生まれながらの咎人⑧
「少しだけ待っててくれ、リカさん。すぐにあいつを片付けてくるから」
「待って。待ってください」
私を近くの椅子の上に寝かせ、人喰いに立ち向かおうとするライさんを声だけで引き留める。
「ライさん。ダメです。その男は超越者。いくらライさんが強くても、勝てるはずがありません」
「そんなことは分かってるよ、リカさん。リカさんでも勝てなかった敵に、俺が勝てる可能性は低いだろう」
ライさんは私の制止には応えてくれず、剣を片手に人喰いに向かっていった。
「けどそれとこれとは話が別なんだ。リカさんにこんなことをした奴を、俺は放ってなんておけない」
「勇ましいですね。ああ、君はやはりとてもいい」
人喰いはライさんの一撃を受けても平然とした様子で立ち上がり、喜びも露わに両手を広げた。
「さすがは星が指し示した妙なる者だ。どうか名乗らせて欲しい。自分は――」
ライさんの姿がかき消える。
次の瞬間には、人喰いの自己紹介を無視して、ライさんはまず一太刀目をその身体に浴びせていた。
「おっと、まずは自分の話を――」
肩から腹にかけて深い傷を負った人喰いに、さらに連続して剣を振るう。そこに躊躇もなければ、容赦もない。
それが少しだけ悲しかった。自分なんかを守るために、ライさんが誰かを殺そうとしている。相手がモンスターに成りはてたエルフだとしても、人の形をしたものを殺そうとしている事実が悲しかった。
だがライさんはそんなことは思っていないらしい。次々に刃を奔らせては、人喰いを切り刻んでいく。致命傷を与えても止まることなく剣を叩きつける。――なぜなら攻撃を受けている人喰いが、全身血だらけになりながらもへらへらと笑っているからである。
「ははっ、まさか君がこんなに怒りに我を忘れる人間だとは思わなかったな。実は狂戦士スキルでもお持ちかな?」
「……これだけやっても死なないのか」
人喰いの身体の傷はケタケタと笑い声をあげながら、やがて口を閉じるように塞がっていく。
通常の人体ではあり得ない治癒能力。狂気の光景であり、見ているこちらの正気が削れていくようだ。
「君はたしかに強い。それは認めよう。だが残念ながら自分の領域には手が届いていない」
傷ひとつない姿に戻った人喰いは、徒手空手のまま構えた。
「では人を超越したという本当の意味を、その身体に教えてあげましょう」
「黙れ! クソ野郎!」
ライさんと人喰いが本格的にぶつかり合う。
その衝撃に壊れかけていた廃教会の屋根が吹き飛び、壁板が剥がれた。床が抉られ、その下の地面までもが陥没し、そこから周囲一帯が壊滅していく。
それはなんという戦いだろうか。人知を超えた、まるで大規模な自然災害が局地的に吹き荒れているような有様だった。どちらが優勢で、そもそも今二人がどこで戦っているのかさえ、私には分からなかった。
戦況の把握ができたのは、二人が一度戦いをやめ、距離を取ったとき。私を背に庇うようにして止まったライさんは、剣を持つ右の腕を左手で押さえていた。その手のひらの隙間から血が滴っている。
そして人喰いは、全身を再び切り刻まれ、血だらけになりながらも、ひたすら美味しそうにくちゃくちゃと口を動かしていた。
「いいね。とても美味しい。君の肉は、たとえようがないほどに摩訶不思議な味だが、とても美味い!」
「そうかい。まったく嬉しくないな」
ライさんは傷から手を離し、両手で剣を構えた。
そうすることで見えたライさんの右腕の肉が、まるで指先でちぎり取られたかのように一部欠けていた。
それでも両者の傷の度合いを見れば、圧倒的にライさんが有利と言えたが、人喰いの傷は時が戻ったかのように再生してしまう。
「もっと。もっとだ。私に君を食べさせてくれ!」
ダメージなどなかったかのように、狂気に目を輝かせながら人喰いはライさんに飛びかかる。
「くっ!」
ライさんは戦いにくそうにしながら、これを応戦する。
「そう、か。私が、ここにいるから」
あれだけ激しい戦いだというのに、私の周囲だけまったく被害が及んでいなかった。ライさんは人喰いという強敵を前にして、私を庇って戦っているのだ。
どうにかしないと。そう思っても、身体は動いてくれなかった。私の両手はなくなっていて、血が流れすぎた所為で全身に力が入らない。
「ライさん! 私のことは気にしないでください!」
できることは叫ぶことだけだった。それすらも、全身に激痛が奔って上手く声にならない。
「お願いです! 私のことはいいですから! 守らなくていいですから!」
「うぉおおお――ッ!」
私の叫びへのライさんの返答は、さらなる雄叫びだった。
ライさんは渾身の力を込めて剣を振るい、人喰いの身体が左右に両断される。だがライさんはそこで剣を振るう腕を止めることなく、さらに横、斜めと続けて剣を振り続け、人喰いの身体を解体していく。最終的に、その姿は挽肉も同然の無数の肉片にまで小さくなった。
けれどその肉片は一カ所に集まり、瞬く間に人の姿を取り戻す。着ている服さえも、元通りに戻っていた。
