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第1話 ―帝都の日常・その1(朱音、厨房にて)―

 ジフォールから帝都に帰還した翌日。

 快なる朝の陽気が、朱音たちの暮らす第一宿舎を包んでいた。


「よろしくお願いします!」


 石造りの厨房に、凛とした声が響く。

 藤堂朱音とうどう・あかねが、エプロン姿で立っていた。

 鼻息も荒く、その表情は武術の稽古前のように真剣そのものだ。


 そう、これも稽古である。

 悠に、手料理を作ってあげると約束したからだ。 

 今までで最高の料理を振る舞うつもりであった。そのためには腕を上げなければ。修行が必要である。

 その師匠は――

 

「……で、オレに頼む訳か」


 朱音を半眼を見下ろすのは、傷持つ美貌の長身の少女、鉄美虎くろがね みこである。

 彼女もまた、エプロン姿だ。ワイルドな印象を受ける容姿の彼女であるが、意外なほどにエプロンが馴染んでいた。


 美虎は呻くような声は、どこか気まずげであった。


「なんつーか……やっぱりどうなんだ? オレに頼むってのは」


 美虎の問いは、朱音の内心を察してのものであった。

 何を隠そう、朱音がこんなにも意気込んでいる最大の原因が、目の前の美虎である。

 その理由は二つ。

 

 一つ、悠がやたらと美虎の料理を褒めること。

 自分が悠にはじめて料理を作った時、あれほどの激しいリアクションを得られただろうか。


 二つ、つい先日に悠と美虎が、

 悠と美虎が、


 悠と……美虎が……!

 

「ぐ、ぬ、ぬ……!」


「……またかよ」


 悩ましげな唸りと歯ぎしりを上げはじめた朱音に、美虎が深々と嘆息した。

 当時のことを思い出したのか、その頬にわずかに朱が差す。以前よりも少し色っぽくなったように見えるのは、果たして気のせいなのだろうか。 


「だからあれは仕方なかったって言ってんだろ……お前が想像してるような恋愛事ことは無かったって、何度も言ってんだろうが。心配しなくても悠を取ったりなんてしねえって」 


