第23話 ―鋼翼―
ガウラスの巨躯が、トラックにでも撥ねられたように吹き飛び、通路を転がっていく。
「ぜぁっ……ぐっ……」
ついに限界に達した省吾は、呻きながら膝をついた。
重傷である。
肋骨の半分以上は骨折し、内臓も恐らく痛めているだろう。心臓の鼓動は、先ほどから異常なリズムを刻んでいる。
我ながら、最後の一撃を放つ余力があったのが信じられないほどだ。
しかし、あの男に勝てた代償としては安過ぎるぐらいか。
真っ当な立ち会いなら、勝てなかっただろう。
全力の一撃を耐え、カウンターで制す。
一刻も早く省吾を倒したいというガウラスの立場があったからこそ取れた戦術であった。
「まったく……世界は、広いな」
“鋼翼”の、序列第13位。
あの男ですら、13位だ。
そして“帝国”にも、“覇軍”にも猛者はいる。
異界兵最強の呼び名の、なんと虚しいことか。
「……勝者がそんな顔をするな。我が敗北まで汚れる」
憮然とした声。
顔を上げれば、狼人の戦士が立っていた。
胸を抑え、血に濡れた口から荒い息を吐きながらも、立っている。
自分は……力尽き、膝を付いている。
あまり愉快な構図では無かった。
「……ぐっ」
「無理をするな、ショウゴよ。俺とて、意地で立っているだけだ。俺の負けで、お前の勝ちだ。……双躯の式を合わせた拳を耐えられてはな」
双躯式。
物質の己と魔道の己の動きをリンクさせることで、魔道による影響力を高める魔術の技巧。
その存在は、他の異界兵には語らないという条件でベアトリスから教えられていた。自身が放った最後の一撃も、双躯式により強化したものだ。
ガウラスは、複雑な表情で省吾に殴られた胸板を見下ろす。
「最後の一撃……やろうと思えば、俺を殺すことも出来たはずだ。情けをかけたか」
「別に、そういう訳じゃねえよ」
間違いなく、全力のつもりであった。
だが殺す気はあったかと言われれば、否である。
覚悟はあったが、やはり人を害するという一線を越えることに躊躇があったことは確かだった。
無意識的に、ブレーキがかかった可能性は否定できない。
「ま、童貞なんでな。貞操は大事にしたいんだよ」
「……ふん。屈辱だが……感謝する。まだ俺は、死ぬ訳にはいかん」
「んだよ、じゃあそのうち死んでもいいってことか?」
「然り。我が祖国と仕える主を滅ぼした、あの男を誅するまでは――」
「――久しいですね、ガウラス」
「――――」
ガウラスが、止まっていた。
現実に付いていけず、時間に置き去りにされたように立ち尽くしていた。
その目は、未だかつてないほどの驚愕に見開かれている。
省吾は、その声の主の姿をガウラスの背後に認めていた。
桃色の髪の、狼人の娘。
「ルルか」
「ご無事でようございました、ショウゴ様」
「これが無事ね……つぅっ……悪ぃが、そろそろ喋るのきつくなってきたからよ、知り合い同士なら、勝手にやっててくれ」
どさりと腰を下ろし、壁にもたれかかる。
指一本動かすことすら億劫であった。
そのまま、成り行きを見守ることにする。
ガウラスは、油の切れた機械のような動きで振り返る。
その声は、夢でも見ているように浮ついていた。
「ひめ、さま……?」
……姫様?
只者ではないとは思っていたが。
訝しむ省吾の目に、苦笑してかぶりを振るルルが映る。
「そのような者は死にました。ここにいるのは、奴隷のルルです」
「何を仰いますか……!」
「ガウラス、そのように。私はルルです」
「……は」
ガウラスはその場で膝を付いて、頭を垂れた。
まさしく、姫に仕える忠臣の姿。
その背は小さく震え……泣いているのだろうか?
