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第28話 ―剣神楽と鋼乙女―

今日は予定より早めて投稿してみました。

ルル、朱音、悠のキャラデザを、活動報告にて公開しています。

「――ふっ!」


 伊織が、仕掛けた。

 鋭い呼気とともに放たれた白刃。

 大気を引き裂き、唸りをあげてはしる。


 華麗な足取り、軽やかにひるがえる巫女装束。

 あでやかな神楽舞かぐらまいにより発現した<剣神神楽>の能力が、神が降りたがごとき絶大な加護を与えている。


 狙うは、大槌おおづちを構えた豚人オーク

 優しく気高き理想を抱き、主の息女を身をていして逃がした忠臣の亡骸なきがら

 英雄に刃を向ける心苦しさはあるが、彼らのためにも、護らねばならぬ者たちのためにも手など抜けない。


(すまんばい……!)


 人に斬りつける、という行為への躊躇ちゅうちょは未だにあったが、歯を食いしばり、飲み込んだ。


「はあぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 裂帛れっぱくの気合、ほとばしる剣閃が、横薙ぎの軌道をもって敵手へと伸びた。

 豚人は、その大槌で迎え撃つ。

 重々しい鉄塊に、奇妙な紋様が浮かんでいた。


 小柄な少女の細腕による剣撃、

 巨漢の丸太のような怪腕による迎撃、


 冗談じみた体格差と質量差を思えば、喜劇的ですらある光景。

 だが、しかし、


 刀身と、鉄塊が、衝突して――


「舐めるっ……なぁぁぁぁ!」


 ――伊織が、競り勝った。


 日本刀が、豚人の鉄槌てっついを跳ね上げる。

 物理的に冗談じみた光景。

 だがそれを可能とするだけの膂力りょりょくが、伊織の小さな身体に宿っているのだ。


 そのままくるりと回転して、遠心力を乗せた再度の斬撃。

 隙を見せた巨躯へと、剣閃をはしらせ――


「……くっ!」


 ――ようとして、思いとどまった。

 

 剣舞けんぶの流麗な立ち回りはそのままに、飛び退く。

 次の瞬間、先ほどまで伊織のいた空間を、上空から強襲するものがあった。


 両足に刃を取り付けた、両腕が翼になった女性である。

 飛翔能力を持つ亜人である鳥人ハーピーが、弧を描くような身のこなしで伊織と豚人の間を薙ぎ払っていった。


 ぎぢぢぢぢ、と鳥人の脚から放たれた斬撃が、空間に奇妙な傷痕を刻んでいく。

 世界に癒えぬ傷を与えたかのように、その傷痕は残り続けていた。

 己が生み出した斬撃の“事象を固定”する、魔法ゼノスフィア


(危なかった……!)


 そして伊織を襲うのは、鳥人だけではない。

 視界の端に、水のかたまりがある。


 空中に生成された球体上の水塊すいかいの中を、優雅に泳ぐものがいた。

 魚のような下半身の娘。

 魚人マーメイドが、仮面ごしに虚ろな眼差しを向けていた。


 水面が泡立つ。

 

「まずいっ……!」


 もはや神楽舞を維持する余裕はなく、伊織は身を投げ出すようにして退いていた。

 地面を転がる伊織を、床を穿うがつ音が追跡する。


 水塊から放たれた、水の弾丸。

 高速・高密度で射ち出されるそれは、人体を容易に穴だらけにする威力を秘めている。

 マシンガンのごとく、逃げる伊織を追いかけるが、


「えいっ」


 どこか眠そうな、気の抜けた声。

 水塊に向けて、放物線を描いて飛んでいくものがあった。

 それは、野球ボールほどの大きさの鉄球である。

 

 魔道の戦いにおいては、ゆるやかとすらいえるスピード。

 いかに鉄球が重かろうと、それは意味をなす破壊力を持つはずがない。

 

