心を弄ぶもの
「誰なんだろう」
「知らねぇよ」
端の欠けた月が淡い光を放ち、薄雲に輝きを吸い込まれながらも星々が夜空を彩る、そんな時間。
中庭のカフェテラスを囲むように、橙色の灯火が幾つも優しい光を放ち、幻想的な空間を創り出す。
既に誰も居なくなったその場所で、ジャスパーとシエラはテーブルを挟み、物憂げな表情を作っていた。
「ミナト……今まで女の子に興味なさそうだったのに」
「ああ、そうだな。全然検討つかねぇわ」
シエラの恋愛相談。
勘の良いジャスパーがシエラの気持ちに気付き、からかったのを初めとして、事ある毎にふたりはこうして、ため息混じりにミナトについて思いを馳せるのだった。
__いるよ。
あの時、そう言ったミナトの表情を思い出して、シエラは眉を下げる。
「あの顔、見た? すごく優しい顔をして、誰かのこと考えてたわ」
「ああ、あれはなぁ……あいつがあんな顔出来るなんて知らなかったぜ」
「わたし、どうしたらいいの? 」
今にも泣き出しそうなシエラに、ジャスパーは困ったように肩をすくめて、ため息をつく。
「おまえ、もう告白しちゃえよ」
「えっ? 」
「別に婚約してるわけじゃねぇんだ。だったら、さっさと告白してミナトの気を引いとけばいいんだよ。どこにいるか分からねぇ女より、おまえの方がミナトの近くにいるし、ベッドに押し倒しさえすりゃ……」
「もうっ! 何言ってるのよっ! 」
さっさと既成事実作っちまえよ、そう思ったがシエラは顔を真っ赤に染めて両手で頬を挟んだ。
「いや、おまえな。相手はミナトだぞ?遠回しなこと言ってこっちの気持ちに勘付けなんて、天地がひっくり返ってもありえねぇからな」
そんなふたりに近付く影がひとつ。
闇に紛れ、そこから生まれ出たように、ゆっくりと歩み寄ると、カフェテラスの淡い橙色の照らされ、徐々にその輪郭が露わになった。
肩で切りそろえられた金髪に、そばかすが鼻骨を中心に横に広がる彼女もまた、魔王討伐のために集められた魔導士のひとりだった。
足音を立てず、真っ直ぐにふたりへと歩みを進める彼女の顔には表情がなく、遠いところを見ているような虚ろな視線が彼らを捉え、吸い込まれるように近付く。
先に彼女に気付いたのはジャスパーだった。
人気のない場所に現れたという理由ではない。
彼女から、異質な魔力の気配を感じたためだ。
背後から近付くその気配に無言で椅子から立ち上がり、振り返る。
その瞳は警戒心を宿した鋭いものへと変わる。
「どうしたの、ジャスパー」
「シエラ、おまえも警戒しとけ。あの女、なんか変だ」
ジャスパーに警戒を促され、シエラも立ち上がってその視線の先にいる彼女へと目を向ける。
『こんばんは、皆さん。今夜は良い夜ね』
声が二重になって夜風に乗り、響いた。
「誰だ、おまえ」
ジャスパーはすっと目を細める。
魅力?
いや、同調か?
『魔王城でアリアという女を殺した者だと言えば、お分かりになるかしら』
女は表情を消したまま、口だけを動かし、そう言った。
「アリアを殺した……? 魔王か……っ!! 」
「ジャスパー! ダメよ、乗っ取られてるだけだわ! 」
「分かってる! 」
驚愕に目を見開き、込み上げた怒りに乗せて魔力が膨れ上がったジャスパーを見て、慌てて制止すると、シエラもまた彼女に鋭い視線を送る。
「魔王がなんの御用なの?」
『ふふふ。とても楽しいお話をしていたようだから、わたしも混ぜてもらおうと思って。あなた達が知りたがっている、ミナトの想い人が誰なのか、教えてあげるわ』
「え……? 」
ミナトの想い人。
思いがけない魔王の言葉に、シエラは胸の痛みを覚えながら言葉を失った。
「なんで、てめぇがそんなこと知ってんだよ」
一切自身の魔力を纏わずに佇む彼女を訝しげに見つめ、ジャスパーは問いかける。
『だってわたし達は、あなた達よりも付き合いが長いんだもの』
「どういう意味だよ」
『勇者が転生者なのは知ってるわね? わたしもまた、転生者なのよ』
ミナトが転生者なのは、周知の事実だ。
魔力という異質な力が干渉するこの世界では、異世界からの転生というのは、決して多くはないが起こり得ることだった。
魔王も転生者。
そんな話は聞いたことがないが、可能性としてならあり得る出来事だ。
「それで? 」
『わたしとミナトは元の世界で……男女の関係にあった仲なのよ』
「はっ? 」
「男女の……関係? 」
思いもよらないその言葉に、シエラは愕然とし、ジャスパーはただ絶句する。
ミナトと魔王が男女の関係だった?
そんなの嘘だろう?
あまりの衝撃に思考が停止し、動揺するふたりに構わず、女は更に言葉を重ねた。
『そうよ。ミナトの気持ちは今でも変わってないわ。元の世界にいた時と同じように、わたしだけを今も尚、愛してくれている』
無表情の女が語るその言葉は、うっとりとした艶めかしい色香を乗せて耳に届いた。
『あの人も忘れていないでしょう。わたしとの口づけも、互いに身体を求め合ったあの夜のことも』
「やめて……! 」
『ミナトは何度もわたしを求めたわ。身体の隅々まで愛してくれた。それはそれは、とても、激しく、ね』
「聞きたくないっ! 」
悲鳴のような声を上げて、シエラは涙の滲んだその顔で両手で耳を塞ぎ込み、その場にうずくまった。
『だから、あの時もミナトは私を殺せなかった。アリアよりも、わたしが大事だったから』
次々と襲いかかる、魔王の言葉に酷く顔を歪めたジャスパーが、その言葉を聞いて呼吸を止め、目を見開いた。
『ミナトにとってアリアは、その程度の人間だったということよ。あなたの、かけがえのない女だったのにね』
ジャスパーは忘れていなかった。
魔王にその身を絡め取られながら、微動だにひとつせず、立ち尽くしていたミナトの姿を。
『ご愁傷さま。ぜひ、伝えてもらえるかしら。わたしも、愛しているわ、とね』
ふふふ……
魔王の笑い声が風に乗って空気に溶けた。
ふいに、傀儡人間と化した金髪の魔導士は目を閉じると、どさっと音を立てて膝からその場に倒れ込み、動かなくなった。
口を抑え、嗚咽を漏らしながらぼろぼろと泣き続けるシエラと、唇に血が滲むほど噛み締めて拳を握り、頬を震わせたジャスパー。
そんなふたりを宥めるように、夜風が優しく頬を撫でていった。




