第5話 ―帝都の日常・その5(ティオ、夢と恋)―
ティオの母であるリオは、卓越した魔道師であった。
帝都最強の剣士や“鋼翼”の序列第6位を唸らせるほどなのだから、それは疑いようもない。
だが、ティオが母親の戦う姿を見たのは、1度だけである。
魔族に凌辱され汚染者となった母は、魂まで刻まれた恐怖から魔道を扱うことができなくなり、戦えなくなっていたからだ。
それゆえに、売春婦として日銭を稼ぐしかなく、その恥辱の日々でティオを身ごもることとなったことを思えば、皮肉な因果であった。
母が己の力を取り戻したのは、ティオが帝国貴族の養父の下で地獄のような日々を送っていた頃である。
さて、その1度きりの戦いであるが、それも正直、ティオには何がなにやら分からなかったのだ。
それは、帝都第一の剣士ベアトリス・アルドシュタインとの戦い。
音速を遥かに上回る機動、自らの生み出す衝撃波すらも刃として繰り出しながら迫るベアトリス。
四精霊の舞う庭園の主としてそれを迎え撃つ母。
ただ一つ分かるのは、“九傑”に比肩すると言われるベアトリスが、母に極めて手を焼いていたこと。
今ならば、その事実のとんでもなさが良く理解できる。
ティオの夢は、母みたいな女性になることだ。
母に負けないぐらい、強くなりたい。かつての母や自分みたいな辛い境遇に置かれた誰かを助けられる人間になりたかった。
そして、自分に母がしてくれたみたいに――
「むぅ~~……」
ティオは今、その愛らしい小顔を渋らせていた。
眉根を寄せ、睨むような半眼で、唇はアヒルみたいに尖らせている。
地面にぺたんとお尻を付けた女の子座り、両手を薄い胸の前でぎゅっと握りながら、うんうん唸り続けていた。
そして周囲からは、ぱちぱちと固いものを叩き合せたような乾いた音が、断続的に聞こえている。
「えーと、合計で……あ、勝った」
「我ももう勝ち確なのだ!」
「ふふふ、盤面ぜんぶ私の黒に染めて上げたわ。ティオちゃんを私一色に染めたのよ!」
「うにゅぅぅ~~……!」
前方と左右の3方向から、それぞれに上がる声。
そしてティオの背後からも、
「……えぇ、と。私の色の方が多いから、私の勝ちでいいのだな?」
氷の剣のような怜悧な声が、ためらいがちに言葉を紡ぐ。
ティオは万歳の体勢で倒れ込んだ。
荒ぶる子猫のような悲鳴と共に声を上げる。
「うみゃー! 無理デス! いくらオセロでも、4面同時打ちは無理ですよゥ!」
ここは、レミルの作り出した夢の空間である。
たった一度の失敗でコツを掴んだのか、今は先日のようなパズルめいた混沌とした空間になることはなく、女の子っぽいきらびやかな部屋となっていた。
夢幻城での、レミルの私室であったらしい。ただし家具を用意する余裕はなかったのか、中はがらんどうである。
周囲には他に、神護悠、レミル・ルシオル、雨宮玲子の姿があった。
朱音とルルは、今回は不参加である。
そして、
「ふむ……だが、<精霊庭園>の訓練方針としては、悪くないと思うぞ」
ベアトリス・アルドシュタインが、真剣な表情でつぶやいていた。
ティオの背後に、すらりとした長身の金髪碧眼の美女が、上品な仕草で座っている。
玲子をレミルの夢の世界――彼女が名付けたところの、“レミル・ネットワーク”に招待した際に、ベアトリスも誘って欲しいとの頼みを受けての結果であった。
帝国側の人間であるが、彼女は皇帝派の筆頭ともいえる人物であるし、これまでの日々での振る舞いはベアトリスに信頼を抱くには十分なものである。リーダーである玲子の提案であることからも、誰も異論は挟まなかった。
ティオ自身、彼女とはゆっくり話してみたかったので、有り難い。
ベアトリスの言の通り、先ほど行っていたのはティオの魔法<精霊庭園>の訓練である。
その内容は、4体の精霊を使って、悠たち4人と同時にオセロを打つというものだ。