 しかし、魚人は鉄球に気付くと、伊織を狙っていた水弾の掃射そうしゃを、鉄球へと切り替えた。

 水の弾丸が鉄球に命中し――


 ――轟音。

 爆発した。


 爆風を背に、伊織は生じた隙を見逃さずに退避する。

 屍兵しへいたちが追おうとするが、途中から諦めたように動きを止めていた。

 <鋼乙女>を展開して戦況をにらんでいた美虎が、取り巻きの一人に賞賛をなげる。


「よくやった、クロ!」


「……どやっ」


 来栖くるすざくろが、えへんを胸をそらす。


 重量爆弾。

 触れた物体を、その“重さ”を爆薬とした爆弾に変える。

 これまた相方の安達百花あだち ももかに負けず劣らずの、攻撃特化の魔術ゼノグラシアであった。

 攻撃面で極端に劣る美虎をリーダーとしたグループが戦力として成立していたのも、百花とざくろの二人による部分も大きかった。


「うっ、わっ……あぶねっ! 危ねッス!」


 相方の活躍の一方、百花は槍を持った爬人リザートマンから、泡を食って距離を取っていた。


 とにかく、一時撤退である。

 ……またもや、撤退だ。


 禿頭とくとうの巨漢――ユギル・エトーンから距離を取る。

 彼に操られる八つの遺骸いがいは、途中までは追ってくるのだが、ユギルから一定以上の距離を離れようとしない。

 否、離れられないのだ。


 半径にして、ユギルからおよそ30m程度。

 それが、ユギルの魔法ゼノスフィア、<仮面饗宴・屍骸舞踏マスカレイド・ダンスマカブル>の射程距離である。

 これを超える距離を、彼の操る死体は超えることができない。


 もっとも、その身体は、の話であるが。


「ぬっ……!」


 魚人の放つ水弾と、汚染者スティグマの少女が放つ矢が、逃げる伊織と百花を追撃する。


「くそっ!」

「しつこいっての!」


 冬馬とうまみおの援護射撃を受けながら、何とか伊織たちは退避に成功していた。

 伊織は荒い息を吐きながら、向き直る。

 視線の先にいる、狂人を睨みつけた。 


「……存外にしぶといな、小娘ども」


 この玉座の間は、平面的には100mほどの正方形の形状をした部屋である。

 ユギル・エトーンは入口から20mほどの位置に立っていた。


 戦いが始まってから、すでに10分を超える時間が経過している。

 その割には、遅々とした歩みであろう。

 何故なら、


「……ふん、またか」


 床が、変化する。

 分厚い刃が、地面から生えていた。全長は3mほどもあるだろうか。

 ユギルの周囲を囲むように、断じて逃がさぬと言わんばかりに何枚も、何枚も――


 断頭刃ギロチンのごとく、一斉にユギルへと振り下ろされた。


「迎撃しろ」


 ユギルの虚ろな命令。

 彼に従い、骸の兵士が断頭刃を迎え撃つ。

 

 ユギルの近くにはべっていた緑人ドライアドの操るつたと、半魔族の大爪、血人ヴァンパイアの大鎌が、迫り来る断頭刃の大部分を破壊、拘束していた。


 残った刃は、ユギルのいわおのような巨躯から放たれた拳により、横殴りに破砕される。

 

 突如の攻撃をしのいだ禿頭の巨漢は、唸るような声を上げる。

 その虚ろな視線の先にいるのは、


鬱陶うっとうしいな……人形めが」


「“覇軍レギオン”の誇る精兵に褒められるとは。恐悦至極にございます」


 玉座の高みに立つ、褐色の美貌の女性。

 カミラが、ユギルを無表情に見下ろしている。


 先ほどの攻撃は、夢幻城の防衛機能である。

 戦場を睥睨へいげいしながら、この玉座の間に限定して機能を集中することで生成し、発動させている防衛機構を用いて、魔法ゼノスフィアの本体であるユギル・エトーンの足止めを行っているのだ。

