第24話 ―禍黒―
時は、少し遡る――
「なるほど、こういう発想か……素晴らしい」
夢幻城の地下、紫色の光が満ちる空間にラウロ・レッジオは立っていた。
夢幻城――古い歴史を持つ帝都の<異界戦奴召喚機構>や<魔封結界>とは異なるアプローチにより実現した、瑞々しい息吹を感じる魔道科学の結晶。
己もまた魔道科学者として第一線に立つラウロにとって、感動すら覚える芸術品である。
そして同時に、軍人としても極めて興味深い。
あらゆる物理的障害を無視して、突然に出現し、突然に消える移動城塞。
その軍事的有用性は計り知れまい。
もし、帝国がこの夢幻城を運用できれば――溢れ出す数多の策に、ラウロは愉しげに喉を鳴らした。
「実に結構、来た甲斐があるというものだ……まあ、上は大変なようだがね」
上層階で発生している事態のほぼ全てを、ラウロは把握していた。
神護悠と、“夢幻”、そしてアリエスのやろうとしたこと。
まさかあの神殻武装がここに存在しているとは。是が非でも手にれなければなるまい。そのためには、神護悠には頑張ってもらわなければならないようだが、さて。
ルルが、“鋼翼”の傭兵部隊を制したこと。
武田省吾が、あのガウラス・ガレスを辛くも倒したこと。
“夢幻”の残党と、鉄美虎や島津伊織、その他の異界兵がユギル・エトーンと交戦中であること。
……そして、藤堂朱音とティオが、カーレル・ロウを相手に窮地に陥っていること。
彼我の実力差を思えば、当然の状況と言える。
“鋼翼”の序列第6位。
あの世界最大の傭兵組織が誇る、9人の怪物達“九傑”が一角。
最近の活躍では、“獣天”シド・ウォールダーと戦い、単身で仲間の撤退を援護して自身も生還したことが知られている。
あの二人の今の力では、勝ち目はゼロに等しいだろう。
「やれやれ……仕方ない、か。手を出すつもりは無かったのだがね」
朱音たちの戦いは決着がつく寸前であり、それは上層での戦局の詰みを意味している。
神格武装も、“覇軍”の手に渡るということだ。
学術的にも、軍事的にも、それは何としても避けなければなるまい。
「行け――我が眷属よ」
ラウロは、夢幻城の一室へと精神を集中させた。
カーレル・ロウの鋼糸が、今まさに朱音とティオを絞め落とさんとした、その時だった。
「これは……!?」
カーレルの驚愕の声。
その目は見開かれ、“鋼翼”の序列第6位たる実力者にとっても尋常ならざる事態が起こっていることが察せられた。
鋼糸の拘束が、わずかに緩む。
朱音はその隙に首の拘束を振りほどき、即座にティオも助け出した。
掌の皮膚が裂けたが、それどころではない。
「あ、ありがとうデス!」
「礼は後よ! いったい何が……!?」
見渡し、気付いた。
異変は、朱音とティオの頭上に発生していた。
「なに、これ……?」
空間が、裂けていた。
歪つな刃物で引っ掻いた傷口のような裂け目、その内側には闇が満ちている。
ティオが、引き攣った悲鳴を漏らした。
「ひっ!?」
闇の中に、何かが、いる。
汚泥のような暗黒をぼたぼたとこぼしながら、闇よりもドス黒い何かが這い出そうとしていた。
とてつもなく禍々しい腐臭めいた気配。
牢獄に囚われた罪人のごとく、恨めしそうな声ならぬ声が溢れている。
『――せいぜい、恩に着たまえよ』
ひどくいけ好かない、嘲笑うような男の声が聞こえた直後、
“何か”が、動く。
蠢く闇から、無数の漆黒が伸びた。剣呑にうねる様は、さながら蛇のごとく。
二人の少女を無視して、一人の男へ。
真っ直ぐに、あるいは迂回する動きをもって、カーレル・ロウに全方位から襲いかかる。
「くっ……!」
カーレルが焦燥の声を漏らす。
部屋中に張り巡らせていた鋼糸が、カーレルを守るように収束し、斬撃の障壁を展開した。
激突。
漆黒の蛇は斬り散らされ微塵と化すが、
(あ、糸が……!)
