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悪運の魔法使い④



 リカリアーナがあたしたちと合流したのは、森が無音に近いほどに静まりかえり、ライが周囲を強く警戒し始めた頃のことだった。


「ライさん。フレミア」


 音もなく目の前に現れたリカリアーナは、その全身を真っ赤に染めていた。


「リカリアーナ! 血が!?」


「ご安心を。全部モンスターの返り血ですので。今のところ、怪我らしい怪我は負っていません」


 それはつまり、彼女がモンスターの返り血をかわす余裕がなくなってきている証拠だった。


 もう結構な時間、モンスターとは遭遇していないけど。


「リカリアーナ、この辺りのモンスターのレベル帯はいくつなの?」


「おおよそ、四十前後ですね。だいぶ深い位置まで来ました」


「……四十か。この辺りまで来たことは俺もないな」


 さすがのライも緊張を隠せないようだった。


「ここからは私もお二人にご一緒します。ライさんでも、もしかしたらフレミアを守りながらでは厳しいときがあるかも知れませんので」


「リカさんは、まだ俺でもこの辺りのモンスターを倒せると思うか?」


「はい、心の底から。あなたは、あなたが思っている以上に強い人です」


「そうか。なら挑戦してみないとな」


 ライは剣の柄に手を触れて獰猛に笑う。

 それはレベルアップのために、自分のレベル以上のモンスターの討伐を狙う戦士の顔だった。


 やはりライのレベルは三十五から四十くらいと見た方がいいだろう。Bランクの上位からAランク冒険者と同じ実力だ。ライとリカリアーナの二人なら、ここのモンスター相手でも戦えるだろう。


 問題は、あたしが一人で二人の足を引っ張ってしまっていることだ。


「二人とも。いざとなったら、あたしのことは放置しても大丈夫だから」


 あからじめ二人には伝えておく。おばあさまの言葉が正しいのなら、二人に守ってもらわなくても大丈夫のはずだ。


「悪運スキル持ちはなかなか死なないのよ。これはSランク冒険者だったおばあさまの言葉だから信用してもらっていいわ」


「と言われても、俺もリカさんも小さな女の子が目の前で危機に陥ってたら、助けに入らずにはいられないと思うぞ」


「むぅ」


 真顔でライはそう返してきた。子供扱いだけど少し嬉しくもあった。


 もう、本当にライったらお人好しなんだから。そんなことじゃ、いつか誰かに騙されていいように利用されてしまわないか心配だわ。


「ご安心下さい。いざとなれば、私がフレミアを抱えて森から脱出しましょう。生まれ育ったエルフの森では、一度逃げ出した私を捕まえることは大人たちでも出来ませんでした」


 それはリカリアーナも同意見らしく、彼女は自信たっぷりに自分の逃げ足を自慢する。


「それなら安心だな」


「ちょっと待って、ライ。よくよく考えてみると、それ、ライだけ置いて行かれてるわ」


「ああ。けど女の子一人を置いていくよりもずっとマシだろ?」


 この言葉を心の底から言ってるんだもの。ライはお人好しじゃなくて、やっぱりアホなんだわ。


 ……アホなんだから。


「ふ、ふんっ! そんないざというときなんて来ないわ。あたしたちは問題なく森の中心地にたどり着いて、ドラゴンを見つけるの。それで見つけた証拠をなにか手に入れて凱旋するのよ」


「そうだな。それはいい」


「ええ。ライさんの夢にも大きく近付きます」


 危機を想定するのも大事だけど、それよりも大事なのは輝かしい未来のことだ。あたしたちはそのためにここまでやってきたのだから。


 そうして、あたしたちは魔の森の最奥まで到達する。

 未だすべてが明かされていない、人類未踏破の中心地へと足を踏み入れた。


 同時に、魔の森がその真の本性を現し始める。


 ――う゛ぉおおおおおおおおッ!!