 おかげでユギルは、防御に気を割きながら牛歩のように間合いを詰めていく必要があった。


 そうでなければ、8体の屍兵による突破力により、またたく間に悠たちの元へ辿たどり着かれていただろう。


 ユギルの眼差しが、カミラから6人の少年少女へと向けられる。

 そのうすら寒い生気のない視線に撫でられて、幾人かが小さく呻いていた。

 嘆くように、巨漢が口を開く。


「……抵抗などしなければ、楽に救済ころして清らかな存在にしてやるものを」


「ふっ……ふざけんなよこのキチガイ野郎!」


 美虎が、恐怖を噛み殺しながら声を荒げた。

 傷持つ美貌を青ざめさせならがらも、恐怖を超えた怒りを高らかに叫ぶ。


「死ぬのが善いことなら、さっさと自分で死んだらどうなんだよ! 自分だけは特別ってか、死ぬのが怖いってか? 矛盾してやがんだよ、てめぇはよ!」


 己が信念せいぎを否定され、ユギルは、


しかり、死ぬとも」


 当然のように、頷いた。


「あ……なっ……!?」


 たじろぐ美虎に、ユギルは丸太のような両手を広げ、堂々と語り聞かせる。

 まるで神の教えを説く神父のように。


「全ての咎人いのちを救済した後、私も自らの命を絶とう。それでこの世は聖者の楽園となる、正義と平穏で満ちるのだ」


「……っ」


 一体、どのような人生を歩めばこのような怪物が生まれるのか。

 平和な日本で生まれ育った少年少女には、想像もつかなかった。

 ただひたすらに、吐き気をもよおす嫌悪感が思考をむしる。


「……き、貴様は“覇天”とやらの部下ではないのか! 自分の主も殺すということか!?」


 伊織の呻くような問いにも、即答した。


「その通りだ。“覇天”デュオルグラム卿は歴史に名を残す傑物よ。まさしく世を総べるに相応しい偉大なる覇王の器。理想は異にすれど、この私とて敬意と忠誠を抱かずにはおれん。だが……あの御方はこうも仰ったのだ」


 その虚ろな声は、しかしわずかに上擦っている。

 “覇天”を語る言葉には、確かなおそれの色が混じっていた。

 ユギル・エトーンの狂気の思考に、忠誠の熱が灯っている。


「私を救済ころしたければ、いつでも来るがいい、とな。当然、そうさせていただくとも。今は遠く力が及ばんが、いつか必ず、あの御方にも聖者としての高みへと至っていただく。それまでは命に従い、忠義を果たすまでのこと」


「な……何なんだよ、こいつ……」


 皆、絶句していた。

 理解ができない。

 忠誠を誓う主を殺すとのたまうこの殺人鬼も。

 こんな狂人を部下として置く“覇天”も。


「理解できまい。だがそれでし。どの道やることは変わらんのだからな。貴様等を救済し、あの夢人の小娘のなかにある神殻武装テスタメントを、デュオルグラム卿に捧げるだけよ」


 ユギル・エトーンの語りは、そこで終わった。


「……っ」


 伊織や美虎たちも、張りつめた緊張感を維持してユギルを睨みつける。

 互いに、無為に言葉を交わしていた訳ではない。


 ユギルは、いかに迅速にカミラと異界兵の妨害を突破して神殻武装レミルの下へ到着するかを考えている。

 戦力的に優位にある彼とて、余裕のある状況ではないのだ。

 ここはフォーゼルハウト帝国の領土であり、一刻も早く作戦を終えて離脱しなければ、後続の帝国軍と鉢合わせる可能性が高い。

 ガウラスやカーレル、傭兵部隊が到着しないこともいぶかしんでいるだろう。彼らが敗れたのならば、それを成した戦力が増援に現れるかもしれないと警戒もしているはず。


 一方、カミラや伊織たちは、いかに時間を稼ぐか。

 そして、可能であれば、ユギルをどう撃破するかを考えている。

 

