焦点を合わせる。


 それでも届かない。まるで眩しい光に邪魔されているかように、私の鑑定スキルの眼差しがかき消されてしまう。


 レベル差、ではない。これはスキルを妨害するなにかしらの力が働いている。


 人喰いスキルではないだろう。可能性があるのは星詠みだが、これもまたレアスキルであるため内容が分からない。どういった状況下で発動するスキルなのか……。


 ――諦めない。私は、ライさんの役に立つんだ。


 人喰いを地面につなぎ止めるため、剣の柄を両手で握って全力を振り絞っているライさん。


 人喰いは脱出しようともがきながらも、まるでつまみ食いをするかのように、ライさんの身体に手を伸ばしては肉を指でそぎ落として口に運んでいる。これまでは高速戦闘の中でされていた捕食行為を実際に見せつけられて、頭に血がのぼるのがわかった。憎しみと怒りでどうにかなりそうだ。


 それでもきっと、私の殺人鬼スキルの熟練度は上昇していない。そのことに、もう恐怖は感じない。


 ライさんは傷つけられても、目の前でこれ見よがしに肉をついばまれても、それでも動じることなく剣に力を込め続けてている。私を信頼して待ってくれている。私に期待してくれている。


 そうだ。ライさんは言ってくれた。私のステータスが私のすべてではないと。鑑定を成功させるための条件は、なにもステータスに記載されている能力値がすべてではない。


 私は目を閉じて古い記憶を掘り起こした。


 幼い頃の記憶。タトリン村の記憶。

 これまでは色褪せ、思い出すことができなかった故郷での日々の記憶が、今は嘘のように色鮮やかによみがえった。


 寝転んだ地面の匂い。

 吸い込んだ空気の味。

 生い茂った木々の隙間から見える、高い空。


 目の前にその風景が広がっているかのように、私は思い出すことができた。


「……ああ、そっか。私、好きだったんだ」


 タトリン村を、そこで暮らす人々を、彼らと過ごした日々を愛していた。


 その最後に見た光景は悲しみに彩られているけれど、それでも輝かしい思い出があの場所にはいっぱい詰まっていた。リカリアーナ・リスティマイヤにとって、故郷は決して後悔と絶望だけがある場所ではない。


 一粒だけ、涙が瞳からこぼれ落ちた。


 今はもう存在しない故郷を偲んで。

 今はもういない大好きだった人たちを悼んで。


 今はまだ一粒だけが精一杯の、それでも流すことが出来た涙があった。


 その涙が地面に落ちるまでの一瞬に、私は人喰いと接した時間を思い出す。


 人喰い。狼男。狼の塔に幽閉されていた咎持ち。物知りでいつもは理性があるのに、満月の日にだけ狂気に飲まれて狼のように遠吠えを上げる。その理由はなぜ? 人喰いスキル。いや違う。彼は一人暗闇の中で拘束されていた。食べられるような人などいない。それを嘆くなら、満月の日でなくてもいい。ならば、彼が理性を失っていたのは満月によって見えなくなっていたものがあったから。


『塔の外に出たらなにがしたいか?』


 いつの日だったか、彼に何気なく聞いた質問があった。


『そうだね。お腹いっぱい食べたいっていうのもあるけど、それよりも綺麗な夜空を見てみたい。この塔の中に差し込む星明かりはあまりにもか細い。満月ともなれば、月の光に完全にかき消されてしまう。だから――』