「無駄ですよ。その程度ではこの自分は殺せない」
余裕の面持ちで人喰いは笑う。
ライさんは剣を構え直す。その戦意に衰えはない。だが不死身と言わんばかりの人喰いの有様に、その頬を一筋の汗が流れ落ちた。
このままではいくらライさんと言えども体力が尽き、じわじわと削られていってしまう。喰われてしまうだろう。
「なら何度だってやってやる!」
それは本人もよく分かっているだろうに、ライさんは逃げることなく人喰いに再び挑んでいった。
その理由は明らかだった。私がいるからだ。私がこんな傷だらけだから、ライさんは逃げるという選択肢を取ることができない。私を抱えていては、人喰いの追跡は撒けないだろう。
守ろうとしてくれている。なにがあっても、自分の命を失ってでも、ライさんは最後まで私を守ろうとするだろう。そう、私には理解できた。
だから――覚悟を決める。
一番守りたい人を守るために、一番嫌われたくない人に嫌われる覚悟を。
「ライさん! 聞いてください! 私はあなたが守る価値のあるような、そんな人間ではないのです!」
ねえ、ライさん。もう私は十分なんです。
助けてという声に応えてあなたは来てくれた。それだけで私には十分すぎるほどに十分なんです。
「私は悪い人間なんです! 救いようがない、そういう人間のクズなんです!」
たしかに、私は死にたくありません。死にかけたそのとき、自分の本当の願いが生きて幸せになりたいことだってわかってしまいました。なにをどう繕おうと、そういう風に思っていると気付いてしまいました。
「だからもういいんです! 私のことは置いて、ライさん一人で逃げてください!」
けどね、ライさん。それでも私はあなたを傷つけてまで自分だけ幸せになろうとは思わないんです。あなたのお陰で、そういう風に思うことができたんですよ?
「私は――」
ライさん。ありがとうございます。そして、さようなら。
どうか私の分まで、あなたは生きて幸せになって下さい。
「私は殺人鬼スキルを持った、咎持ちなんです!」
同じ罪を持って生まれた者以外には自分から明かしたことのない秘密を、一番知られたくない人の前で、私ははっきりと口にした。
これで私はライさんに嫌われる。ライさんが私を守る理由はなくなるのだ。ああ、なんて悲しくて、なんていい気分なんだろう。
私の叫びを聞いて、二人の戦いが中断する。
また血まみれになっていた人喰いは、目を見開いて、私を驚いた様子で見ていた。私が今、こんなことを口にするとは思っていなかったらしい。
そしてライさんは、
「それがどうした? 俺はリカさんのことが好きだよ」
振り返ると、微笑んでそう言った。
「…………」
それは。その言葉は。ずっと。ずっと。私が誰かに言って欲しかった言葉で。
お父さんでも、お母さんでも、ケイでも、リルファでも、他の村の誰かでもよかった。誰か一人でもいい。誰かが一言そう言ってくれさえすれば、私はそのあとの一生を幽閉されるようなことになっても構わない。そう思えるほどに、ずっとずっと待ち望んでいた言葉だった。
けど誰もそんなことは言ってくれなくて。
私が咎持ちだと知った瞬間から、私を恐ろしい怪物かなにかのように見てきて。
けど今、そう言ってくれた人がいた。
私を咎持ちと知って、それがどうしたと笑い飛ばしてくれた人がいた。
「……ライさんは」
腕がないからあふれ出る涙をぬぐうこともできずに、震える声で、上擦った声で、今目の前にある夢のような現実を確かめるために尋ねた。
「ライさんは、私を嫌いにならないんですか?」
「もちろん。むしろなんで嫌わないといけないんだ?」
「だ、だって私は咎持ちで」
「みたいだな」
「その中でも最悪の殺人鬼スキルで。暗殺者スキルも持っていて。しかもどっちもAランクで」
「まあ、自分のステータスは自分で選べないからな」
「いつか本当に殺人鬼になるかも知れなくて……」
「でも今はまだ誰も殺したことなんてないんだろ?」
「はい。はいっ。殺してない。私、誰も殺してなんてないんです。でも、でも、みんな、私はいつか殺人鬼になるからって。そう言って嫌いになって、汚いものを見るような目で見てきて。だから私、私は……そういうものなんだって、そう思って……自分で自分が、ずっと怖くて……」
「リカさん」
ライさんは出会ったときからそうだったように、まっすぐ私の目を見て、もう一度笑顔を見せてくれた。
「殺人鬼スキルがどうした? 俺の知ってるリカさんは、そんな小さなステータス画面の中にはいないよ」
それが我慢の限界だった。
これまで必死に堪えていたものすべてが、その一言で決壊した。
私は泣いた。子供のように、大声を上げて泣いた。
泣きながら、思った。
忘れない。絶対に、私はこの人のことを忘れない。
ライ・オルガス。この名は死ぬまで――いや、たとえ死んだとしても。
私のすべてを救ってくれたこの人を、絶対に忘れることはない。
誤字脱字修正




