拮抗
魔導士たちに取り囲まれながら、正面のミナトから視線を外さず、わたしはじりじりと後退する。
「廊下にもこれを気体化したものを撒いておいたんだ。おかげで、腹心の三人も容易く捕らえることが出来たよ」
淡々と語るミナトに、捕らえられたジャスパーが身体をもがきながら、噛み付くように叫んだ。
「ミナトッ! おまえ、何をする気だ!? 俺の大切な魔王様をどうするつもりなんだよ!」
「俺の大切な? ジャスパー、君、俺から玲奈を奪う気なのかい? 」
穏やかだったミナトの表情が途端に崩れ、ぎょろりと眼球がジャスパーへと動き、ぎらついた刃物のように鋭い視線を向ける。
ジャスパーが魅了にかけられていることは、とっくに分かっていたことだけど、それでもその言葉を聞き逃すことなど、ミナトには出来なかった。
「魔王様は、俺の物だ」
両脇を取り押さえられてその場に跪き、ミナトを睨み上げるジャスパーの言葉に、ミナトは嫌悪感を露わに顔を歪めた。
操られているだけだ。
紛い物の感情だ。
そう頭では理解していても、心はその言葉に拒絶を示し、ジャスパーを敵と認識するのに時間はかからなかった。
玲奈は俺だけの物だ。
他の誰にも絶対に渡さない。
それでも他の誰かが、玲奈を手に入れると言うならば。
「君を、殺す」
氷のように冷たい眼差しをジャスパーに向けて放たれた言葉は、仄暗い地の底から湧き出た憎悪の塊が音となった物だった。
ミナトの周囲にいた者達が、一様にその言葉に乗せられた闇に呑み込まれ、背筋に冷たい物を感じ取った中で、ジャスパーだけはその視線を不敵な笑みを浮かべて受け止めた。
「ミナトっ! 」
そんなふたりのやり取りを見守っていたシエラが、青ざめた顔をして横から飛び出し、間に割って入る。
ジャスパーを背中で庇いながら、涙を滲ませてミナトを見つめた。
「操られているだけよ。本気にしないで。魔王を拘束しに来たんでしょう? 殺さないように……あなたが、そう提案したんじゃないの」
心の痛みに耐えるように顔を歪め、睫毛をそっと伏せて、最後は誰にも聞こえないように掠れ声で小さくそう言ったシエラの言葉を、玲奈は拾い上げた。
殺さないように、ミナトが提案した?
記憶こそないにしろ、何度もわたしを殺したミナト。
殺される度にその苦しみが記憶と魂に刻まれて、憎しみが湧き上がった。
だけど__
いつもいつも、ミナトの瞳には涙が浮かんでいたのを覚えている。
最初の夜も、魔王城の時も、娼館の時も。
殺しながら傷つくのよ、この男は。
自分が傷つきたくないから、殺さないの?
それともそれは、贖罪のつもりなの?
おまえがどのように考えようと、わたしを殺した事実は変わらないのに。
「そのために、魔絶を王様に頼み込んで貰い受けたのでしょう。全ては……彼女を無傷で捕らえるため、よね」
ひと言ひと言、事実確認をするように発した言葉の重みが、なんとか形を取り戻したシエラの心の殻に、小さな音を立てて亀裂を入れる。
シエラはジャスパーが城から消えたと聞いた時、自分の予感が的中したと思った。
あの時、魔王が語った言葉は嘘ではない。
そう、心のどこかで分かっていた。
そしてそれを確認しに行ったジャスパーが、その事実を容易に受け入れられるはずがないのも想像はついた。
ジャスパーは離れることを選んだ。
それなら、自分は?
「どこまでもバカな男だな、ミナト。そう簡単に魔王様が手に入ると思うなよ。魔力を断絶しておけば、大人しく自分の物になるとでも思ってんのか?」
「なるさ。そうするんだ」
「いや、ならねぇな。彼女は魔族の王だ。人間は魔族を恨んでる。おまえがいくら彼女を大事にしたくても、周囲の連中が黙っちゃいねぇ。必ず、殺せと言うはずだ」
ジャスパーの言葉がストンとシエラの中に落ちる。
ミナトが魔王の捕獲を考えた時、シエラもまた、ジャスパーと同じことを考えた。
ミナトがそれで良くても、周囲は黙らない。
結果的に彼女が魔王である以上、殺されなければいけない。
それは自分の意思ではなく、全人類の念願なのだと自分に言い聞かせ、彼女がいなくなる未来を見据えてこの先も変わらず、ミナトの傍に居続けると決めた。
苦しいのは、今だけだ。
そう、思うことにして。
自分の中に生まれたどす黒い感情を打ち消すことは出来ず、そんな自分の汚れた感情は隠しておきたくて、ただ「優しい人間」だとミナトに思って欲しい。
そう思えば飾り付けた言葉で、他人にも優しく出来た。
「ジャスパー、もうやめて。必ず魔王を殺さなければいけないわけじゃないわ。きっと何か手はあるはずよ。あなたも、わたし達と一緒に帰りましょう」
シエラはそう言ってジャスパーを拘束していた男たちに手を離すように視線で促した。
「しかし、危険です。まだ彼にかけられた魅了は解除されておりません」
「大丈夫です。わたしが解除します」
自分を紅い瞳で睨み付けるジャスパーを悲しげに見つめ、シエラは小さく詠唱を始めた。
シエラの持つ特性は白魔術。
回復や補助がメインとなる術に特化した魔導士だった。
魔王城で腕を亡くしたジャスパーを元に戻したのもシエラだ。
彼女の実力は、紛れもなく勇者の仲間として名を連ねるに相応しい力量を持つもので、その言葉の信頼性は高く、皆が一様に安堵したように肩の力を抜いた。
シエラの詠唱に魔力が応え始め、携えた杖の頂を飾る淡い桃色の水晶が、煌めきながらその濃さを増し、徐々にその輝きを増す。
目を細めるほどに、 眩い輝きを増したその光がふわりと水晶から離れて浮き上がり、ジャスパーを包み込むように舞い降りた。
頭上から春の木漏れ日のように優しく降り注ぐその光に、ジャスパーの強ばった表情は和らいで目尻は下がり、カクンと首を落とすと、その瞳から紅みが抜け落ちて、在るべき色を取り戻していく。
そして、その瞳から完全に紅みが抜けたのを確認して、シエラは小さく頷いた。
「もう……大丈夫ですから、離してあげて下さい」
抵抗する力を失ったジャスパーの身体を支えていた男たちは、その様子を確認して互いに頷き、手を離した。
その瞬間__
顔を伏せたジャスパーの口角が吊り上がり、瞬時にその瞳に再び鮮やかな紅みを取り戻すと、勢いよく床を蹴り上げて真っ直ぐに玲奈《魔王》へと向かって飛び出した。
「ジャスパー! 」
安堵した瞬間の隙を突いて、飛び出したジャスパーを誰も止められなかった。
シエラの伸ばした手は虚しく空を切り、驚愕に目を見開いて叫んだ。
シエラの魔術を阻止することもままならず、黙って見守るしかなかったわたしの元へジャスパーは駆け寄ると、不敵に笑ってゆっくりとミナト達に向き直った。
彼の行動に驚きつつも、心は安堵と優越感で満たされていく。
背を向けたジャスパーの腰を後ろからそっと抱き締め、頬にキスを落としながら、言葉を失ったシエラに視線を流して薄く嗤い、わたしは言い放った。
「悪いわね。あなたより、わたしの魔力の方が上だったみたい」




