第18話 -夢界-
すでに活動報告で発表しましたが、3月30日に書籍化予定です。
キャラデザの発表など、活動報告で順次行っていきたいと思っていますので、もしよろしければお気に入りユーザー登録お願いします。
レミルを助ける準備には数時間の時間を要する。
アリエスとカミラの二人でその準備を行うので、それまでは休息を取って備えていて欲しい。
――ありがとうね、ユウ。本当にありがとう。
アリエスの言葉に従い、悠は英気を養っていた。
立っているのは夢幻城の最上層。地上に出現している時だけ開かれるテラスである。
レミルを助けるためには、夢幻城の持てる力の多くをそちらに割かねばならず、姿を隠している余力が無いためだ。
数日ぶりの外であった。
頭上を見上げれば、暗黒の大空に欠けることのない巨大な満月が浮かんでいる。その周囲では無数の星々が宝石のように漆黒を彩り、幻想的な美景を演出していた。
どうやらかなり辺鄙な場所に出現したらしく、地上を見下ろしても集落の一つも見当たらない。
夜の帳に染められた森と草原がひたすらに広がっており、虫や獣の合唱が夜空に溶けていた。
そんな情景に目を細めながら、悠はぽつりと呟いた。
「みんなは……気付いてくれてるのかな」
悠たちの反応は、帝国側で補足できると聞いている。
元々は自分たちを逃がさないための忌々しいシステムであるが、こういう形で役立ってくれてもいいはずである。
もしかしたら、今頃助けに向かってくれているのだろうか。
そうだとしてもまだ時間がかかるだろう。
願わくば、その時には全てを終えて、胸を張って戻れればいいのだが……
「おーい、悠っ!」
物思いにふけっていると、背後から声がかかった。
よく知る女性の声である。
振り返り、彼女の名を呼んだ。
「美虎先輩……と、伊織先輩」
モデル顔負けのスタイルを誇る長身の少女と、艶やかな黒髪をポニーテールにした小柄な少女。
二人が皿と容器を手に立っている。
皿の上には簡単な料理が盛り付けられており、容器の中身な飲み物のようだった。
伊織が、涼やかに笑みながら手にした容器を掲げてみせる。
「腹が減っては何とやらだ、長丁場になるようだし、何か腹に入れた方が良いだろう?」
「安心しろよ、肝心な部分は島津にはやらせてねーから」
「ぐぬぬ……」
悔しげに唸る伊織を尻目に、美虎は皿を床の上に置いた。
その上の料理は、あまり胃に負担がかからず簡単に摘まめそうな、それでいて栄養のありそうなものばかりであった。
美虎の作る料理は単に美味しいだけではなく、栄養まで計算して作ってあるのだ。
「そうですね、ありがとうございます。うわぁ、すっごいいい匂い……」
「おう、オレの自信作だよ。たんと食え」
「自分だって皮むいたりしたんだからな! したんだからな!」
三人で床に座り、皿を囲む。
いただきます、と手を合わせ、皿へと手を伸ばした。
上品な焦げ目のついたボール状の料理を口に運び、
「んー……! 外はサクっと、中はお芋がホクホクしてて、爽やかな風味の出汁が染み込んでて……! えーと、えっと……!」
「いや、無理にリアクション取らなくていいから」
「また変なこと言って恥をかくぞ? ほら、一昨日の……」
「ごめんなさい。それ以上言わないでください。言わないでください……まだ傷が癒えてないんです」
ともかく、美虎の料理も相変わらず絶品である。何かこう、気の利いたコメントをしなければ申し訳ないぐらいに。
舌鼓を打ち、喉を潤す悠に、美虎がぼそりと問いかけた。
「こんなの用意しておいて言うのも何だけどよ……マジでやる気なのか?」
何が、というのは聞くまでもない。
アリエスが語る“頼みごと”は、相当な難事である。魔竜の襲撃や粕谷との決闘など問題にもならない。
伊織も美虎に同調する。
「もしお前に何かあったら、朱音やティオ、ルルたちはどうなる」
「それは……朱音は結構友達も増えてきたし、もう僕がいなくても……」
「本気で言ってんならぶん殴るぞ」
「……すみません」
二人の眼差しは真剣だ。
悠は身を縮こませて言葉を飲み込む。
何と言おうか、と悠が悩んでいると、伊織が先に口を開いた。
「死ぬかもしれんとよ? 怖くなかと?」
「怖いですよ。死にたくないです」
それは迷いなく即答できた。
そして、その言葉を取っ掛かりに、悠は自分の言いたいことを整理していく。
「その、だからこそって言うか……僕が研究所で実験体にされていたことは話しましたよね。大勢の子供が死んで、僕は誰も助けられなくて、一人だけ生き残っちゃって。
あの時のみんなだって、僕と同じように死にたくなかったはずです。でも、みんなは誰にも助けてもらえなかった。僕だけが、助けてもらえた」
それは、自分の魔法の原点。
もう二度と、失いたくない。失わせたくない。
それが、神護悠の魂。
「僕は、そういう子たちに、そういう人たちに手を差し伸べてあげられる人間になりたいんです。僕がしてもらったみたいに」
悠に名前をくれたあの人――由羅技葉月のように。
藤堂正人やその仲間たちのように。
彼らだって、死ぬことが怖くなかった訳じゃない。死ねない理由だってあった。
それを自覚しながらも、彼らは戦ったのだ。
その結果として、悠はここにいる。
