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悪運の魔法使い⑥



 瞬きをする。

  

 スリーピーホロウはその瞬きの間にあたしたちまでの距離をゼロにしていた。


 大剣を上段に振りかぶり、あたしとリカリアーナをもろとも両断せんとする。


「ぐっ!」


 リカリアーナが両手で引き抜いた短剣を頭上で交差させ、大剣の一撃を受ける。彼女の身体を支えていた床が陥没し、盛大に亀裂が走ると共に衝撃波が周囲に吹き荒れた。


「きゃあ!」


「ああァ!!」


 剣圧だけで遠くまで吹き飛ばされてしまったあたしの耳に、リカリアーナの聞いたことのない大声が聞こえてきた。


 彼女は大剣を力ずくで弾き返すと、スリーピーホロウの胸元へ潜り込み、短剣の切っ先を鎧の隙間へと滑り込ませる。


 瞬きをする。


 リカリアーナの一撃がどうなったのかを見届けることはできなかった。気がつくと、半歩後ろに下がったスリーピーホロウが剣を横に振り抜いており、リカリアーナが床に這い蹲るようにしてその一撃を避けていた。


 そこから全身のバネを使って起きあがると共に、リカリアーナはスリーピーホロウの胸元近くの隙間めがけてナイフを突き出す。


 瞬きをする。


 どのような攻防を経てそうなったのかは分からない。再び両者の位置が入れ替わっていた。


 スリーピーホロウが剣を下段に構え、リカリアーナがバランスを崩した状態で、なんとか剣の攻撃を受けようと短剣を力強く握りしめて盾にしていた。


 ゴゥ、と烈風を伴うスリーピーホロウのフルスイングによって、リカリアーナの身体が矢のように飛んでいき、高い天井に背中から叩きつけられる。


「リカリアーナ!」


 破片と共に地面へと落ちてくる姿を見て、さらにそんな無防備な彼女へスリーピーホロウがとどめを刺すべく跳躍したのを見て、あたしは悲鳴をあげた。


 空中では体勢の入れ替えができない。あのままでは大剣の直撃をもらってしまう。


 そう思ったあたしはまだまだリカリアーナのことをなめていた。


 リカリアーナはナイフを投擲して天井に打ち込むと、鋼糸を使って器用にスリーピーホロウの斬撃を避ける。それどころか、その背中に痛烈な蹴りを入れ、今度は逆にスリーピーホロウを床へと叩きつけた。


 そして床へと音もなく着地する。


「フレミア! 早く!」


「う、うん!」


 彼女に叱咤され、あたしは慌てて出入り口を目指した。


 その間も戦いからは視線は外さない。スリーピーホロウもまた、何事もなかったかのように立ち上がり、剣の切っ先をリカリアーナに向けていた。


 再び両者は瞬きの間にその距離を詰めると、あたしではとても目で追いきれない高速の攻防を再開させた。おおよそ鋼と鋼とがぶつかったとは思えない轟音と衝撃波をまき散らし、互角の戦いを繰り広げる。


 いや、互角に見えたのはあたしが拙いからなのだろう。


 よくよく見れば、スリーピーホロウにはほとんど傷がないのにも対して、リカリアーナの身体にはいくつかの出血を伴う深い傷が刻み込まれていた。


 動きの速度こそほとんど変わらないが、筋力や耐久といった能力値はスリーピーホロウの方が遥かに上なのだ。リカリアーナは水の上で翻弄される木の葉のように、攻撃を受けるたびによろめきそうになるのを、恐るべき技量によってなんとか持ちこたえているに過ぎなかった。


 仕方がないことなのだ。通常、彼我のレベル差が五レベルあると決定的な差になると言われている。

 

 もちろん、この差は戦闘系スキルの有無で左右されるが、それでも五レベル違えば、ステータスの能力値にかなりの差が生まれる。レベルが八も違うリカリアーナとスリーピーホロウでは、リカリアーナが圧倒的に不利だった。このままでは遠からずリカリアーナは負けてしまう。


 それを彼女も悟ったのだろう。ここで一か八かの勝負を仕掛けた。


「シャドウキリング」


 スリーピーホロウの大振りの薙ぎ払いを床スレスレまでしゃがみ込むことによって回避した直後、リカリアーナは魔法の詠唱を唱えるように、力強くひとつのキーワードを口にした。


 刹那、瞬きの時間すら必要とせず、物理法則を無視したかのような異常な速度で、彼女は敵の背後を取っていた。


 特技だ。


 スキルのボーナススキルのひとつである、ある一定の動作の自動執行。戦闘系スキルの特技となれば、その特技発動中だけ大幅に身体能力が上昇し、本来ではありえないような動きすら可能とする。たとえば加速の中で体勢を変え、一瞬で敵の背後に移動するといった動きすら可能となる。


 特技の発動には特定のキーワードを必要とする。シャドウキリング。聞いたことのない特技だ。ニンジャの特技なのだろうか?