 “覇軍レギオン”の誇る精鋭、“覇天”ヴィルヘルム・デュオルグラムが見出した怪物。


 強敵、どころではない。

 伊織は内心で、焦燥と悔しさで歯噛みしていた。


 あの男の操る八つの骸は、彼らが生前に有していた戦闘技術のみならず、その魔法ゼノスフィアまでもを具象させていた。

 無論、すでにあの遺体には魂など存在しない。その残滓ざんしから具象された魔法もまた、朽ち果てた残骸ざんがいのようなものである。本来の力には遠く及ぶまい。

 だがそれでも、一人一人が生前は伊織を超えていたであろう使い手たちである。


 それが、8人。

 眩暈めまいを覚えるような戦況であった。

 カミラが本体であるユギルを含めた幾人かを常に抑えてくれるからこそ、何とかもちこたえられていた。

 ユギル本体も、特殊な能力こそないが第三位階に相応しい戦闘力を有している。


 もう一人の防御の要である美虎は、すでに伊織や百花が受けた幾度かの超過ダメージを引き受けており、その吐息は少し苦しげである。

 ラウロ・レッジオの居場所は、いつの間にやらカミラも見失っていた。

 さて、どうするか――その時だった。




『やめて……もう、やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!』




 悲痛な絶叫が、玉座の間に響く。

 聞き覚えのある、幼い声。

 スピーカーか何かを介しているかのような、ノイズ混じりの声だった。


「レミル……?」


 悠が成功したのだろうか、という期待を抱くには、あまりに痛々しい慟哭どうこく


『もういいのだ! もうやめて、戻るのだユウ! 父様も、もうユウを傷付けないで! もう、ユウの魂はボロボロなのだ……! ユウが、死んじゃうのだぁ……!』


 彼女の切なる声は、なおも続く。

 レミルが、誰かに訴えかけていた。

 だが相手の声は、聞こえない。

 悠なのか、アリエスなのか、それともレミルの父とやらなのか、それを察する余裕は無かった。


「来ます」


 カミラの平坦な、しかし大きな声。

 鋭さは無いが流水のように透明な声は、皆の心にすぐに浸透した。

 

「……!」


 ユギルと八つの骸が、迫る。

 夢幻城カミラの罠が次々に発動し、その巨躯に襲いかかった。

 屍兵に防がせ、盾にし、あるいは最小限の被害でとどめながら、ユギルは真っ直ぐに突進してきていた。その巌のような体躯に幾つもの傷が刻まれていくが、その歩みは全く止まらない。

 皆が気を取られたのを好機と見て、勝負に出たか……!


 とにかく、突進を止めなければならない。


「ふっ……!」


 伊織は小さく呼気を吐き、くるりと回る。

 神楽舞かぐらまいを踊りながら、前へと進み出た。

 <屍骸舞踏>の射程距離へと侵入する。

 

 伊織の前に、3体の屍兵が立ち塞がる。

 豚人と、爬人と、緑人。

 大槌と、長槍と、うねるつたが、伊織に襲いかかった。


 大槌には、相変わらずの奇妙な文様が浮かんでいる。

 長槍の先端は、蜃気楼しんきろうのように揺らいでいた。

 つたの先の花弁からは、妙に甘ったるい妖しい匂い。


 三つのゼノスフィアの残滓が、伊織に襲いかかる。


「ぬぅっ……!」


 まず、槍。

 その揺らいでいた穂先が、消滅した。


(来る!)


 突如、伊織の胸元に出現する尖った先端部。

 空間を転移して襲いかかってくる幻惑げんわくの刺突。

 しかしこれを読んでいた伊織は、軽やかな身のこなしでこれを回避した、


 かに見えたが、


「……!?」


 視界が揺らぐ。距離感が狂う。

 緑人のあやつる妖花から漂う匂いが、伊織の感覚を侵していた。

 平衡感覚までもが狂わされ、さらには槍にかすめられ、体勢が揺らぐ。動きが止まる。


 <剣神神楽>の能力が……その加護が、消え失せる。


 そこへ、大上段に振りかぶった大槌が振り下ろされた。

 空間が歪んで見えるほどの力場を纏った鉄塊が、伊織の頭上に――


「しまっ――」



「――行っテ!」



 見知った少女の声。

 伊織の前に、風の妖精に運ばれるようにして土の巨人が躍り出た。

 火の蜥蜴とかげと、水の淑女も共に。


「ティオ……!」


 森人エルフの少女が、こちらに駆けてきているのが見える。

 火と水の精霊が、伊織を掴んで投げ飛ばした。

 伊織は床を転がりながら、安全地帯へ。


 そして、大槌が炸裂する。

 4体の精霊――ティオの魔法<精霊庭園エレメント・クアドリラテラル>が、直撃を受ける。

 隕石でも落ちたかと錯覚するほどの轟音、四つの具象体が砕け散るのが見えた。


「きゃあああああ!」


 ティオが痛々しい悲鳴を上げ、力無くくずおれる。

 その後ろに、薄桃髪の狼人ワーウルフの娘が立っていた。


「ルル!」


 ルルは矢を番え、弓を構え、鋭い眼差しを向けている。

 その矢じりには、荒れ狂う大嵐のような颶風ぐふうが渦巻いていた。


蹂躙じゅうりんせよ――<颶嵐獣ヴォルテックス!>」

 

