救いを求めるもの
「バーランド国が奮起した? 」
聖剣が突如として消えたことを、帝国宰相にまず伝えておくべきだと思って足を運んでみれば、聖剣の話を出す前から深刻な表情をした宰相から思いもよらない言葉が飛び出した。
「国王が行方不明になったという話は、出来うる限り緘口令を敷いたつもりだったが、やはり噂は広まってしまったようだ。バーランド国王の耳にまで入ってしまったようでな……バーランド国王は魔王にサキュバスの性質が備わっている可能性があることもご存知だった。つまり、国王が魔王に倒されたのではないかと思われたのだ。我がバンガイム帝国が動かないのならば、バーランド国だけでも打って出ると憤慨なさってな……」
重厚感のある木造の執務机に肘をつき、固く手を組み合わせて額を付き、参ったというように項垂れる宰相の言葉に、内心ため息をつく。
「……ジャスパーからバーランド国にはその旨が伝えられていましたからね」
「モナザの一件と国王失踪の件。魔族の動きが活性化し、ただ事ではないと感じ取るには十分な現状だ。人間と魔族はかつてないほどに緊迫状態にある。それ故に魔界との国境にあるバーランド国も落ち着いていられぬのであろう」
「しかし、万が一にでも国境のバーランド国が魔族の手に落ちるようなことがあれば、人間は魔界との防波堤を失うことになります。それだけは阻止しなければ」
「……それ故、バーランド国からおまえに加勢の要請が来ている。ミナト、おまえに我がバンガイム帝国の魔導士200名を預ける。彼らを率いてバーランド国に向かってくれ」
◇
「言わなかったって……あなたが勇者と呼ばれるのは聖剣があるからなのよ? なかったら戦えないじゃない。バーランド国に加勢に向かった所で……その……」
「役に立たない? 」
自室の窓際に佇みながら窓の外を見下ろして、次期国王の戴冠式の準備に飛び交う人々の動きをとりとめもなく見つめながら、消え入りそうになったシエラの言葉を最後は自分で補足する。
「……」
申し訳なさそうにそっと睫毛を伏せたシエラには見向きもせずに、視線を上げて遠くを見つめる。
どこまでも澄み渡る青空と地平線の交わる先にある、遥か遠方の地。バーランド国の更に奥にある魔界の方向へと向かって。
「俺の気持ちは知っているだろう。魔王が……玲奈に危機が迫っていると知って、ここで黙って見ているわけにはいかないんだよ」
でも、あなたの命だって危険に晒されるのよ。
そう言いたい気持ちをシエラはグッと飲み込む。
__俺の命よりも大事なものがある
何度討論した所できっとミナトの考えは変わらない。そしてその答えを聞くたびに、きっと自分は傷付かなければならない。
だから堪える。
そもそもミナトとふたりで魔王城に乗り込むと心を決めた時にも、死ぬことは覚悟したはずだった。
だけど……聖剣がないんじゃ、ジャスパーを取り戻すという計画は白紙に返り、そこで生き抜く一縷の望みも潰えたのと同じこと。
唯一の武器すら失くして魔王城に戦いに行くなんて、本当に言葉通り、死ぬために行くようなものだわ……
宰相の言葉を受けて、ミナトは迷う事なくバーランド国の加勢に行くことを決めた。
出発は明日。
明日になればもう二度と会えないのかもしれない。
いつもどこか寂しそうなこの横顔も、もう見つめることが出来ないかもしれない。
少しだけ低い落ち着いた声も、もう聞けなくなるのかもしれない。
今、目の前にあるミナトの全てが愛おしくて、その全てを易々と捨て去ろうとするミナトと、それをさせる魔王が憎くて。
小さく唇を噛んで、震える自分を鼓舞しながらシエラは口を開く。
最後になるかもしれないのなら、伝えたい。この気持ちを最後まで押し殺して、なかったことにはしたくない。
ぎゅっと拳を握り締め心を決めると、窓から聞こえる喧騒が緊張の余り遠くに聞こえた。
「ミナト……わたしじゃ、ダメかな」
覚悟を決めたはずなのに、口から出た声は掠れるほど小さなもので、それなのに自分の耳にはハッキリと聞こえて、途端に心臓の音がどくどくと大きく聞こえた。
もしかしたら、喧騒に掻き消されてミナトの耳には届かなかったかもしれない。
少し残念なような、安心したような、複雑な気持ちを抱いた時だった。
