嫉妬と覚悟
モナザ襲撃の事件の翌日。
ミナトとシエラは帝国に帰還し、何人かの生き残りがいたことを報告した。
それと同時にバーランド国での魔王討伐が失敗に終わったことを告げ、その一報を聞いて形相を変えた閣僚が慌てて国王にその旨を報告しようとしたが、寝室に国王の姿はなく、その寝間着だけが横たわっていたことに顔面を蒼白にした。
城内を一日かけてくまなく探し回り、居室や出入り口を護る衛兵に確認しても、国王が就寝してから誰も姿を見てはいなかった。
魔王にサキュバスの性質があるのではないかという、ジャスパーの予想を裏付けるものは未だ何もなく、近隣諸国に起きた不可解な消息事件がバンガイム帝国の国王にも起きたのだと、重鎮達は重い気持ちでその現実だけを認めなければならなかったのである。
そうして、一夜でモナザの街が壊滅したのと同時に、バンガイム帝国の国王失踪という大事件が重なり、さらには魔族が一丸となって人間を襲撃した事実に怯え、帝国内は混沌と化した。
それでも自室の窓から頬杖を付き、気怠そうに中庭を眺めるミナトの心の内は、モナザ襲撃の詳細な事実と、国王失踪の原因が特定されなかったことに安堵し、穏やかなものだった。
ミナトにとっては、魔導士が何百人殺されようと、国王が殺されようと、どうでも良いことだ。
ただ__
眼下に広がる中庭を眺めながら、モナザでの出来事を思い返す。
『時間稼ぎは終了だ。おまえらのことは殺すなって命令されてるからな。ああそうだ、ミナト。魔王様は、本当に良い女だよな。おまえが人間を裏切っても愛してるって言った意味が、今なら分かるぜ。魔王城に帰ったら、おまえらを上手く足止めしたご褒美を貰わねぇとな』
そう言ってカラカラと陽気に笑うその姿は、バンガイム帝国で日常的に目にしていたジャスパーの笑顔だった。
だけど、その言葉の意味を悟ったミナトからすれば、瞬時に憎悪が腹の底から湧き上がり、怒りが頭を支配するものだった。
そんなミナトの怒りを宿してギラつかせた瞳を、ジャスパーは口を曲げてちらりと見つめ、口早に詠唱を行うと、その身の周りを勢いよく渦巻く大気が包み込んだ。
『待てっ、ジャスパー! 』
手を伸ばし、走り出しても既に遅い。
渦巻いた大気と共にジャスパーの姿は陽炎のように揺れて、消え失せた。
今すぐにでも玲奈の傍に行きたいのに、相も変わらず城内にいる自分が恨めしく、自分から離れて行ったジャスパーが今この時も玲奈の傍にいるのかと思うと、どろどろと唸る黒い物が胸の内を這いずり回る。
ぐしゃりと髪を握り締め、苛立ちを必死に抑えようとするミナトの耳に、コンコンと軽いノックの音が聞こえた。
苛立った勢いのまま立ち上がり、返事もせずにドアを開くと、そこには顔を曇らせたシエラが立っていた。
「……どうぞ」
シエラは躊躇うように部屋を見つめ、こくりと喉を鳴らして踏み出した。
「まだみんな国王を探しているけど、きっともう亡くなってるわ」
「……どうかな。まだ分からないだろう」
ドアに背をもたれて腕を組み、シエラから視線を反らしながら、ミナトは抑揚のない声で答えた。
「あなただって分かってるんでしょう。ジャスパーの瞳の色、あれは単なる魅了じゃなかった。誘いの罠よ。そんなことは魔王にしか出来ない。それに彼は言ったじゃない、『時間稼ぎ』だったって」
あの時はモナザの地獄絵図に動揺し、そこまで考えられなかったけど、時間を置いて冷静に考えればすぐに答えは出た。
ジャスパーが主と呼んだ相手が誰なのかも、なんのための時間稼ぎだったのかも。
「国王には王子がいる。別に死んだところで跡継ぎはいるんだ。大した問題じゃないだろう」
「何を言っているのよ。国王が魔王に殺されたということが問題なんじゃないの。モナザだって、魔王の仕業だったわ」
「シエラ」
それ以上言葉を紡がせないようにミナトはシエラの言葉を遮った。
シエラは押し黙り、小さく唇を噛み締める。
「それは、俺達だけの秘密だ」
ジャスパーが去った後、ミナトはジャスパーが魔王の手に落ちたこと、モナザにいたこと、そしてあそこで話した全てを他言しないように釘を刺した。
帝国は国王が失踪したことと、モナザの事後処理で慌ただしい。
今軍を出して魔王城を攻めることは出来ないだろう。
だけど、ミナトはその間に魔王城に行くつもりだった。
そのためには、シエラの協力がいる。
「ジャスパーを連れ戻す。協力してくれないか」
その言葉にシエラは眉を寄せた。
ジャスパーが出て行った時も、後を追わずに簡単に別れを告げたミナトが、なぜ今更ジャスパーを取り戻そうと思うのか。
ジャスパーは確かに大きな戦力になる。
だけど、ミナトの思惑はそれとは別にあるような気がしてならなかった。
「なぜ、連れ戻したいの? 」
純粋な疑問だったけど、それを言葉に出した瞬間、ざらついた何かに心を擦られたような、そんな感覚を覚えた。
「玲奈の傍にいるからだよ」
嫉妬。
ミナトが出した答えにシエラは胸が締め付けられ、刺すような痛みが走るのを堪えた。
あの魔王が、ジャスパーと本気でどうこうなるとは思えない。
だけど、自分より彼女の近くにいるということが、そんなにもミナトにとって耐えられないことなのかと、ミナトの彼女を想う強い気持ちが分かりすぎて、辛い。
「でも……進軍出来る状況じゃないわ。どうする気なの? 」
「別に戦いに行くわけじゃない。ジャスパーを取り戻すだけだよ」
「まさか……ふたりで行くつもりなの? 」
「そうだよ」
「ダメよ! 危険すぎるわ! 」
勇者と言えども無敵ではない。
モナザを襲撃したことひとつ取っても、魔族が今活気づいているのは間違いない。そこへ、たったふたりで乗り込むなんて。
「命が惜しくないの? 」
「俺の命よりも大事なものがあるんだよ」
そう答えたミナトの瞳が静かに揺らぐ。
寂しそうで、悲しそうで、憂いを帯びた色を宿して。
__それは、魔王のことなの?
言葉を飲み込んでみても、シエラの中に渦巻く黒い感情はふつふつと湧き上がる。
いつか、彼女が死ねばこんな想いをせずに済むのだと思っていた。
だけど帝国の根幹は崩れ、それもいつの話になるのか目処が立たなくなってしまった。
「……いいわ、わたしも一緒に行く」
それなら、こちらから出向くしかない。
自分もミナトと生死を共に出来るのなら本望だ。それが勇者の仲間であり、女としての、自分の念願でもあるのだから。
ひとりでなんか、絶対に行かせない。
「死ぬかもしれないよ」
「あなたとなら、本望だわ」
例え、その気持ちにミナトが応えてくれなくても。
今ミナトの傍にいることが出来るのは、自分だけなのだから。
「じゃあ、一緒に行ってくれるかい? 」
「もちろんよ」
これから、わたし達にどんな運命が待っているのかなんて分からない。
だけどそれがどんな道であろうと、ミナトから離れることなど、シエラには出来なかった。