 いつもみたいに変な解答が返ってくると思っていたのに、狼男は純粋な憧れを語った。


 だからきっと、私はこのときのことを強く覚えていたのだろう。


『――外に出たら、この目で直接満天の星空を見るんだ』


 人喰いの持つ星詠みスキルは、星の届かない暗闇においてその力を落とすのだ。


「ライさん! 人喰いの視界を塞いでください!」


「っ!?」


 ライさんが剣を人喰いの腹から引き抜き、一閃。その両の眼差しから光を奪い取った。


 その傷はすぐに回復する。だがその一瞬、ほんの刹那の瞬間に、私はたしかに人喰いのスキルを看破していた。



【スキル】

 人喰い:A 熟練度476

 共食いの才能。

 熟練度100ボーナス……餓死の概念の消滅。食欲UP極大。

    200ボーナス……ヒト種族を喰らう際に、胃袋の収容上限をなくす。

    300ボーナス……口の増殖。

    400ボーナス……喰らったヒト種族の分だけ命と肉の肥大化。


 星詠み:S 熟練度1000

 星と同じ視点を



 そのスキルのすべてを読み解くことはできなかった。人喰いの視力が戻ったことで、妨害がよみがえって弾かれてしまう。


 だが不死身の肉体、その秘密のひとかけらは理解した。


「ライさん! 人喰いのステータスには喰らったヒトの分だけ命と肉を肥大化させるとあります!」


「つまり?」


「見ている姿が人喰いのすべてではないのです! 喰らったヒト全員分の命と肉体、そのすべてを一撃で薙ぎ払う攻撃でないと、人喰いの本当の命には届かないものと思われます!」


「わからないがわかった! ものすごい一撃で仕留めろってことだな!」


「君にできるのですか?」


 まだ傷の残す腹には見向きもせず、治った瞳を忌々しそうに撫でながら、人喰いが私とライさんをにらむ。


「攻撃の結果であればいいでしょう。ですが、故意に自分から光を奪うだなんて。特にリカリアーナ、君は知っていたはずです。自分がどれだけの間、光を奪われ続けていたか。それなのに、なんて酷いことを考えるのでしょう。こんなことをされたら、ええ、憎悪をもって喰い殺したくなってしまうじゃないですか」


 人喰いがこれまでの余裕のある笑みではなく、もっと禍々しい狂笑を浮かべた。口の端が引き裂かれていき、鋭い牙が生えていく。


 やがて人喰いの口は、飢えた狼のごとき牙だらけの口と化した。さらにその肉体も醜悪にふくれあがり、巨大な肉塊と化していく。全身に数多の口が生えた、それは食欲がそのまま姿を持ったかのような狂気の姿だった。


 その飢えに飢えた星の眼差しが、私を舐めるようにじっと見つめる。


「美味しく美味しくいただきましょう。二人そろってぺろりと平らげてあげましょう。君の両親をそうしたように。君の友人をそうしたように。その絆こそが、最高のスパイスだ」


「っ!」


「させるわけがねぇだろ!」


 ライさんが私を背中に庇って、剣を大上段に構えた。


「そうかよ。お前、リカさんの両親を喰ったのか。友達を食べたのか。その上で、リカさん自身も傷つけてたのか」


「だとしたらどうするのです? 自分がこれまで食べた人間は千人を超える。どう足掻いても君では自分を殺せない。剣では人喰い狼は殺せないのですよ!」


 そう嗤って、人喰いは駆けた。


 立ちふさがるすべてを削り、抉り、喰らってひた走る。それはまさに巨大な口が突進してくるような疾走だった。


「お前は千の人を喰らってその力を手に入れた」


 眼前に迫った狂気のあぎとに対し、ライさんは逃げることも避けることもせず、ただその剣を振り下ろした。


「そして俺は、その何千倍も剣を振るってこの斬撃を手に入れた!」


 瞬間――斬撃が光となって、迫り来る肉塊を迎撃した。


『『うぉるおおおおおおおお――ッ!?』』


 それはいかなる現象なのか。光と化した斬撃は猛烈な熱を伴い、人喰いの肉を焼き払っていく。


 これまでの人喰いただ一人を殺すためだけに研ぎ澄まされた斬撃や鋭い一刺しとは違う、それはまさに大軍を一撃の下に討ち払う大斬撃であった。その破壊の光が消えるまで、人喰いは身動きも取れずに全身の口から絶叫をあげ続けることしかできなかった。


