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第3話 ―帝都の日常・その3(悠と朱音・宿舎にて)―

 少女4人による料理修行は、日が落ちた後も続いていた。


「あわわっ……」


 ティオは次々と生じる使用済みの食器と器具を片付けて洗い、食材を準備して、厨房内の清掃も請け負い、他の3人が修行に集中できるようにあくせくと健気に働いている。しかし仕事は誠実で丁寧だが、じゃっかん要領の悪い彼女にとって、こういった質より量の仕事は苦手とするところだろう。


「むう、これは……少しは、良くなったか?」


 伊織は真剣な表情で皿に魔族めいた異形のナニカを盛り付けていた。現在のところ伊織の進歩は、卵を殻を入れずに割れるようになっただけである。剣術や神楽舞の器用さを、どうして料理に発揮できないのだろうか。


「おい、何だあれ、錬金術の失敗作かよ……なんか呻き声みたいの出てねえか?」

「……次、誰が貧乳先輩のモンスター食うッスか? リツとミヤはもう動かないッスよ」

「ジャンケンでいいんじゃないの……負けた人がたんとー」


 出来上がった食事の処理班として、美虎の取り巻き達や武田省吾、そして彼と美虎に宛がわれた奴隷二人が、厨房と直結した食堂に集まっていた。


「……っ」

「……」


 美虎の奴隷は、愛嬌のある丸っこい顔立ちをした栗色の髪の猫人ワーキャット。名をミーシャ。

 省吾の奴隷は、気弱そうに目を伏せた、ふくよかな肢体の牛人ミノタウルス。名をシエラという。


 美虎も省吾も、自らの奴隷と一緒に行動することを好まないので、彼女らの姿を見ることは珍しいといえた。

 決して悪い人物ではないのだが、異界兵では古株である省吾や美虎たちと奴隷の間には、朱音らが召喚されるより以前に何かあったらしい。彼らの間には、傍目にも分かるほどの溝が感じられる。

 当の奴隷二人も、どこか居心地が悪そうだ。

 だが、それでもこのような場に連れて来るあたり、関係改善の兆しではあるのかもしれない。


「……うん、上出来。これでいいわね」


 一方、朱音は、美虎のアドバイスを受けながらも献立を作っている最中である。


 悠には、和食風の食事をごちそうするつもりであった。

 汁物は、残念ながら味噌が存在しないので、醤油に近い調味料を用い、柑橘類の皮で香りづけをしたお吸い物にした。煮込んで濁りの元を取った白身魚を具に入れてある。

 その魚などの旨味が溶け込んだお湯は煮詰めて、だし巻き玉子に使う。

 少し粘り気のある食用草はモロヘイヤによく似ていて、おひたしにした。

 このままでは野菜が不足しているので、使えそうなものを筑前煮ちくぜんに風に。

 白米がないので、残念だが麦飯である。

 

