表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
77/136

第20話 ―侵攻―

週1~2ペース以上を維持していきたいなと思います。

 溺れている。

 深く、深く、沈んでいく。

 眼下に広がるのは、果てなき虚無の深海。

 その深淵、暗黒天体ブラックホールのごとき奈落の口が、悠を引きずり込もうと死の舌を伸ばしている。


 身の毛のよだつ不吉の気配。

 だが同時に、どこか甘ったるい安らぎ感じさせる。

 思わず全てを委ねたくなるような危うくも禍々しい安寧あんねいが、その奈落に満ち溢れていた。


「くっ……!」


 悠は……その魂は、総身を震わせながらも抵抗する。

 足掻き、もがき、暴れて、じたばたと、がむしゃらに。


 ――嫌だ、死にたくない。みんなに、会いたい!


 その一心で、鉛のように纏わりつく死の気配を振り切り、悠は虚無の深海から浮上した。


「ぜぇっ……はぁー……はぁー……」


 一気に視界がひらける。

 そこは、夢幻城の玉座の間。その仮想の空間だ。

 大剣を右手に下げた美丈夫が、薄く微笑みながら左手を上げた。


「やあ、おかえり」


 つい先ほど、悠を一刀両断したことなど気にも留めてない気楽な態度である。


 今の自分には傷一つ無いが、確かに悠は真っ二つになり、“殺された”のだ。

 その事実に、悠は再び身を震わせた。

 アリエスの声が、広々とした空間に響く。


「良かった……ユウ、ちゃんと帰ってこられたね。大丈夫?」


「ん……うん、大丈夫……だと思う」


 蒼白になって掠れた声を出す悠を見下ろして、ブラドが肩を竦めた。


「悪いね、少年。今の僕は神殻武装テスタメントでもあるからして、手心は加えるような機能は存在しない」


「分かって……ます」


 それは、アリエスから事前に告げられていたことである。


 ブラドと悠の実力差は、もはや猛獣と羽虫を比較するのに等しい。

 立ち会って勝てる可能性など、皆無と言って差支えが無いのだ。

 故に、ほぼ確実に殺されることになるだろうと。


 もっとも、ここは夢を用いた仮想の世界である。

 この世界で殺されたとて、悠の肉体が何らかの影響を受ける訳ではない、が。


「正直……本当に死んだかと思った……」


 この生々しいまでの現実感。

 悠の知覚は、この本物と比べても遜色ない玉座の間を現実と錯覚している。

 身を抉っていく刀身の感覚も、脳と心臓を断ち割られた感触も――その死の感覚を、悠の魂はリアルに感じ取っていた。


 魂が、仮想の死に引きずられる。


 先ほどの深海のイメージは、悠の魂が死の淵に転がり落ちようとしていた心象風景か。

 ほんの少しでも弱気になっていれば、瞬く間に悠の魂は永久の闇に包まれ、二度と目覚めることなく消え失せていただろう。


 まさしく深海から這い出たような疲労感が、魂に纏わりついていた。

 次に同じ状況に陥ったら、果たして耐えられるだろうか。


「時間は限られている。そこで立ち尽くす時間はあるのかな、少年?」


「……すみません」


 だがそれは、何度も“死んで”もいいということ。

 死は敗北ではないということ。

 悠の魂が、死の重力に負けて奈落へと墜落しなければ、幾度もこの夢幻の王に挑めるということだ。


 そして一度だけでも、勝てばいい。

 それが唯一の活路、この男に対するたった一つのアドバンテージであった。


 ……もう二度と味わいたくない、地獄のような経験だったことも確かなのだが。

 正直、一度だって体験したくは無かったが、やはりそれは甘過ぎる考えだったようだ。


「行け!」


 八刃を射ち出し、駆けた。

 防ぐか、避けるか――その両方への対処を構築し、ブラドとの距離と詰める。

 ゆるりと立つ夢幻の王は、


「足りんよ」


 一閃。

 ただ一度の剣閃が、八刃の全てを打ち砕く。

 ……悠の、肉体ごと。


 