 ルルの疑似魔法フォールスフィア、その中でも最大級の破壊力を持つ一矢が放たれる。

 狙うは3体の屍兵。

 骸たちは、飛びずさってこれを回避した。 

 疑似魔法は、空間を貪るように弾けると、風となって消えていく。


 ルルはティオを担ぎ上げ、疾風をまといて駆け、伊織の下へ。

 伊織を庇った森人エルフの娘は、青白い顔でぐったりしている。


「ルル、ティオは……!」


魔法ゼノスフィアが破壊されたショックで、気を失っているだけです。大事はありません。それよりも――」


 同じ前衛である百花もまた、泡を食って逃げまどっていた。

 冬馬や澪、ざくろからの援護を受けながら、どうにか汚染者と半魔族と距離を取る。

 だが死角からの鳥人の奇襲に引っかけられ、後方で破砕音、盾を超過したダメージに美虎が呻く。


「ぐっ……ちくしょ……!」


 さらに、魚人から放たれる水弾が冬馬たちを襲い、美虎の身体を軋ませていた。

 彼女は、仲間のダメージを背負い、確実に削られている。

 美虎が倒れれば、一気に犠牲者が出始めるだろう。

 その可能性が、現実味を帯び始めた。


 無理だ、戦線を支えられない。

 悠たちのところに、通してしまう……!

 伊織が焦燥しょうそうと共に予感した時、


 天井が、崩落した。


 伊織には、そう見えた。

 正確には、天井の一部が分離して落下、床を押し潰したのだ。

 その下には、ユギル・エトーンの巨躯。


「ぬぅっ……!?」


 数トンにも及ぶであろう、大質量のハンマーのような衝撃。

 あれは、あのいわおのような巨躯でも耐えられないのではないか。

 そんな期待がにわかに湧いて、


「……小癪こしゃくな、自らの破壊をいとわぬか」


 あっさりと、打ち砕かれた。

 瓦礫がれきの中から現れる禿頭とくとうの巨人。

 無傷ではないが、いまだ健在であった。


「これ以上は、出し惜しみできませんので」


 伊織たちの前に、カミラがふわりと降り立った。

 彼女が手を掲げると、更なる罠がユギルに襲いかかった。

 八つの屍兵が集い、これを迎撃する。


「カミラ……お前」


 大丈夫なのか、と問おうとして、愚問であることを悟った。

 カミラの動きは、ひどくぎこちない。まるで油の切れた機械である。

 彼女の機能のほとんどはレミルのために割かれており、この玉座の間に攻撃用の罠を再生成するするだけでも、とっくに想定された処理能力の限界を超えていると聞かされていた。

 先ほどの大規模な攻撃は、どれほどの負担を強いたのだろうか。


 その負荷は、確実にカミラを消耗させ……否、壊していた。

 褐色の美貌に、ぴしり、とヒビが入っているのが見える。


「……すまん」


「存在理由ですので」


 ともかく、またもや仕切り直しとなった。

 そして、その間もずっと、レミルの哀惜あいせきの叫びは流れ続けている。

 話している相手は、おそらくは悠か。

 レミルは、


『あ……われは……』


 息を飲み、

 黙り込み、

 震える吐息を吐いて、

 苦しげに呻いて、

 嗚咽を漏らし、


『わ、れは……』


 そして、涙に濡れた声で、絞り出すように、叫ぶように――


『いき、たい……生きたい……怖い……死にたくない……死にたくないよぅ! もっとカミラと、アリエスと、ユウたちと一緒にいたい! もっと勉強して、父様みたいな学者になりたい! 大人になって、母様みたいに好きな人の子供が欲しい! 強くなって、父様の、“夢幻”の皆の夢を叶えたい……! やだ、やだ、死ぬのはやだ……! やだぁぁぁぁぁ!」』


 レミルの号泣が、玉座の間に響く。

 たった10歳の子供の、生を渇望する魂の叫びだった。

 切れ切れに聞こえるのは、すがるような切なる言葉。  


『われもっ……我も、ハッピーエンドがいい! たす、けて……! 誰か、たすけて! 父様! カミラ! 助けて! ユウ……!』


 そのまま、レミルは泣きじゃくっていた。

 やだ、死にたくない、怖い、助けて、と当たり前の生への渇望を訴えている。


「……レミル」


 伊織は、それを立ち尽くして聞いていた。

 ユギル・エトーンが体勢を整えつつあるにも関わらず、耳を離せなかった。聞き入っていたのだ。

 刀を握る手に、力がこもっていく。

 胸が、熱い。


「……おい、島津しまづ


 同じようにレミルの慟哭どうこくを聞いていた美虎が、言葉を投げる。


「……何だ、くろがね


 伊織が応える。

 二人の声には、とても良く似た熱がこもっていた。

 