 そして、最後にもう一品――


「これは全部お前がやれよ、朱音」


「――えっ?」


 だったのだが。

 朱音は戸惑いの表情で、美虎を見上げた。

 美虎は朱音に助言をしている最中、ずっと何か思い悩んでいるような様子であった。

 そして今、その答えを朱音に突きつけている。 


「だから、最後の1品はオレは何も言わねえ。代用できる材料は揃ってるんだし、家でやってたみたいに、自分一人でやりな」


「で、でもっ! これが一番重要なメニューなんですよ?」


 最後の一品は、はじめから決めていた。

 それは、あの藤堂家で暮らしていた時、朱音が作る料理の中で、悠がもっとも気に入っていた品である。

 地球にいた頃、それが出ると知った時の悠は露骨にテンションが上がっていたものだ。

 だからこそ、最高の出来で悠に食べさせてあげたかったのに。


「あー……そのな」


 美虎は、罰が悪そうに頬を掻きながら、口を開く。

 言葉を探しているのか、珍しく歯切れの悪い口調であった。


「まあ、はじめっから何か違うなとは思ってたんだが……やっぱ、オレが手を貸すべきじゃねーわ」


「……どういうことですか?」


「それは――」


 美虎は言葉を続けようとして、しかし次の言葉を飲み込んだ。

 少し憮然としたような表情で黙り込む。

 その続きを言うのが、少しばかりしゃくだと言うような、面白くなさそうな顔。


「……とにかく、あと一品なんだからそれぐらいは自分で何とかしろよ、ちょっと島津が見るに堪えないことになって来たから、オレはそっちを何とかするわ」


「え、えぇぇ……そんな……」


 ひらひらと手を振って、伊織の方に顔を受ける美虎。


「……自信持てって」


 そう言い残し、彼女は伊織に話しかけていた。

 伊織は皿の上の暗黒体をドヤ顔で見せびらかし、怒った美虎に鼻を摘まれている。

 きゃんきゃん反論する伊織。宥めようとするティオ。 

 もう割り込めそうも無い。


「そんなこと言われたって……」


 もともと、お願いしていた身分であった朱音としては、これ以上強く言うこともできず、そのまま困り顔で立ち尽くす。

 結局、その後は美虎のアドバイスはもらえなかった。






 一方、魔道省施設から第一宿舎へと向かう帰路。

 夜空の下、悠の鼻歌が、小気味よく流れていた。

 隣を歩くルルが、微笑ましげに表情をゆるめる。


「ずいぶん機嫌をよくされておりますね?」


「ん……だって、明日は朱音が料理を作ってくれるんだよ。もう、楽しみでさあ! 久しぶりだよ、朱音の料理食べるの」


 宿舎に帰り、寝ればもう明日である。

 朱音の料理は、昼に振る舞われる予定であった。

 それが近づくにつれて、悠のテンションは俄然がぜん上がっていく。


「私も、とても良い心地でございます」


「……み、みたいだね」


 ルルも、しごく上機嫌であった。

 怜悧な微笑はゆったり緩んでおり、肌はどこか艶々(つやつや)としている。

 尻尾はぱたぱたと活きが良く、耳はつんと天を向いていた。

 理由は何となく察しているので、あえては問わない。


「あの、さ」


 悠は周りに誰もいないことを確認して、おずおずと問いかけた。

 さっきから気になって仕方が無かったが、二人っきりでないと聞けない内容なのだ。


「その、ルルさんとする前に、僕に言ってたことだけど」


「恋、のことですか?」


「う、うん……」


 ――恋、かもしれませんね。


 悠に口づけする前に、ルルが口にしていた言葉。

 その後のルルは、以前にも増して積極的であった。

 

「そうですね……」


 ルルは気恥ずかしげに、薄桃色の髪をくるくる指先で弄びはじめた。

 珍しく困っているようだ。


「実は、私にもよく分からないのです」


「……え、恋が?」


「はい」


 ルルは、気まずげな苦笑を漏らす。

 悠は彼女を見上げ、小犬のように首を傾げた。


「なんか、意外……ルルさんだったら経験豊富そうなのに」


「あら、それは心外ですね」


 語るルルは、どこか遠い眼差しをしている。

 その琥珀の目は、夜空の向こうに今は失われた故郷を見ているのだろうか。

 

「私が、ルヴィリスという小国の出身であることは、以前にお話ししましたね」


「うん」


 狼人ワーウルフの小国、ルヴィリス。

 フォーゼルハウト帝国の領地に近接していた、森の中の小さな国である。

 ……およそ3年前、“獣天”シド・ウォールダーによって滅ぼされた悲劇の国。

 国外に出払っていた少数を覗いて、公式には皆殺しにされたと言われている。


 たがその生き残りが、ここにいる。

 名を変え、復讐の牙と策を研ぎながら、悠の隣に立っていた。


「私は、国家の差配に関わる、それなりの立場にあった一族に名を連ねておりました。誰の妻となり、誰の子を産むかは、私の意思ではなく、それが如何に国を富ませるか、民の幸福に繋がるかの観点より決定されます」


 理屈では分かっていても、感情の上ではすっきりしない価値観であった。

 だがこの世界では、それが当たり前なのだろう。


「私は、この身と人生をルヴィリスのために捧げるつもりでした。ですから、人がましい恋愛というものは初めから諦めていたのです。もちろん、夫となる者には妻として最大限に尽くす覚悟ではありましたが……その機会は、ついに訪れませんでした。その後も、そういったことを考えられる日々ではありませんでしたし」