糸が、腐っていく。
ボロボロと、鋼の糸が崩れていくのが見えた。
カーレルの細面に、引きつった苦笑が浮かんでいる。
使い物にならなくなった鋼糸を放棄して、スペアの糸を取り出そうと――
「――お願イ!」
ティオの<精霊庭園>がカーレルに迫る。
精密な操作や複雑な命令は無く、ただ攻撃しろ――ただし、殺さない程度に、と。
火、水、風、土の四精霊は、それぞれの攻撃手段でもって徒手の傭兵へと襲いかかった。
「ちっ……!」
これを凌ぎきるカーレル。恐るべき体捌きである。
だが、
「逃がすかぁっ!」
朱音の指先から伸びた<絢爛虹糸>が、カーレルの手に繋がっていた。
“繋ぎ、引き寄せる”力を持つ、朱音の魔法。
そのまま、力づくで彼を引き寄せようと、
「……っ!」
鋼糸が、煌めく。
カーレルの指には、すでに鋼糸が纏われていた。
咄嗟の状況だったために、緩く不完全な形ではあるが、彼の指が妖しく動く。
目の前には、蠢く斬撃の結界。
「アカネっ、逃げテぇっ!」
このまま引き寄せれば、巻き込まれることは必至である。
脳裏に、切り刻まれる自分の姿がよぎる。
ぞくりとした悪寒が、総身を震わせた。
まずい、怖い、嫌だ……でも、それでも……!
朱音は、唇を震わせながら、虹糸を、
「……舐めてんじゃないわよぉっ!」
「なっ……!?」
構わず、引き寄せた。
ティオの悲痛な叫び声。
「アカネぇぇぇぇぇ!」
「くっ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
鋼糸が、朱音の身体に食い込んでいく。
不十分な形で繰り出された斬糸は、骨を切断するほどの鋭利さはない。
しかしそれでも、衣服を、その下の肌を、肉を、切り裂き、鮮血の朱を撒き散らす。
「こ、んなっ、ものぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
だが朱音は、引き寄せる虹糸を止めなかった。
さらに傷を増やし、血を流しながらも、歯を食いしばり、
そして――
「捕まえたわよ、この野郎……!」
――朱音の指が、カーレルに接触した。
「ぬ……ぐっ……!」
カーレルは鋼糸を操る両手をがっちりと掴み上げられ、<絢爛虹糸>で朱音の手とぴったり繋がれている。糸を操るなど、もはや不可能である。
ぎちぎちと、朱音の膂力にカーレルの肩や肘が軋み、悲鳴を上げていた。
激痛に顔をしかめながら、動けぬカーレルが呻く。
「ずい、ぶんと……男前な、姿ですねえっ……」
苦笑するカーレルの瞳には、全身から血を滴らせた、傷だらけの朱音が映っている。戦闘服もズタズタで、あられもない姿を晒していた。
酷い有様である。
惚れた男には、見せたくない姿だった。
だが、後悔はない。
朱音はカーレルを真っ直ぐ睨み上げながら、言い放った。
「惚れた男が命懸けて戦ってるのよ……! これぐらい屁でもないわ……!」
「……ははっ、」
カーレルの喉から、感嘆めいた息が漏れる。
「これで、終わりよ……!」
朱音はカーレルの両手を固定したまま、上半身を弓のように反らせる。
これから起こることを察したカーレルが、青ざめて狼狽した。
「キ、キスでもしてくれるんですかねえ……?」
「ふざけっ……るなっ! あたしの唇は――」
ふつと湧いた怒りのままに、のけ反らせた頭を、全力で、
「あいつだけの、ものなの……よぉっ!」
「が――――!?」
カーレルの頭蓋に叩き付ける。
頭突き。
第三位階の身体能力で放たれた鉄槌のような衝撃に、カーレル・ロウは力無くくずおれた。
「……ふぅ」
完全に意識を失っているカーレルの身を拘束して、朱音は深々と息を吐く。
終わったという安堵。
自分の実力の勝利ではないという屈辱。
その二つが入り混じった、複雑なため息である。
ぽたぽたと、床に血が滴っていた。
ティオが、切迫した様子で駆け寄ってくる。
「アカネ、大丈夫ですカ!?」
「ん? ああ……痛っ! つぅっ……あぅぅっ……!」
朱音は、苦痛に呻きながらへたり込んだ。
びちゃりと、床に溜まった自分の血の感触が、お尻に伝わってきた。
ノリとテンションで無視していた全身を切り裂かれる恐怖と激痛が、ようやく意識を蝕んでいく。
ティオが膝を付いて、上着から応急処置用の道具を取り出しながら、荒ぶった声でまくし立てた。
「無茶し過ぎデス……! ああ、もうっ……結構深い傷もあるじゃないですカ! ええと、まず動脈の場所ヲ……!」