4体の精霊から送られてくる知覚の情報を並列的に処理しながら、石を正確にひっくり返し、盤面に置くという精密な動作が求められる。
ティオは母の魔法である<精霊庭園>を受け継いだ。
だが、いわゆる上級者向けの魔法である母の能力の扱い方が、ティオはまるでなっちゃいないのだ。
弱い相手ならともかく、強敵相手ではティオ単独だと厳しいものがあるだろうというのが、自他共通の見解である。
事実、あの夢幻城の戦いではカーレル・ロウとユギル・エトーンの両名との戦いに参加したが、仲間の危機を要所で救うことはできたものの、決定的な活躍はできないでいた。最終的には己の魔法を破壊され、ショックで気絶という有様である。
このままではいけない。母の背はあまりに遠く、いまだ姿すら見えていなかった。
「ふにゅぅぅ……頭がフットーしそうデス……」
ここは夢の世界であるが、疲労などといった概念は存在する。
無くすことも出来るようであるが、あまり現実から乖離した状態にすると、現実での生活に良くない影響を及ぼす可能性があるそうだ。
なので、死に関わるような事象を除き、ほぼ現実と同様の事象がここでも起きる。
「でも、精霊の動きはかなり滑らかになってたんじゃないかな。きちんとオセロできたたよ」
「そ、そうでしょうカ!」
風の妖精の相手をしていた悠は、朗らかに微笑んで褒めてくれる。
ティオは胸がきゅんと高鳴って、その場でごろごろ転がりそうになるのを、何とか我慢した。
たまに一人で朱音の部屋を掃除する時、悠と過ごした一夜を思い出してベッドの上でごろごろするのは朱音にも秘密である。
「すごいのだ、この湿った女の服めくったら、きちんとおっぱいに乳首あるのだ!」
「こーらレミルちゃん、子供がそういうことしちゃメっなのよ。 ……でも私は子供じゃないから? リーダーとしてメンバーのことは詳しく把握しないいけないし? ……お、おお! じゃ、じゃあ下の方は……」
「こ、これは……!」
レミルと玲子は、レミルの相手であった水の淑女の羽衣めいた衣装の胸元を覗き込み、そしてスカートをめくり上げ、衣装の中に手を突っ込んだりしながら、何やら真剣な表情でうなっていた。
水の淑女――ウンディーネは、青白い肌をした妙齢の美女であるが、その知能は子犬並である。ティオからの命令がない現在、彼女はぽわんとした表情のまま、なすがままに身体をまさぐられていた。
「や、やめて下さイ! ウンディーネにセクハラしないデ! ああっ、なんか満更でもない表情になって来てルっ! サラマンダーも止め――どうして微妙に嫌そうな顔してるんですカぁ!」
いわゆる化身型といわれる魔法の具象体は、本体の命令を聞くために簡易的な知能を備えていることが通常だ。
粕谷の<機甲蟷螂>のようにほぼ自律で戦闘機動を行えるほどではないが、<精霊庭園>もその例外ではない。若干だが、個性もある。
「くふふ、エッチな娘ね。身体は正直じゃないの……!」
「見ろ、ぐちょぐちょに濡れてるのだ……!」
「その子いつも濡れてるんですケド! 水の精霊なんですケド! とにかく離れてくださイ!」
ちぇー、と唇を尖らせながら二人がウンディーネから離れた。
実は使い手であるティオも初耳の情報であった。普通覗こうとか思わないだろう。
自分もちょっと気になったが、あの二人ほど傾いた生き様を衆目にさらしたくない。
そういう姿を見せるのは、たった一人の男相手で十分なのだ。
……後からこっそり見よう。
ツッコミ疲れでうなだれるティオの背に、ためがいがちな怜悧な声。
「まあ、いずれはお前自身も動きながらとなるが……まずは精霊達を自在に使役できるようになることだ。それができれば次はそれぞれの特性を活かしながら、だな。並行して部隊指揮の教本でも読んでみるといい。精霊達への指示の出し方を学べるはずだ……帝城の図書館に、私も愛用していた教本が置いてあるぞ」
土の巨人と相対していたベアトリスが、そうアドバイスしてくれた。
