第34話 ―アリエス―
申し訳ない、昨日は急用で外出したらそのまま深夜まで家に戻れず。
じゃっかんグロ注意。
「んー、不味い。不味いなー……カミラの味だ、うん」
悠の隣に腰かけ、アリエスはクッキーをもそもそと食べている。
カミラを悼んでいるのか、その声は少し沈んでいるように思えた。
かの悪名高き“蒼穹の翼”の、帝都領内への侵入だが、帝国軍が動いてくる気配は皆無である。
強い魔道の反応があれば感知されるようだが、完全に隠蔽しているのか、あるいは魔道など使っていないのか。
アリエスは自分の庭にでもいるような呑気な調子で、足をぱたぱたさせていた。
「その……アリエス、大丈夫なの?」
アリエスの身体には、傷一つ見当たらなかった。
悠が与えたあの傷は、魔道医療の最高峰を誇る帝国ですらも完治できるか怪しいものだったはずである。
「ん、ぜんぶ治ったよ」
「治ったって……」
「ほんとだぞ、あの傷は逃げてるうちに治ってたのだ」
「……まるで、僕みたいだね」
「そうだね、ボクもそう思うよ」
アリエスはクッキーを飲み込むと、ぴょこんと切り株から降りる。
そのまま、躍るような軽い足取りで、悠とレミルの前に立った。
レミルが、きょとんと小首と傾げる。
「どうしたのだ、アリエス?」
「んーとね、ユウにご褒美あげようと思って」
今度は悠が小首を傾げた。
「……ご褒美?」
アリエスは、にひっと無垢な笑みを浮かべながら、悠に顔を近付ける。
吐息がかかりそうな間近に迫る美貌に、悠はどきりとして頬を染めた。
「ボクのお願いを聞いてくれたお礼と……あと、あのゲーム、ユウの勝ちってことでいいよ。今あのルールでやったら、きっと君が勝つから。でも“これ”は返さないからね!」
そう言うレミルの首には、ペンダントのように紐からぶら下げた、悠のボタンがあった。
あの夢幻城にてレミルと行ったゲーム――逃げるレミルを悠が捕まえるという内容で、極めて有利な条件をもらった挙句に敗北して、彼女にあげたものである。
アリエスは大切そうに、胸元でぎゅっと握りしめている。
そんな宝物みたいに扱われると、ちょっと照れくさい。
「ああ、あのゲーム……」
勝った場合の報酬として、悠は何を欲したか。
情報である。すでに事件が解決した今、すでに聞く必要のないこともあったが、まだ重要な問いが残っている。
「じゃあ、君について……教えてくれるってこと?」
すなわち、“蒼穹の翼”アリエスとは何者か。
本当に世界を滅ぼそうとしているのか。
悠のことを、どうして知っていたのか。
アリエスは、快く頷いた。
「うん、教える。ユウだけじゃなく、レミルにもね。ブラド(おとうさん)にも関係してることだから。ただ、ボクも自分のことをぜんぶ知ってる訳じゃないからね。聞かれても分からないこともあるし、時間に限りはあるけど」
彼女は両手を広げ、にこりと笑う。
屈託のない、童女のように無邪気な笑顔である。
「いいよ。聞きたいこと、何でも質問して」
レミルは、こちらをじっと見ていた。
悠に任せると、そういうことだろうか。
質問……さて、何から問うべきか。
悠は、自分の胸を――あの神代の大剣が眠っている気がする場所を押さえながら口を開いた。
「あのさ、アリエス……この神殻武装なんだけど」
「うん?」
「これは……ブラドさんや君の、心臓みたいなものなんだよね?」
神殻武装の主となったことで、流れ込んできた情報がある。
これは単なる武器ではない。
少なくとも本来の主であるブラドやアリエスにとって、それは彼らが生まれつき有している己の一部なのだ。
「ん、そうだよ……神殻が無いと、単に強い武器が使えなくなるってだけじゃない。純粋に一個の存在として、ものすごく弱くなる」
あの夢の領域で戦ったブラド・ルシオルは煌星剣を使ってはいたが、その基本能力は弱体化後を基礎としていたらしい。本来の彼が扱えていたはずの魔術や魔法も使わなかった。
もう彼と一度戦ったとしても勝てる自信は無いが、“夢幻の王”の本来の実力はあんなものでは無かったのだろう。