「馬鹿な……こんな、こんな出鱈目な斬撃があってたまるか!」


 光がかき消えたあと、全身を灼かれた人喰いは肉の鎧を奪われ、元のエルフの姿に戻っていた。


「あり得ない! なんだ貴様は!? 星が指し示したとはいえ、こ、このようなこと!?」


「俺の名前はライ・オルガス! 現在Eランク冒険者! いつかは騎士になる男!」


「ふざけるな! 自分が知りたいのは貴様のステータスだ! 一体、どのようなレアスキルを持っている!?」


「知らないな。そんなの俺が知りたいくらいだよ」


 ライさんは再び、今度は最下段に剣を構えた。


「だから俺が示せるのはこの斬撃だけだ。繰り返し繰り返し振るい続けた刃は、いつからか光を放つ一振りと化し――」


 ライさんは呆然と顔を引きつらせる人喰いに対し、渾身の力をこめて剣を振り上げた。


「――そして闇を呼ぶ一振りとなった!」


 その刹那に生まれる闇の奔流。

 すべてを飲み込み、無音の中でかき消してく破滅の一振りが具現した。


「……ああ、そうか。君がそうだったのか」


 あり得ざる二振りの斬撃を目の前で披露された人喰いは、逆に納得した様子で笑みさえ浮かべ、その闇に身体を預けるようにして飲み込まれていった。


「…………けどそれは間違いなく、斬撃じゃな、い……」


 その最後に、そんな感想を残して。

 周囲一帯を跡形もなく消し飛ばした闇が晴れたあと、人喰いの姿はもうどこにも見あたらなかった。


「最後までなに言ってるんだ。剣の一撃なんだから斬撃に決まってるだろ。未完成でお金のかかる斬撃だけどな」


 ライさんは自分の手の中で硝子細工のように粉々になった剣を、切なそうな眼差しで見送った。


「くそぅ、お金さえあればもっと練習できて、きっと光と闇が合わさって、こうすごく格好よくて強い一撃が完成するかもなのに」


「ふふっ」


 本人はとても悲しんでいるようだったが、私は不思議とおかしくなって笑ってしまった。


 ライさんが目尻に涙を浮かべてにらんでくる。


「リカさん、笑い事じゃない。俺、剣はこの一本しか持ってないんだからな!」


「でしたら、今度私と一緒に買いに行きましょう。助けていただいたお礼に剣を贈らせていただきます」


「え? けど」


「どうかお願いします。それくらいはさせて下さい」


 これであなたがくれたたくさんの贈り物の、百分の一、万分の一、ううん、億分の一も返せるとは思わないけれど。


「ライさんが騎士になりたいっていうのなら、私はその夢、全力で応援させていただきますので」


「うっ! ばれてる!」


 ライさんは照れ隠しに髪を掻き乱した。

 私に騎士になるという夢がばれたことが恥ずかしいらしい。


 かわいいな、と思った。先程まであれだけ規格外な強さを見せていた人とは思えない、とてもとても純朴な姿を、私はとてもかわいらしいと思った。


 そうやって、もっとライさんのことを知りたいと思った。


 これまでどんな風に生きてきて、どうやってそんな力を手に入れて、そして、これからどうなっていくのか、それを隣に寄り添いながら見守り続けたいと思った。


 ……ああ、だけど。それは叶いそうもないみたい。


 ふっと全身から最後の力が抜け、自分の身体がぱたりと地面の上に倒れ込んだのがわかった。


「リカさん!?」


 ライさんが慌てて駆け寄ってくるのが、閉じていく視界の中で見えた。


 最後の最後まで。

 私はこの胸に焼き付けるように、その姿を見続ける。


「リカさん! リカさん! くそっ、死なせないからな! リカさんは俺が絶対に、なにをしてでも助けてみせるから!」


 私を救ってくれた人のことを。

 私が恋した、この人のことを。


 最後の最後まで見つめたまま、私は意識を失った。



 


誤字脱字修正

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