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超越者たちの帝国⑤



 一人、フローレンス皇女の陣地の横にそびえる山を登っていく。


 皇女様曰く、件の冒険者『不死身』のケーニッヒはこの山の中に潜んでいるらしい。『大導師』側の人間ということであまり意味はないかも知れないが、一度会って話をしておくことに越したことはないと思い、俺は彼の許へ向かっていた。


 ちなみに俺一人である。さすがに仲間三人で陣を離れることを、フローレンス皇女は良しとしなかった。リカさんも昔の知り合いの名前が同じだからか、少なからずケーニッヒのことを気にしていたようだが、フレミアを一人にしておくこともできないため、今回は留守番ということになった。


「さて、フローレンス皇女が言ってたのはこの辺りだな」


 山の奥にまで足を踏み入れたところで、周囲にそれらしい人影がないかを探す。


「ケーニッヒの特徴は教えてもらえなかったけど、一目見ればすぐわかるって言ってたな」


「――ワタシを呼んだか?」


「っ!?」


 そのときまったく予期していない方角から声が返ってきた。


 驚きながら斜め後ろを振り返り、そこでさらに驚いた。


 声の主は鋼の巨人だった。


 人の姿をしているが、全身を鋼鉄の鎧に覆っており素性はうかがえない。それだけならば帝国騎士たちも同じだったが、彼の場合は、その鎧の密度と分厚さの桁が違った。さながら全身鎧の上にさらに何重にも全身鎧を着ているかのように縦にも横にも大きかった。


 手には身の丈ほどもある巨大な弓を携えている。やはりこれも分厚い鋼によって構成された武装であり、本来弦のある部分すら金属の繊維が張られ、薄ぼんやりと光っていた。


「どうした? あんた、見たところライ・オルガスだろう? ワタシになにか用件があって探してたんじゃないのか?」


 くぐもった声が頭上から落ちてくる。俺のことを把握しているのを見るに、彼がケーニッヒその人だろう。顔の目の部分に隙間らしい隙間はないが、しっかりと俺のことは見えているらしい。


「ああ、俺がライ・オルガスだ。あんたがSクラス冒険者のケーニッヒでいいんだな?」


「そうだ。ワタシがケーニッヒだ」


「そうか。やっぱり」


 一目見てわかるという言葉に嘘はなかった。これほど強烈な見た目をしているのなら、誰かが真似したり誤魔化したりなんかできないだろう。


 それに実力も申し分なさそうだ。


 話しかけられるまで、俺は彼の気配に気づけなかった。こんなにも存在感のある巨大な身体をしているのに、彼は森と同化するように気配を消していたのだ。さながら本気で隠れているときのリカさんくらい、温度や息づかいといったものが感じられなかった。


「おいおい。ワタシの姿が珍しいのもわかるが、そうジロジロと見られるのはあまり気持ちいいんもんじゃないんだがな」


「と、悪い。つい」


「いいさ。慣れているからな」


 手を軽く持ち上げて、ひらひらと振るケーニッヒ。

 見た目から想像していたのとは違い、思いの外気安い態度だった。


「それで? 用件はなんだ? あのくそったれからワタシになにか伝言でも頼まれたか?」


「くそったれって」


 たぶんフローレンス皇女のことだよな?


「あんた、フローレンス皇女の護衛じゃないのか?」


「護衛だよ。やる気が出ないにも程がある依頼を遂行中さ」


「……もしかして、彼女のことが嫌いなのか?」


「むしろあの毒婦に好意を抱けって方が無理な話だ」


 心底から忌々しそうにケーニッヒは嘆息する。これはもしかして、いざというときに協力できるか?


「けどまあ、護衛は護衛だからな。面倒臭いが、伝言があるなら聞いてやるさ。あいつはなんだって?」


 まあ、そう簡単に雇い主を裏切ろうとする冒険者もいないか。


「いや、別に伝言を頼まれたわけじゃない。ただ、俺も一緒に護衛をすることになったから、一度顔を会わせておこうと思っただけだ」


「そうかい。護衛を受けちまったのか。ワタシが言うのもあれだが、あんたも馬鹿だなぁ。どこに向かってたかは知らないが、あんなくそったれの言うことは全部無視して先に進めばよかったのに」


「そうもいかないさ。あの陣地には関係ない一般人もいるんだ」


「あー、はいはい。なるほどね。あんた、そういう手合いか」


 ケーニッヒは声に理解の色を混じらせると、どこか同情するように教えてくれた。


「あれに散々迷惑かけられている側の先輩として、一応あんたに忠告しておいてやる。自分に関係のない奴のことなんざ気にかけるな。無視だ、無視」


「いや、それダメだろ」


「ああ、そうさ。ダメなことさ。けどいちいち気にしてたら逃げる機を逸するぜ? あのくそったれはそういう相手の弱味を見つけてつけ込むのが得意なんだ。あんたが必死になって他人を守ろうとすればするほど、あいつはほくそ笑むだろうぜ。ああ、この人はこうすれば簡単に手元に置いておける、ってな」


「そうはさせないさ」


 今回は結果的に言葉巧みに絡め取られてしまった。けど次はそうは行かない。もしもまた遠回しな人質を取って俺を留めようとするなら、今度は多少力ずくでもフローレンス皇女の罠を食い破ってみせる。


