求めていたもの
ミナトの唇がわたしの唇に重なる。
思い出すのはヘルティアナでの出来事だった。
身動きの取れないわたしの咥内を一方的に貪った、あの乱暴な口づけ。
嫌で嫌で、憎くて憎くて仕方がなかった。
それなのに、ミナトの顔が目前に迫った今この時でさえ、わたしの心は不思議なほど穏やかだった。
わたしを映す漆黒の瞳は、変わらずに透き通っていて、どこか悲しげに揺れ動く。
その瞳はこの魔王城で再会した時から、なにひとつ変わらない。静かで、穏やかで。
変わったのは、その瞳を見つめるわたしの気持ち。
いつも、わたしを泣きながら見つめていたから。
深淵に堕ちるその時に、わたしの手を握ってくれたから。
身を焼かれながら盾になり、わたしを庇ってくれたから。
何もかもを捨てる覚悟を目にしたから。
戯れのような嫉妬なんかいらない。
薄っぺらい『愛』なんていらない。
わたしは、わたし以外の欲を捨てて、ただひたむきに愛してくれる人をずっと探していた。
だけどそんなこと、誰も出来るはずがなかった。
『君のためなら、なんでも出来る』そう言いながら、打算的な男たちを何人も見てきた。
わたしの容姿を求め、身体を求め、言葉を求め、アクセサリーのように身に付けようとした男たち。
その誰もが、決してわたし自身を求めようとはしなかった。
求めたのは、身も心も着飾ったわたし。だから、わたしはそれを与えようと思った。
それさえ与えていれば良いのだと、そう思っていたから。
だけどミナトがわたしに求めたものは何だったのだろう。名誉も仲間も全てをかなぐり捨てて、求めたものは。
そして今、ミナトはわたしのために自分の命を犠牲にしようとしている。
自分の命を捧げても助かる訳じゃない。上手くいけば数時間、もしかしたら数十分。
たったそれほどの時間の延命にしかならないというのに、それでも命を捧げるという。
そんなことをしても、わたしは結果的に死んでしまうのに、バカな男だと思う。
それじゃあ『護った』ことにならないじゃないの、と呆れて思わず笑ってしまった。
でもそれが、僅かにミナトに残された『わたしを護るために出来ること』なのだと。そう思ったのだと、感じることが出来た。
じゃあ、最初の夜は。前世でのあの夜は。ミナトはなぜわたしの命を奪ったのだろう。何からわたしを護りたくて、命を奪ったのだろう。
ふとそんな疑問が過ぎる。そんなことを考えてしまうなんて、わたしもバカだと思う。
だけどミナトなら、きっとそう考えたのだろうと、信じ始めている自分がいた。
愛のために命をかけるなんて、バカな男がすることだと思っていた。愚かで情けなくて、まるで道化のようだと。
それなのに、わたしはいつから変わってしまったのだろう。
そんな道化のようなミナトの行動を嬉しいと感じてしまうなんて。
ミナトの口づけを嫌じゃないと思うなんて。
交わされた口づけは遠慮がちで優しくて、ヘルティアナでの強引さは微塵もない。
急速に身体へ流れ来る甘い蜜の味は、今まで吸い取った誰よりも濃くて温かかった。
魔力が枯渇し、乾ききったわたしの身体の末端に至るまで瑞々しく行き渡る。
冷えきった指先に仄かに熱が戻り、身体の芯を満たし、脳内へと満ちる。
静まり返った心臓の鼓動が、とくんとくんと音を立てて活性化する。
意識が、想いが、冷たい闇の底から陽だまりに向けて浮上する。
ミナトの強力な生気を吸収して、目眩がするほどの甘美な蜜の味に、熱にうだされたように頭がぼうっとする。
これほどの生気の量を一度に吸収したことはない。正確に言えば吸収出来なかった。
