終話 ―おかえり―
申し訳ありません、第3章33話について、悠の余命の秘密について、レミルと口外しない約束するシーンを追加したことを伝えるのを忘れておりました。
アリエスと別れた悠は、ルル、レミルと一緒に夜を過ごした。
そして翌日、抱きつき癖のある二人が揃ってルルに密着して熟睡していたので、起き出すのはかなり遅くなってしまった。
宿舎の廊下を歩きながら、レミルは感じ入った様子で、唸るように言う。
「すごいのだ、ルルは理想の抱き枕係なのだ」
「あったかくて柔らかくてすべすべだからねえ」
「目覚めたら寝間着が脱がされていたのは何事かと思いましたが……」
悠が目覚めたとき最初に目に入ったのは、二人に前後から挟まれて困り笑顔を見せる、ほとんど全裸のルルであった。
別にルルが痴女だった訳ではない。
……まあ、寝る時に下着を付けない主義なのはどうかと思うのだけど。
「びっくりしたよほんと……ああいうのは駄目だからね、レミル」
「ルルの身体が、我を誘っていたのだ!」
「痴漢の言い分ですね……」
狼人ゆえに体温の高く、しっとり柔らかなルルの肢体は、抱き枕として魔性の魅力を備えていた。おまけにふさふさの尻尾付きである。その人を狂わせる離れがたさに、どうやらレミルもやみつきになってしまったようだ。
そんな取り止めのないことを話しながら、目的地にたどり着く。
「おはよう、皆」
「皆様、おはようございます」
「おはようなのだー!」
朝の食堂、すでに多くの仲間が食卓に付いており、悠はルル、レミルとともに皆と挨拶を交わした。
皆が悠に返すのは心配の声だったり、どこか生温かく意味深な物言いであったり、喜びの声であった。
だが、それらとは決定的に違う反応を見せた仲間が3人。
3人の、少女。
「伊織先輩、おはようございます」
悠はまず、1番手近にいた島津伊織に挨拶をする。
彼女は、机に突っ伏していた。
居眠りをする学生のように腕の中に顔を隠し、貝のように縮こまっている。
「なんか、悠が来たらいきなり、な」
「まあ、その前から様子おかしかったけどねー」
冬馬と澪が、戸惑うような苦笑を浮かべている。
「イオリー、おはようなのだー。おはようを返さないと行儀が悪いのだぞ!」
レミルが、ぺしぺしと伊織の頭を叩く。
伊織は無反応……否。
何かに気付いたレミルが、がばっと伊織に抱きつく。
「すごいぞユウ」
こちらに顔を向けるレミルが、小刻みに振動していた。
感心したような声も、ぷるぷるしている。
「まるでバイブなのだ……!」
「誰ですか! 誰がレミルにこんなこと教えたんですか! 玲子先輩ですか!?」
いったい誰が、まだ10歳の女の子に汚れた言葉を教えたというのか。もし自分が父親だったら卒倒しているかもしれない。
「うわ、ひっど。お姉さん、超傷ついたんだけどー。ていうか元からなんじゃないの?」
「うむ、そこのヨゴレ女の言う通りなのだ!」
「ヨゴレ!?」
レミルが、えへんと胸を張った。
「我は夢人である! どんな男も――否、女だって魅了して手玉にとる可憐にして妖艶な容姿! 巧みな手管! 豊富な知識! こんなことは夢人の基礎教養として、父様から命じられたカミラに叩き込まれてるのだ! 実戦はまだだけど!」
「父親公認だった……!」
夢人がその生態故にいわゆる床上手なのは知っていたが、まさかこんな小さい頃から英才教育を受けているとは。
異文化の常識に、悠は軽い戦慄を覚えていた。
そして周囲からも、畏怖の声が上がる。
「マジ淫魔……」
「エリートロリビッチッス……」
「いやいや、まだ経験ないっしょ。でも、ちっちゃいのに何か色気あるよねー」
「成長したらどうなってしまうんだ……」
「んっふっふ……もっと褒めるが良い……!」
「……褒められてるのかなあ、これ」
