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咎人③



 冒険者ギルドの中に入ると、リカさんが受付で一心不乱に仕事をしていた。


 その表情には鬼気迫るものがあり、誰も彼女に近付けないでいる。リカさんと仲の良い受付嬢のルッフルも、今の彼女には話しかけられないようだった。


 そのルッフルは俺に気付くと、ただのギルド職員とは思えない身のこなしで詰め寄ってきた。


「ライくん、ライくん。ちょうどいいところに来てくれたね! リカをどうにかしてちょうだいよ!」


「お、おい、ルッフル。抱きつかないでくれ」


 ひし、と俺の腰の辺りに抱きついてくるルッフル。見た目はふわふわとした亜麻色の髪が特徴的な子供にしか見えない彼女だが、実際は俺よりも三つ近く年上だったりする。ルッフルはドワーフなので、この俺の胸元くらいまでの大きさが成人の標準的な大きさとのことだった。


 そんなルッフルは見た目相応に子供っぽいところがあり、よく誰彼構わず抱きついてはその恵まれた筋力値で悲鳴をあげさせている。俺は特に力いっぱい抱きしめても大丈夫だということで、彼女の中ではお気に入り認定されていた。会う度によく抱きつかれては、リカさんに引きはがされる、というのが俺がよく見かける二人の姿だった。


 だが今日はリカさんがルッフルを引き取りに来る様子はない。というよりも、こちらには気付いていないようだ。


「ルッフル。リカさん、ずっとあんな調子なのか?」


「そうなんだよ。今朝は普通だったのに、いつの間にかあの調子でさ。もう怖いったらありゃしない! まるでギルドに初めてやってきたときに戻ったみたいだよ!」


「俺の記憶がたしかなら、ルッフルはあの頃のリカさんにも気にせず話しかけてたよな?」


「そうだっけ? けど今のリカは無理だって。あの近寄るなオーラだけならともかくさ」


 そのとき、残像が見えるくらいのスピードで手を動かし続けていたリカさんの動きがぴたりと止まった。


 そして、ガン、と擬音が聞こえてきそうなくらいの勢いで机に頭から倒れ込んだかと思えば、そのままの状態で石化したように動かなくなる。


「あれでしばらく経ったらまた仕事をし始めて、仕事をしばらく続けたあとにまたあの体勢に戻って、今日はもうずっとそれの繰り返し。ね? 怖いでしょ?」


「ああ。あんなリカさん見たことないな」


 ギルドマスターは悩んでいると言っていたが、もうそういう段階ではない気がする。半分以上壊れてるんだけど。


「ギルドマスターはリカさんが連続殺人鬼について調べてるって言ってたけど」


「今リカの近くにある書類は、全部それ関係の調査書だよ。自分の仕事は午前中には全部終わらせてたから。けど事件が気になってというよりは、他に仕事がなくなったから調べてるって感じだけどね。アタシの仕事も半分くらい奪われたし」


 どういうことだ? リカさんは連続殺人鬼が気になってるから、あんな感じになってるんじゃないのか?


「リカさんがあんな風になる直前に、なにかあったりしなかったのか?」


「う~ん。アタシが見た感じはなにもなかったよ。普通に受付に来てた冒険者の相手をしてただけだね」


「そっか」


 なら、やはりリカさんを悩ませているのは連続殺人鬼、ひいては故郷を滅ぼした人喰いなのだろう。


「わかった。俺が直接聞いてみる」


「さすが! ライくんならきっとリカを正気に戻せるよ。いや、違うね。これはライくんにしかきっとできないことだよ!」


 ルッフルに熱く応援され、さらには他のギルド職員からの助けを求める視線を浴びながら、俺は意を決してリカさんへと近付いていった。


 遠目からは完全硬直しているように見えたリカさんだったが、近くから見るとその身体はぷるぷると小刻みに震えていた。


「あの、リカさん、大丈夫か?」


 声をかけると、リカさんが勢いよく顔を上げた。

 額を真っ赤にして、心なしか潤んだ瞳で見つめてくる。


「ら、ライさん。なぜここに? もしやご報告にいらっしゃったのですか?」


「報告? いや、今日はクエストには出てないから、報告するようなことはなにもないけど」


「まさか告白に失敗したのですか!?」


「告白に失敗?」


 まったく話が伝わってこない。リカさんはなにを言ってるんだろう?