 いきなり背後を取られたスリーピーホロウの無防備な背中に向かって、リカリアーナはナイフを突き立てる。出血の代わりに、首から出ているのと同じ黒い湯気のようなものが傷口からもれる。たまらずスリーピーホロウは退避しようとするが、さらにたたみかけるように、リカリアーナは首の根本を狙ってナイフを振り下ろした。


 デュラハンの弱点は抱えている頭と切断された首の根本。よく似たスリーピーホロウも同じ弱点だという判断なのだろう。


 それはどうやら正解のようだった。けどスリーピーホロウとデュラハンでは決定的な違いがある。


 スリーピーホロウは剣を握る方とは逆の手がふさがってはいないのだ。


 リカリアーナの攻撃に対し、スリーピーホロウはあいていた左手を盾として使った。手のひらでナイフを受け止めると同時に、右手に握った大剣をリカリアーナに叩きつける。


 リカリアーナはすんでのところでナイフから手を離し、後ろへと下がっていたが、スリーピーホロウの剣は直撃せずともかすめただけで恐ろしい破壊力を発揮する。その風圧と衝撃だけで、リカリアーナを遠く離れた壁に叩きつけた。


「がはっ!」


 背中から強かに壁に叩きつけられたリカリアーナは、口から血を吐いて苦悶の声をあげた。


 そこへさらにスリーピーホロウは追撃を仕掛ける。剣を手に詰め寄って、一気呵成に攻め立てていく。


 リカリアーナはなんとか両手にナイフを握って受け流そうとするが、ダメージをもらった直後ということもあり、上手く体勢を立て直せない。


「シャドウキリング!」


 彼女は再び特技を発動させ、避けきれない剣の一撃を辛うじて回避する。


 その姿がスリーピーホロウの背後へと移動する。そう、移動してしまうのだ。


 特技は発動したが最後、途中でその動きを止めることはできない。それをスリーピーホロウも理解していたのだろう。リカリアーナが特技の名を叫んだ瞬間、握力だけで攻撃を中断し、背中に向かって剣を振り切る。


 けどリカリアーナもそれを読んでいた。


 スリーピーホロウへ刃を立てるのではなく、背後に回った瞬間、短剣を交差させて攻撃を受ける構えを見せる。吸い込まれるようにスリーピーホロウの刃は、リカリアーナの交差させた短剣の中心に入り、彼女の身体を逆の壁まで吹き飛ばした。


 再び背中から壁に叩きつけられるリカリアーナ。それでも彼女がそれで死ぬことはないと、スリーピーホロウもここまでの戦いで理解していた。


 彼女が体勢を整える前に今度こそ勝負を決めようと、入り口の近くから反対側の壁までを全力疾走する。


 リカリアーナは半ば壁に埋まった状態から脱せられていない。


「シャドウキリング」


 仕方がなく、彼女は三度特技を発動した。


 だがすでに二度同じ特技を見せられたスリーピーホロウは、それこそを待っていたと、リカリアーナの姿が消えると同時に、背後に対して今度こそ致命傷を与える剣をお見舞いする。


 だがその刃は空しく宙を切った。リカリアーナはスリーピーホロウの背後には現れなかった。


「舌を噛まないでください!」


 彼女はあたしの背後に出現していた。


 リカリアーナはあたしの身体を強引に抱えると、出入り口の階段めがけて走った。


 そう、これが彼女の作戦だった。


 二度の特技を強烈に印象づけることで、スリーピーホロウを入り口から一番遠い場所まで誘導、足を止めさせ、その隙にあたしを連れてダンジョンから抜け出す。


 あたしが出口に近付けば近付くほど距離を稼げるため、あたしに隙をついて逃げろと言ったのだろう。自分を囮にしてあたしだけ逃がそうと考えているかと思ったが、そうではなかったのだ。


 リカリアーナは冒険者ではない。ましてや騎士ではない。敵に背中を見せて逃げることに対して、一切の躊躇がない。スリーピーホロウが自分よりもレベルが高いことがわかった瞬間から、彼女は敵に勝つことではなくいかにして逃げるかを考えていたのだろう。


 ダンジョン内のモンスターにはひとつの制約が存在するのだ。

 ダンジョンで生まれたモンスターは、いかに強かろうとも、ダンジョンの外には出られない。


「リカリアーナ、すごい!」


 偽らざる称賛を口にする。いかにスリーピーホロウが早いとしても、この距離ではどう足掻いても追いつけない。


 リカリアーナもまたそれを確信したのか、あたしの言葉に対して苦笑を返した。


「当然です。首のない相手とは戦っていられませんので」


 そう、戦いにすらなっていなかった。


 敵は自分を戦う相手とすら見ていなかった。


 騎士として――こんな侮辱があるものか!


