154 李書文が盗んだ別の八極拳
漫画「拳児」では李書文が金家八極拳から猛虎硬爬山と言う技を盗む描写があった。
現在ネットで調べると李書文は金殿陞より金家八極拳を習ったとあり、
つまり弟子入りしている。
盗んだ訳ではない。
それから李書文が大成して後、
(少なくとも開門弟子として霍殿閣を迎えた後)
ある人物から八極拳の技を盗んだと言う話。
まず献肘と八極拳の構えについて再度記す。
以前どこかに書いたような覚えがあるが見つけられなかったので、
改めて書いておく、
八極拳が戦闘時、どうやって構えるかと言う話で、
カンフーで良くあるのは『塔手』と言う、
相手と右手の甲同士を触れ合った状態の構えを離れていても行う。
塔手はカンフー的には基本の構えなのであるが、
それ以外に『八極拳独自の構え』
が無いのか?、と言う話。
師匠が先生に八極拳を習った時には教えられていなかったし、
特に疑問にも思っていなかったが、
そう言えばと考えた時に師匠が突き当たった疑問だったとの事、
師匠がこれについて考えた時に、
漫画『拳児』の香港編あたりから拳児が使い出した構えがそうなのでは無いかと言う推理になった。
その話を聞いた時には、
「あの構えは、B壇系の大八極(大架式)の『起式献肘』の形を崩したものではないか」
と言う話と、
「多分、S老師とR老師がやっていたのを素直に描いたのではないか」
と言う話であった。
取り敢えずここまでが以前書いた(筈の)内容。
別に「原作者のM氏が空手時代にやっていたのとソックリだから、空手の構えなのでは無いか?」
と言う意見もある。
実際の所、
師匠も先生からそう習った訳でもなく説を示しただけであるために何とも言えないが、
私個人の感想としては、
漫画『拳児』の劇中での第二次世界大戦時の話、
日本軍が、溥儀のボディーガード(八極拳を習っている)に犬軍用をけしかけた時に、
全員がこの構えをしていたりするのと、
師匠から聞いた話で、
「原作者のM氏は、もしも拳児を他の中国武術家が読んだ時に、
『原作者はこの程度しか知らない』と思われたく無い様に、
そこらかしこに、
『俺はここまで知っているんだぞ!』
って表現を内緒で散りばめている。」
との事であり、
(例としては打開の暗打など)
もしもあの構えが空手の構えだったら、
他の中国武術家に舐められるんじゃあ無いかとも思う。
(くどいがあくまでも私の感想・妄想)
で、最近ちょっと引っかかった話がある。
その『構え』の元になったと師匠が推測した、
『起式献肘』を詳しく習っている時に、
師匠「この起式献肘は、通備八極拳の起式朝陽手のインスパイアだからね」
と言われた。
私「そうなんですか?」
師匠「そうだよ、だって他の羅疃系の八極拳ではやってないからね。」
との事だったので、
各派の八極拳の動画を探してみる。
‥‥‥そう言った目で動画を探して見ると、
比較の為の羅疃八極拳の動画が以外と少ない。
大陸で今も伝わる羅疃八極拳の動画は李書文系の霍式(霍家)八極拳が大半であった。
ちょっと脱線。
話の主旨から外れるが、
孟村八極拳の動画は呉氏八極拳が大半。
確か昔読んだ書籍では呉連枝老師の父親である呉秀峰公が育成した弟子は2000人を超えるとあり、
動画の数としても八極拳の最大派閥の一角となっている。
でもって大陸ではなく台湾に伝わるB壇八極拳はある意味で異端な系統ではあるが、
八極拳動画としては二番目ぐらいに多い。
マイナーな八極拳流派・門派の動画を『広く浅く』探している私からは他の系統の八極拳の数が少ない事には不満。
もうちょっと他の門派の八極拳の動画も頑張って欲しいところ。
以前師匠から、
「八極拳の各門派の特徴を調べようと思って動画を探したらasadaの上げてる動画しか出て来ない!」
と言われた覚えがあり、
自分の上げた動画を見ると、
最初に上げたのが13年前から、
色々な中国の動画サイトを探し回ってから見つけた八極拳動画を上げているが、
状況は当時から余り大きく変わっていないのかもしれない。
さて話を戻して、
確かに八極拳の大架式で羅疃のものには起式で特別な動きをしているものは無かった。
今の所、起式で何かをやっているのは、
李書文の系統の多くが起式献肘、
通備八極拳の起式朝陽手、
(通備八極は羅疃と孟村の二つの系統が独立していると言うのが私の説)
あとは羅疃では無く、
孟村系ですが呉氏八極拳の開門式
(フィギュアエイトと同質の技)が確認出来る。
因みに李書文系では起式献肘をやっていないのが珍しく、
『李書文系張立堂派』ぐらいが献肘無し。
師匠の練習会には、
通備八極拳の大架式も輸入されている。
(昔、学生の一人が大陸に留学する際に師匠の命で有名な武術家の元で套路を学んだもの、
師匠は今はあまり教えていない)
私も一応師匠から通備八極拳の大架式は学んでおり、
確かに(B壇八極拳を含む)李書文系八極拳の起式献肘は、
通備八極拳の起式朝陽手を改変して出来たと言われて納得できる構成であった
(私では言われなかったら気づかなかった。)
1番似ているのは、
李書文の孫である李志成老師の大架式の起式。
以下はその説を更に展開した話で、
何故に通備八極拳の起式朝陽手が、形を変えて李書文系八極拳の大架式の中に起式献肘として入ったのか?、
と言う話。
M氏の1番弟子で、
フルコンタクト空手系の雑誌の編集長をしているY師範が、
M氏から聞いた話として、
「李書文はかつて馬鳳図と手合わせして不覚を取った事があると、
M先生が言っていたのを聞いた、
それは六大開の跨(ヒップアタックみたいな技)であり、
その後、李書文は靠の技に跨を隠し技として入れる様になったと言う話だった。
それでM氏は通備八極拳を習いに行った」
と言う内容。
師匠によれば、
「充分考えられる。同じ八極拳同士でレベルが近しい場合は、
リーチとウェイトか大きい方が絶対的に有利だから」
当時、李書文の背丈は150センチ程度で、
馬鳳図の背丈は180センチを超えており、
李書文は馬鳳図に不覚をとったが、
怪我をする前に運良く弟子達が仲裁したとも言われ、
その後も八極拳家として活動を続けている。
同じ団体(天津中華武士会)の仲間、身内だったから、
互いに怪我をしない手加減はしていたかもしれない。
李書文が試合で人を死なせた話は、同じ八極拳相手には聞かない。
李書文は1910年(別資料だと1912年とある)に天津中華武士会の発足時に一番弟子の霍殿閣と共に参加、
天津中華武士会には、馬鳳図が副会長、総教練を務める。
李書文が小架に新たに『羅漢打虎』(B壇では蟒蛇転身)を取り入れ、
その後、通備八極拳や韓化臣系八極系も同じ様に取り入れている。
武術家が不覚を取った場合、
生きてまだ武術を続けていけるのなら、
負けた相手に弟子入りする。
少なくとも自分より強いから弟子になれば自身を強くする事が出る可能性が高い。
非常に合理的である。
李書文は立場上(既に弟子が居る身)馬鳳図に弟子入りする事は無かったが、
馬鳳図の技をかなり研究し、盗もうとした部分も有ったと考える。
その成果の一つが李書文系八極拳の套路の最初に行う起式献肘であろう。
師匠「武術套路は、一番沢山練習すべき部分に起式を持って来る」
との事。