「よく、ご無事で……!」
「私は奴隷だと言ったはずですよ。傭兵としてひとかどの地位を築いた貴方の方が立場は遥かに上です。そのように頭を垂れる必要はありません」
「お言葉ですが、なればこそ私の自由にさせていただきます。ひめ――ルル様」
「……お好きになさい」
くすっ、とルルが笑みを漏らす。
優美に微笑み、屈強な戦士をかしずかせるその姿は、とても堂に入っていた。綺麗なドレスでも着せれば、まさしく姫君の姿であったことだろう。
昔を懐かしむ、優しい眼差しで言葉を続ける。
「貴方の活躍は聞いておりましたよ。さすがはルヴィリスの誇る戦士です。私は、貴方を誇りに思います」
「勿体なきお言葉……!」
「ですが」
すっとルルの目が細まる。
その声に、厳しい険が混じった。
「此度の貴方が受けた依頼……狼人の誇りに適うものとは思えませんが」
「……返す言葉もございません」
あの巨漢が、叱られた子犬のように身を縮こませている。
耳を伏せ、尻尾を力なく垂らすその姿は、ひそかに凹んだ時のルルが見せる仕草によく似ている。
ルルは小さく嘆息し、
「“鋼翼”からの特級依頼……実質的な命令であろうことは察しますが……見返りは、シド・ウォールダーについて、ですか?」
聞いたことのある名であった。
確かマダラと同じ“天”の一人、“獣天”。
“人獣”というテロリストまがいの組織の長で、“天”の中でも飛びぬけて危険な気質の男だと聞いている。
「は……“覇軍”より、情報提供の契約を取り付けておりました。“人獣”と……その、ご遺体の見つからなかった姫様の、消息の手がかりについて」
「……なるほど」
ルルは鷹揚に頷いて、良く通る朗々とした声で告げる。
「ならば、もうどちらも必要ありません。今後は、貴方の誇りに泥を塗るような真似は許しません。貴方の信じる通り、戦士として胸を張れる道を行きなさい」
「は……」
深々と頭を下げるガウラス。
その逞しい背は、確かな歓喜にうち震えていた。
そして、ふと思い出したように顔を上げる。
こちらを一瞥して、
「このショウゴ……殿も」
「よせ、いまさら気持ち悪ぃ」
呻く省吾。
ガウラスは、憮然とした様子で鼻を鳴らす。
「ショウゴもルル様の知己の様子。別の場所でユギル・エトーンや他の傭兵と戦っているのも、お知り合いで御座いましょうか?」
「その通りです。この城の機能の担い手と相談して、可能な限り有利な状況で戦えるようには差配しましたが……まさか、“鋼翼”の傭兵に貴方ほどの使い手が混じっているとは思いませんでしたよ」
「さすがです。少なくとも私は敗れました……ですが」
小首を傾げるルルに、苦々しい表情でガウラスは言葉を続ける。
「あの男……カーレル・ロウの相手は、荷が重いのではないかと」
「……彼まで来ているのですか!?」
カーレル・ロウ。
その名を聞いた時、ルルの顔色が変わった。
同時に、みるみるうちに表情が険しくなっていく。
下手を打ったと、その強張る美貌が物語っていた。
「誰、なんだよ……そいつは」
ガウラスが、その疑問に答えた。
「“鋼翼”の……序列第6位」
“鋼翼”とは、厳格な実力・実績主義に基づく組織である。
そこでの成り上がりは、身分や財力に恵まれなかった者の多くが夢見る、人生の花道の一つであった。
華々しい成功を胸に、あるいは他に生き方を知らずに属する者は数多く、当然ならその能力には大きな格差が存在するが、彼らの能力は、おおむね3つの区分によって認識されている。
最初に、序列者であるか否か。
序列者とは、“鋼翼”の中でも特に評価されている100人を指す言葉である。100位から1位までの序列を与えられ、幾つかの制約と引き換えに特権を与えられた一流の戦士たちだ。第三位階の強力な魔道師も多く名を連ねている。
そして次に、序列者のうち1桁の序列を有するか否か。
9位から1位の、最強の序列者。
“天”すら一目置く“鋼翼”の最高戦力。
“九傑”と称される、規格外の怪物たちである――
戦場と化した一室に、無数の斬閃が煌めく。
ただひたすらに細く、鋭い、視認すら困難な魔性の斬撃。
二人の少女が、その脅威に晒されていた。
「この……鬱陶しいのよっ!」
朱音が指先から伸びる虹糸を操り、編み合わせる。
展開されるのは、<絢爛虹糸>の防御網だ。
触れたものを繋ぎ止める、捕縛の障壁。
防御がそのまま攻撃に繋がるという、実に朱音らしい技であった。
だが、その間を縫うようにして疾る斬閃が、朱音の肩口を撫でていく。
鋼鉄の鎧に匹敵する戦闘服が切り裂かれ、その下の肌から血が滲んだ。