「んー、まあ、たしかにあんたなら強引にでも魔の手を振り払えるかもな」


 ケーニッヒは俺を観察して、なぜかさらに声に同情をにじませた。


「問題は、あのくそったれの好みがまさにそういう奴だってことだ。気に入られるくらいならいいが、もしも万が一惚れ込まれようものなら最悪も最悪だ」


「最悪? なんでだ?」


「あー、いやなんでもない。聞かなかったことにしてくれ。こっちも一応は目的あって付き従ってる身だしな。これ以上はさすがにやべぇ」


 そう言って、ケーニッヒは俺に背中を向けた。


「精々気を付けてくれ。あんたと、たしかフレミアっていう魔法使いの嬢ちゃんだったか? 何事もなく、ここから二人一緒に立ち去れることを祈ってるよ」


「あ、おい! ちょっと待ってくれ! まだ色々と聞きたいことが――」


「じゃあまたな! なぁに、迎撃の援護は任せてくれ! こういった場所からの援護射撃は得意中の得意なんでな!」


 手に持った弓を高く掲げてあいさつに変えると、ケーニッヒは大きな図体からは想像もできない身軽さで木の上に飛び乗り、木々を軋ませながらあっという間に山の奥へと消えてしまった。


「すごい動きだな」


 ダンジョンを主に探索しているとは思えないほどの森との親和性だった。あの鎧の下が、まるでリカさんが教えてくれた昔なじみではないかと疑ってしまうほどである。


 けれどそれはない。リカさんの昔なじみのケーニッヒことケイ少年はだいぶ前に亡くなっている。そのときの光景を見た者はいないが、他でもない、下手人である人喰いがそう言っていたのを俺もリカさんも直接聞いている。


 怪物に食べられたというおおよそ最悪の死に方で、彼はもう一人のリカさんの昔なじみと一緒に殺されたのだから。


 だから――生きているはずがない。


  




      ◇◆◇





 

 ケーニッヒからの協力は残念ながら仰げなかった。過度の接触も遠回しに拒絶されてしまった。


 とはいえ、最初から想定していたことである。彼の人となりを少し理解しただけでよしとして陣に戻ってくる。


 ここは未だ平和な様子だったがのんびりと構えてもいられない。襲撃がある前にやれることはやっておかないと。


 俺はまず商隊の護衛をしていた例の先輩冒険者を訪ねることにした。彼らもまた、一向に進まない検問の影響で先に進めないでいた。遠回りして別のルートから帝都を目指すことも考慮しているようだが、それもかなりの遠回りになるため、今はまだ様子見の段階でここに残っているらしい。


 世間話をしながら情報を交換したあと、俺は彼にこの陣地に敵からの襲撃がある可能性を伝えた。


 けど反応はやはりよくなかった。フローレンス皇女からは自分のことは一部の事情を知っている兵士以外には伝えないように、と言われていたので、話に説得力がなかったのが一番の原因だろう。


『閃光』の名を伝え、軽く剣を振ることで俺の実力を示し、発言の説得力を強めようとしたが、襲撃の可能性がかなり高いことまでは信じてもらえなかった。他にもいた冒険者たちにも情報を共有したが、反応はほとんど同じだった。


 それでもいざというとき、頭の片隅にその可能性を意識できるかどうかで、咄嗟に取れる行動というのは違うだろう。今はこれでよしとしておくしかない。


「危険なときは俺が全員を守るしかないな」


 そう思って、俺は忠告だけで引き下がった。


 ……あとになって思えば、もっと他にできたことはあっただろう。食い下がって、もっと必死になって訴えれば、あるいは彼らも俺の言葉を信じてくれたかも知れないのに、俺はそれをしなかった。


 なぜなら自信があったからだ。所詮、襲ってくるだろう相手はディザスターのような恐ろしい怪物ではなくただの人間だ。ならば誰が相手でも、俺一人の力で片が付くだろうと信じていた。俺は自分の勝利を確信して動いていたのだった。まだ、相手の姿を見てすらいなかったのに。






 その男が現れたのは、翌日の正午のことだった。


 太陽が頭上に輝き、明るく周囲を照らし出す中を、一人、帝都方面から堂々とこの陣地へと近付いてくる人物がいた。


 天幕の外にいた俺も、近付いてくる姿を偶々見つけることが出来た。けど強く意識はしなかった。ただの通りかかった旅人だと、そう第一印象は思った。


 年齢は初老の域に達した頃。白髪交じりのボサボサの髪を、適当に後ろで縛って流している。風塵によって汚れた簡素な上着とズボンの他には、軽い荷物とあまり質のよろしくない槍を一本携えているだけだった。


 一人なのを見るに反抗勢力の人間には思えない。装備からして冒険者にも見えなかった。槍もただの自衛用のものだろう。次の瞬間には忘れてしまいそうな、そんなやや見窄らしいだけの平凡な旅人である。


「止まれ!」


 それでも反抗勢力からの斥候などの可能性はなくはなかった。見張りの兵士が鋭い声で制止を投げかける。


 男はそれに立ち止まるかと思ったが、予想に反して彼は制止の声を無視してずんずんと近付いてきた。


「おい、聞こえていないのか! 止まれ!」


 兵士がさらに大声を張り上げる。これもまた男は無視した。


 明らかに怪しい。兵士が警戒を露わにして、まず牽制のために矢を一本放った。


 男は自分の足下に刺さった矢を見て、ようやく足を止めた。そして剣や槍を手に近付いてくる兵士たちを伸びた前髪越しに見返して、おもむろに持っていた槍を構えた。その瞬間、男はただの旅人から獰猛な襲撃者に変貌した。


「下がれッ!」


 男が構えを取った瞬間、俺は叫ぶと共に剣を抜いて飛び出していた。


 一息で兵士たちを追い越して男の正面に立ち――次の瞬間、男の繰り出した槍の一撃を受けて宙を舞っていたのだった。





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