悪運の魔法使い①
それは今から半年前のこと。
あたしがおばあさまと言葉を交わした最後の記憶だ。
「フレミア。私はね、今になって思うの。もしかしたらマルドゥナの悪運は、私たちが思っているような、ただお金を奪っていくようなものではなかったのかも知れないって」
病に倒れ、ベッドから起きあがることができなくなったおばあさまは、あたしの頭を優しく撫でながらそう言った。
「私はずっとドラゴンを追い求めてきた。いいえ、私だけじゃなくて、マルドゥナ家の人間は例外なくドラゴンを追い求めてきたの。先祖の汚名を晴らすために。この手に栄光を取り戻すために。マルドゥナの人間はドラゴンを追い求め続けた」
マルドゥナの使命。それはすでにお父様から話を聞いて知っていた。
そしてその使命に誰よりも苛烈に挑んだのがおばあさまだった。ドラゴンを求めて未知なる魔境を探索し続けること数十年。その長い冒険者稼業の中で、三回、おばあさまはドラゴンを見つけ出してみせた。
残念ながら、それは公式では認められていない。おばあさまと一緒にドラゴンを見つけ出した仲間は誰一人生きて帰ってこられず、次に同じ場所へ足を運んでもドラゴンは確認できなかったからだ。きっと他の強いモンスターにやられたのだろう、とギルドや騎士団はおばあさまを信じなかった。嘘吐き呼ばわりされているマルドゥナは、たとえドラゴンに遭遇したとしても、その証拠を持ち帰らなければ認めてはもらえないのだ。
でもおばあさまは諦めなかった。
疑われ、嗤われ、それでも挫けることなくドラゴンを探し続けた。
冒険者の中にはおばあさまのことを信じてくれる人もいて、同じ夢を追ってくれた。おばあさまは多くの強者たちを引き連れて、二度、三度とドラゴンに戦いを挑んだ。
けれど結果は変わらない。
どれだけ強い仲間たちも、ドラゴンの前には無力だった。
全員が死んだ。生き残ったのはおばあさまだけだった。
仲間が全滅してしまうような死地からも、必ず一人生きて帰ってくるおばあさまを、人々は皮肉を込めてこう呼んだ。
悪運の魔法使い――それがSランク冒険者として数々の伝説的冒険を果たしたおばあさまへ送られた二つ名だった。
そんなおばあさまも寄る年波には勝てず、あたしが生まれた頃には冒険者稼業を引退していて、忙しい両親に代わって厳しくも愛情深くあたしを育ててくれた。だからあたしは昔話としてしかおばあさまの冒険者時代の話を知らない。それでもあたしは、そんなおばあさまの語る昔話が大好きだった。
どんな苦難や困難も、おばあさまは軽く笑い飛ばして突き進む。仲間の死を乗り越えて、新たな仲間たちと冒険を繰り返す。
それは夢を追いかける物語。輝かしい大冒険の記憶だった。
だからベッドに埋めていた顔を持ち上げ、おばあさまの顔を見てあたしは驚いた。
おばあさまはその瞳から涙を零していた。
それはあたしが初めて見る、おばあさまの涙だった。
「フレミア。きっと、あなたもいずれそうなるわ。ある日、突然そうなるの。この血がドラゴンに呪われているかぎり、悪運スキルがあるかぎり、それは逃れられない運命なの」
「それは悲しいことじゃないわ」
あたしは驚きながらも、おばあさまに言い返した
「ドラゴンを探す。ご先祖様の汚名を晴らす。それがマルドゥナの運命だとしても、あたしは構わない。だってそれって、おばあさまと同じ道を行くってことでしょ? あたし、おばあさまみたいになりたいの。だから構わないわ」
「違う。違うのよ、フレミア。それは違ったのよ」
おばあさまはついに手で顔を覆うと、身体を大きく震わせ始めた。
「今になってようやく気がついたのよ。私がドラゴンを求めていたんじゃない。ドラゴンが私を求めていたんだって」
「ドラゴンがおばあさまを? なぜそんな風に思うの?」
「悪運スキルよ!」
あたしの疑問に、おばあさまは血を吐くような声で叫んだ。
「悪運スキルはお金を持って行く代わりに戦場での死を回避する。少なからず、私がドラゴンから生き残ることができたのは、これが理由だとは思っていた」
おばあさまはいつも自分がドラゴンから生き残れたのは、自分が強いからだと言っていた。けれど、本当はそう思っていたらしい。
そして今は――
「けど違ったの。私が生き残ることができたのは悪運がすべての理由だった」
「そ、それならすごいことじゃない。だってドラゴンからだって生き残れるんでしょ? それならいつか、きっとマルドゥナはその使命を果たせる日が来るわ。とても喜ばしいことよ」
「ふざけないでちょうだい!」
「ひっ!」
おばあさまはあたしをにらんで一喝した。
その瞳は血走っていて、まるで恐ろしい獣かなにかのよう。
「喜ばしいものですか! 悪運はマルドゥナの命を救ってくれるんじゃない! 悪運はマルドゥナの死を許さないのよ!」
「死を許さない? な、なんで?」
「決まってるわ。マルドゥナが死んでしまったら、誰がドラゴンの許に新たな生け贄を運んでいくというの?」