「あつっ……!」
鋭い痛みに、朱音の集中が乱れる。
防御の網が、歪つに崩れた。
その隙を狙い、幾つもの斬閃が、蛇のようにうねる軌道を描いて朱音を襲う。
「アカネっ!」
ティオが、<精霊庭園>の1体を朱音の護衛に向かわせた。
巨躯を誇る、土の巨人。
朱音を庇うように前に出たティオの魔法が、迫りくる斬撃を受け止める。
頑強なその体躯に、無数の傷が走っていく。
丸太のような左腕が根本から切断され、重苦しい音を立てて転がった。
「くぅっ……!」
ティオが、苦しげに呻いた。
彼女の魔法の具象形は、化身型といわれる。
本体と別個に動けるという利点を有し、その強度も高い一方で、受けたダメージは本体の魂へとフィードバックされる欠点があった。
魂が軋んだ痛みにふらつくティオ。
加えて、土の巨人の操作に集中していたために、他の3体は棒立ちも同然であった。
その小柄な身体へ、無慈悲な斬撃が襲いかかる。
「危ないティオっ!」
土の巨人のおかげで難を逃れた朱音が、ティオに飛びかかっていた。
同時に4体の精霊に虹糸を繋げ、強引に引き寄せる。
無数の危うい風切り音を背に、朱音とティオは床を転がる。
朱音がティオを抱き上げながら、即座に受け身を取っていた。
立ち上がり、反撃に移ろうとして――
「――そこから動かない方がいいんじゃないですかねえ?」
周囲を囲むように煌めく無数の“線”に気付き、身動きが取れなくなっていた。
朱音は、咄嗟に<絢爛虹糸>を操作しようとして、
「その綺麗な糸も、動かさないでくださいね?」
疾る斬閃が、かたわらを薙いでいった。
「くっ……」
悔しげに呻く朱音の前で、細身の優男がゆるりと笑う。
相変わらずの、何ら危機感を感じさせない真剣味のない立ち姿。
癪に障ることこの上ない。
「改めて、自己紹介させていただきましょうか……“鋼翼”の序列第6位、カーレル・ロウ。以後、よろしくお願いします」
「今更……?」
へらへらと、カーレルは軽薄に笑いながら、
「いやあ、だって、君たちが俺より強くて、ドヤ顔で名乗った後にボコボコにされたら格好悪いじゃないですか?」
頭に血が上る。
「このっ!」
「アカネっ! 駄目デス!」
「……っ」
かたわらのティオが出した悲痛な声に、朱音は屈辱に激して勇んだ足を止めた。
空気を切り裂く、細く鋭い音が聞こえたの次の瞬間だ。
つぅっと、朱音の浅く裂けた肌から血が垂れる。
その背後で、金属製の調度品が輪切りとなって転がっていた。
カーレルが、指揮者のように腕と指先を躍らせながら口を開く。
「ティオさんの言う通りですよ、アカネさん。この糸は、ご自慢の魔道戦闘衣装でも防ぎ切れません」
そう、糸。
たった今、朱音の肌を切り裂いたもの。
朱音たちを襲う、無数の斬閃の正体だ。
今、朱音たちが戦っているこの部屋には、無数の糸が張り巡らせてあった。
縦横無尽に展開されたその糸は、視認することすら困難なほどに細く、人間の体を容易く切断するほどに鋭い。
迂闊に動けば、瞬く間に輪切りとなって床に転がることだろう。
それは、朱音の<絢爛虹糸>ではない。
目の前の優男、カーレル・ロウが作り出した鋼糸の結界である。
その指が奇怪な動きを見せ、無数の糸が別の生き物のようにうねっているのが、僅かな光の反射で確認できる。
恐らく、あの気の抜けた会話を交わしていた時に、さり気ない動きに織り交ぜて糸を操っていたのだろう。
糸使い――奇しくも、朱音と同じ武器。
だが、その練度には天と地の開きがあった。
そして、何よりも屈辱的で恐るべき事実が一つ。
「この野郎……魔法も使わないで……! 舐めてんじゃないわよっ!」
「だって、疲れるの嫌ですし」
悪びれもせずに肩を竦めるカーレルに、朱音は猟犬のように歯を剥いて唸る。
舐められている。手を抜かれている。
曲がりなりにも武道を歩む朱音にとって、屈辱極まりない状況であった。
無論、そうなればひとたまりもなく敗北するのであろうが、ムカつくものはムカつくのである。
“鋼翼”の第6位、カーレル・ロウ。
この男は、魔法を具象した第三位階の二人を同時に相手取り、魔術を組み合わせた鋼糸術のみで制圧していた。
下手に動けば、あの目視困難な高速斬糸が飛んでくる。
もはや、<絢爛虹糸>を動かすことすらできない有様であった。
「さて……これで、安心して質問できますよ」
カーレルの薄ら笑いの眼差しが、もう一人の少女へと向けられる。
「ティオさん?」
「は、はイっ」
<精霊庭園>――その四つの具象体を従えながら、ティオが上擦った声を返す。
