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超越者たちの帝国⑥

  


 全身を駆け抜けていく衝撃。急激に後ろへと流れていく景色。


 まるで小石のように吹き飛ばされたが、俺はなんとか空中で体勢を整えて着地を決めることができた。


 危なかった。今更ながら冷や汗が頬を伝う。今の一撃、咄嗟に剣で払うことができたのは運が良かった。


 もしも直撃を受けていれば、その場所に穴が空いていただろう。しっかりと槍の矛先を払ったはずなのに、衝撃をすべて受け流すことができずに弾き飛ばされてしまった。剣を握る右手は今も痺れが抜け切れておらず、今の一撃がどれほど重たいものであったのかを物語っている。


 俺は戦慄しながら、改めて敵の姿を見た。


 槍を構えた見窄らしい男。それは変わらない。けれどもはやただの旅人には見えなかった。


 襲撃者の男は全身に濃密な殺気を纏い、瞳は獲物を見つけて爛々と輝いている。質の悪い槍が今や、あらゆるものを貫く死の槍と化していた。


 先の一撃も併せて考えれば、正体の断定は容易かった。


「あんた、フローレンス皇女を狙った反抗勢力の人間か? しかもその強さ、間違いなく――」


 超越者だ、と続けようとした瞬間に男は動き出していた。


 一歩で加速し、二歩で最大速度に達し、三歩で音を置き去りにして男は目の前に迫っていた。愚かな、とその眼差しと眼前に迫る槍の矛先が語りかけている。


 そう、今の俺の行為は失策だった。相手は完全に殺す気でいたのに対し、悠長に話しかけるなど愚かにも程がある。それは相手に隙があるか力量差が開いているときにだけ許される行為であり、相手が超越者と理解してた上でするべきことではなかった。


「シィッ!」


 男が獣のような唸り声をあげながら、渾身の力をこめて突きを放ってきた。

 

 俺は遮二無二剣を攻撃に合わせる。払うことも受け流すことも不可能だった。剣を即席の盾にして、ほんのわずかでも軌道を逸らすことに全力を傾ける。同時に少しでも死の槍から逃れるために身体をひねった。


 一点に集中された槍の切っ先は、俺の剣を一瞬にして砕き、勢いを落とすことなく俺の身体も貫いた。


 だが狙いは身体の中心点からわずかに逸れた。槍は俺の脇腹を抉っていく。


「かふっ」


 口から血を吐き出しながら、しかし痛みに呻くことも顔をしかめることもできなかった。相手の攻撃はまだ終わっていない。


 相手の腹に穴を空けただけでは満足せず、男は畳みかけるように攻め立ててくる。それに俺は予備の剣を腰から抜いて対応した。これまでの戦いで剣の一振りでは足らないと、常日頃から予備を携帯していたのが幸いした。でなければ、この男の攻撃を捌ききれなかった。


 突き。薙ぎ払い。叩きつけ。時に体術も混ぜて怒濤の攻めを続ける男に考える余裕はなく、自分の感覚とこれまでの経験を信じてただひたすら剣を振るう。弾き、払い、受け流し、なんとか攻撃を凌いでいく。


 十を超え、二十を超え、そして五十を超える連撃をすべて捌ききって、なお途切れることのない攻撃に俺は震えた。この男はもしかして、俺の息の根を止めるまでは止まることがないのではないか。そう思わせる殺意と圧だった。


 そうはさせない。ここから反撃に出るのだ。


 そう思いながらも、俺はその糸口をつかめないでいた。襲撃者の男は最初の勢いを失うことなく攻め続けており、俺はそれを防御するので精一杯だった。さらに腹部の傷が思いの外深く、少しずつ血と一緒に身体から力が抜けていく。


 負けない。負けられないと思いながらも、俺の中の冷静な部分が囁く。


 このままでは負ける、と。


 そのとき背中になにかが当たった。


 硬い木の感触。陣地を覆っていた木の柵だ。男に攻め立てられるまま下がり続け、いつの間にかここまで下がってしまっていたらしい。まずい。このままでは戦いにみんなを巻き込んでしまう。


「ふんッ!」


 そして男は周りの被害など気にするはずもなかった。暴風のような槍捌きで柵を破壊し、地面を抉り、戦いの余波で周囲に破壊をばらまいていく。


 止まらない。止められない。最初の選択を間違えたことが致命的だった。ここからでは立て直せない。死、ぬ……。

 