「というか、俺のことよりリカさんのことだ。様子が変だったけど、大丈夫なのか?」


「だ、大丈夫です。私は至って平常運転です。ええ、平常心ですとも」


「平常心って自分で言ってる人で、本当に平常心な奴を俺は見たことないよ」


 俺は受付カウンターに両手をついて、何気ない感じを装って聞いた。


「なにか悩みがあるなら言ってくれ。俺に出来ることならなんでも協力するから」


「……いえ、ライさんのお手を煩わせるようなことはなにもありませんので」


「本当か?」


「あっ」


 俺は手を伸ばし、リカさんが書いていた書類をつまみ上げた。


 羊皮紙には細やかな字で、今回の連続殺人についてまとめられていた。被害者の発見時刻や場所、そこから推測できる犯人の動向が事細やかに記されている。


 一体どれだけの情熱をもってあたれば、このような資料ができあがるのか。この一枚の書類から、俺はリカさんの燃えさかるような強い怒りと悲しみを感じ取った。


「連続殺人鬼について調べてるんだろ?」


「はい。ですがそれは」


「分かってる。今回の連続殺人鬼は、リカさんの故郷を襲った人喰いの可能性が高いんだな」


 フレミアのことで悩んでいたとき、リカさんがかけてくれた言葉を思い出す。


 一人でやらなくてもいい。周りに頼ってもいい。俺がなんでも一人で背負い込む人だとリカさんは言ったが、俺からしてみればリカさんこそがそうである。


「リカさんはなんでも一人で背負いすぎだ。だから、ほら、俺に言うべきことがあるんじゃないか?」


「ライさん……」


 あの日の言葉を真似してみれば、リカさんは戸惑うように目を瞬かせ、そのあと迷うように目を泳がせ、それから決意したように俺の顔をまっすぐ見つめた。


 その口がつむぐ。人喰いを捕まえるのに手を貸し――



「今日、ロロナさんと恋人のようにデートしていたというのは本当ですか?」



「ああ、任せろ――って、あれ?」


 人喰いは?


「任せろというのは、そんなの俺にかかれば当然だよ任せろという意味ですか? 肯定の意味なのですか?」


「い、いや、別にロロナちゃんとデートなんてしないけど」


「ですがよく『黄金の雄鶏亭』に通っている冒険者の方の話では、おめかししたロロナさんとライさんが腕を組み、それはもう仲睦まじく歩いていたと。さらにはライさんが聞いている方が恥ずかしくなるような愛の言葉を、情熱的にロロナさんの耳元で囁いていたという目撃情報が!」


「……なるほど、そういうことか」


 俺はようやく色々と理解した。

 

 きっと、ロロナちゃんの護衛になれなかった昨晩の冒険者たちの誰かが、リカさんに嘘を吹き込んだのだろう。そしてリカさんはそれを真に受けてしまったのだ。


 とはいえ、それが悩みのすべてとは考えにくい。いくら恋人のいないことを気にしているリカさんとはいえ、俺に恋人が出来たという話を聞いただけであそこまで壊れたりはしないだろう。


「いえ、だからなんだというわけではないのです。私は所詮、ライさんにとってはただのギルドの受付嬢ですし、誰に好意を寄せているとか、お付き合いしている方がいるとか、そういう報告をしてもらう立場ではないのは理解しています」


 俺が黙っているのを見て、リカさんは慌てたようにそうまくし立てる。


「誰と添い遂げるかはライさんの自由ですし、ロロナさんは可愛らしい方だと私も思います。きっとお二人なら素敵な家庭を築けるでしょう。どうせ最初から汚れた私なんて無理というのは承知していたことですし。いえ、ですけど……」