 ぎり、とルルが歯ぎしりをする音が聞こえた。

 その琥珀の瞳に、絶対零度の獄炎が宿る。

 発端となった亡国、そしてその後の3年間を思い出しているのだろうか。屈辱的で、過酷な日々であったと聞いている。

 それを振り払うようにかぶりを振り、ルルは悠を穏やかに見下ろした。


「……なので、私も恋の“好き”というものが、本当のところは良く分かっていないのです。そういった意味では、ユウ様と同じかもしれないですね。ティオ達には言わないでくださいね? 年長ぶってる手前、恥ずかしいので」


「ルルさん……」


 ルルの、こんな姿を見るのははじめてであった。

 いつも彼女は、人生経験豊富な頼れるお姉さんのような存在だったのである。

 だが今のルルは、自分と3つしか違わない、ただの年相応の少女のように見えた。


「ユウ様のことは、とても好ましく思っております。ですが私は、子供の頃から女として真っ当な人生を歩んできたとは言い難いもので……この好意の正体を、自分でも図りかねているのです。先刻は、つい気分が盛り上がって口にしてしまいましたが」


 そう言い、はにかむような、罰の悪そうな、眉根を寄せたためらいがちの笑みを浮かべていた。

 何と返したらいいか迷っている悠に、彼女は悪戯っぽく微笑みながら、顔を寄せてくる。

 赤らんだ頬、潤んだ瞳、思わず硬直する悠の耳朶じだを、囁くような声が撫でる。


「もしこれが恋なのだとしたら……私の初恋の相手は、ユウ様ということになりますね?」


「……へぁっ?」


 思わず変な声が出た。

 それは確かにその通りなのだが、改めて言われると顔がかぁっと熱くなってくる。

 目を白黒、口を金魚のようにぱくぱくさせて呆気に取られる悠に、ルルは屈託のない笑みを漏らしていた。


「さあ、着きましたよユウ様」


 気付けば、第一宿舎は目の前である。

 それを――その中の誰かを見つめるように目を細め、ルルがぽつりと呟いた。


「人の気持ちは、すぐに分かるのですけどね……」






 ――そして翌日。時刻はすでに昼を回っていた。


 朱音は、こわばった表情で第一宿舎の廊下を歩く。

 足取りはぎこちなく、配膳台を押すがらがらという金属質な音が響いていた。その上には、和食風に調理された料理が、温かな湯気を立てている。

 

 いい匂いがする。よくできたと思う。

 おおむね、満足な出来ではあった。会心といってもいい。

 ……ただ一品、肝心な、最も重要な一品を除いては。


(美虎さんのいじわる……!)


 思わず、そんなことを思ってしまう。

 十分すぎるほど協力してくれたのだから、あまりに自分勝手で恩知らずな思考であることは、自分でも分かっているのだが。


 そんなことを考えているうちに、悠の部屋の前に到着していた。

 胸中にこびりついた無念を吐き出すように深く、深く息を吐き、意を決してドアをノックする。


「どうぞ!」


 即座に、弾んだ声が返ってきた。

 どうぞと言うなら待ってればいいのに、ぱたぱたと足音が近付いてくる。

 勢いよくドアが開けられ、悠が顔を見せた。


 さらりとした白髪頭、女の子のような丸っこい柔らかな相貌が、朱音と、そして配膳台の上に置かれた料理を見てぱっと輝く。


「うわ、わあっ、わあぁぁ……! すごい、和食だよ! すっごい美味しそう!」


 目をきらきらさせて見上げてくる悠。

 これが犬だったら、尻尾をものすごい勢いでぱたぱた振っているところだろう。

 照れる朱音は、にやけそうになる口元を手で覆いながら、素っ気ない声をかける。

  