「ひぐっ……い、うぅぅぅぅ……これ、帝都に帰ったら元通り治せるわよねぇ……? 傷痕残ったりしないわよね……?」
涙目で呟く朱音に、ティオが頬をぷくっと膨らませる。
「わたし医療魔道のことは詳しくないんで分かりまセン! 跡が残っちゃうかもしれないデス! もうっ、アカネの脳筋!」
「べ、別に何も考えてなかった訳じゃないのよ? あれぐらいなら、急所さえガードすれば、何とか耐えられるかなって……いっ、つぅぅ……!」
「でもっ、でもォ……わたし、心配で死んじゃうかと思いましたよゥ……」
ティオのつぶらな目から、涙がぽろぽろこぼれていた。
その声に嗚咽が混じっていることに気付き、朱音はしょんぼりと目を伏せる。
「ごめん……」
「あ、そノ……」
悄然とした朱音の様子に、ティオも気まずげに表情を沈ませた。
彼女もまた、ああしなければ勝てなかったことは理解しているのだろう。
「……おかげで勝てたのは、分かってマス。けど、アカネが死んだら、わたしだけじゃなくて、ユウ様だってぜったい泣くんですからネ。他にも、いっぱいの人が悲しむんですヨ」
「うん……」
自己犠牲的な戦い方をする悠を責めたのは、いつの頃だったろうか。
もしかしたら彼のように、自分もこの力に舞い上がっているのかもしれない。
朱音は自嘲と自省に苦笑しながら、頷いた。
もう一度、謝罪を口にする。
「……ごめん」
そして、ティオのなすがままに任せる。
彼女は動脈に達するような致命的な裂傷がないことを確認すると、目立った傷の縫合をはじめていた。麻酔がないのでチクチク痛むが、贅沢は言っていられない。
悠ほどではないが、第三位階に達した朱音の肉体は常人を遥かに超える自己治癒力を備えている。
浅い傷口や、縫合を終えた傷口からは、とりあえずは出血は止まりつつあった。
「応急処置ですけド……無理に動いちゃダメですからネ」
「ん、ありがと」
とりあえず、この場で出血多量で死ぬような事態は免れるようだ。
ふと朱音は、カーレルを見下ろして、
「こいつ……最後まで本気を出さなかったわね」
「……そうですネ」
カーレル・ロウは最後まで魔法を具象しなかった。
できない事情があったのか、それともあえてしなかったのか。
自分たちは、舐められたまま圧倒されていたのだ。
危うく、悠の足を引っ張るところであった。
(ラウロ……あの野郎、どこで何してるのよ)
空間の裂け目も、這い出る暗黒も、いつの間にか消え失せていた。
あの助勢がなければ、間違いなくあのまま絞め落とされていたことだろう。
聞こえた男の声は、怨敵であるラウロ・レッジオのもの。
あの禍々しい暗黒は、あの男の魔法なのだろうか。
忌々しいことに、いずれは出し抜くべきあの男に助けられてしまった。
悔しい、恥ずかしい。
忸怩たる想いが、胸中に渦巻いていた。
勝利したという達成感など微塵も存在しない。
「弱いわね……あたしたち」
「……はイ」
だが、それだけではない。
胸中に渦巻く、雲のようにどんよりと湿った無力感の中に、消えることのない種火がある。
少しずつ、強く、そして大きくなる熱があった。
「だから……強くなりましょうネ、アカネ」
「……ん」
強くなりたい。
悠の足を、引っ張らないぐらいに。
悠を、助けてあげられるぐらいに。
ただ守られるヒロインなど、真っ平御免である。
その決意を強く刻み、朱音はしかと頷いて、
「とりあえず……今日はもう、むり……」
ばたりと、その場に倒れるのだった。
次回更新は来週の水曜20時です。
魔法 精霊庭園
使い手 ティオ 及び リオ
化身型。具象形は、土、水、火、風の四体の精霊。
異なる特性を有する四体の具象体を操ることで多くの状況に対応可能な、極めて高い汎用性を誇る魔法。バランス型の一つの到達点。
ただし、四体の精霊のそれぞれの特性を引き出しながら四体同時に精密な操作を行うには大変な熟練と素質を要し、使い手には高度な魔道の基礎を要求する。
また、四つの精霊を融合させることで「第五精霊」という状態へと変ずる。
これは、魔族に触れると莫大なエネルギーに変換され、中位以下の魔族ならほぼ一撃で滅することのできる極大な破壊力を生み出す。
ただし、この能力を使用すると一定時間は魔法の具象化ができなくなる。
ティオ使用時
攻撃力:B
防御力:C
機動力:B
持続力:B
特殊能力:B
射程距離:C
リオ使用時
攻撃力:A
防御力:A
機動力:A
持続力:A
特殊能力:A
射程距離:A
※魔法単体ではなく、本人のスペックも含めた評価