ティオは満面の笑みで応え、ぺこりを頭を下げる。
「はイ! ありがとうございますデス、ベアトリス様」
「……うん、精進しろ」
鋭い美貌が、ぎこちなく微笑んだ。
ベアトリスは、やや気まずげな様子であった。
この夢の領域でティオに気付いた時も、ティオから異世界の遊戯であるオセロのルールを教えてもらっている時も、当然、今も。
だがティオを避けるような気配はなく、その気まずさを真っ向から受け止めているような雰囲気だ。
母は、ベアトリスによって捕らえられ、死刑台に送られた。
そのことを、まだ気にしているのだろうか。
こちらは別に彼女を恨んではいないし、そのことは伝えたのだけど。
それで割り切れるような、器用な性格の人ではないということなのだろう。
改めて自分の気持ちを伝えても、あまり意味はないように思えた。
ベアトリスは生真面目な表情でティオを真っ直ぐ見つめながら、新しい話題を振ってきた。
「それとな、ティオ。お前の身分の件なのだが……」
「……はい」
ティオの身分は、奴隷である。
つまりは主である人物に服従し、貞操も生殺与奪も握られた道具として生きる存在。
もっとも、その待遇の内容は主によって大きく変わり、朱音を主とする今の状況にはまったく異論はないのだが。
「なにぶん、前例がないことなのでな。まだ難しいが……前向きな意見も出ている。少なくとも奴隷身分からの解放は叶うかもしれん」
ティオは、希少な第三位階の魔道師である。
いくら帝国内では扱いの悪い亜人とはいえ、そのような人物を奴隷のままにしていくことは適切なのかという議論が、奴隷制度の担当部局の方でたまに取りざたされるようだ。
要はティオを奴隷という身分から解放し、異界兵のようにもっと高い身分を与えて帝国に利するためのモチベーションを上げてはどうか、ということである。
ベアトリスは、その意見を強く後押ししている人物でもあった。
「……無理はされなくても、よろしいですヨ?」
「いや、やれるだけはやらせてくれ。剣を振るうしか能のない粗忽者だが、これでも名門の跡継ぎでな。家名だけでもそれなりに発言力はある」
ベアトリスは、力無く微笑んだ。その美貌には、疲労の色がにじんで見えた。
彼女は本来、武辺の人間だ。権力争いに負けた今となっては、本来は彼女向きではない仕事を押し付けられるような形になっている。
日々のストレスも相当なものだろう。
少しでも、そんな彼女の気晴らしをしてあげることはできないだろうか。
さて、どうしようと思案していると、玲子が思い出したように声を投げてくる。
「ああ、そうそう! ねえ、ベアトリス様。ちょっといいかしら?」
「……む?」
レミルと連れ立って、ちょいちょいと手招きしている玲子。
その雰囲気は、真面目な時の玲子である。なにか政治的な内密の話があるのかもしれない。
ベアトリスは物言いたげな眼差しをティオに向けていたが、ティオはにこりと屈託のない笑みを返した。
「どうぞ、行ってあげてくださイ、ベアトリス様」
「……うむ、またな。ティオ」
軽い会釈を交わして、ベアトリスは玲子、レミルと顔を突き合せて何やら話し込みはじめた。
ここでなら万が一の盗聴もなく、現実では迂闊に話せないような内容も相談できるのだろう。きっとそのために、玲子はベアトリスを誘うようにお願いしてきたのだ。
「仲間外れになっちゃったね」
すぐに悠が、苦笑しながら隣に腰を下ろして来る。
その腕には風の精霊――子猫ぐらいの大きさの少女の姿をしたシルフが乗っかっており、頭を撫でられて心地よさそうにしていた。
「ユウ様は、加わらないのデスカ?」
夢幻城から帰還した彼は、神殻武装とかいう超兵器の主となったことで、帝都でもその存在感をにわかに増している。
だが隣にぺたんと座る彼は、いつも通りの悠であった。増長の気配など微塵もなく、何も変わらない。
