097 指導をしてみて
指導をしてみて
武術を習いだして、10年経って、
師匠より(半分お情けではあるが)黒帯をいただいて、
師匠より、初学者への指導を命じられ、
私の指導の様子を見た師匠より、
初学者への教えるときのやり方を色々と注意され、
また、他の初学者への指導をして、
‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥
と、何度か経験して、感じたことがある。
武術を習いに来ているのに、
『習う気がない?』と、思う人がいる。
‥‥‥‥‥‥
ああ、昔、私を見て師匠がこう言っていた。
「注意したことを、そう何度も繰り返すと、おれはお前を『習う気がない』と判断して教えなくなるぞ」
確かに、人が厳重に、丁寧に注意したポイントを、
五分後に、忘れて同じ事をやっている人がいると、
膝の力ががっくりと抜けてしまいそうになる。
(今、私がここにいると言うことは、当時、師匠はそんな私を見捨てることなく、
教え続けたということである)
インプリンディング--------と言っただろうか?
最初に習った、最初に覚えた動作が強固に刷り込まれていて、
修正しても、
修正しても、
修正しても、
最初のママ、直らない。
一番最初に、
師匠か、
師匠に許された人しか習ってはいけない、
と言われた理由はこれだったのかと。
そして、
教えられたことに、フリーズする人、
新しいことを教えると、一つ前に注意した駄目な動作が戻る人、
賢明に教えているのに、茶化してしまう人、
つまり、
習いに来ているのに、
相手の教えることを『受け入れない』人がいる。
習うことを心の奥底で『拒否』している人がいる。
(本人は、それに気付いていない=気付いているなら、習えるようになっている)
師匠は言う。
「人間、デジタルにものを切り捨てる事も必要だ。習う気がない人間を切り捨てる事も、
それもまた必要だ。
少ししたら、来なくなるような人間もいる。
ちゃんと、教える相手を見て、教える内容を考えろ」
そして、
それでも、
私の横で、
辛抱強く、丁寧に教えている師匠がいる。
非常な切り捨てを、いざとなったら断行できるからこそ、
ぎりぎりまで、
生徒がいつか聞く耳を持つ可能性がある限り、
師匠は、伝える事をあきらめていない。
「鬼のように冷酷になれるからこそ、本当の優しさも、持つことが出来る」
と師匠は言っていたが、そう言うことなのだろうか。
教える事を受け入れられないのは、
心にそういう問題を抱えているから、
と、冷静に、冷酷に、生徒を分析出来るからこそ、
何度教えてもザルの様にこぼれ落ちてしまう
そんな生徒に、辛抱強く教え続けられるのだろうか?
今の所、私にはそんな冷酷さ(真の意味での優しさ)はない。
まだ、『押しつけて』いる部分があるのだろう。
それをきちんと自分で理解、認識しなければならない。




