闇に紛れるもの
帝国の西に位置するモナザは自然豊かな広大な土地を有し、主に帝国の兵士や魔導士たちの野外演習として用いられることが多く、宿泊施設も十分に完備された場所だった。
距離も帝国からそれほど離れておらず、半日もあれば往復出来る。
その便通の良さを利用して、彼らはあらかじめジャスパーの指示でここに身を隠していた。
その指示は実のところ、ジャスパーが城を飛び出し、魔王《玲奈》からの呼び出しを受けたその時に発せられたものだった。
ミナトへの復讐のため、玲奈を即座にバーランド国へおびき寄せるための算段を整えたジャスパーが、帝国の思念伝達魔導士にその旨を伝えたのだ。
『帝国内に大勢の魔導士とミナトがいると事がバレる恐れがある。即座にモナザへ魔導士は身を隠すべし』
ジャスパーはバーランド国の魔導士さえいれば、魔王《玲奈》を倒すのは難しくないと踏んでいたが、バーランド国は万が一を考えミナトとシエラに協力の要請を出した。
魔王討伐の新たな機会に恵まれたばかりか、この度は参戦せずに済むと思う気持ちと、ふたりが要請を受けモナザを発ったことで、計画は順調に進んでいるのだという安堵感が、さらに身を潜めていた魔導士たちの危機感を薄くするのに一役買っていた。
この世界のどこかで魔王討伐に奮闘する者達がいて、どこかに身を潜めながらも安堵に包まれる者達がいる場所があろうとも、一重に彼らの上にある夜空は変わらない。
平等に月明かりが照らす夜空の下、モナザに点在する宿泊施設を闇夜に紛れて取り囲む、無数の影があった。
紅い瞳で獲物を狙う妖艶な女達、黄金色の瞳を獰猛に光らせる狼達、額に捻れたツノを持つ男達。
足音を消して静かに宿泊施設へと近付き、屋根や窓から、または堂々と正面の入口から侵入を果たし、虐殺を開始する。
魔導士達を統率していた帝国お抱えの上級魔導士は、とある宿泊施設の一室で今か今かとジャスパーから魔王討伐成功の報告が届くのを、他の伝達魔導士達と机を囲みながら待ち侘びていた。
コンコン……
不意にドアがノックされ、ひとりの伝達魔導士が席を立ち、答えた。
「どなたでしょうか」
「宿の者ですが、帝国の皆様に差し入れでもと思いまして」
「それはそれは。お気遣い感謝致します」
男はドアへと歩み寄ると、躊躇わずにノブを回して廊下にいた人間を招き入れた。
テーブルを囲んでいた者達は特に気にするでもなく男に対応を任せ、ジャスパーからの伝達を逃すまいと意識を集中する。
ふと、ドアが閉まる音がして意識が逸れ、何人かの魔導士達の視線がドアへと向けられる。
そこには、身体の曲線を見事になぞったドレスに身を包み、豊満な双方を押し上げながらもくびれた細い腰と、白磁のような滑らかな肌を霰もなく曝け出した、紅髪の妖艶な女が立っていた。
どこをどう見ても宿泊施設の人間とは思えぬその美しさと出で立ちに、思わず目が奪われる。
その女の後ろから呼び掛けに応じてドアを開いた男が姿を現し、すっと開かれた瞳は女と同じルビーのような紅い輝きに満ちていた。
「あの……? 」
女から仄かに甘い匂いが香り立ち、濡れたような唇に微笑を浮かべながら誘い込まれるような視線で見つめられて、声をかけた男は思わず喉を鳴らして言葉を失い、彼女の瞳に囚われたその男の瞳もまた、徐々に虚ろになって紅く染まりゆき、恍惚の表情へと変わる。
妖艶な女がテーブルを取り囲む男達に向かって、すっとその細い腕を伸ばして手のひらを向ければ、紅い瞳のふたりの男達もまた、同じように彼らに向かって手を差し伸ばす。
「おい……? 」
三人が差し伸ばした手のひらに急速に魔力が圧縮され、暗黒から生み出されたような闇色の塊が出現すると、同時にテーブルを囲む男達へと向かって勢いよく放たれた。
「う、うわぁぉぁぁぁあっ」
「なんだっ、ぎゃあああああ」
放たれた闇の魔術は、業火と化して男達を包み込んだ。
それは決して離れずに肌を焼き、肉を焼き、喉を焼いて男達は呼吸を失い、ゴロゴロと床に転がりながら悶え苦しみ、脳内にまでその業火が届いて喰らい始めた頃、そこには静かに燃え上がる闇色の炎だけが揺らめき立っていた。
そうして、最後の業火が煙のように細く立ち上がり、最後の一欠片が炭となって炎に溶け込みながら消え去ると、それを合図にしたように、施設内の各部屋から阿鼻叫喚の叫び声が響き渡り、女は心地よい音楽でも聴くようにうっとりとした表情を浮かべ、赤く艶やかな唇の端をゆっくりと吊り上げた。
「今夜はとても楽しい夜になりそうね」