「なっ、何がですか!? あたしはただ、悠がふしだらな人間関係を広げることに、保護者おとうさんの代わりとして危惧きぐをですね――」


「あーお前ほんと面倒くせえ! そうことでもいいからよ、とにかくあれは不可抗力で、オレと悠はそんな甘酸っぱい関係にはなってねえから!」


「……でもベッドの上でメスっぽい顔して抱き合ってたばい。悠にキスマーク付いてたとよ」


「うぐっ」


 ぼそりと陰鬱な声。

 厨房に立つ、もう一人の少女――島津伊織しまづ いおりである。

 黒いポニーテールに小柄な身体、彼女もばっちりエプロン着用だ。

 エプロンの胸部を豊かに持ち上げる朱音と美虎の肢体を、どんよりと据わった眼差しで見上げている。

 彼女もまた、料理オンチの解消のために参加していた。


 そしてもう一人。


「ま、まあまあ……今はお料理の勉強なのですカラ……」


 ティオが、引き攣った笑みを浮かべてなだめようとしていた。

 彼女は、食器や調理器具を洗ったりするサポート役である。


「せっかく今日は厨房を貸し切りで使わせてもらってるんデス。時間が勿体ないですヨ?」


 4人の少女が立っているのは、第一宿舎に設けられた厨房である。

 主にルルやティオのような奴隷が自らの主である第三位階の異界兵の求めに応じて食事を振る舞ったり、自分たちの食事をまかなうための設備だ。


 スペースはさほど広くはないものの、一通りの料理器具は揃っていた。

 白っぽい石造りの室内は牧歌的な雰囲気すら感じられるが、魔道科学の恩恵により、水道はおろかコンロまで備え付けられている。


「はぁー……」


 朱音は、深く、深く、内心の動揺を震える吐息に乗せて、胸中から追い出した。


「……すみません美虎さん」


 やむを得ない事情があったのは分かっている。

 そして、悠の恋人でもない自分にそれをとがめる資格が無いことも。

 ルルも、ティオも、美虎も、そして自分も、合意の上でのことだ。倫理的にどうかとは思うが、誰を責めるのも筋違いである。

 結局は、いまだに悠に想いを伝えられていない自分の責任なのだ。

 ……と分かってはいても、良くも悪くも情の強い朱音は、胸中の情動を持て余していた。


 美虎は、やや辟易へきえきした様子でぼそりと呟く。


「……とっと告ればいいだろうに」


「ななな、な、何がですか!? こ、こきゅ、告るって誰に!? あたしが誰に告白するっていうんですか!?」


「あー、そうだな、そうだったな……はあ」


 自覚はすれど、いまだにティオ以外には悠に対する好意を認められない朱音であった。

 当然、本人に告白などできる訳がない。

 そんなことができる素直な性格なら、そもそもこんな面倒なことにはなっていないのである。


「あれで、バレてないと思っているのか……?」 


「思ってるみたいですネ。アカネはあれでけっこう天然さんなのデス」


「でも前の女子会で胸やけするぐらい惚気のろけられたんだが……自分の性感帯まで暴露してたぞ」


「しー! アカネは覚えてないんですカラ! 発狂しちゃうデス!」


「というか連座でお前もたいがい酷い暴露されてたんだが……平気そうだな?」


「わたしはユウ様に手を付けていただいてけっこう優越感ですヨ? ユウ様って女の子からすごい評判いいですし、羨ましそうに見てた人もいっぱいいたじゃないですカ。イオリ様だって――」


「しー! しー!」


 そんな伊織とティオのぼそぼそと小さな話し声は、朱音には届いていなかった。


 朱音は現在、情緒不安定気味である。

 これまでは、悠と一番多くの時間を共有し、一番近い立ち位置にいるのは自分だという自負があった。

 事情があったとはいえ悠と一夜を共にしたという事実に舞い上がってもいた。

 だが、悠の時間は自分の知らないところでも進んでいるのだ。悠の世界は自分の知らないところまで広がっていくのだ。

 朱音は先日の事件を経てそれを強く自覚し、危機感めいた感情で胸を焦がし続けていた。

 悠の中で、朱音という少女の存在が占める割合が、急に小さくなってしまったような気がする。


 なりふり構っていられないのである。

 恋敵になるかもしれないと警戒している相手みこに頼るほどに、朱音の心は追い詰められていた。

 傍目には必死すぎて滑稽な姿ですらあったが、それを客観視する余裕は、今の朱音にはない。

 悠を自分の手料理で唸らせて、自信を取り戻したかったのだ。


「まあ、一度は引き受けことだし、料理教えるのも嫌いじゃねえから、やってやるけどよ……けど、別にいらねえと思うけどなあ。お前、料理は普通に上手いっていうじゃねえか」


「い、今より上手くなりたいんです!」


「上手く、ねえ……」


 美虎は、何か物言いたげな眼差しを朱音に向けていた。

 だが朱音の追い詰められたような真剣さを前に、言うべき言葉に迷っている。あるいは確信を持てず、断言しかねるようなことなのか。


「……美虎さん?」

 