カーレルは、その彼女の魔法を見つめながら目を細める。
「その魔法……俺は、その使い手を知ってるんですがね。まあ、能力の似た魔法っていうのは色々な第三位階を見ていけばそれなりにあることですが、銘も詠唱も、そして具象形まで全く同じというのは見たことが無い。リオ、という女性をご存じで?」
「お母さんデス……この魔法は、お母さんがわたしに遺してくれたものデス!」
「ああ、そういや娘さんがいるって言ってましたね。ふぅむ……魔法が、遺伝する……はて」
そこでカーレルは何かを思い出したように、
「そういえば、彼女は汚染者でしたねえ。つまり君は、半魔族ですか」
「……っ」
汚染者――魔族に汚された女性の総称。半魔族とは、その子供を意味する蔑称である。
その言葉に、ティオの表情が強張った。
無遠慮なその言葉に、柳眉を釣り上げた朱音が声を荒げる。
「この無神経男! だったら何か文句でもあるっていうの!?」
「ああ、いや、すみませんねえ。別に他意は無いんですよ。個人的にはリオさんとは友人だったと思ってるんですがね。亡くなったことは、本当に残念に思っています」
「お母さんを……知っているのですカ?」
「ええ、殺し合ったし、助け合ったこともあります。色々な意味で強い女性でしたよ。まあ、それを鑑みるに――」
カーレルは、再びティオの<精霊庭園>へと目を向ける。
その声には、嘆くような響きが混じっていた。
「――君は、その魔法をまるで使いこなせてませんねえ。リオさんとやり合った時には、幾度も肝を冷やしましたし、背を預けた時には頼もしかったものですが」
「う……」
ティオは悔しげに呻く、が事実である故に何も言い返せなかった。
火の蜥蜴、水の淑女、土の巨漢、風の妖精。
異なる性質を有する四体の具象体を操る魔法、<精霊庭園>。
それに目覚めたティオは第三位階として貴重な戦力となっているが、生前のリオの力を知るベアトリスからは、その強みをまだまだ活かしきれてないと言われていた。
具体的には、その操作の精密性・並列性に著しく欠けるのだ。
4体というアドバンテージを活かそうにも4体への細かい制御が同時にできず、1体に細かい制御をしようとすれば、他の3体が棒立ちになる。
もしそれが可能であったなら、この戦局もまた違ったものになっていただろう。
現状は、4体を同時に動かすならば、以前の魔族の軍勢の時のようにかなり大雑把な制御で行わなければならなかった。
そもそも、ティオは第一位階から第三位階へと一気に跳ね上がった変わり種である。
そういった意味でも、彼女の魔道面の技術はまだまだ未熟に過ぎる状態であった。
俯くティオが、おずおずと問いかける。
自嘲気味に、自己嫌悪のにじんだ声色で、
「その……お母さんに免じて、ここを退いていただくことは、できませんカ?」
「はっはっは、そりゃあ無理ですねえ。まあ、俺が負けそうだったら一考したかもしれませんが……っと」
さて、とカーレルが言葉を切り、その指が怪しく蠢く。
部屋中に張り巡らされた糸が、ぴぃん、と鳴いた。
「あぐっ……!」
「くぁっ……!」
次の瞬間、身動きのできない朱音とティオの首に、糸が絡まる。
首を落とされるのでは、と寒気が走ったがそのような気配は無かった。
ただ、ゆっくり、ゆっくりと喉が締まっていく。
息が、できない――
「い……ぁ……!」
負ける。
この男を先へ通してしまう。
悠のところへ、行かせてしまう……!
朱音の目じりに、涙が浮かぶ。
「あんまりゆっくりしてる時間も無いんで、そろそろ終わらせてもらいますかね。ま、ユギルさんは物騒なこと言ってましたが、殺すのも忍びないんで大人しく……――」
――その時だった。
次話は土曜20時更新です。
魔法 獅子吼
使い手:武田省吾
同化型。具象形は右腕の獅子の紋様。
右拳の一撃と共に、あらゆる魔道効果を崩壊させる特殊な振動波を打ち込む。この振動波の直撃を受けた者は、一定時間の間(その者の力量次第)、魔道との接続を絶たれ、無能力状態へと陥る。
如何なる魔道的防御をも貫通する、決まれば一撃で勝敗を決する必殺の拳。
ただし、能力の発動直後は右腕の獅子の紋様の牙が消滅し、しばらくは同能力は使用できないため、複数相手の戦闘は不得手な魔法である。
もっとも、完全なる同化型である故に省吾の肉体は桁外れの頑強さを誇り、彼自信の卓越した格闘能力と相まって、能力を抜きにしても重戦車じみた制圧力を誇る。
攻撃力:S
防御力:A
機動力:D
持続力:C
特殊能力:A
射程距離:E
※魔法単体ではなく、本人のスペックも含めた評価