「ああいう難しい話は、ベアトリスさんみたいな大人の人とか玲子先輩みたいな頭のいい人だけで纏めてもらった方がいいと思うんだ。レミルはお城の中でやることがあるからね。あの娘、皇帝の友達になったみたいだよ。すごいよねぇ」
「……そうですね、レミル様のおかげでユウ様やアカネ達の目的が、ぐっと近づきますネ」
「うん、皆を早く戻してあげられるといいんだけど」
悠たち、異界兵の目的。
それは、地球という元の世界への帰還、及び“死んだ”仲間たちの蘇生である。
そのために、事態の元凶であるラウロら宰相派を出し抜いて、ベアトリスら皇帝派に帝国の実験を取り戻すのだ。
“夢幻”の事件を経て、その目的はにわかに現実味を帯び始めたようであった。
“レミル・ネットワーク”によって、宰相派の傍聴の心配をせずに皇帝派の要人との情報のやり取りが可能となる。
それに、帰還した悠の存在がもたらした利益も非常に大きいと聞く。
本当に、悠たちの目的は成功するかもしれないのだ。
……そうなれば、悠たちは地球という異世界へ帰っていくことになる。
「えいっ」
「わっ!?」
ティオは、両脚を伸ばして座っていた悠の上に、飛び乗った。
太ももに小ぶりなお尻をふにっと乗せて、愛らしい顔を薄い胸板にこてんと触れさせる。
「んにゃぁ」
子猫のような声を漏らし、ティオは悠の胸元にすりすりと小顔をなすり付けていた。
びっくりして硬直していた悠は、やがて困ったような笑みを浮かべながら頭を撫でてくれた。
自分が猫だったら、嬉しくてごろごろ喉を鳴らしているところである。
「……どうしたの、ティオ?」
「えへへー、何となく、ユウ様にベタベタ甘えてみたくなったデス。ぎゅー」
ぴとっと密着して、悠の温もりを身体いっぱいに感じる。
悠は微笑ましげな苦笑を見せながら、ティオの好きにさせてくれた。
そうしていると、胸の中にくすぶっていた情念の炎が激しく燃え上がってくる。それを完全に封じ込められるほど、ティオの人格は成熟してはいなかった。
本当は完全に二人っきりの状況で話したい内容なのだが……ええいままよ。
ティオは顎を悠の肩に乗せて、他の3人には聞かれないように囁くような小声で問いかける。
「ねえ、ユウ様」
「うん?」
「ユウ様は、お好きな人はまだ見つけられてないのですよネ?」
悠の肩が、びくりと震えた。
最近、美虎とまで関係を持ってしまった悠である。
恋愛関係については、近頃とくに思うところがあるようだった。
応える声は、気まずげに引きつっている。
「えっ、う、うん……」
「……ごめんなさいデス。いきなり変なこと聞いちゃっテ」
「いや、いいんだけど……どうして?」
あのですネ、と前置きして、
「やっぱり、お一人だけを選ばれるのですカ?」
「そりゃあ……もちろん。そうじゃないと、相手の人だって可哀想だよ」
悠は、真面目な表情で頷いた。
いたって本気で言っている。あちらの世界では、それが当たり前だったのだろう。
ティオとしても、もちろん1番好きな人とお互いを独占できれば最高ではあるのだけど。
でもそれは、諦めているのだ。
ティオは切なげに、媚びるような声で悠に囁きかけた。
「もし、ユウ様が誰かを選ばれても、わたしにお情けをいただくことはできないですカ? お相手の人のお許しがあったら、でいいですかラ」
「お、お情け……?」
「わたしを、また抱いて欲しいのデス」
「……へっ」
悠の表情がこわばった。その身体は跳ねるように震えた後、硬直している。
追い打ちをかけるように、ティオは彼にしだれかかり、潤んだ瞳で語りかける。
「わたし、ユウ様の赤ちゃん欲しいデス」
「赤ちゃっ……!?」
「こ、声大きいデス!」
思わず叫びかけた悠の口を、ティオは両手で塞いだ。
玲子ら3人が、何事かと振り向いている。
ティオは誤魔化し笑いを浮かべているが、玲子とレミルが、まるでマタタビをちらつかされた雌猫みたいな表情になっている。まずい。
だが、
「……それで、レミル殿の方だが」
ベアトリスが、やや強い口調で二人を会話に戻してくれた。
