第31話 ―暴走―
「なーんか、ズルくないですかねえ、これ」
カーレル・ロウの軽薄な声が、闇夜の森に溶けていく。
糸使いの優男は、指先までもがんじがらめに拘束されて、地面に転がされていた。
その額のあたりは、凄惨なほどに腫れ上がっている。
「なんで俺がこんななのに、ガウラスさんはフリーなんで?」
月夜を背に屹立する夢幻城をまんじりと見ながら、狼人の戦士、ガウラス・ガレスは鼻を鳴らす。
2mを超える筋骨隆々の巨躯は、二つの足でしっかりと地を踏みしめている。
省吾の渾身の一撃により肋骨を砕かれ、内臓を痛めていることを思えば驚異的なタフネスであった。
「貴様が自由になれば、この二人に害を加えるかもしれんからだ」
ガウラスの足もとには、少年と少女が横たわっている。
武田省吾と藤堂朱音、二人は満身創痍の重傷を負い、今は気を失っていた。
夢幻城の外に出たことで帝国の魔道封じが働いて、さすがに完全な生身では体力が持たなかったのだ。
致命傷というほどではないが、迅速な治療が望ましい状態である。
カーレルは嘆くように声を上げる。
「しません、しませんって! 今回の依頼は失敗ですよ、俺らの負けです」
「……貴様、それでも第6位か。“九傑”の誇りと責任感は無いのか」
「うっわあ、なんでそんな面倒臭いこと言うんですかねえ。ていうか、ガウラスさんこそ諦めてるじゃないですか?」
「俺は下りる。どんな誹りでも受けるつもりだ。“鋼翼”から除籍するというのなら、甘んじて受け入れよう。それより大事なものを、ようやく見つけたのだ」
「……へえ? そういえば微妙に機嫌が良さそうですねえ……まあ、深い詮索はしませんが」
「貴様、頭蓋骨にヒビが入っている割に元気だな」
「ガウラスさんに言われるのも不条理な気がしますけどね。まあ、滅茶苦茶痛いですよ、あのお嬢さん、綺麗な顔して頭固いなあ……」
カーレルは、気の抜けた吐息を漏らしながら、ガウラスと同じく城を見上げた。
納得のいっていない様子にガウラスに、自分の考えを告げる。
「たぶん、ですけどね。今回の特級依頼は失敗しても良かったんですよ」
「……何だと?」
特級依頼。
それは“鋼翼”の政治的意図により、主に序列者に課せられる実質的な命令である。
人探しのために“鋼翼”に所属していたガウラスは、そのために吐き気がするような内容の仕事へと駆り出されたのだ。
「俺は帝国で本命の仕事があるから、魔法は使いませんよって言ったらあっさり許可が出ましたからねえ。まあ、手を抜かないことは大前提ですが、依頼の成否はそれほど重視していなかったと思いますよ……あるいは、失敗すると分かっていたかもしれませんね」
1桁の序列を持つカーレルは、13位のガウラスとは一線を画した立場を持つ。
ガウラスにとって信用できる男とは言い難かったが、それでも一笑に伏せない重みが、その言葉にはあった。
「何故だ」
「さあ? “零”の考えてることなんて、俺みたいな凡人にゃあ分かりません」
序列第0位――通称“鋼翼の零”。
“鋼翼”の創設者にして、長。
特級依頼は、“零”の意によって発せられる。
多くの場合、それは高度な政治的意図によって行われていた。
では、今回の特級依頼の思惑とは何か?
ガウラスは、即座に思考を打ち切った。
「分からん」
ガウラスは武人であり、政治的なことを考えるのは苦手である。
腕を組み、すっきりしない気持ちを唸るような声で表した。
そこで、異変に気付く。
「……何だと?」
「どうしたんで?」
「夢幻城が……」
森人には遠く及ばないが、狼人の夜目も相当に優れている。
ルルには及ばないまでも狼人屈指を誇るガウラスの視力が、夢幻城の変化を捉えていた。
月夜を背にした城塞のシルエットが、変わっていく。
解れるように、溶けるように、小さくなっていた。
その光景が意味することは、
「……崩れている」
夢幻城とは、物理的要素だけでは自立できない建造物である。
次元潜航、罠の任意生成その他さまざまな機能を実現するために、その躯体の主要素材には魔石を含んだ特殊な資材が使われている。
建築資材に使うなど想定されていないその資材は重く、そして脆い。
その在り方は、魔道による補助に大きく依存していた。
そして夢幻城の魔道システムの制御を担っていたカミラ亡き今、夢幻城は自壊しつつあった。
「こっちなのだ!」
レミルの案内で、城内を駆ける。
いまだ崩壊は城内まで及んではいないが、軋むような危うい音は、先ほどから何度も聞こえていた。
新品同然の状態を保っていた廊下はヒビだらけで、今はもう見る影もない。