ずっと窓の外を見つめていたミナトがゆっくりとシエラを振り返った。透き通った黒曜石のような瞳を、真っ直ぐにシエラへと向けて静かに見つめ返す。
何も言わずに続きを促されたような気持になり、ごくりと生唾を飲み込んでから息を吸い、そんなミナトに対してシエラは再び口を開く。
「わたし、ずっと前からあなたのことが好きだったわ。あなたが魔王を愛していることも知ってる。だけどこの気持ちは、きちんと伝えておきたかったの」
わたしを選んで、とは言えなかった。
断られることは目に見えてる。
だから、気持ちを伝えるだけで精一杯だった。
だけど言い終わると同時に、今更こんな一方的に気持ちを伝えたところで迷惑にしかならないじゃないの、と後悔した。
だけどミナトはそんなシエラを黙って見つめた後、小さな笑顔を浮かべた。
それは魔王と出会う前に、何度も見せてくれた笑顔。
崩れそうなほど儚げで、いつもどこか寂しそうな色を宿す、笑顔。
「シエラは凄いな。きちんと気持ちを伝えることが出来るんだから。俺は……未だにちゃんと気持ちを伝えられていないんだ……」
その言葉がどういう意味なのかは、分からない。
だけど伝えたいという気持ちを踏みにじらず、凄いと褒めるミナトは、やっぱり優しい人間だと思った。
とぐろを巻いて凝り固まったシエラの中のドロドロは、そうして少しだけ柔らかなものへと変わり、翌日ミナトを含めた帝国の精鋭魔導士200名を伴ってミナト達はバンガイム帝国を後にした。
勇者と帝国の精鋭魔導士200名の到着を受けたバーランド国の士気は、一晩で大きく高まった。
彼らを迎え入れたバーランド城内は俄に活気付き、バーランド国王の計らいで、明日の戦いを前に酒が振る舞われ、互いに肩を抱きながら酒を酌み交わす魔導士達の陽気な笑い声を聞きながら、ミナトは離れた塔の上からその様子を見下ろしていた。
魔界が近いせいか、バンガイム帝国領内に比べて空気が重い。
それは魔界から流れて来る魔素が淀みを生み、清涼さを失わせるためだ。
生温かく、じとりとした重みを感じるその空気は、生前の日本の夏の空気とよく似ている。
眼下で賑わう祭り騒ぎを見つめながら、手に掲げたグラスの底に残ったワインを一気に飲み干した時だった。
重苦しい風を切るような、一筋の空間の切れ目が背後に現れたのをミナトは感じ取る。
空間を切り裂き、突如として現れたその者の気配は、肌をピリピリと刺激するほどの威圧に満ちていた。
その気配と肌で感じる強さに、ミナトは思い当たるものがあったが、なぜその人物が今ここに単身現れたのか瞬時に考えをを巡らし、小さくため息をついた。
「ここで俺を殺すつもりか」
聖剣もない今、それが唯一の武器であったミナトは、魔族に襲われたらひとたまりもない。
せめて玲奈に会ってから死にたかったが、見つかってしまっては、仕方がないな……
今すぐにでも魔弾が背後を襲い、焼け尽くされる覚悟すら決めて、目を瞑ったミナトの耳に思わぬ言葉が届いた。
「魔王様がおまえをお呼びだ。ついて来い」
閉じた瞳を開き、何度か瞬きを繰り返してゆっくりと背後を振り返ると、額からツノを生やした男が不機嫌そうに俺を睨みつけながら立っていた。
「玲奈が? 俺を呼んでる? 」
「そう言っただろ」
この男の気配から察するに、腹心のひとりだろう。
その腹心が勇者を目の前に手も出さず語りかけるというのは、やはり魔王の命令があるからこそだ。
そうでなければ、躊躇うことなく殺しているはず。
だけど__
「玲奈は俺を憎んでいるはずだ。なぜ殺さずに呼びつけるんだい? 」
何かの罠か。
例え罠だとしても、玲奈に会えるなら踏み込んでも良いと考えた。
せめて、玲奈に会えるまでその罠を潜り抜けないといけない。
そう考えて発した言葉だったが、目の前の魔族は苦渋に満ちたように顔を歪め、目を伏せると、ぽつりと呟いた。
「助けて欲しいんだ」
その言葉に一瞬耳を疑う。
いま、なんて言った?
信じられない想いで呆然と立ち尽くす俺に、男はすっと顔を上げると、先ほど見せた苦しげな表情を打ち消し、真っ直ぐにその黄金色の瞳を俺に向けて、今度はハッキリとその言葉を口にした。
「魔王様を助けて欲しい」