 そのとき、そんな怒りの声が聞こえた気がした。ダンジョン内に木霊する、声を発することのできない首なし騎士の怒りの雄叫び。それは馬の嘶きと蹄の音となって現れた。


「っ!?」


 階段のすぐ近くまで来ていたリカリアーナは、次の瞬間、血相を変えてあたしを階段の上へと放り投げた。


 彼女に投げられたあたしは見た。


 スリーピーホロウの足下より生じた青白い馬が、主の怒りを代弁するように嘶き、スリーピーホロウを乗せて走り出すのを。


 地上を駆け抜けた流星の蹄が、一瞬にしてリカリアーナの身体を捉えるのを。


「リカリアーナ!」


 背中から階段へと落ちると共に、あたしはリカリアーナの名を叫んだ。


 人馬一体となったスリーピーホロウにはねられたリカリアーナは、地面に俯せに倒れ伏したままぴくりとも動かなかった。


 彼女を中心に、血だまりが広がっていく。


 慌ててリカリアーナに駆け寄ろうとしたあたしだったが、階段の下にスリーピーホロウが立ちふさがったことで足を止めざるをえなかった。


 スリーピーホロウが騎乗した馬が、その怒りに燃える紅の瞳で、あたしを忌々しそうに見た。


 この地上へと続く階段は、すでに扱いとしてはダンジョンの外なのだろう。彼らはこの場所にいるあたしには手を出せない。


 もう一度憤るように馬が嘶くと、地面に倒れ伏すリカリアーナの方へ足を向けた。


 もう動けない彼女にとどめを刺すつもりなのだ。あたしに見せつけるために。


 スリーピーホロウは馬から下りると、ゆっくりとリカリアーナに歩み寄り、つま先で彼女を仰向けに転がした。そしてその真っ白な首元へと刃の切っ先を向け、あたしの方を一度振り返った。さあ、そこから下りて助けに来いと言わんばかりに。


 けど無理だ。あたしではどう足掻いてもスリーピーホロウには敵わない。リカリアーナのように戦うことすらできないだろう。


 逃げた方がいい。彼女の仇を討とうと思うなら、このダンジョンの事実をギルドに伝え、多くの凄腕冒険者を募るべきだ。


 今、ここでリカリアーナを助けようと動いたら確実に死ぬ。いくらこの階段がダンジョンの外とはいっても、攻撃を仕掛けた瞬間、その法則はなかったものになる。深淵の騎士は喜び勇んで階段をかけあがり、あたしの首を狩るだろう。


 無駄死にだ。無駄死にだ。ここで足掻くことに意味はない。


 スリーピーホロウは動かないあたしを見て、肩をすくめて剣を振りかぶった。青白い馬が、あたしを嘲笑うように嘶いた。


 あたしはぎゅっと目をつむり、自分に言い聞かせるようにつぶやく。


「マルドゥナの使命を思い出すのよ。生きて戻って脅威を伝えることこそがマルドゥナの使命。たとえ仲間が死ぬとしても、死んだとしても、その死を乗り越えてこの使命を果たすのよ」


 先祖代々そうしてきた。尊敬するおばあさまだってそうしてきた。


 そうして……


『巻き込んでごめんなさいって、一度も思ったことがなかったとしても』


 おばあさまの最後の言葉を思い出す。


 その通りだと思う。あたしが巻き込んだわけではない。あたしはなにも悪いことはしていない。罪悪感を覚える必要なんてない。今もそう、思っている。


『――巻き込んでごめんなさい』


 でも、それでも、おばあさまは最後にそう言ったのだ。

 大切な人の死に泣けなかった自分を、最後の最後で後悔した。


 そして――フレミア・マルドゥナは、一体誰に憧れてこんな場所までやってきたのだったか?