「それでさ、神殻武装を使うと何か声っていうか……命令みたいなのが身体を操ろうとするんだ。その、人間を殺そうとしたり、とか」
同じく暴走に悩まされたレミルが、こくこくと頷いている。
あの忌まわしい衝動は、とにかく人間を害するためのものであった。
その全てが人間を害するために在るような、人類の敵性存在になったかのように。
それを、悠は良く知っているではないか。
この世界に来てから、幾度もその悍ましくも虚ろな悪意に触れてきたのだ。
そして浮かぶのは、一つの可能性。
「その、失礼な聞き方だとは思うんだけど……」
悠は、ごくりと唾を飲み込んで、意を決して口を開く。
「……君たちは、魔族なの?」
魔族。あの異形の怪物たち。
神殻武装から溢れ出るあの兇なる衝動は、魔族のまとっていた雰囲気に、良く似ていた気がするのだ。
暴走したレミルの気配も同様である。加えて、あの金色の瞳を染め上げた虚ろな殺意は、まさしく魔族がよく見せるそれであった。
そしてあの時、悠の殺人衝動は、アリエスには何の反応も示していなかった。
彼女が美虎を庇ったゆえに傷つけることになってしまったが、それも彼女を殺意の対象とした訳ではない。
「……っ」
レミルの表情が、一気にこわばった。
当然だろう。この問いは、彼女の父もまた魔族であると疑うものである。
考えたくもない可能性であった。
目の前の人懐っこい少女が、そしてあの銀髪の美丈夫が、おぞましい異形の怪物達と同類であるなど、自分で口にしてみても馬鹿らしい気がしてくる。
「んー……」
アリエスは唇に指をあてながら、何やら考え込んでいた。
言うべき言葉を探しているのだろうか。
やがてその笑みは、罰の悪そうなものに変わる。
「ボクにもね、よく分からないの」
「……分からない?」
「うん、だから、魔族かもしれないし、違うかもしれない。全くの無関係ではないのかも。ごめんね、いきなり大したこと言えなくて」
「いや、そんな……」
アリエスの人間離れした美貌に、苦笑が刻まれる。
申し訳なさそうなその気配は、あの異形の怪物たちでは絶対に持ちえないもののはずである。
だから、彼女は違う。あんなおぞましい怪物たちとは別個の存在であると、思いたかった。
「我は、どんなことがあってもアリエスの友達だからな!」
レミルが両こぶしを握って力説する。
ありがと、とアリエスは嬉しそうに笑った。
「でもね……ユウの言う通り、ボクもブラドも人間じゃない。人間と同じ作りの身体を貰って動いてるけど、元々は違う存在だったんだよ。覚えてるのは、この世界のどこでもない、何にもない場所にいたことと……」
アリエスは言葉を切り、瞑目する。
少しためらうような間の後に、ふたたび口を開いた。
「……自分が、人間に災いを与えるための存在であることだけ」
世界を、滅ぼす。
それが“蒼穹の翼”が世界に対して行った宣言。
それを聞いた者たちが真偽を知るかどうかは関係なく、彼女は危険人物として世界から認識されている。
「ボクが言ったことは嘘じゃないよ。いつか必ず、ボクは世界に災厄をもたらす。ボクは、そういう風に生み出された存在だから」
月光を背に、蒼穹の少女は宣告する。
「ボクは、人類の……君たちの敵だ」
どこか突き放すような言い方には、嘘や冗談の気配は微塵もない。
不思議な存在感が、アリエスから溢れだす。
何か途方もなく巨大な――そのような尺度で表現を図ることすら躊躇われる“何か”がそこに在るような圧迫感。
二人揃って、ごくりと唾を飲み込んだ。
そしてそれを誤魔化すように声を上げる。
「でも……でも、アリエスは、レミルを助けるために行動したじゃないか! 暴走した僕から、美虎先輩を助けてくれた!」
「“夢幻”の皆のことも、よく助けてくれたのだ!」
アリエスは、空を見上げた。
巨大な満月が、世界を見下ろしている。
月明かりは、撫でるように穏やかだった。
