生まれながらの咎人⑥
「ライさんの討伐の記録を残さないように、ですか?」
「そうだ。あくまでも、ライ・オルガスの討伐記録は非公式なものにしておいてくれ」
昨日のライさんの討伐記録をまとめて持って行くと、ギルドマスターはいきなりそんな指示を私に下した。
「なぜですか? 彼はキラーヘラクロスさえ瞬殺して見せました。本人はそんな強いモンスターを倒したということを理解していないようでしたが、それでも彼の強さは本物です。Sランク冒険者として扱ってもよろしいのでは?」
「そうだね。戦闘力だけで見ればそれが妥当だろう。だが彼はレベルが確認できない。それなのにランクを上げてしまえば、これまで冒険者ギルドが頑なに厳守してきたランクアップ条件のレベルを無視することになる」
「それでも彼ならば誰も文句は言えないのでは?」
今でもそのすさまじい戦闘能力は思い出せる。Aランク冒険者相当の私がまったく推し量ることのできない強さは、正直にいってSランクという枠組みさえ超えてあまりある。
「超越者なのかも知れません。ステータス画面が読めないために確認することはできませんが、あの強さはそういう次元の強さだと感じました」
「君が言うのであればそうなのだろうね。だがそのステータス画面を確認できない、というところが問題でね。彼の強さは万人に分かりやすく説明できないものだ。この常人では考えられない討伐記録も捏造と疑われかねない。ライ・オルガスの討伐記録もランクアップも、もっと慎重に扱うべきというのが私の考えだよ」
頑なにライさんの強さを隠そうとするギルドマスターに、私は自分の予想が正しいと理解した。
「ギルドマスター。あなたは、ライさんが冒険者になる前から彼の強さを知っていましたね?」
でなければ、私に彼と一緒に魔の森へ行けなんて言うはずがない。
ギルドマスターは私の指摘ににっこりと微笑んだ。
「実はね、ライは孤児なんだが、私が彼のいた孤児院の後見人をしていてね。彼とはその縁で少しばかり個人的な付き合いがある。なにを隠そう、彼に冒険者になるよう勧めたのも私だよ」
つまり私がライさんと初めて会った日から、すべて仕組まれていたことだったのか。
「あなたはライさんを使ってなにを企んでいるんですか?」
「そうだね。いつか君には話すかも知れないね」
意味深なつぶやきではぐらかし、ギルドマスターは立ち上がって、執務室の窓から外の景色を眺め始める。
「だがまだ話すことはできない。今はまだ私の指示に黙って従って欲しい。そうすれば、私は君に利益をもたらすと約束しよう」
「利益、ですか? もうすぐ殺人鬼に堕ちる私に、一体どんな利益を与えられるというのです?」
「そうだね」
ギルドマスターはあごに手をあて、それから舞台に立つ役者のようにウインクした。
「たとえば、恋なんてものはどうだい?」
不意に、ライさんの笑顔が脳裏を過ぎった。
頭を振って、その一瞬の妄想を振り払う。
「ふざけているのですか?」
「ぷっ、いやいや、私は本気だよ」
私の様子にギルドマスターは含み笑いをもらす。
気に入らないのは、それが仮面ではなく本音からの笑いだったということだ。
「だが気に入らなかったのなら謝ろう。代わりといってはなんだが、これを君に渡しておこうか」
笑いをかみ殺しながら、ギルドマスターは執務机の中から数枚に羊皮紙を取り出して私に近付いてきた。
「どうぞ受け取ってくれ。もしかしたら、君が欲しているかも知れない情報だ」
「情報?」
「ああ、色々な意味でね」
羊皮紙を私に手渡したあと、ギルドマスターはさらに続けた。
「だが注意をして欲しい。その情報はもしかしたら、君の殺人鬼スキルの熟練度を上げかねない代物だ。読むときは、それ相応の注意を払ってからにして欲しい」
そう言い残し、ギルドマスターは部屋を出て行った。
取り残された私は、羊皮紙に視線を落とす。
恐らくギルドマスターの言葉は嘘ではないのだろう。これは私にとってそれだけ衝撃的な情報ということだ。
だがあそこまで言われて、これを読まずに捨てるという選択肢はなかった。一番上の『機密』とだけ書かれた羊皮紙をめくって、中身を検める。
「…………」
最後まで読み終えてから、もう一度最初に戻って読み直す。
その上で、ステータスを開いて殺人鬼スキルの熟練度を確認する。
「上がらず、ですか」
ああ、やはり私は血も涙もない怪物らしい。
