最後の時
ミナトの手を借りて、ゆっくりと前へ足を進めながら、ぼんやりと記憶を遡る。
この世界に初めて転生を果たした時も同じような光景が目の前に広がっていた。あの時はミナトは向こう側にいて、わたしを殺そうと大軍で押し寄せて来た。
そっと視線を隣に移せば、相変わらず表情を崩さずに真っ直ぐに前を見つめるミナトの顔があった。
それが今では手を取ってわたしの隣を行く。そう思うと皮肉気な笑みが浮かんだ。あれほど憎んでいたのに、今は不思議な安心感がある。
わたしの中にある聖剣は、生誕の間を出たことによって、急速にわたしの魔力を削り上げていく。
ミナトから貰った体温が生誕の間を抜けた途端にまた冷えていくのを感じる。時折目が霞み、ぼうっとする頭で途切れそうになる意識を歯を噛み締めて繋ぎ止める。
わたし達はジャスパーの目の前で足を止め、ひとつ深呼吸を置いてから、ぎらつく茶色い瞳を向けるジャスパーを見つめ返した。
「ジャスパー。せっかく誘いの罠から解放されたのに、再びここに戻って来るなんて、よほど魔王城がお気に召したのかしら」
「随分と可愛がってもらったからな。少しはここにも愛着があるぜ。だけど悪いな、魔王様。今日はあんたを殺しに来たんだ」
「あなたもせっかちね。わざわざこんな大軍を差し向けなくても、じきにわたしは死ぬっていうのに」
「なんだって? それはどういう意味だ」
魔王の言葉にジャスパーは眉を寄せた。
魔王の中に聖剣の輝きを見たのは間違いない。あの七色の光は間違いなく聖剣だった。だけど聖剣が勇者以外の身体の中に宿るなんて前例がない。
一体何が起きているのか、ジャスパーの知識をもってしても未だに理解は出来ていなかったのだ。
ただ聖剣の影響で魔王が弱っている。分かっていたのはそれだけ。この好機を逃さず、叩きかける。
そのために急いでバーランド国へと飛び、魔導士たちを伴って急遽魔王城へと舞い戻って来たのだ。
それなのに、その必要はなかったと魔王は言った。ジャスパーはその意味がつかめず、黙って魔王の返答を待った。
「ミナトの聖剣はわたしの中で同化しているのよ。賢いあなただもの、その意味は分かるわね? 」
額から一筋の汗が流れ、顎に伝い落ちる。
わたしの手を取るミナトが、その手に力を込めたのが分かった。
「同化だって……? 」
今まで憎しみを込めて睨みつけていたジャスパーの瞳が、途端にその色を失い大きく見開かれる。
「それじゃあ、聖剣はあんたの魔力と完全に結び付いてるのか? 」
「……そうよ」
「……嘘つくんじゃねぇ。そんなことはありえねぇんだ。聖剣とあんたの魔力が完全に結び付くためには、一度互いが粒子状態にならないといけないんだ。そんなことは、あんたが死なない限り起こり得ることじゃねぇ」
ジャスパーの言葉に、思わず口元が引きつったのが分かった。
前回の死を迎えた時、身体の中で弾けた聖剣が粒子化しながら身体を切り裂いて、わたしを塵と化した。
互いが粒子化した状態など、思い当たるのはそこしかない。
だけど新しく刻み始めた時は、既に別の状況を生み出した。
聖剣とわたしの魔力が融合した状況から目覚めてしまった今回のループ。
つまり、これから何度死に戻ったとしてもこの状況は変わらず、その先に待ち受けているものはもう……。
そこまで結論付けて、思わず小さな笑みが浮かんだ。これがこの世界での、わたしの結末なのだと。
一方、魔王の言葉を否定しつつも、ジャスパーは考え込む。魔力と魔力の結合は、互いが魔素の状態にならない限り起こり得ない。
仮に魔王が魔素の状態……つまり死んだことがあるとしたら?