 美虎は、度重なるダメージによろめく足を強引に抑え込み、言葉を続ける。


「いいか、オレのダメージは気にするな、自分だけに集中しろ。あのハゲをぶっ倒すことだけにだ。言ってる意味は分かってんな?」


 分かる。

 分かったが故に、確認した。


「……いいのか、鉄?」


「はっ、オレを舐めてるんじゃねえ」


 美虎が、獰猛な笑みを見せる。

 彼女の凄味のある美貌には、良く似合った表情であった。

 だが伊織は、この夢幻城で共に過ごした時間の中で、その顔が鉄美虎という少女の性根からは遠く離れたものだと知っている。

 恐らくそれは、自らを奮い立たせるための、強がりの笑みである。


「……ん、分かったと」


 伊織も、同じ表情を浮かべていた。

 覚悟を決め、声を上げる。


「これから突っ込むばい! 皆は援護を!」


「なっ、えっ……?」


 冬馬が呆然と呻いた。

 返事を待つ前に、駆ける。

 ユギルはすでに、こちらに突っ込んでくる寸前だったからだ。


 くるくると流れるような足取りで、神楽舞へと入った。

 白の巫女装束と、伊織の艶やかな黒髪がふわりと踊る。

 ユギルの射程距離内に接敵する頃には、<剣神神楽>は発動していた。


「馬鹿め……潰せ。あの鬱陶しい護り手ごとな」


 ユギルは、八の屍兵に命ずる。

 <仮面饗宴・屍骸舞踏マスカレイド・ダンスマカブル>によって操られる八の骸が、一斉に伊織に襲いかかった。


 先ほど、伊織は3体に追い詰められた。

 今度は8体。

 そもそも、伊織の魔法ゼノスフィアは多勢を相手にするのは不向きである。

 耐えられるはずなど無かった。


 ――美虎へのダメージを、気にかけなければ。


 後ろから伊織を見守る美虎を信じ、一切の回避行動を取らなかった。

 ただ集中する。

 神楽舞を続けることに。

 <玻璃殿・剣神神楽>を維持することに。

 ユギル・エトーンをたおすことに。


 八の殺意が、伊織に殺到する。


「はああああああああああああああ!」


 血人の大鎌を、

 緑人の蔦を、

 魚人の水弾を、

 鳥人の斬撃を、

 爬人の刺突を、

 汚染者の射撃を、

 半魔族の大爪を、


 そして、豚人の歪みを纏う大槌を、


 全てを、受けて、


「何だと……!?」


 伊織は、舞う。

 神をも魅せんばかりの神秘の神楽かぐら

 屍兵が放つどの攻撃も、それを止めることあたわず。


 それも然り。

 剣神楽を舞う少女には、鋼の乙女の加護があるのだから。

 全ての痛みと衝撃を、鉄美虎が受け止める。


「はっ、そんな、もんかよ……!」


 美虎は痛みに歯を食いしばるが、しかし致命的なダメージは無かった。盾もほとんどが健在である。

 現実と魔道。

 二つの領域にある己が、合わさるイメージ。

 ここにきて初の成功をみせた双躯式そうくしきが、美虎の身体の強度を、今までとは比較にならないほどに大幅に引き上げている。


 伊織の小柄な身体が、八の屍兵を追い抜いて行く。

 追いかけようとした屍兵たちは、ルルや冬馬たちの援護射撃により足止めされていた。


「行けぇっ! 島津ぅっ!」

おうっ! 鉄ぇっ!」


 背中を押すような、力強い声。

 不思議とすぐ近くから聞こえるような気がした。

 応え、伊織の舞は、禿頭の巨漢の目の前に。


 剣閃が、はしる。


「馬鹿なっ――」


 ユギルの筋骨隆々の腕が、伊織の刀を抑えようとしている。

 カミラの攻撃によって皮膚が破けた下には、肉も骨も見えない。

 あるのは鈍色にびいろの装甲。

 サイボーグじみた、鋼の巨漢。


 鋼鉄の腕が、伊織の刀を掴む。

 屍兵たちとは比較にならない腕力。

 伊織の、斬撃は、


「うおおおおおおおおおおおお!」


 現実と魔道が交差する。

 魔道から流れる力が、より純粋に、より濃密に変わっていく。

 極限を超えた集中のなか、伊織は双躯式による膂力りょりょくの大幅な強化を成功させていた。


 鉄柱のような腕が、押されていく。

 はるかに小さく、か細い腕に押し負けている。


「双躯式だと!? まだ魔道を歩んで日が浅いのではないのか! この小娘がぁ……!」


 ユギルが唸る。

 鋼の腕が、軋みを上げはじめた。

 あらぬ方向へねじ曲がりながら、次第に、次第に、分厚い胸板へと、