「オープン!」


 気がつけば、ひとつの叫びがこの口をついていた。


 開かれた自分のステータスの下の方へと視線を落とす。


 そこに刻まれた『悪運』の文字。熟練度は気がつけば、二〇〇を超えていた。そしてこうしている今も、ぐんぐんと上昇している。やめろやめろとあたしに訴えかけるように、三〇〇に届かんばかりに跳ね上がっていく。


 知るか馬鹿。あたしはお前を気にして生きてるんじゃない。


「あたしは偉大なる大魔法使いを先祖に持つ未来の大魔法使い、フレミア・マルドゥナよ!」


 この冒険はあたしが始めたこと。

 だから、あたしの冒険を手伝ってくれた仲間をもてあそぶ奴は許さない!


「マジックセレクト!」


 悪運を無視して、ステータス画面の魔法を選択する。魔法使いとして攻撃することを宣言する。


 スリーピーホロウの狙いが、リカリアーナからあたしへと移る。もはや戦う力がなくいつでも殺せるリカリアーナではなく、逃げかねないあたしを先に仕留めるつもりなのだ。


 死神がゆっくりと近付いてくる。階段に、その足をかける。


「我が血よ燃え滾れ! 我が魂の叫びを聞け!」


 恐怖に崩れ落ちそうになる足に力を込めて、あたしは詠唱を叫んだ。


「この胸の情熱こそが真の炎なれば!」


 使うのはもちろん、あたしが使える最強最大の攻撃魔法。けどそれはスリーピーホロウにはなんの痛痒も与えないだろう。


 そんなことは分かっている。

 これが誇りを守る以外の意味がないことなのは分かっているのだ。


 それでも止められなかった。止めなくてもいいや、と思った。


 もうすぐきっと、自分は死んでしまうけれど。もしかしたら奇跡でも起きて、リカリアーナが復活するかも知れないし。そのための一瞬の時間稼ぎさえできれば、うん、汚名返上、名誉挽回、マルドゥナ家の先祖やおばあさまに胸を張れるというものだ。


 だから叫ぼう。高らかに。


 これがフレミア・マルドゥナなのだと!


「フレイム――ブレイクッ!!」


 ステータスとマジックウィンドウが光と共に弾けて消える。


 同時に、スリーピーホロウを中心とした地面に紅の魔法陣が描かれ、そこから猛烈な勢いで炎が迸った。


 視界を赤々と染める魔法の炎。


「オープン!」


 けどこれで終わりじゃない。もっともっとあたしを叫ぼう。


「フレイムブレイク! フレイムブレイク! フレイムブレイクッ!」


 連続して魔法を唱え、次々に噴き上がる紅蓮の炎。その中から、漆黒の死神がゆったりと歩み出てくる。


 やはりスリーピーホロウにはなんのダメージもなかった。ただ、うっとうしそうに炎を剣で払って、あたしへと近付いてくる。


 四度のフレイムブレイクによって、あたしの魔力はほとんどなくなってしまった。それでも最後まで諦めることなく、ステータスを呼びだして別の魔法を唱えるべく指を動かす。


 けどそれよりもスリーピーホロウが剣を振りかぶる方が早かった。


 そして今、死神の刃が振り下ろされ、て……










「――よくがんばったな。さすがはフレミア・マルドゥナだ」










 そう言って、彼は力強くあたしの肩を叩いた。

 まるで物語に出てくる騎士様のように、ライ・オルガスは仲間の危機に駆けつけたのだ。


「人の仲間に――」


 そしてライの剣が、死神の刃よりも先に振り下ろされた。


「――手を出してるんじゃねえ!」


 渾身の一撃が破壊の嵐と化して、一直線に駆け抜ける。


 刃の直撃をその身に受けたスリーピーホロウだけではなく、その背後にいた騎馬も両断された。そのあと衝撃によって跡形もなく消し飛び、さらにダンジョンの床や壁、天井もろとも斬撃が破壊して破壊して破壊する。


 最後にぱりんと硝子が砕けるような音がして、ライの手の中でその剣の刀身が砕け散った。


「あちゃー。やっぱり安物じゃダメだな」


 ライは壊れた剣を悲しそうに見つめたあと、あたしの方を振り返って、それからニカリと人の好さそうな笑みを浮かべた。


「よう、フレミア。悪いが最後の美味しいところはいただいたぜ?」


 ライの笑顔を見て、胸がとくんと高鳴った。


 シスターミリエッタの言葉を思い出す。


 ライ・オルガスは基本的にはアホで、でも家族思いで――それから時々、すごくすごく格好いい。




誤字脱字言い回し修正

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