新たな標的
コツンコツンコツン……
頬杖をつきながら足を組み、苛立ちを音に乗せて漆黒の肘掛けを爪で打ち鳴らす。
魔王城、玉座の間。
そこへ再び舞い戻り、わたしは背もたれの高い椅子に身を預け、先の出来事を思い返していた。
コツンコツンコツン
記憶が拭えず、苛々とする。
わたしの上に跨り、剣を突き立てたミナト。
あの耐え難い聖剣の熱、じりじりと身を喰うように引き出された魔力。
肉を切り裂かれた感触。
何度も口から溢れ出した熱い血液。
びちゃびちゃと背中を濡らした、冷い血溜まり。
コツンコツンコツン……
ミナトの荒く熱い息遣いも、まだはっきりと覚えている。
わたしの頭を押さえ付け、がしりと引き寄せて、まるで生き物のように口内を動き回り、際限なく弄ったあの舌触り。
自分を殺した男に、ああも一方的に口内を犯された、あの屈辱。
思い出すだけで、ぐつぐつと身の内から業火が燃え上がって脳裏を焼けつくし、発狂してしまいたくなる。
抑えが効かず身を食い破るその熱に、耐えるようにギリッと歯を噛み締めると、感情に反応して魔力が身の内から溢れ、大気が揺れ動き、滑らかな石造りの床がパキッパキッと小さな音を立ててひび割れて、幾つもの破片がゆっくりとわたしの周囲に浮かび上がる。
「魔王様……」
眼下に控える三人が小さく顔を歪め、わたしを見上げるも、感情に収まりが効かない。
ミナトの吐息が、咥内の熱が、あの舌の柔らかさが、今でも口の中を蠢めいているようで吐き気が込み上げ、思わず顔を顰めて口を押さえ付けた。
「う……」
「魔王様っ、いかがなされたのです! 」
黙って様子を見守っていたサシャールが、顔色を変えて階段を駆け上がって来る。
わたしの前に走り寄り、再び跪いてそっと手を重ねると、絹のように細い銀色の髪の下で、心配そうに揺れる蒼い瞳がわたしを見上げていた。
早く忘れてしまいたい。
あの感触を、あの記憶を。
いま、すぐにでも。
苛立ちと胸のムカつきが治まらず、わたしを見上げるサシャールの首筋へと手を伸ばして覆いかぶさり、八つ当たりのようにその唇を塞ぎ込んだ。
さらりとわたしの紅い髪が肩から流れ、サシャールの頬を掠めて落ちる。
ふわりと甘い匂いが漂う中、互いの顔を真紅のベールに包まれたような、そんな小さな空間の中で互いの唇を深く押し開き、わたし達は咥内の熱を感じ合い、奥深くへともぐり込んだ。
「んっ……」
サシャールは少し驚いたように瞳を開き、その瞳を小さく揺らすと、その長い睫毛をそっと閉じて、わたしの首筋へと手を伸ばし、応じるように優しく引き寄せた。
互いの顔を引き寄せて、頬が触れ合うほど抱き締める。
あのミナトの舌触りを忘れたくて、サシャールの熱でかき消して欲しくて仕方がない。
息継ぎも忘れて互いを貪り合い、熱い唾液と咥内の熱を交えながら、わたし達だけに聞こえる水音を立てて、何度も舌を激しく絡め取るその滑らかな舌先が、上顎をくすぐり思わず小さく身悶えると、薄く開いた蒼い瞳が熱を帯びた視線でそんなわたしを見つめていた。