「馬鹿な、馬鹿な……!」


 その腕を断ち、胸板へと、深々と刀身が食い込んで――


「馬鹿な馬鹿な馬鹿なああああああ!」


「これで、終わり、だあああああああああああああ!」


 刀が、はしり抜ける。

 伊織の斬撃は、巨躯の胸板の半ばほどを切り裂いていた。

 心臓と、肺の位置である。


「ぐ、がぁっ……」


 禿頭の巨漢が、ぐらりと傾ぎ、


「……まだ、だぁ!」


 踏み止まった。

 ついに動きを止めた伊織へと、残った腕を振り上げて、


「さあ、小娘よ……私が殺し(すくっ)て――」


「――終わりだっつってんだろ」


 その胸に、触れる手があった。

 傷持つ美貌の少女、鉄美虎がそこにいる。

 その腰を、足の速さが自慢の安達百花が抱えていた。


「くそっ……マジで痛ぇ。さんざん好き放題やりやがって」


「貴様っ――」


「――お返しだ、受け取れキチガイ野郎!」


 <拷問台の鋼乙女>の、唯一の攻撃能力――その盾にたくわえたダメージを、触れた相手に返すことができる。

 この戦いで、いったいどれほどのダメージが蓄積ちくせきされたのだろう。

 周囲の盾が、淡く発光する。

 受けたダメージが、禿頭の巨漢へと流し込まれる。

 次の瞬間、


「がっ――」


 ユギル・エトーンの胴体が、砕け散る

 その胴体の大半を失い、禿頭の巨漢は倒れ伏した。






「はぁー、はぁー……」

「ぜぇ、ぜ、あっ……」


 美虎と伊織は、揃ってへたり込む。

 魔法ゼノスフィアの具象も解けていた。

 限界である。

 慣れない双躯式による魂の負荷は、深い消耗となって二人の少女の心身を削っていた。

 そもそも、二人揃って、あのタイミングで成功できたこと自体が奇跡的とすら言える。


 双躯式がなければ、美虎は耐えられなかった、伊織は押し切れなかった。

 失敗していれば、その場で魔道を維持できずに戦闘不能となっていただろう。


 まさしく、賭けだったのだ。

 だが、あの場で犠牲を出さずに勝利する方法は、それ以外に見つからなかった。


「……勝ったのか?」


 ユギル・エトーンの筋骨隆々の巨躯はぴくりとも動かない。

 どう見ても、死亡していた。


「うっ……」


 美虎が呻く。

 自分が殺した。

 人を、殺した。

 その認識に心臓の鼓動が不吉なリズムを刻む。震える身体を抱き締めた。


「だ、大丈夫ッスか?」

くろがね……」


 心配そうに見つめてくる百花と伊織に、美虎は無理矢理に笑みを作り、手を振って見せた。


「……バーカ、大丈夫に決まってんだろ。とにかく勝ったんだ、喜べよ」


 そう、勝ったのだ。

 八つの骸は、力無く地面に伏せっている。

 動く気配は無かった。


 安堵の吐息とともに脱力すると、こちらに駆け寄ってくる者がいた。

 ルルとカミラだ。

 

 二人が口を開き、



「……まだです! それは本体ではありません!」

「ユギル・エトーンの魔法ゼノスフィアの反応は、消えていません」



 切迫した、警告の声。


「……え?」


 そして――



「やってくれたな、小娘ども……!」



 知らぬ声色、だがその虚ろな口調は忌々しいほどに聞き覚えがあった。

 その声は、背後から。

 溶岩のように粘つく怒りが滲んでいる。


「あっ……」


 いったい、いつの間に。

 美虎たちの背後5mほどの位置に、棺が出現していた。

 美しく装飾された、豪奢ごうしゃな棺である。


 神々しさすら感じる芸術品めいたその棺は、しかし身の毛のよだつほどに剣呑な気配を宿している。

 美虎も、伊織も、百花も、動けなかった。


 棺が、開く――


「――<颶嵐獣ヴォルテックス>!」

「……っ」


 ルルの疑似魔法、カミラの起動罠。

 二つの脅威が、開きかけの棺に炸裂した。


 ――大剣が、唸る。


 ただの一振りで、ルルとカミラの攻撃はたやすく打ち砕かれていた。


「な……何だ、こいつ」


 美虎がその死体を見上げながら、呆然と呟いた。


 銀の長髪を靡かせた、色白の細面。

 顔の上半分は仮面に覆われているが、それでもその容貌の美しさは、幻想的ですらある。

 すらりとした長身、その右手には、大剣が握られていた。


「……ブラド様」


 カミラが、ぽつりと呟く。


「こいつが……」

 