皆の声を聞いたレミルの薄い胸が、ますます反っていった。
やがてこてんと後ろに倒れそうになり、さっと近寄ったルルに支えられる。
「ん、大義であるぞルル」
「いえいえ、レミル様」
などと上から目線で――まあ、帝国の来賓である彼女は、この場の誰よりも立場が上なのだが――上機嫌に喉を鳴らすレミル。喉を撫でられた猫のように、口元が緩んでいる。
「お前は気が利くなあ、我の側近にしてやってもよいぞ?」
「お気持ちだけ、ありがたく受け取っておきましょう。私は、ユウ様のものなので」
レミルは、ルルに対して一目置いているようだ。
特にレミルの熱い所望により披露したルルの隠し芸、『舌で、さくらんぼの茎をちょうちょ結びにして、さらにそれをほどいて見せる』に、いたく感心して「た、只者ではないのだ……」などと汗を拭っていた。どういう意味で只者ではないのか、気になるような、聞きたくないような、複雑な心境である。
あまり品のない芸であると、ルル本人はあまり見せたがらないのだが。
……そういえば、レミルの夢人としての“食事”も必要なのか。
他者の、夢の中で激しく弾けた精神のエネルギー。
さて、どうしたものか。レミルとよく話し合わなければならないだろう。
そんなことを考えていると、
「……お、おはようばい」
ぽつりと、突っ伏したままの伊織の挨拶が返ってきた。
悠は頬をゆるめ、おはようございます、と改めて返し、沈黙を守っていた次の相手へと顔を向ける。
彼女に語りかけるのは、少し勇気が必要だった。
「お、おはようございます美虎先輩」
「……よ、よう。おはよう悠」
悠のぎこちない挨拶。
鉄美虎が、どこか気まずげに言葉を返す。
「……」
続けて何か言うべきだろうか、そう思うのだが言葉出てこない。
脳裏に、どうしても一昨日の情景が浮かんでしまう。
あの時の美虎の顔が……浮かべていた表情が重なってしまって、直視できない。
「ぅ、ぁ……」
美虎も似たようなものであっただろう。頬を赤くして、口元をもにょもにょと動かしている。
女衆の中ではひときわ長身の肢体が、気恥ずかしげにもじもじとしている様は、とても可愛らしいギャップがあった。
うつむき、身をかがめる美虎。テーブルの上に二つ胸の膨らみがたゆんと乗っかり、周囲から感嘆が漏れる。
「すごい、デス」
「なんか枕にして寝れそうだよね……」
「前にしてたッスよ」
一方、玲子がマタタビをちらつかされた雌猫みたいな表情になった。
くねくねと美虎に近寄っていく。
「あれー? どうしたのかな二人とも? どうしちゃったのかなー? 何かあったのかなー? 私わかんなーい。リーダーとして把握したいと思うんだけど、詳しくここで話し……あれ?」
その両脇を、隣に座っていた安達百花と来栖ざくろががっちりホールド。
「美虎姉さん、やっちゃっていいッス」
「ごーとぅーへる」
美虎の手が、玲子の頭をがしっと鷲掴みにした。
その据わった眼差しは、凍土のごとく冷やかだ。
「あっ、ちょっ……しょ、省吾君助けて!」
「ああ……?」
ようやく復帰した省吾は、まだ精悍な顔立ちに疲労をにじませながらも、玲子に顔を向けた。
親指を立て――そのまま半回転、下へと向けた。
死刑判決である。
「やっ……優しくしてね――ひっ」
ぎゃあああああ、という悲鳴の震源地から目を逸らし、悠は最後の一人へと語りかけた。
「……おはよう、朱音」
藤堂朱音が、むっつりとした表情で座っていた。
凛とした美貌、その唇を尖らせて、じとっとこちらを見上げている。
隣のティオが、困り顔で苦笑していた。
先ほどから少し不機嫌そうなオーラを出していたので、挨拶を最後にしたのだが、そのオーラがますます大きくなっているような気がした。
何か、気に障るようなことをしてしまったのだろうか?