重要な話の途中であったらしい。玲子とレミルは、渋々ながらも会話に戻り、やがて没頭していった。
ほっと胸を撫で下ろし、悠の口から両手を離す。
「ティ、ティオ……」
悠は顔を真っ赤にして呻いていた。
ティオもさすがに恥ずかしくなり、悠の上でもじもじと震えていた。
少し慌てた声で、弁明する。
「そ、そのですネ。ユウ様たちは、地球に帰っちゃうかもしれないじゃないですカ」
「そ、そうだね」
「そうしたら、ユウ様たちとずっと離れ離れかもしれないデス。二度と会えないかもしれないんデス」
悠がはっと目を見開いて、そして悲しげに目を伏せた。
「……うん」
「だから、その……つい、勢いで言っちゃいましタ。ごめんなさいデス」
本当は、ずっと思っていることである。
ティオは悠の赤ちゃんを産みたい。彼の子供の、母親になりたかった。
母のように、自らの子を愛して守る母親になりたい。そしてその子は、悠との子供以外には考えられない。
単に愛する人と繋がりたいとか、刹那的な快楽に溺れたいという訳ではなく、もっと切実な想いがティオの願いの源である。
朱音にもこの気持ちを打ち明けたことがあるが、かなり驚かれた。
気持ちは分かるがまだ早いのではないかとも言われた。
どうやら、あちらの世界ではティオぐらいの年齢で子を産むことはとても珍しいことらしい。
だが、この世界ではティオぐらいの年齢で母となることも、そう珍しいことではないのだ。
むしろ亜人種は生殖能力に劣る傾向が強く、少しでも数を増やすために子供を産める身体になったら積極的に子作りに励む人種も多い。性欲の非常に強い兎人の集落などは日常的に――詳しく思い出すと頭がくらくらするので、思考を打ち切った。母と共に立ち寄ったのは短い間であったが、幼少期のティオにとって、あまりに刺激の強い経験であった。
悠は、難しい表情をしてうなっている。
「いや、うん……そうだね。もしかしたら、そうなるかもしれないよね。あんまり考えて無かった……」
二人は、違う世界の人間である。
こちらの世界であるティオが、あちらの世界に行ける保障もない。
いつかティオは、悠や朱音たちと永久に別れるかもしれなかった。
だから、自分が悠の1番になることは諦めている。きっとルルも同じだろう。朱音を応援する立場を取っているのは、友情以外にもそういう理由もあった。
だけど、2番目ぐらいには自分を置いてくれてもいいではないか。
悠との永遠の繋がりを、自分に残してくれても。
「お相手の了承」という条件については、ティオは親友である朱音を全面バックアップする立場だからして、二人が問題なくくっつけば問題ない。
「……駄目、ですカ? わたし、頑張りますかラ!」
「が、頑張るって……でも、僕の身体は……子供が……」
悠は普通の人間で、ティオは亜人である。ただでさえ妊娠する確率は極めて低い。
さらには、悠の生殖機能は、過酷な実験によりほぼ失われているだろうという話だった。
子を成せる確率は、もしかしたらゼロなのかもしれない。
「可能性はすっごく低いのは分かっていますデス。でも、諦められないんですよゥ……」
だがそれでも、愛の奇跡的な何かが起こるかもしれないではないか。
自分の人生を救ってくれた悠に対する愛情は、それぐらいで諦めるほど軽くはないのだ。
「うぅぅ……ティオの気持ちは、分かったんだけどさ……」
ティオの縋るような眼差しに、悠は困り果てた様子であった。
しかし、どこか気恥ずかしげに頬を染めるその表情は、決して脈が無い訳でもないように思える。
ゆえにティオは、譲歩案を出すことにした。
「せめて、ですネ。ほら、ユウ様は神殻武装を使うと、エッチになって女の子を襲いたくなるじゃないですカ」
「い、言い方! 言い方選んで!」
「そのお相手にですネ、ルルさんだけじゃなくて、わたしも入れて欲しいのデス」
「そ、それは……っ」
きゅっ、と可愛らしいお尻を押し付ける。