 突如として、大地を揺すり上げる獣の咆吼が轟いた。


「な、なに!?」


 臓腑の奥より込み上げてくる恐怖の感情。原始的な恐怖を一方的に叩きつけられる。


「なにか近くにいるぞ」


「これは……」


 それはライやリカリアーナも同様のようだった。特にリカリアーナは、その涼しげな顔に初めて冷や汗を浮かべていた。


「来るぞ! 避けろ!」


「きゃっ!」


 ライが叫んで、あたしの手を引っ張った。

 同じタイミングで、リカリアーナも木の上へと退避した。


 直後、見えざる空気の弾丸が一直線にあたしたちがいた場所へと直進してきた。


 どうしてそうわかったのかと言えば、前方の木々が次々に薙ぎ倒されていったからだ。最後に空気が破裂するような音がして、あたしたちが立っていた場所の地面が大きく抉られた。


「空気弾です! また来ます!」


 注意喚起しながら、リカリアーナが木から木へと移動する。直後、いくつもの見えざる弾丸が飛んできて、近くの木をいくつもへし折った。


「フレミア! しっかり掴まってろ!」


「う、うん!」


 ライもまた、あたしを抱え、地面を蹴って空気弾から逃げる。


 最初の一撃は進路上を塞ぐ木々があったため、その軌道を読むことができたが、すべてへし折られてしまった今となって視認することができない。それはライやリカリアーナも同様だろうが、二人は見事に見えない攻撃を読み切っている。恐らくは空気の振動などを肌で感じ取っているのだろう。こればかりは経験値のなせる技としか言いようがない。


「リカさん、敵を視認できるか!?」


「お任せ下さい!」


 リカリアーナは攻撃を避けつつ、砲撃の主へと接近し、その姿を捉える。


「確認しました! 敵はグラビトンベヒモスです!」


 あたしはこひゅぅと自分ののどが鳴ったのがわかった。


 グラビトンベヒモス。冒険者ギルドの発行しているモンスター目録の最後の方に記されている、超重量級モンスター。その討伐推奨レベルは五十である。


 そのとき空気弾による攻撃が止まり、ずしん、ずしん、と地面を揺らしながら敵が近付いてくる。


 薙ぎ倒された木々の向こうから現れた鋼色の影。それは鎧のような分厚い鋼鉄の皮膚に覆われた巨大なモンスターだった。体長は大の大人の三人分はあるだろうか。尻尾まで含めた全長は、あたしには確認しきれない。鋭い爪の生えた四肢で大地を抉りながら近付いてくる。


 グラビトンベヒモスはあたしたちの姿を確認すると、その大きな口を開いた。


 その奥には黒々とした空洞がある。グラビトンベヒモスには牙も歯もなく、その口から放つ空気弾で敵をペースト状になるまで磨り潰して、それを啜ることで食事とすると記録にはあった。つまり今、グラビトンベヒモスはお腹を空かせている。このままでは食べられる。


「ライさん」


「ああ、わかってる」


 ライとリカリアーナは目配せだけで意思を交換すると、グラビトンベヒモスに背中を見せて走り出した。


 一心不乱に逃げ出したのだ。


「――って、逃げるの!?」


「当たり前だろ! 相手はグラビトンベヒモスだぞ、グラビトンベヒモス!」


「申し訳ありませんが、私は攻撃力がレベルの割には低いので、刃が通らない敵となると相性的に倒せません。幸い、グラビトンベヒモスは脚が遅いので、ここは逃げの一手かと」


「そういうこと! 別にあれを倒しに来たわけじゃないしな!」


 考えてみれば当たり前の話である。モンスターと遭遇しても絶対に倒さないといけないわけではないのだ。逃げられる敵なら逃げた方がいいに決まっている。


 後ろから何発も迫り来る空気弾を避けながら、全速力で逃げることしばらく。


 やがて空気弾による攻撃が去り、森が再び静けさを取り戻す。どうやらグラビトンベヒモスを撒いたみたいだった。


「いやぁ、さすがは魔の森の中心地。他なら秘境の奥に行かないと出会えないようなモンスターも生息してるんだな」


「魔の森でグラビトンベヒモスの生息が確認されたのはこれが初です。ギルドに戻ったら伝えておかないといけませんね。……それはともかく、ライさん。いつまでフレミアを抱きかかえていらっしゃるんですか?」


 リカリアーナに言われて、あたしは今の自分の格好を思い出す。あたしはライにお姫様抱っこされていた。どうやら、前に口にした文句を覚えていたみたいだ。殊勝な心がけである。