その前に身体が耐えきれず、塵と化してしまったから。サシャールたちでも、これほどの量を吸収したらどうなるか分からない。
それでもミナトは変わらずに、わたしから唇を離そうとはしなかった。柔らかな黒髪が、わたしの額に落ちている。長い睫毛は閉ざされたまま。
目の前にあるその顔が、いつ塵と化してしまうのか、不安で胸がざわつき始めた、そんな時だった。
突然、地を揺らすほどの爆音が響き渡り、ミナトの目が開かれる。わたしから唇を離し、身を起こした。
「なんだ!? 」
「奥からだ! ロンザ! 」
サシャールが血相を変えて叫び、瞬時にロンザが空を切って姿を消す。
爆音は一度きり。
だけど、この生誕の間に繋がる玉座の間は広い。ここまで爆発の衝撃が届くなんて余程の規模だったと想像出来る。
だけど、わたしはそれよりも気になることがあった。
「ミナト……あなた、平気なの? 」
「ああ……俺は平気だけど、君は大丈夫かい? 」
わたしを振り返り、心配そうに覗き込むミナトの顔色は変わらない。意識もしっかりとして、瞳にも生気がみなぎる輝きがある。
「……さっきよりはだいぶラクになったわ」
あれほど生気を吸って、無事なんてとても信じられなかった。ヘルティアナで感じたあの疑問が、もしかしたら正しかったのかもしれないと思った途端、安堵が胸に広がった。
小さくため息を漏らし、ミナトの顔色を窺う。
なぜわたしは安心なんかしているの。死ねば良いと思っていたはずじゃなかったの。殺したいほど憎んでいたはずなのに……
自分の胸に広がる想いに戸惑うわたしの耳に、再び空を切る音が聞こえた。
「ジャスパーが脱走した」
ロンザが腕を組みながらどしりとした佇まいで姿を現し、落ち着き払った声でそう言った。
「なんだと!? どこに行ったんだよ! 」
「知らん。拘束魔術をかけた檻ごと破壊し、直後には空間移動で逃げたようだな。おまえの魔力のかけ方が甘かったのではないのか」
「ちっ……! 」
噛み付いたガイアが苛立ちを露わに舌打ちを打った。その様子を横目で捉えながらミナトがロンザに問いかける。
「ジャスパーが脱走したって……もしかして彼も玲奈の状態を知っているのか? 」
「左様。そもそも魔王様の様子がおかしいと報告してきたのはジャスパーだ」
直後。部屋の空気が変わった。
その異変に気が付いたその場の全員の目が大きく見開かれると同時に、膨大な魔力の衝撃音が耳をつんざく。
外部からの魔力の干渉。それはこの生誕の間の空気を変えるほどのものだった。先ほどのジャスパーの爆音が遠くに聞こえたことは違い、直ぐ近くで衝撃音は鳴り響いた。
「今度は何事だっ! 」
それがどこで起きたものなのか、すぐさま悟ったサシャールが生誕の間から飛び出して行く。それに続いてミナトも後を追う。
「な……っ!? 」
生誕の間を抜けた先に開けた玉座の間。
バチバチと音を立て、転移で使われた魔力の欠片が稲光となって僅かに残像を残す。
玉座の間を覆う、莫大な光量が急速に収束すれば、そこには何百という魔導士達の大軍が揃ってローブを身に纏い、杖を片手に姿を現した。
「……バーランド国と帝国の魔導士達だ……」
サシャールと肩を並べたミナトがその大軍を目にして呆然と呟いた。
頭の切れるジャスパーが、こんな好機を逃すはずがなかった。驚愕に目を見開き言葉を失った魔族の傍らで、ミナトは真っすぐに最前線に佇む人物を見据える。
首を左右に動かし、コキコキッと音を立ててほぐしながら、にやりとした笑みを浮かべ、悪戯っぽい色をその茶色の瞳に宿したその男は、ゆっくりと顔を上げると迷うことなくミナトの姿を捉え、口を開いた。
「よう、ミナト」




