王の居室
ひたりひたりと足を進め、白いレースで出来た天幕をそっと持ち上げれば、木造の大きなベッドには、びしりと立派な顎髭を蓄えた強面の男が目を閉じて、静かな呼吸を繰り返していた。
ゆっくりとベッドへ乗り上がり、王の身体を足で挟み込み、顔の両脇に手を下ろす。
髪がサラリと小さな音を立てて、王の頬を掠めて落ちると、わたし達を甘い香りが包み込んだ。
王の顔をそっと抱き締めて顔を近付け、ゆっくりと唇を塞ぐ。
「ん……? 」
瞼を閉じたままの王は、小さく身動きをするも目は覚まさず、抵抗することなく、わたしの動きに合わせ唇を開いた。
柔らかな優しい蜜の味と、微かに苦味のある味が混ざり合って、静かにわたしの中へと流れ込む。
少しだけ違和感のあるその味に首を傾げながら、ゆっくりと身体を重ね合わせると、薄目を開いた王の瞳と視線が交わった。
驚愕に少しだけ目を大きく見開いた王の瞳に魔力を流しつつ、頭を抱き締めると、その瞳は次第にとろけて目尻が下がり、紅く染まっていった。
布団から伸ばした腕をわたしの腰に回し、力いっぱい自分に引き寄せ、自ら唇を押し開き、わたしを求め始める。
ドレスから露わになった太腿に手を伸ばし、その滑らかさを堪能するように撫で回す、王の手つきに薄い笑みを浮かべながら、その唇からは急速に生気を吸い取り、身体に魔力がじわりと染み渡って火照り始める。
あと、少し。
既に意識を失った王を喰らい尽くす、最後の仕上げに意識を集中した時だった。
「そこまでだっ!! 」
突如、バンッ!という扉が勢い良く開かれた音と共に、大人数の足音が居室内に響き渡り、わたしは驚きの余り、咄嗟に王から跳ね除けた。
広い居室を埋めるように、何十人もの人間が一斉に現れ、わたしは高鳴り始めた心臓を抑え付けながら、眉を顰める。
廊下には見張りにサシャール達を置いていたはず。
「廊下に仲間がいたでしょう。彼らはどうしたの」
ベッドの横に立ち、誰ともなく問いかけると、うちの一人がその問に答えた。
「もちろん、拘束させて貰った。おまえらが今夜ここに来ることは分かっていたからな」
「分かっていたですって? 」
そう問ながらも、嫌な予感が胸をざわつかせる。
扉の前にいた連中が左右に分かれ、そこから新たにふたりの人間が姿を現した。
その姿を捉えて驚愕すると同時に呆れ、短く嘆息をつくと、皮肉げな笑みが浮かんだ。
ひとりは先日、帝国の中庭で見た女だった。
そして肩を並べて登場した、もうひとりは。
「神崎ミナト。どうして、あなたがここにいるの」
「玲奈。君を止めに来たんだよ」
そのミナトの後ろから、両腕を取り押さえられながら、ジャスパーが引きずり出される。
「彼が……教えてくれたからね」
そう言って、少し寂しそうに眉を下げて、怒ったようにミナトを睨み付けるジャスパーに視線を向ける。
そんなミナトに促されるように視線を移し、唸り声を上げるジャスパーを見つめ、生気を吸収して高揚したはずの身体が急速に熱を失って、生唾を呑み込んだわたしの額に、一筋の冷や汗が流れ落ちた。
「ジャスパーが教えたですって? 」
ベッドを取り囲み周囲を埋めつくす人間に気押されるように、一歩後退りながら問いかける。
「思念伝達は、ジャスパーも使えるんだよ、玲奈」
思念伝達。
攻撃魔術とは違い、互いの魔力を感知してその意識に干渉するその術は、一見すると何の変化も伴わない物だった。
大魔導師のランクを持つジャスパーに、行えない道理などあるはずがない。
「君が国王を狙うことを決めた瞬間、彼はバーランド国の伝達魔導士に思念を飛ばして警告を促した。俺は要請を受けて転移して来たんだよ」
表情ひとつ変えずに説明するミナトに、皮肉な笑みを向けながら、奥歯を噛み締める。
それはつまり、ジャスパーに嵌られたということだ。
ジャスパーがミナトに恨みを抱けば、ミナトから離れると同時に、その原因となったわたしを狙いに来ることは想定内だった。