「もうそろそろ下ろしてもよろしいのではないですか?」


「そうだな。ほら、フレミア」


「ええ。ありがとう」


 ライに下ろしてもらい、地面に自分の足で立つ。


 立とうとして、失敗する。あたしは地面に尻餅づいてしまった。


「あ、あら? おかしいわね」


 慌てて立ち上がろうとするが、やはり途中で足から力が抜けてしまう。見れば、自分の足がぷるぷると震えているのがわかった。


「ち、違うわ。あたし、こんなの」


 どうにか立ち上がろうと試みるが、何度やっても上手くいかない。


「な、なんで?」


「フレミア。ほら」


 ライが手を差し出してくれる。でもその手を取るわけにはいかなかった。


 だって、あたしはまだこの森に入ってなにもしていない。二人に面倒を見てもらっているばかりで、モンスターの一体も倒していない。さっきだってライに助けてもらわなかったら間違いなく死んでいた。その上でこんな醜態。恥ずかしくて、情けなくて、涙が出てきた。


「こ、こんなはずじゃかったのに。あたしはフレミア・マルドゥナ。偉大なる魔法使いを先祖に持つ、未来の大魔法使いなんだから」


 覚悟はしていたはずだった。でも実際にグラビトンベヒモスのような目録でしか知らないようなモンスターと遭遇し、その恐ろしさを思い知らされてしまった。あたしは、恐怖のあまり一人で立ち上がることすらできなくなっていた。


「このままここにじっとしているのはよろしくありません。鼻のきくモンスターに囲まれでもしたら厄介です」


 手を貸すべきか困っている様子のライとは違い、リカリアーナはそう言って、あたしを半ば無理矢理立ち上がらせた。


「行きましょう。私の手を握っていれば歩けるでしょう?」


 あたしは無言で頷いて、リカリアーナの手を握った。


「リカさん。それなら俺の方が」


「いえ、またグラビトンベヒモスと遭遇したときは、私がフレミアを抱きかかえた方がいいでしょう。ライさんは両手を開けておくべきです」


「そっか。まあ、リカさんの方が筋力も敏捷も高いだろうからな」


「お待ち下さい。ライさんより筋力が高いというのは否定させて下さい。私はそこまで筋肉質ではありませんので」


「いや、レベル的になんだけど」


 あたしに比べて二人のこの余裕である。あたしは悔しく思いながら、リカリアーナに手を引かれて歩き出す。


 とはいえ、すでにここは魔の森の中心地。目的の場所だ。


「フレミア。このまま宛もなく探し回るのは効率が悪いでしょう。なにかドラゴンの手がかりになるようなものはありませんか?」


「ドラゴンの足跡っていう不自然な大規模破壊現象の痕跡があれば、その近くにドラゴンがいる可能性は高いわ。あとは、これはおばあさまの受け売りなんだけど、ドラゴンは人の近寄らない場所にいることが多いらしいの。洞窟の奥とか、高い山のてっぺんとか」


「といっても、ここら辺は全部同じような地形だぞ。起伏もそこまでないし」


 あたしは考える。目的であるドラゴンの所在は、わかっていたことだが判然としない。あるいは魔の森の奥へ行けば痕跡なりなんなりに出会えるかと思ったけど、なにもない。


 でもこのまま帰ろうとは思わなかった。あと少し。あと少しだと、自分の中のなにかが囁いているのだ。


「……なんとなく、だけど」


 あたしはリカリアーナの手を引っ張った。


「こっちに行くべきだと思うわ」


 二人は顔を見合わせる。


「一応言っておきますが、私でも手に負えないモンスターが現れた場合、速やかにこの近辺から脱出します。また帰り道も考慮して、この場所を探索できるのは長くて――」


「わかってる。リカリアーナの指示には従うわ。でも、お願い。今はあたしに付いてきて」


「……まさか悪運スキルの囁きとでも言うのでしょうか」


 リカリアーナがやや困惑した様子でそうつぶやいた。


「わからないわ。ただのあたしの勘なのかも知れない」


 でもリカリアーナのいうこともわからないでもなかった。悪運スキル、即ちこの血に流れるドラゴンの呪いの囁き。絶対に存在しないとは言えない。


 リカリアーナが苦い顔をする。彼女は今になってようやく、もしかしたらドラゴンと遭遇する事態を考慮し始めているのかも知れなかった。


 一方、ライは無言で剣を鞘から引き抜き、いつでも戦闘に移れるように警戒しながら、あたしのあとを付いてきてくれた。


 そうしてあたしたちは、導かれるようにその場所へとやってきた。


 魔の森の中心部のさらに中心地。そこには大地がスプーンで丸くすくい取られたような、綺麗なすり鉢状の場所があった。そこには一切の植物が生えておらず、乾いた荒野のように地面がむきだしになっている。


