相殺
「悪ぃな。魔力は使えなくても、精神力である程度抑え込むことは自分で出来るんだよ。そう、見せかけることくらいはな」
にやりと笑みを浮かべ、わたしを庇うように背中を向けてシエラを見つめ、ジャスパーはそう言った。
「ジャスパー、あなたなら完全に抑え込むことが出来るわっ、やるのよ! 」
顔色を変えたシエラが駆け出そうとするのを、近くの魔導士たちが慌てて引き止める。
「シエラ。俺は魔王様の傍にいたいんだ。今なら、あの夜のミナトの言葉が理解出来るんだよ」
その瞳が熱で潤み、うっとりとした表情を作り出してそう言ったジャスパーに、ミナトの目がすっと細められる。
「この世界で何よりも、一番彼女が大切なんだって、そう言ったよな。そうだよな、ミナト」
「ああ、そう言った」
周囲に大勢の人間がいる中で、ミナトは臆することなくはっきりとそう答えた。
事情を知らない人間たちは勇者が発した言葉に戸惑いを隠せずに、騒めき出す。
けれどそんなことは気にも留めず、ミナトは平然としてジャスパーを見つめた。
「人間全部を敵に回しても、魔王様を愛してるんだろ」
「そうだ」
あの夜と同じように全く迷いのない受け答え。
だけどジャスパーはもう傷ついたりしない。
なぜならもう、自分も彼女を何よりも愛している。そして自分は彼女を護れる立場にあり、勇者としてのミナトよりも彼女に近い場所にいるからだ。
それは優越感に他ならず、それがミナトにとって羨望と苦痛になるのだと知っているから。
もっともっと傷つけばいい。
アリアを失った痛みをおまえにも教えてやる。
何よりも大事だと言った女を、おまえの前で奪ってやる。
「魔王様、魔力が出ないなら分けてやるぜ。俺から奪えばいい」
魔絶が効力を発揮している今、いくら吸収した所で何も変わらないことは、ジャスパーにも分かっていた。
だからこれは、単なる言い訳だ。
ミナトを傷つけるための、見せつけ。
当初はバーランド国の人間に魔王を殺させてミナトを傷つけるつもりだったが、自分の気持ちは変化し、そんなことは今は露ほども思わない。
だけどミナトが来たなら話は別だ。
それよりも、もっと効果的にあいつを傷つけてやれる。
「俺から吸えよ。なあ、いいだろ」
背を向けたまま、首を捻ってわたしを見つめ、ジャスパーはそう言って首に手を回して自分へと引き寄せると、強引に唇を重ね合わせた。
「ん……」
余りにも突然の出来事に思わず目を見開いたわたしの耳に、怒りを滲ませたミナトの怒声が響く。
「ジャスパーッ! 」
ドスッ
「え……? 」
鈍い音と、わたしの身体に小さくぶつかって来たジャスパーの衝撃。
わたしとジャスパーの瞳が大きく見開かれ、互いの唇は震えながらゆっくりと離れた。
わたしから顔を離し、ジャスパーは自分の腹へ視線を落として、そろそろと手を伸ばす。
そこにはミナトの手から放り投げられた聖剣が、部屋の薄明かりを反射しながら突き刺さっていた。
「おい……嘘だろ……」
呆然と自分の腹に突き刺さった聖剣を見つめ、震える手でその剣を掴みながら、ジャスパーはぽつりと呟く。
そんな彼を抱き締めたままのわたしの視界にもそれは目に入る。
「ミナト……あなた、何をしているの? 」
じわりとジャスパーの腹から血が滲み出るのを信じられない思いで見つめ、思わず言葉が漏れた。
視線をミナトに向ければ、一歩大股で踏み込んで片腕を前に突き出し、剣を放り投げた態勢のままで、その瞳には煮えたぎる憎悪がじりじりと熱を発し、ジャスパーのみを映していた。
「俺から玲奈を取ろうとするからだよ」
違う。
いまのはそういうんじゃない。
単なる当てつけだ。
「ジャスパーはあなたの仲間でしょう? 」
「仲間? そうだね、確かに仲間だった。だけどそんなのは関係ないんだよ。俺から玲奈を奪おうとする人間はみんな敵だ」
ジャスパーが勇者の仲間だったことは、周知の事実だ。
だからこそジャスパーは殺されず、拘束され、シエラの白魔術を行使されることが許された。
それは皆がジャスパーの復帰を期待していたためであり、頼みにしていたからだ。
いくら魅了に侵されていたとしても、そのジャスパーに牙を向き、あまつさえ聖剣を突き刺すという行動を取ったミナトに、周囲の人間は驚愕し息を呑んだ。
それは決して勇者として在るべき行為ではなかった。