それすらも見越して傍に置くことを決めたのは、所詮ジャスパーひとりの力では腹心が身の回りを固める魔王城で、手出しなど出来ないと踏んでいたからだ。
用心していたつもりだったけれど。
まさかこんな手段で狙ってくるなんて。
__少し、誘いの罠をかけるのが遅かったみたいね。
周囲を取り囲む人間は、全員がローブを身に纏い、その手には杖を携えて、にじり寄る。
「魔王様っ、逃げろっ! 」
紅い瞳でわたしを見つめ、身動きを拘束されながらも身を乗り出して、ジャスパーが叫ぶ。
腹心も拘束され、今はわたし一人。
確かに心細くはある。
だけど、完璧ではないにしろ、ヘルティアナで多くの生気を吸って還元した魔力は、それなりに蓄えられていた。
今ならば、たかたが数十人の魔導士相手に、わたしが負けることなど、あり得ない。
「大丈夫よ、ジャスパー。何も心配いらないわ、これしきの数」
魔導士どもを敵意を持って睨み付け、体内の魔力を膨張させながら身に纏うと、大気が魔力に反応して揺らめき立ち、わたしの身体を包み込むように渦巻いた。
腰ほどまであるわたしの長い髪が煽られ、バサバサと音を立てて、上へ舞い上がる。
だけど不意に、渦巻いていた風はその唸りを鎮め、何かに断ち切られたかのように静けさを取り戻し、髪の毛はふぁさりと腰へと舞い戻った。
「え……っ? 」
外に放ったはずの魔力が、身の内に急速に収縮し、反応しなくなる。
その違和感に何が起きたのか分からず驚愕し、唖然とするわたしを、ミナトは静かな面持ちで見守っていた。
「バーランド国王と口付けをした時、変わった味がしなかったかい」
あの、苦味?
確かに普段では感じない味だった。
あれが、なんだというの。
ミナトの言いたいことが分からずに苛立ち、思わず顔を顰める。
「最近、着用していた服だけがその場に取り残され、本人が消えるという、不可解な消息事件が近隣で多発していたことは、帝国にも報告が上がっていたんだよ。異性を相手に交わり、生気を吸って虜にするのはサキュバスの特性だけど、人を塵にするほどの強力な力はないんだ」
淡々と説明をするミナトは、子供に勉強でも教えるように、穏やかな口調で言葉を紡いだ。
「その不可解な事件と、君が誕生したタイミングを照らし合わせると、ひとつの可能性が導き出された」
周囲の人間たちが、その顔を緊張感で強張らせ、わたしに鋭い眼光を向ける中、ミナトの表情は変わらず穏やかで、言葉にも波ひとつ立たない静けさがあった。
「君がサキュバスの性質を持っているのではないか、ということだよ」
ミナトとわたしの視線が交錯し、その言葉に思わず、すっと目を細める。
まさかこの短い期間にそこまで推察されていたなんて思わなかった。
「そして、その可能性を見出したのは、ジャスパーだ」
ジャスパー。
娼館自体に拘束魔術をかけた、破格的な魔力量の持ち主。
魔術に精通しているということは、その理の基でもある魔族にも詳しいということ。
用心深い男なのは分かっていたけれど、これほど頭も回るなんて。
魔力にばかり気を取られ、少し甘く見ていたようだと後悔しても、もう遅い。
「このバーランド国は、熟練の魔導士が集う場所だけど、だからと言って国王にも魔力があるのかと問われれば、そうじゃないんだ。バーランド国王は、魔力を持たない。だから、ソレを口に含んだ所で何も身体に変化は起きないんだよ」
「それ……? 」
「魔絶だよ。魔力は精神の繋がりを以て行使出来る。一時的ではあるけど、魔力と精神の繋がりを断ち切る効力があるんだ。本来は魔力持ちの死刑執行の際に使用するものなんだけどね」
魔絶……
そんなものが人間の世界にあったなんて。
強制的に精神と魔力を断絶させる薬。
先程から何度も魔力を練り上げようとしても、沈黙を守るように全く反応がない。
身の内にあった力の流れが全く感じられず、普通の人間に戻ったような既視感を感じる。
だけどそれは、当然わたしを窮地に立たせる事実でしかなかった。