気を使ったつもりであったが、挨拶を後回しにしたのがいけなかったのだろうか。
「……おはよ」
拗ねたような声。
やはりあまり機嫌が良くないようだ。
「……やっぱ、この前の僕と美虎先輩のことかな」
ぼそりと、ルルに聞いてみる。
彼女は少し目を丸くして、感心したような声を出す。
「おお……」
彼女の内心のテンションを表すように、尻尾がぱたぱたと躍っている。
その琥珀の瞳に浮かぶのは、はじめて自分の足で立った赤ん坊を見るような、生温かい賞賛の色だ。
「何故、そう思われたのですか?」
「だって、朱音は美虎先輩とけっこう仲良いし……僕が先輩にしたことで、僕に怒ってるんじゃないかなって。やっぱり同じ女の子だし、怒るよね?」
ぱたり、と尻尾が落ちた。
「……まあ、ある意味、間違ってはいないかと」
ルルは、何とも言えない苦笑めいた表情を浮かべていた。
何か変なことを言っただろうかと首を傾げるが、得心できるような答えは出てこなかった。
いつまでも突っ立っているのも何なので、朱音におずおずと問いかける。
「その、隣……いいかな?」
数日ぶりの再会である。
純粋に顔が見たかったし、話したいこともたくさんあった。
皆で食事をする際は、朱音の隣は悠の定位置なのだ。だがいつものように当然のように座るには、今日の朱音の不機嫌オーラはあまりに濃厚であった。どこか、危機感めいたものすら感じられる。
「……空いてるんだから、勝手に座ればいいじゃない」
言うとおり、朱音の隣は空席であった。
結構な人口密度なのだが、そこだけがぽっかりと空いている。
「うん、じゃあ……」
朱音の顔色をうかがうようにして、座る。
ルルは、他の仲間に詰めてもらって対面に。
レミルは他に場所が無かったので、美虎の膝の上にちょこんと座っていた。頭の上に乗っかる丸い重みが、たいそうお気に召しているようだ。
「…………」
「…………」
どうしよう。
話したいことがいっぱいあったのに、話かけづらい。
ちらりと、上目遣い気味に朱音を一瞥する。
「…………っ」
綺麗な形をしたピンク色の唇が、何かぶつぶつと呟いているように見えた。
切れ切れの小さな声、「こんなはずじゃ」という言葉だけを聞き取ることができた。
そっぽを向きながらも、その目はちらちらとこちらに向いているのだが……
「あ、あのですネ、ユウ様――」
その気まずい雰囲気を溶かすように、ティオが明るい声で話題を振ってくれた。彼女とも直に言葉を交わすのは久々である。自然と話が弾んだ。たびたび、ティオが朱音に話を振るが、反応は芳しくなかった。
そうこうしているうちに、食事が配られてきた。
必要な栄養素の摂取を重視した、簡素で味気ない食事である。美虎の極上の手料理が恋しかった。
あるいは、手料理を食べられるならもう一人――
「……何よ?」
「い、いや……」
無意識に、朱音を見つめていた。
慌てて目を逸らし、しょんぼりと肩を落とす悠を見下ろしながら、朱音は深く、深く、息を吐いた。
彼女はぼそぼそした温野菜をスプーンで切りながら、ぽつりと口を開く。
「……あんまり美味しくないわね、これ」
「うん……」
朱音の手料理が食べたいな、とは言いだせなかった。
だが、彼女は少し頬を染めながら、ややためらいがちに、
「帝都に帰ったら……久しぶりに、あたしが作ってあげようか?」
そう、言ってくれたのだ。
気まずく沈んでいた悠の表情が、ぱぁっと輝く。
「うん……食べたい! 食べたいよ!」
満面の笑顔を寄せてくる悠に、朱音の顔が火を噴いた。
口元を覆う手の隙間から、へにょへにょと緩んだ唇が見える。
そのまま、またもや黙り込んでしまう朱音。
ぎゅっ、と悠の手を包むあたたかな感触があった。
テーブルの下、朱音の手が、悠の手を握っている。
「あ、朱音……ちょっと痛いよ……?」
朱音は離さない。むしろ、いっそう強く握られる。まるでもう離さないと言わんばかりに。
やがて小さく、気恥ずかしげに、だがはっきりとした声。
「……おかえり、悠」
「あ……」
ああ、そうだ。何かが足りないと思っていたら、それだ。
何よりも朱音にそれを言って欲しかったのだ。
そして、朱音に言いたかった言葉がある。
胸にじんわりと広がる温かな実感。それを表情と声に滲ませながら、悠は応えた。
「ただいま、朱音」
……自分は、ようやく帰ってきたのだ。
悠も、朱音の手をぎゅっと握った。
彼女の手がふるっと震え、よりいっそう強く、抱き締めるように握り返してくる。
くふん、と朱音の唇からふやけた吐息が漏れたような気がした。興奮したように、彼女の肩がぷるぷるとしている。
「あれ? どーしたのさ朱音? 何か顔赤いし、息荒くない? てか、すっげえ顔怖いんだけど……」
「んー? これニヤニヤしてるんじゃないの? なんかいいことあった?」
「し、してないわよ! 何でもないわよ!」
言いながらも、朱音は悠の存在を確かめるように、強く、深く、指を絡めてくる。
悠も少し頬を赤くしながらそれに応え、お互いの指を絡め合う。
二人でしばらく、そうしていた。
これにて、3章は終了です。ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
今話ないし章全体について、賛否のどちらでも感想いただけると、とても嬉しいです。
次の戦いの相手はついに“天”の一人ですが、その前に各キャラの立ち位置の整理も兼ねて、シリアス要素の薄い日常的な話をしばらく挟みたいかなと思っています。
1,2話で一区切りつく話をまったり気味に投稿しながら、獣天との戦いを書き溜めして、できれば毎日投稿なんかで一気に投稿できればなと。仕事の都合もありますので、理想通りに行くかは微妙ですが、お付き合いいただけると幸いです。
更新予定については、おいおい活動報告で告知していきたいと思います。