「自分の故郷が滅んでいたことを知ったというのに、そのことに怒りも悲しみも覚えないなんて」
自嘲しながら、もう一度書類に視線を落とす。
恐らくは隣国を調査した資料の一端だろう。そこにはバレス帝国でエルフの隠れ里が見つかったこと、そしてそのタトリン村が一人の狂人によって滅ぼされたことが記されていた。
特筆すべき項目は、それらの情報がその狂人本人の供述により明らかになっていることである。事もあろうに、その狂人は私の故郷を滅ぼしたあと、近くの街の酒場へと赴き、その場にいた人々に感想と共に語り聞かせたのだという。
自分はタトリン村のエルフ六百七十八名を喰らった。それは天にも昇る味だった、と。
最初は酔客の戯れ言と一蹴されていたが、その狂人自身がエルフであったこと、さらにその場にいた人間を一人ぺろりと平らげてみせたことで、すべてが真実なのだと狂乱と共に受け入れられた。後日、バレス帝国の騎士がその隠れ里に調査に赴くと、そこには無人となった村だけが残っていたという。
以後、その『人喰い』はバレス帝国全土で指名手配をされることになった。エルフを見つけた場合は、速やかに近くの衛兵、騎士に通報するように、と。
あるいは、私があれほどバレス帝国で執拗に騎士に追いかけ回された背景には、私が人喰いと間違えられていたからなのかも知れなかった。人喰いによる凶行は、私が村を追放された三年後に行われていたが、それはちょうど騎士たちの追跡が激しくなった頃と一致している。
いや、だから問題はそこではないだろう。
故郷が滅んだのだ。つまり村の人たちが、お父さんとお母さんが殺された。私を追放した、あいつらが喰われて死んだのだ。
それなのに――なぜ私は悲しむどころか、罰が下ったのだと暗い悦びすら感じているのか?
自分の醜さに笑いさえ込み上げてくる。
ステータス画面を開く。殺人鬼スキルの熟練度を確認する。
その数字が変わることに恐怖を覚えていたのに、今はその数字が変わらないことにも恐怖を覚える
「……ああ、そうか。ようやくわかりました」
今になってようやく理解する。
これまで村の人たちの裏切りに怒りと恨みを覚えていたけれど、それは的はずれな感情だった。私はきっと追放されて然るべきだった。そうされて当然のケダモノだったのだ。
「――私、最低だ」
リカリアーナ・リスティマイヤは、救いようのないクズなのだ。
◇◆◇
こんな気分では受付業務など出来るはずもなく、私は太陽も高いうちからギルドを出て、宛てもなく王都をさまよい歩いた。
すると道行く誰も彼もが私を見てきた。きっと、それは私がエルフだからなのだろう。けれど、今の私にはそれが私が醜い怪物だから見ているようにしか見えなかった。友人同士の会話が、恋人同士の囁きが、自分を嘲笑する声にしか聞こえない。
いっそのこと、この長い耳をナイフでちぎってやろうか。
そうすれば、少しはこの視線も減るだろう。
どうせエルフという要素を削ぎ落とせば、私なんかに話しかけてくるような奴はいなくなる。
「あれ? リカさん。こんなところで珍しい」
「……ライさん」
そう思った矢先に後ろから話しかけられる。振り返るとそこにはライさんが立っていた。
冒険帰りなのだろう。背中にロープでぐるぐる巻きにされた、たくさんのモンスターの死骸を担いでいる。昨日発行された魔の森への許可証を有効活用した結果だろう。
というか昨日別れるとき、私は今日ついて行けないから休むように伝えたはずなのだが。
そのことをライさんも思い出したのだろう。あせったように背中の荷物を隠そうとするが、小さな小屋ほどもあるその量は到底隠せるようなものではなかった。
「あ、あはは、リカさん。これはさ」
「いいんですよ、ライさん」
慌てる必要も、謝る必要もない。
私の言葉には従ってくれなかった。これはただ、それだけの話だ。
それなのに、小さな悲しみを抱いている私の方が愚かなのだ。
「ライさんは強い人です。私なんかいなくても、魔の森に行っても大丈夫でしょう」
彼が本気を出そうと思ったら、私は足手まといにしかならない。仲間としては失格だ。ライさんにとって私は口うるさいギルドの受付嬢でしかない。ライ・オルガスの人生にとって、私はどこまで行っても不要な存在でしかないのだ。
「パーティーを組むのは昨日が最初で最後です。ギルドマスターには私の方からそう伝えておきますので、今後は私のことは無視してくださって構いません」
