透明な力?、ドドメ色の力とかあるのだろうか?
書くのはかなり久しぶりである。
ネタが無いわけではなく、
あまりにも一回の練習会で渡される情報が多過ぎて、
頭がパンクしそうで、
仕事も不景気で労働量かま増えたのも含めて壊れそうになっていた。
たまたま練習会で使っていた体育館が半年程度工事で使用出来なくなり、
別の体育館で週一になったので余裕が出た次第。
師匠が『透明な力』について気付いたらしい。
(私はよくわかってない)
劇画『拳児』の劇中において主人公(剛拳児)が透明な力について、
『佐上幸義』宗範と質疑応答していたが、
多分あれはモデルとなったS宗範と原作者であるM老師との会話を再現したのだと思われる。
『合気』と『透明な力』は違うものなのか?同じものなのか?
拳児の劇中会話からはよく分からない。
それもそう、
元のS宗範が教えないつもりで分からないように濁して発言しているからである。
何故その『分からないように』話したS宗範の『透明な力』について師匠が気付いたか?、
以前ここの何処かで話した、師匠の特殊な能力によるものが大きいと考える。
この世の中には、脳の配線の関係で違う感覚が引っ付いてしまう事がある。
『共感覚』と呼ばれるそれは、
例えば痛覚と視覚が共感覚となった人は手をぶつけて痛いと、手が色を発して見える。
師匠の場合は運動覚と色彩感覚が共感覚になったらしく、
相手や自分が動いた時に『運動の質が色として見える』との事。
元々そのような能力があるなら、
『透明な力』も普通の人より理解しやすいだろう。
なお、今回も師匠の言った言葉をそのまま書くことは出来ない。
あくまでも私が勝手に解釈してワンクッション置いた、私の(余り分かっていない)『見解』なのでご容赦を。
まず、
S宗範がちゃんと合気を『教えた』と発言した人間が二人いる。
職人的に『見て盗ませた』のでは無く、
ちゃんと具体的に説明して教えたと明言した人物が二人、である。
一人はS宗範のご長男(病で夭逝されてしまった)
そしてもう一人は、S宗範の父親である。
それで合気がかかる事を確かめたという事(要するに口頭説明にて極めて迅速に合気を教えられる事)がS宗範関連の書籍に書いてある。
そのS宗範の父親のメモにはこう書いてある。
「片手を両手でつかまれた時、その手を押し出しまえより合気をかけうしろへまわり、しょい投げること」
このメモの、
『その手を押し出し』の動作が、
『透明な力』を使う部分であると言う!
そして、
その上で崩し技として合気をかける。
以前崩し技の合気について034の部分に書いたが、
その前に『透明な力』を相手に入れてから崩し(合気)を掛ける事で、
S宗範の行った伝説の技、
『掛けられた方が常識外の吹っ飛び方をする』
技が可能となる。
実証実験として師匠は生徒に右手刀打ちをさせて、
軽めに吹っ飛ばす事をやっていた。
ただし、
写真に残っている『水平に吹っ飛ぶ』程の威力は出せないとの事。
その理由は、
90才を過ぎて心筋梗塞やった直後に医者の前で軽く腕立て伏せ100回とかやるような、
化物じみた練習を続ける様な人にしか出来ないからとの事。
生徒の側がどこまで出来るかの実験で、
普通の座位両手取りからの合気上げをやって見た。
『透明な力』(生徒だからあくまでもそれっぽいの)を入れてから崩し技を掛けて少し上げる。
その時点で止めて、
手首だけを軽く返すと、
S宗範の兄弟弟子のH師範の映像でやっていた、
両手取りをした相手に軽く手を返すだけで倒してしまうのと同じ崩れ方が起きた。
それを考えて、H師範が使っていた合気は同じくその中に『透明な力』が内包されていたのが分かる。
合気ニュースでのH師範の弟子で、
R会を主催していたO宗師のインタビューで、
インタビュアーがO宗師の技の印象を、ドアを開ける動作に例えて、
「合気道はドアノブを掴もうと手を伸ばしたら、
ドアノブがそれに合わせて遠ざかっていく感じで、
O宗師の技はドアノブを掴もうと手を伸ばしたらドアノブが瞬間的にぶつかってくる感じ」
(注・記憶による大意)
と例えていたが、
その『ぶつかってくる感じ』がS派の合気の『透明な力』の部分であろうと考える。
おそらくH派の合気は生徒が技そのものをワンパック無意識で身体で覚えているので、
透明な力を技術として独立して抽出していないのだろう。
(別段使用に関しては何の問題もない)
取り敢えず、師匠の透明な力と崩し合気を合成したやり方を説明された上で師匠より技を喰らって感じた感想は、
『言われても分からん』
であった。
これは目の前で技を見ても、自分が技を喰らっても理解出来ない自信(?)がある。