そのことに言いようのない寂しさを覚えながら、悠は集団の後方に位置していた。
「はぁっー……ぜぇ、はぁっ……」
魔道から得られる力が薄れている。
夢幻城の停止により、帝国の魔道封じの影響が及びつつあった。
そして魔道による強化がなければ、悠の肉体は極めて脆弱である。例え剣士として飛躍的な成長を遂げようとも、結局は肉体の強さが身体能力の基礎なのだ。
隣を走る美虎が、気遣わしげに声をかけてくる。
「おい、大丈夫か……?」
「な、何とか……す、すみません……」
「気にすんな、オレも足は速い方じゃねーから。無理すんなよ」
「は、はい」
幸いにして、即座に崩落するような心配は無い。
余計な衝撃を加えなければ、数時間は大丈夫だろうとのことだ。
だが脱出は早いに越したことはないだろうと、こうして走っている最中であった。
レミルと並んで先頭を走るルルが、こちらに振り返って叫んでくる。
「ユウ様! よろけしれば、私が背負います!」
「い、いいよ! ルルさんは前だけ集中して!」
ルルは、その鼻や耳を活かして“覇軍”や“鋼翼”の残党がいないかどうかを探りながら進んでいるのだ。
そんな彼女の足を引っ張るなど、言語道断である。
「じゃあ、俺が――」
ならば自分が悠を背負おうと、冬馬が申し出ようとした時――
――異変は、突然に起こった。
「んっ……!」
ルルと並走していたアリエスが、びくりと身を震わせる。
後ろを振り向き、悠に向けて切迫した声を投げた。
「……ユウ!」
同時、悠がよろめく。
身体の中で臓腑が跳ね回り、混ざり合うような、狂おしいまでに醜悪な不快感。
「あ――」
悠の中で、突如として“何か”が湧き立つ。
それはマグマのように溢れ出て、悠を駆け巡っていた。
粘つく極熱がへばりつき、悠という存在を侵していく。
痛みではない。苦しさでもない。
ただ己という存在が浸食される恐怖。
「――あああぁぁぁああああぁ!」
たまらず、叫んだ。
その場に、がくりと膝を落とす。
自らの身体を抱き締めながら、痙攣するように震えはじめる。
「お、おい、悠――きゃあっ!?」
覗き込んできた美虎の喉を、悠の手が掴み上げた。
そのまま、先ほどまでとは比べ物にならない力で美虎を押し倒す。
「ユウ!?」
「ど、どうしたと?」
「何するッスか!」
「おい、悠!」
「ユウ様っ……!」
「ち、がっ……!」
違う、違うんだ。僕はこんなことをしたくない!
悠は胸中でそう訴えるが、震える喉は、意味ある言葉を発さない。
ただ“何か”に衝き動かされるように、悠の身体は動いていた。
美虎の喉を、片手で締め上げている。
信じられない握力だった。握り潰さんばかりの力に、美虎は今にも壊れそうな軋んだ声を漏らす。
「ぎ……ぁ……ゆ、う……!」
必死に悠の手を外そうとしているが、びくともしない。
そして、悠もまた、自分の手を外すことができなかった。まるで、右手が違う生き物になってしまったかのように。
何故、どうして。
いったい何が起こったのか。
悠は訳も分からずに、顔を青ざめさせる。
「あっ……!」
レミルが、何かに気付いたのか声を上げる。
「神殻武装の、暴走――」
その言葉は、次の瞬間に証明された。
「ぐっ……ああぁぁああああぎああああぁぁ!」
魂が、内側から突き破られるような悍ましい感覚。
悠は絶叫しながら、操り人形のような不自然な動きで美虎から右手を離した。
美虎は激しく肩を上下させ、苦しげに酸素を取り入れながら、ぐったりと床に伏せっている。
悠はそのまま、右手を抑えてうずくまった。
ルルが、駆け寄ろうとして、
「ユウ様っ、お身体はっ――」
「――来ないでえええええええええええ!」
悠は、切迫した声で制止する。
ルルは、表情を強張らせて足を止めた。
同じく駆け寄ろうとしていた冬馬が、震えた声で呻く。
「お、おい、あの剣が……」
悠の右手から、青みがかった刀身が生じていた。
やがてそれは、禍々しくも神々しい大剣として悠の右手に握られる。
神殻武装・煌星剣。
出す気なんて無かった。
ましてや、振るう気など――
「美虎姉さん!」
「嫌だ嫌だ嫌だ、止まれ、止まれとまれええええ!」
――大剣が、倒れ伏す美虎へと振り下ろされた。
必死で呼吸を整えている彼女は、断頭台のように迫る刃には、気付いていない。
煌星剣が、美虎の首を、
「……っ」
刎ねる寸前に、蒼穹が躍った。
大振りの刃が、飛び出してきた一人の少女に深々と喰い込んでいる。
「アリ、エス……」
煌星剣が、アリエスの肩口から胴体の半ばほどまでを切り裂いていた。
心臓を含む重要な臓器が存在するラインを蹂躙する、致命的な傷口。
アリエスの唇から、滂沱のように血が溢れる。