悠はごくりを唾を飲み込んだ。
ティオは悠の耳たぶを小さく吐息で撫でながら、悠の頬に顔をすり寄せていた。
「……ほ、ほら、それはルルさんの仕事だし」
「ルルさんからはもう許可もらってますヨ。ユウ様さえ良ければ、ローテーションにしましょうかっテ。二人一緒でもいいみたいデス」
「ふぁっ!?」
後ろから殴られたような声を漏らす悠。
逃げる言葉が見つからなくなったのか、彼は口をあんぐり開けたまま硬直していた。
ティオの表情は、にっこりと純真無垢な笑みだ。
「……いいですよネ、ユウ様?」
悠は嘆息して、恥ずかしそうにうつむいた。
頬を朱に染めて、小さな声で。
「……うん」
こくりと、頷いた。
「やたっ」
ティオは思わずガッツポーズ。
「嬉しいデス、ありがとうございますユウ様! 頑張りマス、わたしすっごく頑張りますネ!」
もちろん、ここで満足するつもりなど全くない。
だが、悠の心のハードルを下げておけば、そのうち本命のお願いだって通りやすくなるではないか。
「でも、もし、万が一、本当にできちゃっても……僕は君とその子供に、父親として責任取れるか分からないんだよ?」
「わたし一人でも立派に育てマス!」
悠の眼差しは、悲しげであった。
それは、彼がティオの願いは実際には叶わないであろうと思っていることや、地球に帰ったら二度と会えないかもしれないといったこととは別のものに対する、怯えのように思える。
彼が何か、とても重要なことを自分たちに隠していることをは知っていた。
それに関係していることなのだろうか。
いつか明かそうと思っているようだが、ティオはどんな内容でも受け止める所存であった。
「でも、子供を遺す……命を次に繋いでいく、か」
つぶやく悠の口元に、慈しむような笑みが浮かぶ。
「おおっ、意外と前向きですカ?」
「いや、そういう訳じゃないけど……でも、素敵だよね。うん、すごく素敵だ。自分がいなくなっても、この世に大切なものを遺せるなんて」
「そうですよ、とても素敵デス。お母さんがしてくれたみたいに、わたしも自分の子供にしてあげたいのデス」
「うん……できるといいね」
「……何か他人事っぽいデス。ユウ様はどうせ無理だと思っているかもしないですケド、わたし本気なんですからネ!」
「いや、ははは……ごめん」
……さて、ここで話を終えてしまっては、大切な親友に対するとんだ不義理である。
“鋼翼”の序列第6位には立ち向かえる癖に、たった一つの初恋に及び腰のヘタレに、援護をしてやろうではないか。
「あとですネっ」
「ま、まだあるの?」
「アカネのことです」
「……朱音の?」
きょとんと首を傾げる悠に、ティオはにんまりとした笑みを見せる。
「アカネも、そのローテーションに入れて欲しいのデス」
途端に、悠がうろたえた。
「なっ、いやっ……だって、朱音は他に好きな人が……」
「ユウ様……」
「な、何っ……なんか目つき怖いよ?」
ティオは、半眼でむすーっと鼻息を漏らした。
その言葉が本当なら、悠とべったりの朱音の振る舞いはおかしいとは思わないのだろうか。
鈍感なのか、自分への自信の無さなのか、その両方か……何とももどかしい。たまにイラッとする。
だが、朱音の想いはあくまで朱音の口から悠に告げるのだということで、男女問わず周囲では意見の一致を見ているのだ。生温かく見守るのが基本方針である。
だが朱音に直に応援を請け負った身としては、ある程度の手助けはせねばなるまい。
ティオはずいと顔を近付けて、またもや小さな声で語りかける。
「ユウ様! 忘れちゃいましたカ?」
「な、何を?」
「アカネはエッチな娘だってことデス」
「……はいっ?」
「あの時にアカネが言ったこと、思い出してくださイ!」
「あの時って……あ」
『……好きよ、こういうの……き、気持ちいいし……? は……はは……ははは……あはははははは』