 リカさんはそれ以上は言葉にならない様子で、一度自分の胸に手をあてると、ぎゅっときつく唇をつむった。


 それから感情を無理矢理押し殺した顔で、儚い微笑みを浮かべた。


「ライさん。結婚おめでとうございます」


「飛躍しすぎだから!」


 嘘を吐いた冒険者も冒険者なら、その話をそこまでふくらませたリカさんもリカさんである。


「俺はロロナちゃんの買い出しの護衛についていっただけで、別にデートじゃなかったし、結婚どころかお付き合いもしてないから!」


「……本当ですか?」


「本当だよ。リカさん、その冒険者にからかわれたんだ。大体、もし俺が本当に誰かと結婚するんだったら、お世話になりまくってるリカさんに報告しないわけがないだろ?」


「では本当の本当にライさんは結婚されないと? このままずっと独身だと?」


「いやずっとは嫌だけど」


 可愛いお嫁さんは男の夢だ。生憎と、今のところ候補者は皆無だが。


「そうですか。そう、だったんですか。……そっか。私の早とちりでしたか」 


 ようやくすべて誤解だったと理解してくれたリカさんは、椅子の背もたれに深くもたれかかり、深く長く息を吐き出した。心の底から胸を撫で下ろしているようだ。


「よかったです。本当に、よかったです」


「そんなに俺に恋人がいないことを喜ばれても困るんだが」


「いえ、そういうことでは……なくはないですが」


 そこでリカさんは誤魔化すように咳払いをして、ようやく思い出したように、キリっとしたいつもの澄まし顔を作った。


「くふっ」


 後ろでルッフルが吹き出したのが分かった。気持ちは分からないでもないけど、やめてあげてくれ。リカさんが耳まで真っ赤になってるから。


「ご、ご心配をおかけしたようですみません。色々と考えすぎてしまったようです。もう悩みはなくなりましたので」


「え? もう悩みが全部解決したのか?」


「はい。すっきりと」


「連続殺人鬼の方はいいのか?」


「まったく構いませんが」


 リカさんは即答する。


「そ、そんな山盛りに資料を作ってたのに?」


「これですか? これは行き場のない感情をただ仕事にぶつけていただけで、特別この案件が気にかかっていたわけではありませんが」


「ということは、今回の連続殺人鬼はリカさんの故郷を滅ぼした人喰いじゃない?」


「違いますよ。もしもこの犯人があの人喰いなら、女性だけを狙ったり、頭だけを残したりはしませんので。老若男女関係なくぺろりと平らげていたでしょう。まったくの別人です。騎士団の推察どおり、他国から移ってきた猛獣使いスキル持ちの咎持ちだと思われます」


「そ、そうなのか」


 恥ずかしい。とても恥ずかしい。


 あれだけ気合いを入れて声をかけたというのに、まさかの無関係とは。充ち満ちたやる気が、そのまま羞恥心に変わって襲いかかってくる。


 赤面する俺を見て、リカさんの目が鋭くなる。


「ライさん。さてはギルドマスターからなにか吹き込まれでもしましたか?」


「正解」


 もう黙っていても仕方がないので、すべて話すことにした。


 話を聞いたリカさんは少しだけ怒った様子で、注意を呼びかけてくる。


「ライさん。前から言っていますが、人を疑うことを覚えてください。特にうちのギルドマスターの話をすべて鵜呑みにしてはいけません。あれは息を吸うように人をだまし、思考を誘導する、一言で言うなれば詐欺師です。二言で言うなら人間のクズです」


「相変わらず、リカさんはギルドマスターのこと嫌ってるなぁ」


 どうしてか分からないが、リカさんは昔からギルドマスターのことを蛇蝎のごとく嫌っている。貴族なのに威張らないし、俺は立派な人だと思うんだけど、やはりギルド職員という身内からだと別の側面も見えてしまうものなのだろうか?


「それで、ギルドマスターはなんて言ってましたか?」


「連続殺人鬼のことでリカさんが悩んでるみたいだから、相談に乗ってあげて欲しいって。ギルドマスターの方はリカさんのことを気にかけてくれてるんだよ」


「アレが私を? 監視しているの間違いでは?」


 リカさんがあごに手をあててしばらくギルドマスターのことを考えているようだったが、どうしてギルドマスターがそんなことを言ったのか分からなかったようだった。普通に心配していただけだと思うんだけどな。


「……アレの考えは読めませんが、とにかくライさんももう少し気を付けてください。あなたの良さに気付いている人はすべからく見る目がある人と言えますが、あなたを認めている人すべてが善人とは限らないのですから」