「いや、何でもね」


 やがて、諦めたようにため息をつき、黙り込んだ。

 会話が途絶え、厨房に気まずげな沈黙が落ちた。

 コミュ力の高いティオが、すぐさま話題を提供してくれる。


「そういえば、ミコ様はお料理がとてもお上手なことを、どうして隠してらしたんですカ?」


「ん? ああ……ほら、オレやモモ達って、お前らとは敵対……ってほどでもねえけど、仲間では無かっただろ?」


「そうだな、くろがねたちとは終生の敵になるかとも思っていたが」


 伊織が、どこか遠い眼差しで呟いた。

 その目は、美虎の大ぶりのメロンのような胸の膨らみに向けられている。

 その視線に気付いた美虎は、半眼で伊織を見下ろした。


「お前がもっと胸でかければ、あそこまでこじれなかったかもなあ」


「貧乳に貧乳って言ったら殺し合いとよ!? ハゲにハゲって言うようなものたい!」


「あー、うっせうっせ。ずいぶんと羨んでるけどな、巨乳には巨乳の苦労ってもんがあるんだよ。なあ、朱音?」


「あたしに振りますそれ? まあ……そりゃあ、正直いって邪魔な時も多いですけど。重いし、稽古の時とか痛くなることありますし」


 でも、悠が綺麗だと言ってくれた。ドキドキした顔で見て、触れてくれたのだ。

 そう思えば、自分の身体付きもそう捨てたものじゃないと思える。

 よろめく伊織が、よよよ、とすり寄るように同じく胸の薄いティオに語りかけていた。


「富める者には、貧しき者の気持ちが分からんばい……だけん、そげな残酷なことが言えるとよ。1年間で1cmも増えなかった絶望、ティオなら分かってくれるとね?」


「す、すみませン……わたし、けっこうお胸増えてマス」


 ティオ14歳。

 まだまだ発展途上の身体であった。

 16歳にして成長の止まった伊織の顔が、新たなる絶望に上書きされる。

 汚らわしいものにでも触れたかのように、ティオから離れた。


「この裏切り者!」


「理不尽じゃないでしょうカ!」


「よか、おいにはレミルという同志がいるとよぉぉ……!」


「10歳児と張り合う気かよお前……」


「もしかしたら、カップじゃもう――」

 

「アカネ、しー!」


 調理台に突っ伏してぷるぷる揺れるポニーテール。

 三つの哀れみの眼差しが、降り注いでいた。


「……話を戻すけどよ。あの時のオレは、お前らにとっては別勢力のおっかねえ女リーダーだった訳だ。そういう奴がだよ、特技は料理なんて言ったら……なあ?」


「……なるほど」


「納得デス」


 つまりは、舐められないように威厳を保つためということだ。

 いつの間にやら自然と美虎のグループと合流していたが、そのまま言いだす機会も無かったのだろう。

 美虎が意外と女の子女の子したスキルと趣味の持ち主であることは、すでに周知となってはいるのだが。


「……いい加減、はじめっか。おら島津、いつまでもうつってんじゃねえよ!」 


 美虎の発破に、のろのろと伊織が立ち上がる。朱音とティオも、その威勢のよい声に押されるようにして従った。

 それからは、黙々と器具や食材の準備を――


「ずいぶんと、カップル増えたよなあ。オレのグループなんて、地球に彼氏がいるクロを別にしても、フリーなのオレとモモぐらいだぞ?」


「吊り橋効果って言うんですかね……魔界で危ないところを助けてもらって、ていうパターンも多いらしいですけど。やっぱり命の危険があるから、そういう気持ちが盛り上がりやすいのかしら」