「こふっ……ユ、ウ」
アリエスは、苦笑めいた表情を浮かべていた。
覚束ない足取りで後ずさり、自分の身体から刃を引き抜く。
傷口から大量の血液を流しながら、その場にへたり込んでいた。
伊織が、青ざめた顔で駆け寄る。
その致命的な傷とは裏腹に、アリエスは静かな微笑で悠を見上げている。
「だい、じょぶ……だから」
何が大丈夫なものか。
すぐにでも駆け寄り、謝って手当をしたかったが、悠の身体は己の意思を反映しない。
悠は、体を引きずるように下がりながら、悲壮な声を漏らす。
煌星剣を握る右手が、またもや勝手に動いていた。
「あ、ああ、逃げ、て……!」
「お、おい悠……!」
戸惑い、立ち尽くす仲間たちに、その切っ先が向けられている。
その大刃に集った破壊の粒子に、悠の意に反して一つの命令が下された。
行け、蹂躙せよ。この人間達を殺せ、と。
廻る極小の星々が、指向性の殺意を与えられ、虐殺の軌道に転ずる。
破壊の閃光と化し、仲間たちを飲み込もうとしていた。
「やめ、ろおおおおおおおお!」
煌星剣の砲撃が放たれる寸前、悠はかろうじて動いた左手で、右手を強引に跳ね上げた。
その切っ先は、天井へと。
迸る閃光が天井を穿ったのは、次の瞬間だった。
轟音と閃光が、知覚を塗り潰す。
見る影もなく脆くなっていた夢幻城の構造材は、あっさりと破壊の粒子に粉砕されていく。
それは、破滅を待つばかりだった夢幻城に、致命的な一打を加えていた。
天井が崩落したのは、次の瞬間だった。
悠と美虎の目の前に、瓦礫が降り注ぐ。
下敷きにならなかっただけでも僥倖というものだろう。
衝撃と轟音、粉塵が晴れた先には、道を塞ぐ瓦礫が山のように積み重なっていた。
「あ……」
いつの間にか煌星剣は消えていた。
同時に、ようやく身体を襲う衝動が収まってきたが、すでに状況は最悪である。
外に通じる道は、完全に塞がれている。
みんなは無事だろうか。
「ユウ様っ……!」
「悠っ! 鉄っ!」
「……みんな!」
瓦礫の向こうから、ルルや伊織たちの声が聞こえてくる。
どうにか、悠たちを助け出そうとしているようだ。
「アリエスは!?」
「大丈夫! ボクのことは、心配しないで……!」
その声は、以外にも力強い。
少なくとも死にゆく者の声ではなかった。
「ユウ様、お下がりを! 大嵐を来たれ、其は――あっ、くぅっ……!」
ルルが疑似魔法で瓦礫を破壊しようとしたようだが、連戦による消耗が激しい上に、帝国の魔道封印の効果が及びつつある現状ではもう使えないようだった。
アリエスなら何とかできただろうが、恐らく今は、それどころではないだろう。
この時点で、悠たちとルルたちが合流する方法は見つからなかった。
「どう、すれば……!」
悠たちのいる廊下は、細かく震動していた。
身の毛もよだつような崩壊の音が、あらゆる方向から聞こえてくる。
夢幻城の本格的な終わりが、はじまってしまったのだ。
悠が、止めを刺してしまった。
一刻も早く脱出しなければならない。
せめて、巻き込んでしまった美虎だけでも。
「……ユウ!」
レミルの声が聞こえてきた。
「ここからなら、我の寝室まで近いのだ! 我の寝室は、特別頑丈に作られてる! たとえ夢幻城が壊れても、無事なぐらいに! 場所は分かってるな!?」
何度も寝泊りした部屋である。
すでに夢幻城の地図は、悠の脳裏に完全に構築されていた。
「う、うん……!」
「ミコを連れて、早く行くのだ! 我たちも脱出する! いいか、ユウ! ぜったい耐えるのだ! 負けたらダメなのだ! そんなものに、お前は飲まれちゃいけないのだ!」
「……分かった! そっちも絶対に逃げ延びてね!」
仲間たちは、口々に悠と美虎を案じる言葉を残して、立ち去って行った。
悠のせいでこんな事態になったのに、一言も責めようとしない。アリエスや、美虎の取り巻きですらだ。
何としても生きて再会して、謝らなければならない。
その意思を新たに刻み、悠はへたり込む美虎に呼びかける。
「……美虎先輩、立てますか?」
「あ、ああ……話も聞い……ごほっ、がはっ……!」
ふらふらと立ち上がる美虎は、いまだ苦しげである。
顔色も、少しおかしい。
「ごめんなさい、僕……」
「事情は、後でいい……行くぞ、悠」
「……はい」
悠と美虎は来た道を戻り、震える廊下に足を取られながらもレミルの寝室へ向かう。
先ほどまで二人のいた場所を、瓦礫が押し潰した。
……いまだ悠の中では、灼けつくような衝動が燻っていた。
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