あたしはおばあさま言葉を聞いて怖くなった。正気じゃない。そう思った。
「違う。違うわ。おばあさまの考え過ぎよ」
なんとかいつものおばあさまに戻って欲しくて、必死に言葉を並べ立てる。
「マルドゥナがドラゴンを追い求めるのは、ご先祖様の汚名を晴らすため。この手に栄光を取り戻すため。そしていずれドラゴンを倒すためよ」
「そのために多くの仲間が死んでしまった。私がドラゴンの腹の中へと、大切な仲間たちを運んでいってしまったのよ!」
今になってようやく、おばあさまの涙の理由がわかった。
それは死んでいった仲間への懺悔の涙だったのだ。
おばあさまは、ドラゴンを追い求めた自分の人生を後悔していたのだ。
「ごめんなさい。ごめんなさい。私が、私が馬鹿だった。ドラゴンなんて追い求めてしまったばかりに、死ななくていいはずの人たちを多く殺してしまった」
「おばあさま……」
あたしはおばあさまの震える肩を抱きしめた。
今のおばあさまになんて声をかけていいかは分からなかった。おばあさまの言葉はすべて考えすぎだと思う。きっと病で心が弱くなっているだけだと。
でも今のおばあさまにとって、それこそが真実なのだろう。おばあさまは仲間たちへの慚愧の念にとりつかれている。
だから黙って、いつもおばあさまがそうしてくれているように、おばあさまの頭を優しく撫でてあげた。おばあさまにこうしてもらうと、どんなに学校で辛いことがあっても元気を取り戻すことが出来た。だから元気になって、とそう思いを込めてあたしはおばあさまを慰め続けた。
「……ありがとう、フレミア」
やがて泣きやんだおばあさまは、穏やかに微笑んであたしの頭を撫で返してくれた。
「ぷっ」
「ふふっ」
お互いに相手の頭を撫でている。それがなんだかおかしくて、あたしとおばあさまは吹き出すように笑った。
「ありがとう、フレミア。本当に、ありがとう」
おばあさまは目尻に残った涙をぬぐって、あたしをぎゅっと抱きしめた。
「そうね。あなたの言うとおり。きっと、ただの考えすぎよね」
「そうよ。おばあさまは偉大な冒険者だもの。あたしが尊敬してやまない、マルドゥナの誇りだもの」
「……ダメね。病気になって、気が弱くなっているみたい。また泣いてしまいそう」
おばあさまはさらに強くあたしを抱きしめて、
「考えすぎ。そう、考えすぎなのよね。たとえ、今になって初めてそうと気付いたとしても。私が死んでいった仲間たちに対して、一度だってそう思ったことがなかったとしても、きっとただの考えすぎに決まってる」
抱きしめて、それからあたしの耳元で、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「――lkjhgeyruiopl;oiuytrdfjghkjl」
そうだ。おばあさまはたしかに言った。そのときなにかを言っていたのだ。
あたしはそれを聞いた。しっかりとこの耳で聞いた。そのはずなのに、なぜだかおばあさまの最後の言葉だけはどうしても思い出すことができなかった。
思い出そうとすると、いつも不自然な雑音が混ざってきて思い出せない。まるで獣のうなり声のような雑音が、記憶の中の言葉をさらっていってしまう。
そしてこのときのことを改めて聞くこともできなかった。
この日から数日後、おばあさまは眠るように息を引き取った。
多くの人たちに慕われ、尊敬されていたはずのおばあさまのお葬式は、悲しいほどひっそりとしたものだった。
おばあさまのお墓に花を供えてくれるのは、近所の知り合いばかり。昔の友達は、冒険者仲間は、誰一人として来てくれなかった。まるでおばあさまの冒険者仲間なんて、もう誰一人としてこの世に残っていないかのように。
「大丈夫? フレミア」
お母様がおばあさまのお墓の前でたたずむあたしを、後ろから抱きしめた。
「泣いていいのよ。いつもはあまり泣きべそをかかないようにって言ってるけど、こういうときは泣いていいの。泣いていいのよ」
そう言ったお母様が涙を流していた。
お母様の肩を、近付いてきたお父様が優しく抱いた。その瞳にも、うっすらと涙が浮かんでいる。
あたしの教育方針で、よくおばあさまと喧嘩していたお父様だったけど、それでもおばあさまの死には涙を流して悲しんでいた。
そこで、ようやくあたしは気付いた。自分が涙を流していないことに。
不思議と悲しいとも思わなかった。あれだけ大好きだったおばあさまが亡くなったのに、嘆く気持ちが湧いてこない。
ただ、ただ、おばあさまのお墓に手向けられたお花を見て。
「――ドラゴンを探さないと」
なぜか強く、そう思った。
次の日、なにげなく自分のステータスを見た。
いつの間にか悪運スキルの熟練度が大幅に上昇して、一〇〇を超えていた。
そして今も、悪運スキルの熟練度は日ごとに増え続けている。
ひとまず今日中に二話上げます。
いやぁ、視点変更を書くおもしろさと難しさを痛感した回でした。