「そんな中でトウマ様とアヤカ様ですヨ。なかなか距離を縮められない幼馴染同士の関係、萌えちゃいますよネ」


「逆に近過ぎてってこともあるのだろうな」


 ――できなかった。

 何せここに集まっているのは、年頃の4人の少女なのである。

 かしましい、という言葉のごとく、男からは理解ができないほどに口がよく動くのだ。 

 いまだコミュ力には難を抱えている自覚のある朱音であるが、話を振られる分には普通に話を弾ませることぐらいはできる。

 そのうちに、話の流れがまたもや危険な方向へと向かっていた。


「結局、悠は好きな子がいるのだろうか」


 すなわち、悠の女性関係について。

 地雷原でしかないその内容に恐れずに切り込んでいくのは、この中でただ一人、悠と関係を持っていない伊織であった。

 朱音と美虎はとたんにぎくしゃくとしはじめ、受け答えするのは主にティオである。


「どうでしょうネ。ユウ様はまだ恋人の好きと友達の好きの違いがよく分からないって言ってましたケド」


「まあ、普通の暮らしじゃなかったらしいものな……」


 悠は、長年にわたり実験動物のような暮らしをしていた。

 あの記憶力のおかげで社会常識を身に付けるのは早かったが、そういう情緒的な部分はまだまだ未発達なのも、仕方ない話だろう。

 朱音の全裸を見ても男として何の反応もしなかった頃に比べれば、ずいぶんと変わったものではあるのだが。


「……わたしとしては、いっそユウ様が開き直ってくれた方が嬉しいですけどネ」


 ティオも同じく悠への思慕を抱いているはずであるが、彼女はあっけらかんとしたものだった。

 美虎と悠のあの姿を見ても、特に動揺した素振りすらない。


「開き直るってどういうことだよ?」


 厨房の設備を準備する美虎に問いかけられ、作業を手伝うティオは気楽な声で答えた。

 にこにこと、年相応の屈託のない笑顔で、


「アカネも、わたしも、ルルさんも、ミコ様も、イオリ様も、みーんなユウ様のものになっちゃうってことデス」


『ぶっ!?』


 三人とも、吹き出した。

 当然だ。現代日本で育った年頃の少女には、あまりに刺激の強い価値観である。

 それは、つまり――


「ハーレムじゃなか! ふしだらたい! 不潔たい!」


 伊織が顔を真っ赤にして声を上げた。

 朱音と美虎も、割とドン引きである。

 ティオとしても半分は冗談だったのだろう、ぺろっと悪戯っぽく舌を出す。


「やっぱり皆様の世界だとダメなんですネ。こっちだとそんなに珍しくないんですケド」


「そうなの……?」


「そうですヨー。アーゼス教が、その辺すっごく緩いのものあるんでしょうネ。宗派によっては、相手は誰でもいいから、どんどん子供作っちゃえって教えもあるみたいデス」


「へー……」


 アーゼスフィール聖教。この世界で最も普及している宗教である。

 地球であればキリスト教のようなものだろうか。

 朱音はクリスチャンでも何でもないが、確かにくだんの宗教はその辺について、かなり厳格であったように思う。


「昔は今ほど魔道が進んでなくて、魔族の被害が今とは比べ物にならないぐらい酷かったらしいのデス。だから、そういう教えが広まったんだって、お母さんが言ってましタ」


 語るティオの声に、複雑な感情の影が見える。


(そういえば、アーゼス教って……)


 ティオのような亜人を、「人になり切れなかった者たち」として差別対象にしているはずだ。

 そしてそれは、アーゼス教を国教としたフォーゼルハウト帝国における国是の一つとなっている。

 彼女としては、そういう教義を持つ宗教が世界全土に広まったことについて、複雑な想いがあるのかもしれない。


 そんな朱音の思考は、美虎の上げた声に打ち切られた。

 美虎はこの場の3人に向けて、念を押すように強い口調で声を放つ。 


「もう一度言うけどよ、オレは別に、悠とどうこうなろうなんて気はないからな」


「メス顔……」


「うるせぇな島津! し、仕方ねえだろ……その、あれはだな……」


「気持ち良かったですカ?」


「そうそう……て、おいっ! あー……おほんっ、ごほんっ!」


 美虎は、頬を真っ赤に上気させ、わざとらしい咳払いで誤魔化した。

 一転して俯き気味に、もじもじとした様子である。


「まあ、責任取って欲しいって気持ちは、無い訳じゃないけど……傷を見せても平気な男なんて、まだ悠ぐらいだし……別にまた……って違う!」


「忙しい奴だな……」


「ミコ様もけっこう情緒不安定ですよネ」


 美虎はぼりぼりと苛立たしげに頭を掻く。

 そして両手を腰を当て、仁王立ちめいた体勢で部屋の中の三人を睥睨した。


「とにかく! オレは悠にアタックかけるつもりはねえから安心しとけ! 以上、話終わり! キリねえからさっさと始めんぞ! おら、返事は!?」


『は、はいっ!』


 美虎の有無を言わせぬ半ギレ気味の大声と共に、朱音たちの料理修行が始まった。 

次話は、一方の悠サイドです。

更新はできるだけ早くを目指しますが、遅くとも水曜には。


明日は書籍の発売日です。なろう版の既読者の方にも、書籍版からの追加・変更点を楽しんでいただけると良いのですが……書籍版の感想の方も、どうぞご遠慮なくお送りください。

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