変わらずに互いの咥内を激しくかき乱しながら、その瞳に捉えられて、とくんと小さく心臓が跳ね、じんわりと身体が熱を帯びる。
咥内から身体へと染み渡る甘い蜜が鼓動を速め、眩暈がしそうな快楽の波がゆっくりと理性を打ち消して、ふたりの熱に溶け合うように更にわたし達は互いを求めあった。
「おい、その辺にしとけよ」
ふいに、苛立ったような声と共に、がしっとサシャールの肩を掴んで引き離したのはガイアだった。
わたしの首筋からサシャールの体温がそっと離れ、咥内に少し冷めた空気が入り込む。
その空気と共に、心は風のない波のような穏やかさを取り戻し、安堵したわたしはゆっくりと息を吐く。
そして、ふと脳裏に違和感を覚えた。
あの拷問のような時間。
一体どれだけの時間、ああしていたのかしらと。一瞬だって離れずに、ずっと口を塞いで弄って。
__なぜ、ミナトは塵にならなかったのかしら。
いくら拘束魔術がかけられていたとしても、わたしのそれは魔力を行使して行うものじゃない。
言うならば体質のようなもの。
口付けや身体を交えると勝手に吸収してしまう。その加減を調整するのは、自分の意思ひとつ。
余りにも一方的な口づけに憎しみが優っていたけれど、確かに魔力はミナトから引き出されていたのに。
あれほど激しく、長い時間吸収していたのに、ミナトは疲弊する様子もなく、紅潮した顔で恍惚の表情を浮かべただけで、なんの変化も見られなかった。
すっと目を細める。
__わたしの能力が効かない?
そんなことあるのかしら。
でも勇者なら、もしかして……
「もう一度、キスをすれば分かるかしら」
「ダメだ」
想いに耽り、ぽつりと呟いたわたしに鋭い声が差し込んだ。
ふと顔を上げれば、サシャールの肩を掴んだままのガイアが、その黄金色の瞳に真剣な色を映し、少し怒ったようにわたしを見ていた。
「魔王様の力はまだ完璧じゃねぇ。今回だって、危機一髪だったろ。魔王様に何かあったら、困るんだよ」
「でも……」
「絶対ダメだ」
有無を言わさぬガイアの瞳に力がこもり、前に進み出て跪くと、少し下から見上げて、そっと差し伸ばした両手で頬を優しく包み込み、その瞳だけが射抜くようにわたしの瞳を見据えた。
「何かあるなら、俺たちに言え。なんでもしてやるから。だから、絶対自分から動くな」
そう言うと、ガイアの瞳から力が抜けて表情が崩れ、寄せた眉の下で不安そうな色を宿した瞳が、懇願するように揺れ動いた。
心配……してくれるのね。
「分かったわ、ガイア。ありがとう」
毛質のしっかりとした髪をそっと手で撫でて、その額にキスを落とす。
目を細めて受け止めたガイアが、安心したように小さくため息をついて、わたしを見上げた。
「で、何をすればいい」
「そうね……」
思い出すのはミナトのことだけじゃない。
ジャスパーの無様にも剣で貫かれたわたしを見て嘲笑ったあの表情。
思い出すだけでもはらわたが煮えくり返り、あの娼館に今すぐ舞い戻って、あいつをズタズタに引き裂き、この世から消してしまいたい衝動に駆られる。
「魔導士のあの男はやっかいだわ」
勇者としてのミナトも特異な性質を持ち合わせているのかもしれないけど、まずは外堀から埋めるべきかもしれない。
「左様ですな。あれほどの使い手がいるとなると、今後の我らの動きに支障が出るやもしれません」
階段下に佇むロンザも難しそうな顔をして腕を組み、唸るようにそう言った。
あの後、慌てて退去したわたし達は、あの場から少し離れた場所で娼館が魔力に包まれる様子を見守った。
娼館を包み込んだあの膨大な魔力。
あれがあいつの仕業ならば、あの男は危険だ。
「少し遠回りになるけれど、まずはあの魔導士から消すとしましょう」
手っ取り早く殺してしまえればラクだけど、簡単にはいかない気がする。
あの男のせいで二度目の死を迎えることになったのだから。
あの時の恐怖がまだ心を蝕み、怖気ずく自分が腹立たしい。
だけど、正面からぶつからなくてもやりようはある。
あの娼館での出来事がなかったことになったのならば、教えてあげればいい。
あそこで起きた出来事よりも、もっと甘美で美しい言葉を刃に変えて。
人の気持ちを弄ぶことなど、生前でもやっていたわたしにとっては、赤子の手を捻るより容易いことなのだから。