思い返せばおかしいことは幾らでもあった。初めてここを襲撃した時も、魔王は真っ先にアリアを狙った。なぜ、勇者じゃなくてアリアだったんだ。
ヘルティアナ襲撃の時も、逃げる素振りなど微塵もなかった娼館内の魔族共は、俺達が拘束魔術をかける寸前で逃げおおせた。
魔力量が遥かに人間を上回る魔族は、人間を侮っている。その魔族が戦いもせずに逃げるなんて聞いたことがない。
それならなぜ逃げた。
あの時のことを必死に思い出し、ジャスパーはすっと目を細める。
拘束魔術が仕掛けられると、分かっていたのか?
魔力量が多いとは言え、魔力と身動きを行使されてしまっては、さすがの魔族と言えども手出しは出来ない。
だから、回避した?
それなら、バーランド国の時は。
誘いの罠にかけられた時のあの行動はなんだ。
一度はバーランド国王を狙うと言った俺の言葉に同意したのに、誘いの罠を仕掛けた後、あいつはなんと言った?
そうだ。バンガイム帝国の魔導士がバーランド国にいるというのは嘘だと言った。バンガイム帝国の魔導士はどこにいるのだと、聞いたじゃないか。
計画通り、ミナトも魔導士達もサシャールの偵察前にはモナザに身を隠すことに成功していた。
疑ったとしても、嘘だと決定付ける要素には欠ける。
あれではバーランド国にバンガイムの魔導士が集まっていないと知っていたようなものだ。なぜ、知っていた。なぜ、バーランド国王を狙うことをやめた。
罠だと、知っていた?
もし、そうだとしたら……
ジャスパーは再び魔王の顔色を窺う。青白い顔には大粒の汗が浮かび、果実のように瑞々しく潤っていた赤い唇は血の気を失ったように白い。
だが、その瞳だけは未だに力強い光を宿す。聖剣が同化しているという話は嘘ではない。直感に近い感覚が、脳裏をかすめた仮説を裏付ける。
だからジャスパーは問いかける。自分の中で出た答えを確かめるために。
「おまえもしかして……死に戻ってやがんのか? 」
「死に戻り?」
その言葉にミナトが反応する。わたしはジャスパーの言葉に思わず息を飲み込んだ。
ジャスパーは問い詰めるように、言葉を重ねた。
「そうだろ。違うか」
一瞬誤魔化そうかと躊躇ったものの、いまさら隠すようなことでもない。
再び死に戻ったとしても、何ひとつわたしに有利になることなど有りはしないのだから。
「そうよ。さすがジャスパーね」
わたしの答えにジャスパーは零れそうなほど目を見開いた。信じられないといったように首を左右に振りながら、一歩後退る。
「どうしてそんなことが起きてるんだ……」
そんな答え分かるはずがない。なぜ何度も死んで、時間を遡り死に戻るのか。
そんなことは、わたしが一番知りたいことなのに。
「勇者と魔王はこの世界の業を断ち切るために存在する。それがこの世界の理だ。どちらかが倒れれば終わるはずなんだ! なぜ死に戻る!? 倒すだけでは終わらないのか? おまえ達の間にある業はなんだ! 」
「ジャスパー! 」
この世界の理。そんな物は知らないし、興味もない。
だけど、探求熱心なジャスパーの気を引くには充分な題材を与えることが出来た。
先に異変に気が付いたシエラが叫び、はっとしたようにジャスパーが顔を上げる。
だけど今更気付いても、もう遅い。
もう十分に時間は稼いだ。
「その難しい宿題の続きはあの世で考えるのね、ジャスパー」
その言葉とほぼ同時に、サシャール達が同時に言葉を紡ぐのが聞こえた。
それを合図に、わたし達の背後に禍々しい魔素を放つ召喚門が三つ、空間を引き裂きながら全てを飲み込む闇を引き連れて、大きな口を開いた。
そのひとつから、一斉に無数の蝙蝠が飛び出し、玉座の間を黒く染め上げる。
わたしの命が尽きるのと、あなた達の命が尽きるのと、どちらが先かしらね。
額に浮かび上がる汗と震え始めた身体を精一杯鼓舞しながら、無数の蝙蝠に翻弄され、驚愕に悲鳴を上げる魔導士達に向けてわたしは嗤う。
「さあ、楽しい時間の始まりよ」