「……ボクをこっちに引っ張ってくれた人がね、自分で世界を見て、自分で生き方を決めろって言ったんだ。ボクは……“こっち”に来てから、また7年ぐらいしか経ってないけどさ。すごいよね、たくさんの命が世界中でいろんな色にきらきら輝いて、まるで宝石箱みたい。ボク、人間のことが大好きになっちゃったよ。特にね、笑顔が好きなんだ。笑ってる人が好き。ボクも笑ってるのが好きだけど……笑顔以外がまだ上手くできないんだなあ」
今も、いつも、どんな時でもアリエスは笑っていた。
怒っている時も、泣いている時も、彼女は笑うことしかできないということだろうか。
その笑顔の下には、今どんな感情が渦巻いているのだろう。
「だからね、ボクは守りたい。人類の敵から、人間を守りたいの」
では、わざわざ世界を滅ぼすと宣言した理由とは何か。
レミルが何かに気付いたのか、はっと息を飲んだ。
「アリエス……お前、まさか、そのために」
「これを見て欲しいかな」
アリエスは、親指と一指し指で輪を作る。
いわゆる、デコピンをするような形。
いったい、何をするのだろうか、怪訝に思った悠とレミルの目の前で、アリエスは自分のこめかみにそれを当て、
「……っ!」
指を、弾く。
アリエスの頭部が、破裂した。
頭蓋と血と脳症が、飛び散る。
悠の超再生の肉体でも即死を免れないであろう、問答無用の致命傷。
「ちょっ……!?」
「アリエス!?」
顔の上半分の大部分を失ったアリエスは、しかし倒れなかった。
わずかに身を傾がせるが、そのまま踏み止まる。
それだけでも異常な光景であったが、さらに。
「……あ」
頭部が、再生している。
脳も、頭蓋も、元通りに復元されていく。
超再生――それも、悠をはるかに上回る再生力と生命力。
瞬く間に、アリエスは元の美貌を取り戻していた。
何事も無かったかのように、彼女は微笑む。
「……驚いたでしょ? こんな怪我でも、ボクは死なないんだ」
アリエスが肉体の再生を行えることは、すでに聞かされていた。
そういえば暴走するレミルもまた、超再生じみた能力を発揮していなかっただろうか。
つまりそれは、神殻武装の使い手に付随した能力ということか。
「前も言ったけど、ユウの身体は神殻武装を持つボク達にとても近い。そしてボクは、同族と繋がってるんだ。ブラドや他のみんな、そして反応は弱いけどユウの情報が、ボクに流れ込んできてるんだよ。だから、この世界に来てからユウはどうしてたかは、ぜんぶ知ってるよ。アカネやティオを守るために、すごく頑張ったことも。カッコ良かったよね、あれ」
青空のように澄んだ瞳が、悠を静かに見つめている。
「……君にひどいことをした人達は、まるでボク達みたいな存在を造ろうとしたみたいだね」
――人間を改造して、神を造る。
あの忌まわしい機関の目標を思い出す。
アリエスのような存在は、見方によっては神やその眷属に見えるのではないだろうか。
しかし、異世界の存在である彼女たちを、どうして地球の一機関が知っている?
まだアリエスの話は続いている。
悠は、思考を打ち切って彼女の話に集中した。
「ボクの再生力はね、同族の中でも飛びきりなんだ。誰も、ボクを殺せなかった。“天”でもね。まあ、それでもボコボコにされちゃったんだけど」
そこで、悠はアリエスの言わんしていることを察した。
レミルの顔にも、すでに理解の色が浮かんでいる。
「じゃあ、君は、自分を……」
「うん。ボクは、ボクを殺す方法を探してる。頭のいい誰かに見つけて欲しいと思ってる。だから、ボクは世界の敵じゃないといけないんだ。皆がボクを殺そうとして、その方法を見つけてもらうためにね。ボクは、十二の同族の1番目、特別なんだよ。ボクさえ死ねば、たぶん何も起こらない……ボクあんまり頭良くないからさ、こんな方法しか思いつかなかった。あはは」
ひどく不器用で、悲しい選択でもあった。
アリエスは、くるりと背を向ける。
「事情を話して、ボクを研究した結果を悪用しない、優秀で善い人と一緒に探そうとしたこともあったんだけどね……やっぱり、一緒にいると仲良くなろうとしちゃってさ……お互いに、辛くなっちゃうんだよ。だからボクは、大好きな皆の敵でいい、嫌われてもいい」
蒼髪をなびかせる小さな背。
ぽつりと、呟くような声。