「まさか魔の森にこのような場所があったとは」


 穴の縁から下を覗き込んで、リカリアーナが驚きの声をもらす。ギルドでもこの場所の存在は把握していなかったらしい。


 ただ、他とは少し地形が異なっているものの、ここにはそれ以上のなにかはありはしなかった。穴の底でドラゴンが眠りこけているわけでもない。


「フレミア。ここからなにか感じるか?」


「感じるものがあるような気がするわ。でも……」


 なにもない。そもそも、今感じているこの小さな感覚だって、気のせいといってしまえば終わる程度のものでしかない。


 恐怖も過ぎ去ったことで、ずっと握っていたリカリアーナの手を離し、自分の足で穴の縁に立った。


「穴の底に下りてみるか? それか他の場所を探すか?」


「ううん、この光景を見ればわかるわ。魔の森にドラゴンはいなかった」


 ライが提案してくれるが、あたしはこれ以上探しても無駄だと思った。ここにいなければ魔の森にドラゴンはいない。そう強く思ったのだ。


「……帰りましょう。無駄足を踏ませてしまってごめんなさい」


「気にするなよ。それに――」


 ライは笑いながら口を開き、すぐに表情を引き締めて背後を振り返った。


「それに、どうやら簡単には帰れないみたいだな」


「そのようです」


 リカリアーナも戦闘態勢に移行する。


 見れば、穴を取り囲む森から無数の赤い瞳があたしたちを見つめていた。


「獣型のモンスターが団体でお出ましみたいだな」


「これでは逃げられそうもありませんね。ですが、レベル五十を超えるような敵はいないようです」


「それでも全部四十近いんだろ? 俺にとっては大冒険だ」


 ゆっくりと森から出てきたのは、五〇体を超える多頭の猛犬たち。双頭のモンスターはヘルズガルム。三ツ首のモンスターはダークケルベロスだ。前者の討伐推奨レベルは三十七。後者は四十三だ。しかもこの数となれば、その脅威はグラビトンベヒモスにも匹敵するかも知れない。


 加えて言うなら、この群れからはとても逃げられそうにない。


「フレミア。俺が前に出る。全力の魔法を喰らわせてやってくれ」


「む、無理よ。こいつらには火属性の魔法は通じないわ。耐性を持ってるの」


「そうなのか? なら魔法で足止めだけ頼む。動きさえ止められれば、なんとか討ち取れると思うからな」


 ライは緊張しながらも戦いを挑むつもりのようだった。


「ライさん。どうやらこのモンスターたちは、背後の穴には近寄りたくないようです。穴を背にして戦えば、背後を取られる心配はなさそうですよ」


「やっぱりなにかあるのかな。倒してから調べてみようか」


 リカリアーナは油断なく相手の動きを警戒しながらも、それでも追い詰められているという切迫した表情は見せなかった。すぐにフォローに入れるようあたしを背中に庇って、両手にナイフを構える。


 ……情けない。あたしはやはり足手まといでしかないのか。


「あたしにもっと力があれば」


 力があれば、こんな目的地を目前にして足止めされることもなかったのに。


 二人をこの先まで、連れて行くことができたのに……。







 ――そのとき、遥か地面の底でなにかが目覚めたのがわかった。



 





 突如として大きく揺れ動く大地。


「きゃっ!」


 穴のすぐ縁に立っていたあたしは、そのいきなりの振動に足を踏み外し、穴の方へと倒れ込んでしまった。


「フレミア!」


 近くにいたリカリアーナが、糸のついたナイフを上手く使い、あたしを絡め取って助けようとする。だが無駄だった。


 地面の揺れはさらに大きくなり、穴の縁が一斉に崩落を始め、リカリアーナの足元までもが崩れ落ちた。リカリアーナだけならば、あるいは崩落から逃れることができたかも知れないが、彼女は自分の身の安全ではなく、あたしの身の安全を優先した。糸をたぐり寄せ、あたしの身体を自分の胸元へと抱き寄せる。


「しっかり掴まっていてください! 絶対に離さないように!」


「リカさん! フレミア!」


 ライが助けようとこちらを向くが、その隙を見逃さずモンスターたちが一斉にライへと躍りかかった。ライの背中が、モンスターたちの姿によって見えなくなる。


「ライぃいいいいい――ッ!」


 ライの最後の姿に絶叫しながら、あたしとリカリアーナは地面にくりぬかれた穴の底へ――否、穴の底にぽっかりと口を開いた、さらなる地の底へと落ちていった。


 なにかに引き寄せられるように。深く、深い、闇の底へと。



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