「ええと、やっぱりリカさんの言うこと無視したの怒ってる? 寂しい思いさせちゃった?」
「怒っていませんし、ましてや寂しいなんて思っていません。私に、そういう人並みの感情はありませんから」
いや、私の真実を知ったら不要とすら思ってもらえないだろう。
私が咎持ちで殺人鬼スキル保持者だと知れば、この優しい人もきっと、私を嫌うに決まってるのだから。
「それでは、ライさん。さようなら」
「あ、ちょっと、リカさん!」
なにも知らないライさんに一方的に別れを告げ、大荷物を背負った彼では追いかけられない狭い路地を通って逃げる。
ライさんを撒き、誰もいない薄暗い路地まで来たところで膝を抱えて座り込む。
「ライさんに八つ当たりなんてして、どれだけ恥を重ねれば済むんですか、私は」
自己嫌悪。自分が自分で嫌になる。
こうしていると、まるで逃亡生活をしていたときのことを思い出す。誰にも気付かれないよう、誰にも覚えられないよう、ただひたすらに息を潜み続けたあの六年間を。
あの日々に比べてしまえば、今の生活は夢のようだ。今になって、このひと月あまりの時間がどれだけ楽しかったかを思い知らされる。
けれど――弁えないといけない。
私にとってふさわしいのは、あの暗く血なまぐさい日々の方なのだと。
誰かに笑いかけてもらえるような生活なんて、未来の殺人鬼には過ぎた幸福だ。
「そうですかね?」
不意に誰かに話しかけられた。ライさんの声ではない。
顔を上げると、路地の奥の暗がりに誰かが気配もなく忍び寄っていた。
「……どちら様ですか?」
「おや、分かりませんか? 自分ですよ、自分。ほら、タトリン村でよくお話をしていた者です」
「タトリン村?」
故郷の名前を出され、さらに相手が銀髪のエルフであることに気付き、私は自然と後退っていた。
「う、嘘です。タトリン村は滅んだはずです。生き残りもいないはず。被害者として記されていた数は、私を除いた村の全員の数と一致していました」
あるいは、私が追放されたあとに新しく子供が生まれたのだろうか?
それで、目の前のエルフは惨劇を運良く回避できた生き残りなのだろうか?
けれど私は目の前のエルフを知らなかった。タトリン村でこんなエルフは見たことがない。けどもう故郷の記憶はおぼろげで、ああでもどうしよう。もしも本当にあの村のエルフなら、私が咎持ちだと知っているはず。誰かに言われる前に口封じをしないと。
殺さないと、まずい、じゃないか。
「今、自分を殺そうと考えましたね?」
「っ!?」
心を読んだように言い当てられたことよりも、私は自分が今考えた恐ろしいことの方に衝撃を受けた。
「うぷっ」
込み上げてきたものを我慢できず、胃の中のものをありったけ吐き出す。
「おやおや、大丈夫ですか?」
「わ、私は……違う。誰かを殺したいなんて、そんな風に考えたことなんて……」
「ないんですか? 殺人鬼スキルを持っているのに?」
それはまるで死刑宣告をされたかのようだった。
やはり男は私が咎持ちだと知っていた。
どうしよう? どうしよう? どうしよう? このままじゃ、私がようやく手に入れた優しい時間が終わってしまう。
「安心してください、リカリアーナ。自分はあなたが咎持ちだと、人間たちにばらすようなことをしませんよ」
「え? 本当に?」
「当然ですとも。友人を売るような真似、この自分がするわけないでしょう?」
「友人?」
私に故郷で友人と呼べるような人は二人しかいなかった。ケイとリルファだ。
ならば、目の前の男はあのケイだと言うのか? いや、違う。ケイの髪の色は間違いなく金色だった。顔だってこんな顔ではなかった。
ならば、誰だ?
「……まさか」
ある人物のことが頭に思い浮かぶ。
私は彼の髪色を知らない。私は彼の顔を知らない。
けれど友人のように幾度となく話をしたことがある。
「狼男、なんですか?」
「はい。久しぶりですね、リカリアーナ」
狼の塔に幽閉されていたはずの狼男は、親しげに私に微笑みかけ、
「ところでリカリアーナ、あなたを見込んでお願いがあるのですが」
今の私には断れない頼み事を口にした。
「あなたが咎持ちであることを黙っている代わりに、あのライという少年を食べる手伝いをしてもらえませんか?」
舌なめずりをしながら、そう人喰いは嗤ったのだった。
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