「……まあ、和食“風”だけどね。ほら、邪魔邪魔。テーブルに並べるから、座って待ってなさい」


「うん、うん……!」


 悠は、すっかりテンションが上がっている。

 自分の大好物が入っていたこともあるのだろう。

 つくづく、いつものやり方でしか作れなかったのが残念であった。


 その感情を表に出さないように努めながら、朱音はテーブルの上に食器を並べていく。

 食器は洋風なのは、まあ仕方がない。幸いにして、はしとして使えるものは用意できた。 


 程なくして、テーブルの上には朱音が丹精を込めた2人分の手料理が並んでいた。

 悠は、おあずけを食らった犬のように、今にも涎を垂らしそうな表情をしている。本当に楽しみにしていたのだろう。料理した本人としては、何ともくすぐったい心地であった。

 対面に座ると、悠はうずうずと落ち着かない様子で朱音をじっと見つめていた。食べる許可を待っているのだろうか。


 ルルとティオはこの場にはいない。この部屋には今、2人っきりである。

 2人っきりなのである。

 2人っき――


「じゃ、じゃあ、冷めないうちに食べるわよ!」


 誤魔化すように、声を上げる。

 変に意識すると色々とまずい気がした。

 朱音の言葉に、悠は満面の笑みで両手を合わせる。


「うん! いただきます!」

「いただきます」


 自分も両手を合わせるが、まずは悠の反応を見たい。

 箸を手にしたまま、それとなく悠を見つめていた。


「これ、おひたしだよね? ほうれん草みたいなの?」


「どっちかというとモロヘイヤね」


「へえ……こういのも久しぶりだなあ」


 悠はまず、おひたしに箸を付ける。

 藤堂家で教えられた行儀の良い作法で、悠はしんなりした濃緑色の野菜を口に運んだ。

 口を閉じ、もぐもぐと咀嚼している。


「んー……美味しいね、朱音」


 こくん、と喉を鳴らした悠は、にこりと微笑んだ。

 その言葉を疑う要素のない、屈託のない笑みである。

 だが、しかし、


「……もしかして、微妙だった?」


 一瞬、悠の表情にわずかなかげりが浮かんだ気がした。

 まるで、期待外れだったと言われたような。

 朱音のためらいがちの問いに、悠は目をぱちくりと瞬かせる。

 

「えっ? いや……美味しかったよ、本当だよ?」


 本当に不思議そうに首を傾げる悠。

 朱音は釈然しゃくぜんとしない気持ちを抱きながらも、自らもおひたしを口に運んだ。

 

 美味しい。

 湯に通した時間も絶妙で、心地よい粘り気を帯びた食感と共に、少々の塩味が口の中に広がっていく。

 美虎から仔細なアドバイスを受けたおひたしは、以前に悠に作っていた時よりも確実に質が向上しているはずであった。


 やっぱり気のせいなのかしらと思いながら、朱音は次を勧めた。

 悠は次に、だし巻き玉子を選んだ。


「んっ、んー……んふぅっ、うん、美味しいっ」


 悠は、にこにこと声を弾ませる。

 だが朱音の目は、どんよりと曇っていた。


「…………」


 間違いなかった。

 確かに悠は、一瞬、わずかであるが表情をかげらせている。

 いったい、何がいけないというのか。


 口の中で解けるだし巻き玉子、澄み切っただしの旨味がふわりと広がり、玉子の甘さと絡み合ってお互いを引き立てている。

 家で作っていたものよりも、ずっと美味しいはずだ。


 続く筑前煮風も、似たような反応であった。

 それを確信した朱音は、しょんぼりと肩を落としながら丹精を込めた手料理を、自らの口に運んでいる。

 美味しい、が気持ちはどんどん沈んでいく。


(やっぱり、美虎さんに勝てないのかしら)


 結局、彼女の料理に比べれば霞んでしまうと、そういうことだろうか。

 朱音は古くからの名家の令嬢である。同年代の少年少女よりは、舌は肥えているつもりであった。

 その朱音をしても、美虎の料理は信じられないほど美味かった。自分では、とうてい敵わない。

 

 きっと悠の胃袋は、美虎に完全に掴まれてしまったのだ。

 身体の関係を持ったというアドバンテージも、すでに無い。胸も美虎の方が大きい。


 色気とか淑やかさでは、ルルに敵わない。

 愛嬌とか素直さでは、ティオに敵わない。

 オタク気味の悠と一番趣味が合うのは、伊織である。


(無理よ、自信持つなんて……)


 殴ったり蹴ったり絞めたりばかりの自分には、恋という戦場での戦い方が分からない。

 他の4人は、少なくとも自分よりは知っているだろう。


 悔しくて、悲しくて、ちょっと泣きそうだった。

 みっともない表情を見せたくなくて、顔を伏せる。

 悠は、筑前煮風の具を一通り味わい終わったようである。満足げな表情が見えるが、内心では美虎の料理と比較されているのかもしれない。

 