「……何よ、これ!」


 朱音の悲鳴じみた声が、研究室に響き渡った。


「悠……!」


 朱音の目の前に、その少年はいた。


 神護悠。

 朱音の最初の友達にして、初恋の人。

 ずっと会いたかった、ずっと心配だった。逢えたら人目も憚らずに抱き締めたいと思っていた。抱き締め返して欲しかった。


 だがそれは今、できないのだ。


「どういうことよ……!」


 悠は、動かない。

 全裸で横たわる褐色の少女の胸に手を当てたまま、眠ったように目を閉じていた。

 その少女は、以前のアリエスが見せた写真で見たことがある顔である。


 そして、そのアリエスもまた、褐色の少女に膝枕をしながら両手でその頬を挟み込み、その体勢のまま悠と同じく目を伏せて停止していた。

 こちらは呼吸すらしていないように見える。


「申し訳ありませんが、お手を触れないようにお願いします」


 その三人の傍らに、一人のメイド姿の女性が立っていた。

 カミラと呼ばれる、褐色の美女。

 驚くほどの無表情で、こちらをじっと見つめていた。

 美虎や伊織の言葉を信じるなら、この夢幻城そのものともいえる、人工知性体。


「触れれば、悠は起きるってこと?」


「肯定です。が、させません」


 朱音とカミラの間に、剣呑な空気が流れる。

 柳眉を吊り上げる朱音を、カミラの美貌は、さざ波ほどの変化すら起こさずに見つめ返していた。


「ア……アカネ」


 唸る朱音の袖を、ティオがちょんちょんと摘んでくる。

 こちらを見上げながら、おずおずと鈴のような声で、


「まずは落ち着きまショウ……ネ?」


「でも、命懸けだって、死ぬかもしれないって……!」


 被せるように、ルルが口を開く。


「お気持ちは分かりますが、ユウ様ご自身が納得して行っていることならば、アカネ様のご判断がユウ様の想いを踏みにじることにもなるかと思いますが」


「まずは話を聞いてからだ、朱音」


 省吾の言葉に、朱音は歯ぎしりしながら、興奮気味に声を張り上げた。


「くっ……分かったわよ! さっさと説明してよこの状況!」 


「了解しました」


 頷くカミラは、澱みない口調で淡々と語る。


 自分たちの置かれた事情。 

 レミル・ルシオルという少女について。

 彼女と悠たちが懇意になったこと。

 レミルを助けるために、アリエスに頼まれた悠が協力を了承したこと。

 そして今、悠が行っている戦いの内容と、成功の確率――


 そこに話が及んだ時、夢幻城に侵入した8人は、一様に顔をしかめた。

 特に反応したのは、やはり朱音だった。


「やっぱり止めるわ……!」


「させません、と申し上げましたが」


「邪魔すんじゃないわよ――!」


 詠唱。

 “繋がり”を尊ぶ、魂の真言。

 朱音の唇が、その銘を叫ぶ。


魔法具象ゼノスフィア――<絢爛虹糸レイディアント・ブリス>!」


 朱音の指先から、虹色の糸が伸びる。

 藤堂朱音の魔法ゼノスフィアが、彼女の感情の昂ぶりに応えるように揺らめいていた。


「お、おい朱音!」

「待て! ちょっと落ち着け!」


 美虎と伊織が、狼狽した声を上げる。

 朱音は二人を、きっと睨みつけた。


「二人も二人です! どうして止めてくれなかったんですか!?」


「止めたばい! でも……!」

「……自分がお前の親父さんに助けてもらったみたいに、自分も誰かを助けてあげたいんだとよ」


「あ……」


 朱音の脳裏に、地球での悠との暮らしが想起される。

 父である正人を、憧れの眼差しで見る悠の姿。

 単に正人の体躯の逞しさに憧れているだけだと当時は思っていたが、悠の過去を知れば、それは別の意味を帯びてくる。


 悠にとって、朱音の父は人生を救ってくれた英雄ヒーローなのだ。


「あの、馬鹿……!」


 力無くうなだれる朱音。 

 俯く先には、ティオが強張った表情で黙り込んでいた。


「ティオは……平気なの?」


「へ、平気なんかじゃなないデス! ユウ様に危ない目になんて遭って欲しくありませン!」


 でも、とティオは言葉を切り、


「わたしも、ユウ様に命懸けで助けて貰いましたデス。だから、ユウ様がそうするのをわたしが止めるのも、何か違うなって思いマス……でも……その……」


 そのまま、悔しげに表情を歪める。

 目じりに涙が浮かび、小さな嗚咽が漏れつつあった。

 その頭にぽんと手を置いて、朱音はもう一人の女性に視線を向ける。ある意味では、悠に最も近しい女性である。


「あんたは、どうなのよ……ルル」


 目を細めて悠を見つめていたルルは、静かな声で、


「そうですね……私の立場からすれば、止めるのが本道なのかもしれません。ですが、先ほどもお伝えした通り、これはユウ様ご自身が決められて、行っていることです。ここでその想いを果たせなければ、ユウ様は取り返しの付かない、一生の後悔と傷を得るかもしれません」


「でも、でも……!」


 ルルの言っていることも分かる。

 だからこそ、余計に胸が苦しかった。

 彼の命か、彼の想いか。

 悠を愛する自分は、どういう結論を出すべきなのだろうか?