「シャドウキリング!」


 死の予感を振り払う鋭い声。男の背後へと短剣を振りかぶったリカさんが唐突に現れる。


「きゃっ!」


「リカさん!」


 男はリカさんの特技による背後への強襲に対し、槍を引いて石突きをぶつけることではねのけた。その間、一切振り向くことなく視線は俺に固定したまま離れない。むしろ血を吐きながら吹き飛ばされたリカさんを見て動揺する俺に、再び瞳に失望の色を過ぎらせた。


「温いな」


 初めて明確な意思をもった言葉も、俺への失望を告げる言葉だった。


「振り切れていない。やはり『大導師』でなければならんか」


 同時にその槍の切っ先を、動揺する俺の太股に突き刺していた。


 膝から力が抜ける。動きを縫われた。

 男は槍を引き抜き、再び攻撃を再開させた。


 怒濤の連撃。ただの一刺しだろうと甘いものはなく、すべてこちらの急所を的確に狙っている。


「くっ!」


 なんとか凌ごうと足掻くが、脇腹の傷に加え、足の傷が決定打になった。踏ん張りが効かず、一撃受けるたびによろめき、体勢を崩しそうになる。


 槍が肌をかすめるようになっていき、段々と身体に刻み込まれる傷は深く、多くなっていって。


「ライさん!」


 リカさんの悲鳴が聞こえた。

 他にはフレミアの声や、大騒ぎしている人々の声も。


「ああ、なんてこと」


 その中で彼女の声だけは、明確に耳まで届いた。フローレンス皇女の甘く囁くような声だ。


 彼女は溜息を吐きながら、嘆き悲しむようにつぶやいた。


「こんなにも弱いだなんて……ライ・オルガス。期待はずれにも程があります」


 そう、そのつぶやきこそがまさしく真実だった。


 襲撃者の男が予想以上に強かった。それもある。けれどそれ以上に俺があまりにも弱く、愚かだった。


 度重なる判断ミス。その原因に、今になって気づく。慢心だ。


 俺はまだ目にしてすらいない敵に対してすでに勝った気でいた。どんな相手が来ようとも絶対に勝てるものと、そう自分でも気付かないうちに油断していたのだ。


 ヒュドラを倒したから。ティタノマキアを倒したから。ディザスターを倒したから。恐ろしいモンスターたちを立て続けに倒してきた俺なのだからと、みんなが褒め称える『閃光』なのだからと、慢心して油断していた。それがこの状況に繋がった。


 そしてその慢心の報いを、俺は今受けることになる。


「っ!?」


 襲撃者の男の放った一刺しが、そのとき俺の剣を打ち砕いた。


 それでも次の攻撃をなんとか避けることができたが、そこまで。無理矢理避けたことで体勢を完全に崩し、俺はその場に膝をついてしまった。


 彼は槍を引くと、俺に向けて躊躇することなく止めを刺しに来た。


 油断していた俺とは正反対の、欠片の油断も遊びもない男だった。死の切っ先がすさまじい勢いで迫ってきて――


「シャドウキリング!」


 再び死を振り払う決死の声。リカさんが再度男の背後に現れ、刃を突き立てようとする。


 男はやはり振り向くことなく、今度や槍を使おうとすらしなかった。右手で槍を俺へと突き出しながら、左手を槍から離し、鋭いひじ鉄をリカさんの胸元目がけて叩き込んだ。


 メキリ、と骨が砕かれる音がした。


 それでも――


「させる――ものか!」


 リカさんは歯を食いしばって耐え、攻撃後のことはすべて無視してその刃を男の右腕へと叩きつけた。


 巌のような男の腕に、リカさんの渾身の一撃は傷をつけることができなかった。けれどその衝撃で、俺に向かっていた槍の角度がずれる。死の切っ先が、わずかに逸れて俺を取り逃がす。


「プロミネンス!」


 さらにそこへ、フレミアの放った魔法が着弾する。


 俺やリカさんすら巻き込みかねないギリギリを、熱線が襲撃者ごと地面を薙ぎ払っていく。おそらくはリカさんの指示だろう。俺を助けるために、あまりにも余裕のない一か八かの援護射撃だった。


「あぁあああああアア!!」


 プロミネンスによる男への被害を見届ける前に、俺は全身の力を振り絞って跳ね起きると、リカさんを勢いよく突き飛ばすようにして抱きしめていた。魔法などなかったかのように、無傷のまま返す刃でリカさんの首を刎ねようとした男の槍が、薄皮一枚だけを切り裂いて空を切る。