魔王から目を離し、一同の視線がミナトに集中する。
__なにもかも捨てるつもりなの、ミナト。
おまえがどういうつもりで勇者として生き始めたのか、わたしは知らない。
だけど勇者の肩書を背負う以上は、人間の希望の光であり周囲からの期待や称賛もあったはず。
その全てを、いまここで捨てるつもりなの。
それを捨てたら、あなたは人間の敵となるのよ。
分かっているの、ミナト。
「……ああ、そうだったよな。アリアより、俺より、人間全てを敵に回してもこの女が大事なんだろ?」
ぽたりぽたり、とジャスパーの腹から突き出た聖剣から血が滴り落ちる。
俯いてじっと黙っていたジャスパーが、誰にともなく小さくそう呟いたのを、わたしは聞き取った。
その聖剣の柄に両手を伸ばし、ゆっくりと顔を上げてミナトを見つめたジャスパーの顔に浮かんでいたのは、挑むような眼差しと皮肉げに歪めた口元。
「そのためにアリアを見殺しにしたんだよな? だから俺も、おまえから奪ってやるよ」
そう言うと、柄を握り締めた両手に力を入れて一気に聖剣を自分の中へと押し込んだ。
「ぐ……」
ずぶっという肉を切り裂く音と、ジャスパーの腹部から急激に溢れ出す流血。
そしてジャスパーを貫いたその剣は、彼と密着状態にあったわたしの身体をも突き刺した。
「な……」
ジャスパーごと貫かれた聖剣は、わたしの腹部に刺し込まれ、激痛と共に焼けるような熱さを生じさせる。
突然のジャスパーの意図せぬ行動に驚愕のあまり声を失い、わたしはただ、腹部に刺し込まれた剣先を見つめた。
「悪いな、ミナト。おまえが来てくれて本当に助かったぜ。おかげで、当初の目的が果たせそうだ」
脂汗を流しながら小さく笑ったジャスパーの瞳を見つめたミナトの目が、大きく見開かれる。
「ジャスパー……君、魅了が……」
その瞳から既に魔王の影響下である証拠が消え失せ、元の色を取り戻していることに気が付いて。
「ああ、聖剣に刺されたお陰で、消失したみてぇだな」
その言葉を聞いてハッとしたミナトと、わたしの呼吸が重なった。
聖剣は魔力を吸収し、消滅させる力がある。
あの身の内を焼け尽くす熱と、ぞわりぞわりと虫が這いずり回るような感覚と共に吸い取られる魔力。
忘れるわけがない。
「離しなさいっ、ジャスパー! 」
「嫌だね。あんたには、このまま死んでもらうぜ」
腹部に痛みがあるものの、ジャスパーがクッションになっているお陰で、まだ傷は浅い。
焦ったわたしは、ジャスパーの背中を押して引き離そうとした。
だけど、ジャスパーがそれを許さない。
剣の柄を両手で握り締めたまま、わたしごと一歩一歩、後退し始める。
ジャスパーの動きに合わせるように、わたしも一歩、また一歩と後退り、そしてついに真後ろに壁を捉えた時、やっとジャスパーの目論見を悟り、悲鳴にも近い声が喉から突いて出た。
「ジャスパーッ! 」
「これで終わりだ」
「やめろっ! 」
三人の声が重なったのと、ジャスパーが後方に大きく一歩後退り、上体を倒したのはほぼ同時だった。
聖剣でジャスパーごと貫かれたわたしは、後ろに倒れ込むジャスパーの重みをただ受け止めることしか出来なかった。
どんっと壁に背中が当たる感覚と、行き場をなくしたわたしの身体を深く貫く聖剣の感覚と衝撃に、思わず顔を歪める。
「……っ」
「ジャスパー! 」
腹部を襲う鈍い痛みと、焼けるような熱さ。
身を喰らう不快な聖剣の感覚と、ジャスパーの体温。
それらを感じながら、ジャスパーの背中と密着するわたしの腹部から、互いの生暖かい血が混じり合い、下半身を伝い落ちる。
怒り狂ったように叫んだミナトに構わず、ジャスパーは口から溢れ出る血と朦朧とし始めた意識の中で、最後の力を振り絞った。
どすっというとどめの一撃と共に、ジャスパーの意識は途切れて身体は支える力を失い、わたしの身体も引きずられるように崩れ落ちる。
何度目かの喉を突き上げる熱さを感じれば、血液が込み上げて口から溢れだし、顎を伝い落ちた。
本当に何度この感覚を味わえばいいのか。
遠くから駆け寄るミナトがまた泣いていて、思わず呆れて小さく笑う。
「玲奈っ! 」
差し伸ばされた手と力を失った指が触れ合って、涙を流しながら何かを叫び、手を握り締めるミナトの体温を感じながら、わたしの意識は静かに深い闇の中へと堕ちていった。