 出口の見えない思考の迷宮に迷い込み、朱音は途方に暮れる。


 その間、ずっと腕組みして思案していた省吾が、機を見計らって口を開いた。


「なあ……その神殻武装テスタメントとやらも、魔道の武器なんだよな?」 


「原理的には同じものです」


 省吾は、自らの筋骨隆々の右腕を力強く叩いて、


「だったらよ、もしかしたら、だが……そのガキの中にあるっていうそれを、俺の魔法ゼノスフィアで――」


 その言葉を、最後まで言うことはできなかった。


「――お待ちを」


「……何だよ?」


 カミラの静止の声に、怪訝に眉をひそめる省吾。 

 褐色の美女は、身じろぎすらせずに黙り込んだ。

 訝しむ10の眼差しを受けながら数秒後、


「侵入者です……只今、精神干渉波による妨害で足止めをしていますが、長くはもたないでしょう」


「……帝国の援軍かね。専門家が来てくれれば、悠とこの娘を何とかできるんじゃないか?」

「いや、早過ぎね? ウチらより相当遅れるって話だけど」


「根性で急いで来たんじゃないッスか!」

「モモだまってて」


 冬馬たちのざわめきの中、カミラがきっぱりと否定の声を挙げる。


「いえ、“帝国フォーゼルハウト”ではありません。これは――」


 そして、カミラが口にしたのは、 


「――“覇軍レギオン”、そして“鋼翼ギルド”です」


 “夢幻ファンタズム”を壊滅させた、世界最大の軍事勢力の名であった。






「いやあ、懐かしいもの見ちゃいましたよ。俺が故郷に暮らしていた頃の――」


 荘厳な夢幻城の大広間に、ぺらぺらぺらぺらと場違いに軽い男の声が響く。


 細身の優男。

 茶色がかった長髪の、いかにも軽薄そうな青年である。

 軽装に身を包み、緩んだ態度で頭をぽりぽりと掻いていた。


「皆さんも見たんですよねえ? ガウラスさんはどんなの見ましたか? 教えてくださいよお」


「……やかましいぞ、カーレル・ロウ」


 カーレルと呼ばれた青年の問いをにべもなく切り捨てたのは、狼人ワーウルフの男であった。


 狼人ワーウルフ、といってもその容貌は同族のルルとは大きく異なっている。

 その大柄で筋骨隆々の全身は青みがかった体毛に包まれており、その顔の造形も人間ではなく狼のものだ。だがその瞳には、紛れもなく人の理性が宿っている。

 地球の人間であれば、狼男おおかみおとこと表現したかもしれない。


 ガウラス・ガレスは、カーレルを見下ろして、剣呑な唸りを漏らす。

 常人が受ければ一瞬で失禁して気絶しそうな鋭い視線を、しかしカーレルは何事もないように受け流していた。


「あれ? なーんか機嫌悪いですねえ? 嫌なものでも見ましたか?」


「確かに不愉快なものは見せられたが、機嫌が悪いのは元からだ」


「あっはっは、確かにそうでしたねえ。やっぱり気が進みませんか? 嫌な依頼ですもんねえ。ギルドからの特級依頼とはいえ、世知辛いもんです」


「……仕事だ。受ける理由もある。手は抜かん」



「それは重畳ちょうじょう。前払い分の報酬は支払っているのだからな」



 二人の会話に、うすら寒い声色が混じる。

 振り返るガウラスとカーレルの視線の先に、一人の男が立っていた。


 禿頭の巨漢である。身長は2mに届こうかというほどだ。

 筋骨隆々の体躯はいわおの如き威容を誇り、神父や牧師を思わせる黒ずくめの服装を押し上げていた。


 強壮極まりない容姿であるが、しかし顔色は異常なまでに悪い。

 まるで死体のように青白いその顔は、その存在感溢れる巨漢に幽鬼のような薄ら寒い不気味さを纏わせている。

 この男がそこに在るだけで、大広間にはまるで朽ちた墓場のような陰鬱とした雰囲気が漂っていた。


「“鋼翼ギルド”の精鋭を大金を積んで雇ったのだ、力は尽くして貰う」


 カーレルは、肩を竦めて男の名を呼んだ。


「分かってますよお、ユギルさん。ま、あくまで依頼と報酬の範囲内、ですがね」


狼人ワーウルフの戦士を侮るな、ユギル・エトーン」


「おおっ、頼もしい! “鋼翼ギルド”の序列第13位の力があれば楽できそうですなあ」


「カーレル、貴様……!」


「怖いなあ、冗談ですって。夢に見たらどうするんですか……っと、ぼちぼち全員が戻ってきたんじゃないですかね」


 周囲では、10名ばかりの“鋼翼”の傭兵たちが、不快げに唸りながらも自力で現実へと帰還しつつあった。曲がりなりにも、彼らとてプロである。この程度で無力化されたりなどしない。

 ユギルは、周囲を見渡しながら生気の感じられない声を上げた。


「では、依頼内容は分かっているな?」


夢人サキュバスの少女の捕獲、そして夢幻城の中枢の掌握ですよね」


「……門には破壊の後があった。恐らくは、“帝国フォーゼルハウト”の人間が先に侵入しているはずだが。どうするのだ、“覇軍レギオン”よ」


「ふむ……」


 フォーゼルハウト帝国と敵対する、多国連合軍“覇軍レギオン”。

 その一員たる“ザ・コフィン”ユギルは頷き、そして何の躊躇もなく言い放った。


「皆殺しで構わん」

水曜にも1話アップする予定です。

3章も終盤なので、できるだけ早くまとめたいですね。


感想いただけると、とても喜びます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