 ブラド・ルシオル。

 夢幻の王、レミルの父、世界に名を知られた科学者にして剣豪。

 ……その、遺体。


 どうりで、と美虎は胸中で呟いていた。

 目の前の屍から放たれる気配は、あの禿頭の巨漢や屍兵とは比較にならないほど濃厚で、剣呑であったからだ。


 美虎は武においては素人であるが、断言できる。

 この屍兵が、この場において最強であると。

 恐らく、あの屍兵たちの総力すらも凌駕りょうがする。


「く、あ、あぁ……」


 より強さの機微きびに敏感な伊織が、絶望的な呻きをもらしていた。

 百花は、歯をがちがちと鳴らして硬直している。


 美貌の死骸が、口を開いた。


「“これ”はまだ、扱い慣れていなかったのだが……忌々しいが、やむなしか。まさか特製の死体せいじゃを破壊されるとは、な。改造にどれほどの手間と費用がかかったと思っているのだ」


 つまりは、あの禿頭の巨漢も、ユギル・エトーン本人では無かったということ。

 カミラの様子からすると、彼女も知らなかったのだろう。


 では、どこに?

 本体はどこに潜んでいる?


 だがそんな疑問も、もう無意味となる。


「借りを、返してもらおう」


 何故なら、ブラドの遺体が、大剣を振り上げたから。

 どう見ても、刀身の届かない距離。

 だが致命的な“何か”が届くのだと、絶望的な確信があった。


「さあ、今度こそ救済ころしてやろう」


 美虎は、反射的に、伊織と百花を突き飛ばそうとして――




 ――白刃が、躍る。




 十の刃が、美々しき屍兵に突き刺さっていた。

 その動きが――時間が、停止する。


「……え」


 良く知る、白い剣であった。

 <斯戒の十刃(テン・コマンドメンツ)>。

 時間の流れを切り捨て、縫い止める十の白刃。

 その、使い手は――



「――ただいま」



 ふわりと、白髪の少年が降り立った。

 屍兵と美虎たちの間に、護るように立ちはだかる。


 少女のように華奢で小柄な背中。

 だが美虎には、その自分より狭いはずの背がとても強く、大きく見えた。


「ゆ、悠……」


 振り返るのは、乙女のように柔らかな容貌。


「お待たせしました、先輩」


 神護悠かみもり ゆうが、微笑んでいた。

次話は、明日予定です。

感想いただけると嬉しいです。


魔法 仮面饗宴・屍骸舞踏マスカレイド・ダンスマカブル

使い手:ユギル・エトーン


化身型。死体の脊髄に埋め込む、寄生虫のような形状の魔法。

“中継点”と“端末”の2種類が存在する。

死体を格納している棺は、魔術による空間収納術。


死体を操り、その人物が生前に有していた技術や魔道といった固有能力も使うことが可能となる。“中継点”については生前に匹敵するレベルのパフォーマンスを発揮できるが、“端末”の方は生前よりは弱体化し、特に魔法は劣化が著しい。

また、当然ながら死体なので腐敗する。そのため、屍兵として継続的に使用するには、特別な処置や改造、定期的なメンテナンスが必要である。

最大の操作数は、中継点4体。中継点1体に対して端末8体が操作可能であり、精密性や負荷を無視すれば36体までの同時操作が可能。本体が中継点を操り、中継点が端末を操る。

射程距離は、本体と中継点が1km程度、中継点と端末が30m程度である。


本来、ユギル・エトーンは特製に改造した強力な屍兵を36体有していたが、“夢幻”の襲撃の際に、禿頭の巨漢を除く全ての屍兵を破壊されてしまった。

そのため、素体として優秀であった“夢幻”の戦闘要員を急造で改造し、屍兵として扱っている。


攻撃力:E

防御力:E

機動力:E

持続力:A

特殊能力:S

射程距離:S

※魔法単体ではなく、本人のスペックも含めた評価

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