「でもやっぱり寂しくてさ、“夢幻”の皆みたいな友達もちょっとはいたんだけどね」
「……アリエス」
アリエスにとってもまた、“夢幻”はかけがえのない場所だったのかもしれない。
レミルが、悲痛な表情で唇を噛み締めた。
「そんな顔しないでよ、レミル。ボクは君が生き残ってくれただけでも嬉しいよ。ブラドの……ボクの弟の、娘なんだから」
ブラド・ルシオル――本来の名はサジタリウス。
そして、目の前の少女の名はアリエス。
その二つの言葉を内包する概念が、悠の世界には存在していた。
すなわち、黄道十二星座。
占いや誕生日の区分などにも使われる、十二の星座だ。
サジタリウスとは射手座。アリエスとは牡羊座を意味していた。
そしてこの十二星座に対応した、十二宮という概念がある。
牡羊座に対応した第一の宮・白羊宮。
射手座に対応した第七の宮・人馬宮。
この概念に照らし合わせるのならば、アリエスは姉、ブラドは弟ということになる。
もっとも、ブラドの方が世に出たのはずっと先のようだが。
「……ブラドも、どうにかしようと色々と頑張ってたみたいだけどね」
彼も、自分が何者が知っていたようである。
姉を殺す方法か、あるいは別の方法か、それは分からないが、その天才的な頭脳で何らかの道を模索していたのだろうか。
何と言っていいか分からずに、悠とレミルは揃って黙り込んでしまう。
やがて彼女は、とろけた欠伸を漏らした。
子供っぽい仕草で、大きく伸びをする。
「ふわ、あ……眠くなって来ちゃった。ごめんね、そろそろ行かないと。たぶん、とうぶん起きてこれないから、しばらくお別れだね」
まだ聞きたいことも幾つかあったが、とりあえず気になっていた重要は話は聞くことができた。
アリエスも、まだレミルの救出作業の際の消耗が残っているのかもしれない。人間ではないという彼女の“睡眠”も、やはり悠の知るそれとは違うものなのだろうか。
「うん……ありがとう、アリエス」
「こっちこそ、レミルを守ってくれてありがとうね、ユウ」
言いながら、こちらを向いたまま一歩二歩と距離を取るアリエス。
いつぞやのように、突然消えるつもりなのだろうか。
次の瞬間にはいなくなってしまいそうな気がして、悠は慌てて声をかけた。
「アリエス! 僕は……僕も、君の友達だからね!」
「我もなのだ!」
「ん……ありがと。ボクにとっては、二人とも半分家族みたいなものなんだけどね」
弟の実娘と、自分と良く似ている性質の身体を持つ少年。
なるほど、彼女にとってはそう認識できるのか。
死を求める不死の少女は、生を求める薄命の少年を見つめながら、どこか弾んだ声を上げる。
「ユウ……ボクはね、ひょっとしたら、君ならボクを殺せるようになるんじゃないかって、そう思ってるんだ」
「なっ……僕は、そんな……!」
“天”ですら殺すことができなかった存在を、どうして自分が。
友達だと思っている相手を、どうして自分が。
二つの意味で、悠はうろたえた。
「そうしないと、君の友達や好きな娘が死んじゃうかもしれないよ? ボクに、殺されちゃうかも」
「でも、だけど――」
その時、一陣の風は吹いた。
思わず、目を閉じる。
そしてふたたび目を開いた時には、
「……ユウ、もう」
「うん……」
アリエスの姿は、完全に消え失せていた。
彼女が自分の頭を弾いた痕跡も、いつの間にか無くなっている。
ただ夜に染まった林が、何事も無かったかのように風にそよいでいた。
「アリエス……君は」
アリエスは、笑顔のまま去っていった。
だが、その美貌はいかなる感情も笑みでしか表わさないのだろう。
泣きじゃくる、小さな小さな女の子。
そんな姿が見えたのは、悠の気のせいだったのだろうか。
ブクマ3000超えありがとうございます。
ブクマ、評価の一つだけでもたいへんに大きなモチべになっております。
今回は説明ばかりの話になってしまいました。読者さんにしっかり伝えることができたかどうか不安ですが、いかがでしたでしょうか。
感想いただけると、とても嬉しいです。
次話で、3章は終了です。投稿は早ければ明日、最悪でも明後日には。