それは、朱音が己の好意を素直に告げることができず、誤魔化すように言ってしまった言葉。
その結果があの淫乱宣言とはあんまりであるが、朱音の自業自得である。
まあ、悠のあり得ない天然っぷりも半分ほどは悪いのだが。
「う、うん……」
悠はあの時を思い出しているのか、顔をまたもや真っ赤にして呻いていた。
あの夜の朱音の姿は……まあ、魔素中毒による発情があったとしても、あの宣言を裏付けるに十分なものであった。あの言葉、あながち嘘でもないとティオは認識している。
「ほらほらユウ様。アカネはエッチなのデス。インランさんなのデス。火照ったカラダを持て余しているのデス」
「さ、さすがにそれは言い過ぎじゃないかな……?」
「とにかくっ、アカネがお願いしたら、受け入れてあげてくださイっ! お願いですカラ!」
ティオの剣幕に気おされて、悠はこくこくと頷いた。
「は、はいっ……その、朱音から言ってきたら、ね?」
「約束ですヨ!」
さて、後は朱音次第である。
とりあえず明日、話してみよう。
何となく、朱音の反応は予想がつくのだけど。
そうして恥ずかしい話題は終わり、内容は他愛もないものへと移っていった。
「……ティオって、たまに猫みたいな声出すよね」
「にゃんこの鳴きまね、得意ですヨ。にゃんこの方もわたしを仲間だと思うのか、寄ってくるのデス。1番得意なのはにゃんこだけど、他の動物でもできマス。例えばわんこも――」
犬や羊といった鳴きまねを、一通り披露した。
悠は大喜びである。初めての手品を見た子供のようにぱちぱち拍手をしている。
彼がときどき見せる、この幼い仕草がティオは大好きである。悠の満面の笑みに、自分も同じ笑顔でもって返した。
「すごい、すごいね! 目閉じて聞いたらほとんど本物だよ! これなら本当に動物も寄ってくるかも」
「えへへ、今度見せてあげますネ。帝城だと、たまに鳥さんが来るぐらいしかないので、見せられないのですケド」
「うん、今度、一緒に街に出ようね」
悠と一緒に街を歩く。
胸の躍る想像であった。
ティオはむにっと頬を悠の胸板に押し付けながら、上目遣いで悪戯っぽく微笑んだ。
「……わたしとユウ様、二人っきりですカ?」
「えっ、いや……朱音やルルさんも一緒にって思ってたけど……」
悠は必要以上にうろたえる。
どこか気まずげな、申し訳なさそうに目を伏せて、言葉を続けた。
「その、ルルさんが僕に会わせたいって人もいるみたいだからさ、その時にって……ティオは、嫌だった?」
「そんなことないですヨ、わたしは大好きなユウ様と一緒にいられるだけで幸せなのデス」
「あぅぅ……」
悠は頬を赤らめて黙り込んでしまった。
彼のこういう反応を間近で見られるのは、今のところ悠に真っ向から好意を告げた自分とルルぐらいなものだろう。
眼福であった。
ティオはにこにこと、悠のはにかんだ困り顔を漫喫する。
乙女のような恥じらい顔を存分にじっくり目に焼き付けた後、満足したティオは話題を切り替えた。
「実はですネ。わたしとアカネも帝都に、人に会いに行く予定なのデス。行ってもいるかどうかも分からないし、会ってくれるかも分からないのですケド……だから、途中まで一緒に出掛けましょうネ」
「……そうなんだ、それなら丁度いいね。じゃあ明日、さっそく行こうか?」
「いいですネ! アカネも大丈夫だと思いマス!」
かくして、ティオは悠との外出の約束を取り付けたのだった。
そして、翌日。
意外な同行者と共に、ティオ達は街へと出ることになる――
いかがでしたでしょうか、感想いただけるととても嬉しいです。
次話は悠たちが街にお出かけする話になります。
それと、またレビューありがとうございます!
読者の方の反応いただけると、モチべがモリモリ上がっていきます!
ポイントも、目標だった1万ポイントが見えそうな場所まで来ました。読者のみなさんのブクマや評価のおかげです。1Pでもとても励みになってます。本当にありがとうございます。