「ん、じゃあ……」


 悠は、好きなものを最後に箸を付けるタイプだ。

 最後に残った品は、


「肉じゃが貰うかなっ。大好物なの、知ってて作ってくれたの?」


「……ん」 


 そう、肉じゃがである。

 美虎の力を借りることができなかった、以前からまったく進歩していない品であった。

 他の品が期待に沿えなかったのに、いったいどうして今の悠を満足させることができるだろうか。


 悠は、ホクホクと湯気を立てるイモを崩して、肉と一緒にぱくりと食いついた。

 朱音は、恐る恐る、最後の品に対する悠の反応を見守っていた。

 そして、悠は、


「ん、うぅ~~……!」


 感動したように、身を震わせる。

 その表情には、一瞬の落胆も見えない。

 悠はそのまま、ぱくぱくと肉じゃが頬張り、幸せそうに表情を綻ばせていた。

 朱音は、きょとんと目を見開いた。


(……えっ?)


 食べてみる。

 醤油風味の味が染み込んだイモと肉、ほっこりした食感に肉の脂がよく馴染んでいる。

 これだって一生懸命に作ったのだ。美味しいとは思うが、先に出した会心の品には及ばないように思える。

 

 喜んでくれているのは、素直に嬉しかった。

 だが同時に、腑に落ちない部分もある。単に肉じゃがが悠の好物だという理由とは、どうも違うように見えたのだ。

 肉じゃがに舌鼓を打つ悠、彼の箸が止まるのを見計らって、朱音は問いかけた。


「肉じゃが……美味しかった?」


「うん、最高! すごいよ朱音、この世界でも肉じゃが食べられるなんて! あの、おかわり……あるかな?」


「あるけど……その前に!」


「な、なにっ?」


 声を上げる朱音に、悠はびくりと肩を竦ませた。

 まったく誰かのために命を張れる男が、どうしてこうもヘタレ気質が抜けないのか。

 朱音は、ずいと顔を近付けて、悠の戸惑う瞳を真っ直ぐに見つめた。


「どうしてよ。どうして、おひたしとかだし巻き玉子とかの時はちょっと微妙な顔してたのに、肉じゃがだとそんなにリアクション違うの? 大好物なのは知ってるけど、なんか納得できないんだけど!」


「え、僕そんな顔してた?」


「してたわよ、絶対……肉じゃがなんて、家で作ってたのとほとんど同じじゃない」


 朱音の拗ねるような声に、悠は困り顔を浮かべる。


「その……そういうつもり無かったんだけど、ごめんね」


「謝罪なんていらないわよ、それより理由の説明が欲しいんだけどっ」


 面倒臭い女と思われるかな、という危惧はあったが止められない。

 朱音は悠からじぃっと目を逸らさずに見つめ続けていた。

 しばらく唸っていた悠は、やがて恥ずかしそうに口を開く。


「あの、さ」


「ん」


「最初のおひたしとか、玉子焼きとかはすごく美味しかったんだけど、やっぱちょっと違うな、とは思っちゃったかな」


「……やっぱり、美虎さんの方が美味しいってこと?」


「そ、そういうどっちが上とかじゃなくてさっ、その、僕が思ってたのは……朱音の味なんだよ。それとは、ちょっと違う味だったかな」


「あたしの?」


「うん」


 悠は、顔を赤くして、もじもじと俯いていた。

 どうやら、相当に恥ずかしいことを言おうとしているらしい。

 朱音は、固唾を飲んで悠の言葉を待った。 


「僕にとって、ただいまって言って帰る家って、やっぱり藤堂のおうちでさ……ご飯作ってるのは、朱音じゃない」


「……そうね」


 母と姉は亡く、父は非常に多忙である。

 家政婦を雇っていた時期もあったが……いつしか、家事全般は朱音一人の仕事となっていた。

 おかげで、人並み以上には家事万能である。美虎はその上位互換な訳だが。


「だからさ、その……変な言い方かもしれないけど、おふくろの味っていうのかな。僕にとって朱音の料理の味って、そういう……家族、みたいなさ。この肉じゃがの味って、あの時と同じで……朱音?」