「ほう」


 ほんの少し感心した声。だがそれで止まるような男ではない。


 リカさんを抱えたまま大きく距離と取ろうとする俺に、男は獣のような俊敏な動きで追いすがる。距離は瞬く間に詰められて、今度こそ死の槍が俺とリカさんを二人まとめて葬ろうと振るわれる。


 それを救ってくれたのは、突如として飛来した無数の矢だった。


 男の動きを完全に読み切り、急所を的確に貫く軌道を描いた矢の大群に、男は足を止めて迎撃しないわけにはいかなかった。


 さらに矢は流星のように絶え間なく降り注ぎ、男の動きをその場に縫い止める。

 

 その間に俺はリカさんを抱え、遠くへと距離を稼ぐことができた。


「リカさん! 大丈夫か!?」


 胸をおさえて口から血を吐いていたリカさんは、目を開いて俺の顔を見ると、


「……よかった。ライさん、無事ですか?」


 と、安心したように微笑んだ。


 全身が燃えるように熱くなる。ああ、俺はなにをしていたんだろう。自分で自分が恥ずかしくなる。


 みんなを守るだなんてあまりにも増長していた。守られているのは自分の方ではないか。俺なんかよりも、よほどリカさんの方が強かったのに、なにを馬鹿なことを考えていたのか?


 油断して、増長して、これで勝てる方が不思議だ。


 リカさんに謝りたかった。けれど、それはダメだ。


 俺なら勝てる。フローレンス皇女の依頼を達成できる。俺のそれはただの慢心からの自信だったけれど、リカさんのそれは違った。純粋な俺への信頼から、リカさんはそう言ってくれていた。


 なら弱音は吐けない。謝ることもまだできない。


「リカさん。悪い。武器、貸してもらうな」


 ごめんなさいの代わりに俺はそう言って、リカさんから短剣を二本借り受ける。


「ライさん。傷は大丈夫、ですか?」

 

 なおも心配してくれるリカさんに、俺は笑った。笑わなければならなかった。


「これくらい全然平気さ。だからここで見ててくれ」


 笑って、今度こそ心の底から約束する。


「ちょっとあいつ――ぶっ飛ばしてくるわ」


 リカさんを地面に下ろし、俺は今なお矢の雨に対処している男をにらむ。


 その背中に、リカさんがいつもの言葉を贈ってくれた。


「いってらっしゃい。どうかお気をつけて」


 ならば行こう。いつものように。

 自分の強さを知らなかった、ただのEクラス冒険者だった頃のように。


 すべての力を振り絞り、すべての知識を総動員して、目の前に立ち塞がった敵を打ち負かすのだ。

 

 様子見などない。手加減も知らない。

 最初から最後まで全力で、油断することなく全身全霊で戦うこと。


 元々、それが俺のやり方だったはずだ。ステータスの読めない俺は、いつだって敵と相対したとき、勝てるかどうかわからないまま、それでもと決意して挑んでいったのではなかったか。


 周りから認められて、褒められて、嬉しかった。

 自分の在り方を知って、戸惑って、怖くなった。


 俺は強いのだと自覚したけれど、それでも見失ってはいけない在り方を、リカさんのお蔭でようやく思い出した。


「――リカさん、行ってきます」


 傷の痛みはもはやない。痛みのあまり麻痺しているだけかも知れないが、そんなことはどうでもいい。俺は男に剣を携えて突っ込んでいった。


 援護射撃をしてくれていた人物――山間に潜むケーニッヒは俺を見て矢を撃つのをやめた。


 彼の力量は予想を超えてすさまじく、超越者たる男を足止めさせることができていたが、それでも決定打には届かない。すべての矢を討ち払った男の身体に傷ひとつない。迫る俺を見る視線も最初から変わらない。なんの期待もしていない有象無象を見る眼差し。


 ほんの十数分前に出会ったばかりの相手だ。それも当然だろう。

 

 俺も彼への恨みなんてなにもなかった。襲ってくるから対応していた。ただそれだけだ。


 けれど今は違う。あいつはリカさんを傷つけた。

 依頼とは関係なしにぶっ飛ばすには、十二分に過ぎる理由だった。


 怒りを力に変え、俺は全身全霊をこめたまず最初の一撃を男に叩きつけたのだった。



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