「わかってる。心配してくれてありがとな」


「……本当に分かっているのでしょうか」


 リカさんは少しだけ呆れた様子でため息を吐く。その姿は、どこから見てもいつものリカさんだった。


 けどやはり最後にもう一度だけ確かめておきたかった。


「リカさん。本当に、今回の連続殺人事件は人喰いとは関係ないんだな? 俺に黙って、一人で全部背負いこもうとはしてないよな?」


「はい。誓って。このまとめた資料も、騎士団の方へ送ろうと思います」


「そっか。それならいいんだ」


「心配していただきありがとうございます。ですが前にも言ったとおり、私は本当にそこまで人喰いのことを気にかけているわけではないのです」


「けどあいつはリカさんの故郷と家族を、その」


「ええ。食べてしまったのでしょう。そこに恨む気持ちはたしかにあります。ですが……」


 リカさんは自嘲するように笑うと、


「それと私が森にいられなくなったのは、まったく無関係のことですから」


「リカさん……」


「勘違いはされないでください。私は今、こうして冒険者ギルドの受付嬢をしていることに満足しています。冒険に向かうライさんを見送って、冒険から帰ってきたライさんを出迎える。そんな日々をとても大切に思っているんです」


 リカさんはいつも俺が冒険に出かけるときのように、小さな笑みを口元に浮かべて言った。



「ライさん。私は今、幸せですよ」



「……そっか」


 それならいい。ああ、それならいいのだ。


「俺が本当に余計な心配をしてただけみたいだな」


「いえ、その気持ちはとても嬉しく思います。わざわざ様子を見に来てくださって、本当にありがとうございました」


「そこでお礼を言われてしまうと、逆に恥ずかしいんだけど」


 よし、もう帰ろう。帰ってお酒でも飲もう。今からなら、まだ全然ロロナちゃんの手料理にも間に合うはずだ。 


「また明日な、リカさん。今日はもう帰って、ロロナちゃんの作ってくれた料理を食べて寝るとするよ」


「ちょっと待ってください」


 顔から笑みを消して、リカさんが帰ろうとする俺を呼び止めた。


「気が変わりました。今から連続殺人鬼を捕まえに行きましょう」


「えっ? けど興味がないって」


「なにをおっしゃいますか。王都に暮らす者の一人として、このような卑劣な犯行を黙って見過ごすなんてできません」


「いやだって、さっき」


「ライさん! あなたは騎士を目指しているのでしょう! ならば王都を脅かす悪と戦うために立ち上がらなくてどうするのですか!」


「う、うん? そう言われると俺たちがやらなくちゃいけない、のか?」


「いけませんよ当たり前です。騎士を目指すなら、これは決して避けては通れない道です。ええ、ロロナさんの手料理を食べてる暇なんてありませんとも!」


「……そうだな。こうしている間も、苦しんでる人がいるかも知れないんだからな!」


 リカさんのことがなくても、やらないといけない気がしてきた。いや、やらないとダメだろう。


「行こう、リカさん。俺たちの手で殺人鬼を捕まえよう!」


「ええ、私とライさんならすぐにでも捕まえられます」


 頷き合い、俺たちは冒険者ギルドを飛び出した。


「そこは食事に誘いなさいよヘタレめぇ」


 見送ってくれたルッフルが呆れた声でなにか言っていたが、よく聞き取れなかった。


「よし、じゃあリカさん。殺人鬼が出そうなところに案内してくれ。怪しそうな奴がいたら、とりあえず後ろから殴りかかって反応を見てみるから」


 ただその前に。


「けどできれば、『黄金の雄鶏亭』に寄っていいか? ロロナちゃんに料理食べられないことは伝えないと悪いかな、って」


「そうですね。牽制は必要ですからね」


 牽制? よくわからないが、リカさんは賛成をしてくれた。


 二人で怪しい人影がないか確認しつつ、『黄金の雄鶏亭』の近くまでやってくる。


「ん? あからさまに怪しい奴が?」


 薄暗い路地で怪しい動きをしている、鋭い眼光の男を発見する。


「――って、よく見ると親父さんじゃないか」


 怪しい男は『黄金の雄鶏亭』の親父さんだった。


「ライ! お前、どこに行ってたんだよ!?」


 親父さんは俺に気付くと走り寄ってくる。

 それから俺の隣にいるのがリカさんだけであることに気付くと、周囲を見渡し、不安そうに顔を曇らせた。


「ロロナは一緒じゃないのか?」


 夜はまだ、終わらない。


 

次回で視点変更します。


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