 俯き気味に語っていた悠は、そこでようやく朱音の異変に気付いた。


「……ひぁっ」


 朱音は、泣いていた。

 ぽろぽろと涙をこぼして、震える唇から小さな嗚咽を漏らしている。

 悠はうろたえた。


「朱音!? や、やっぱり駄目だったかな!?」


「ち、がう……違うわよ! 見るな、馬鹿!」


「ご、ごめんなさいっ」


 朱音は、倒れ込むように椅子に背を預け、天井を仰ぐ。

 感情が踊って暴れて、抑えられない。顔から溢れだすのが、止めれない。

 濡れ震えた声で、ぽつりと問いかけた。


「……家族なの? あたし達って」


「うん……僕にとっては、朱音と正人さん……あと、研究所で助けてくれた女の人が、そうなるのかなって……やっぱり、迷惑?」


「す、好きにすれば……!?」


「う、うん」


 悠は、そのまま黙り込んだ。

 朱音の嗚咽だけが、部屋に溶ける。

 自分でも訳の分からない感情の震えで溢れた涙が止まるのには、もう少しかかりそうだった。


 ……しかし、家族。

 家族と来たか。

 家族を知らない悠は、自分にそういう感情を抱いていたとは思いもしなかった。

 まったく、卵からかえったばかりの雛鳥ひなどりじゃあるまし。

 自分が思っていたよりもずっと近く、大きく、藤堂朱音という存在は悠の中に寄り添っていたのだ。


 ――自信持てって。


 なるほど、美虎の言葉はそういう意味か。

 夢幻城で悠に食事を何度も振る舞っていた彼女は、悠が一番喜ぶ味が何なのか、おぼろげだが気付いていたのだ。

 悠の胃袋は、とっくの前に朱音に掴まれていた。

 それなのに、自分は勝手に追い詰められて、怯えて、慌てふためいて……


「馬っ鹿みたい!」


「ふぇっ!?」


「馬っっっっ鹿みたい!」


「二回言った!? 何、何なの、重要なの!? ご、ごめんなさい!?」


「あんたのことじゃないわよ!」


 空になった肉じゃがの皿を手に取り、誤魔化すように勢いよく立ち上がる。

 赤く泣き腫らした顔を見せないようにしながら、ドアへと歩いた。


「おかわり、欲しいんでしょ? 厨房にあるからよそってくるわよ」


「う、うん……」


 朱音のテンションの移り変わりについていけてない悠は、いまだおろおろとしていた。

 皿を手にドアを開け、部屋を出ようとする朱音に、遠慮がちな声がかかる。


「あの、朱音」


「ん?」


 ちらりと振り返れば、悠が上目遣いでこちらを見ていた。その目は、期待に輝いている。

 悠は、ごくりと唾を飲み込んで、


「できるだけ、いっぱい欲しいな」


 思わず、吹き出しそうになる。


「……鍋ごと、持ってきてあげるわよ。ああ、あと」


「なに?」


 ふっと、頬がゆるんだ。

 唇から漏れる声は、自分でも驚くほど穏やかで、優しい。


「あたしも、悠の“家族”でいたいわ」


 悠は、少し驚いたように目を見開く。

 そしてすぐに、嬉しそうに相好を崩した。

 弾んだ声が返ってくる。


「……うん!」


 悠の“家族”と、朱音の“家族”。

 その違いを、彼は絶対に分かってないだろうなと思う。

 だが、今はそれでいい。


 そんなことを意識するべきなのはまだずっと先の話で、朱音たちが巻き込まれた魔道の戦いも、朱音が挑んだ恋の戦いも、すべて終わって、地球に帰った後のこと。まずはそのすべてに勝たなければならないのだ。


「じゃあ、行ってくる」


「ん、行ってらっしゃい」


 ドアを閉め、寄りかかり、深く、深く、息を吐く。

 余分な感情を吐き出した後に残ったのは、凛とした笑みであった。

 朱音は脳裏に浮かぶ様々なものに向けて、小さく、だが力強く、挑むように呟く。


「……負けないんだから」


 廊下に響く軽やかな足音、小さな鼻歌が流れていた――

朱音の手料理話についてはこれで終わりとなります。

いかがでしたでしょうか、感想いただけると嬉しいです。

それと逆お気に入りユーザー100人達成しました。登録してくださった方、どうもありがとうございます。


4章は今まではやれなかったような色々な話を考えているのですが、まだ内容の整理がついていない部分もありますし、仕事の都合もありますので、次話は間が空いてしまうかもしれません、お待ちいただけると嬉しいです。

このキャラを活躍させて欲しいなんて要望ありましたら、感想やメッセージでどうぞ。

更新予定は、活動報告にて告知できればと思っております。

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