「だから、レミルに手を差し伸べられるのが僕しかいないんだったら、逃げたくないです」
今の自分は、無力な実験動物ではないのだ。
誰かに差し伸べられる手がある。
死ぬのは怖い。
だがその恐怖に震えながらも、悠の魂は静かに決意していた。
「まあ、他にも理由はありますけど……1番の理由は、それかなと思います」
悠は言葉を切り、二人の答えを待つ。
美虎と伊織の二人は、じっと悠を見つめていた。
やがて、深々と嘆息して、
「お前の過去は重過ぎなんだよ……それ出されたら何も言えねー……」
「ま、悠が意外と頑固なのはもう知っとったとね」
「……心配かけてすみません」
苦笑を滲ませる二人の様子は、はじめから悠を止めることができないと分かっていた風であった。
そして会話が途切れる。
心地よい夜風に撫でられながら、美虎が新たな話題を口にした。
痛みに耐えているような、苦しげな声であった。
「レミルのやつ……自分が死ぬことを分かってたんだよな」
「……そうだな」
「どんな気持ちだったんだろうな、なあ、悠……悠? おい、どうした?」
美虎と伊織の怪訝な視線が、悠に集まる。
悠は青ざめた表情で手を震わせていたのだ。
その原因は、レミルの境遇が短い余命を抱えた自分にダブって見えていたためである。
「い、いえ……何でもありません」
レミルは己の死を受け入れていたのだという。
あの明るく無邪気な振る舞いからは、そんなことを微塵も察することができなかった。
強い子だと思う。
果たして自分は、レミルのような強さを持てるのだろうか。
悠は激しくなる動悸を誤魔化すように、体育座りで目を伏せる。
「どうでしょうね……怖くなかったわけじゃないと思うんですけど」
自分は、こんなにも怖い。
そして、それを目の前の二人に悟られることも。
そんな悠の怯えを露知らず、美虎は遠い目をしながら口を開いた。
「昔、弓月って友達がいてさ」
「……いきなり何だ?」
「まあ、聞けよ。オレの幼馴染で、女の癖に男みてーな口調で、男勝りの強気な性格で、頼りがいがあってな」
「まるで、鉄だな」
「そりゃそうだ、オレは弓月の真似してこうなったんだからな。昔のオレは苛められっ子だぞ? いっつも弓月に助けてもらってたよ」
衝撃の事実。
美虎は、悠と伊織の唖然とした表情を、苦笑を浮かべながら肩を竦めて受け止めた。
「これも、モモたちには言うなよ」
「……その娘は、今は?」
「もう6年前に亡くなったよ。難病で、今の医学じゃどうにもならなかった。もう自分の余命が短いってことも、知ってたんだ……オレは、最後まで知らなかった。教えてくれなかったよ」
それはまるで、皆に余命を隠している自分のようで――
「……っ」
悠は、心臓を鷲掴みにされたような心地を味わっていた。
心臓からの血流が止まってしまったかのような錯覚に、眩暈を覚える。
逃げ出したかった。
だが美虎の話から、耳を外すことができない。
美虎の声に、血を吐くような痛みが滲みはじめる。
「弓月はさ、そのことをオレにずっと黙ってたんだ。死ぬほど苦しいのも我慢して、オレにずっと笑顔を見せて、そのまま死んじまった。あの頃の弓月が何を考えていたのか、ずっと知りたかったんだ。オレがこういう風になったのも、子供の頃に、憧れてた弓月みたいになれたら少しは分かるかも、なんて馬鹿な考えからだよ。ま、たまに昔の素が出ちまうけどな」
悠は、何と言っていいのか分からなかった。
ただ強張った表情で口を閉ざしている。
「レミルなら、弓月の気持ちが分かるかもな」
遠くない己の死を知った者の気持ち。
かつての悠は、それを受け入れていた。
自分なら、美虎の親友である弓月の気持ちが理解できるのだろうか。
きっと弓月は強い少女だったのだ。果たして自分の言葉が、そんな娘の本心に少しでも触れることができるのか――悠は懊悩したまま口を噤む。
そんな悠に、美虎は優しく笑いかけてくれた。
「だから……なあ、悠」
「……は、はい」
「レミルを連れて、絶対に生きて帰ってこいよ」
「……そうだ、お前の帰りを待っている者のためにもな」
「あ……」
それには、即座に答えることができた。
胸中の迷いを吹き飛ばすように、力強く頷く。
「はい……必ず!」
カミラから準備の終了を告げられたのは、それから1時間ほど後のことである。
悠たちは、今度は別の部屋に案内されていた。
夢幻城の玉座の間の奥にある、かつて王が使っていた一室。
魔道科学者としても天才であったブラド・ルシオルの研究室だ。
清潔感溢れる青みがかった学校の教室程度のスペースの室内に、様々な設備や素材、書物などが綺麗に整理整頓されて収納されていた。
カミラは、その設備の一つを操作している。
その中央の台座に、褐色の少女――レミルが寝かされていた。
一糸纏わぬ褐色の裸身。腹部の傷は塞がれており、今はただ眠っているように見える。
彼女に膝枕をしながら、アリエスが悠に呼びかけた。
「じゃあ、来てくれるかな、ユウ」
「……うん」
美虎と伊織に目配せし、レミルとアリエスに歩み寄る。
何をするかはもう聞いている。
悠は、アリエスに促されるままに従い、そして――
「――ユウ、聞こえる?」
「……うん」
「周りがどうなっているか、見えるかな?」
「見えるよ。ここは、夢幻城の玉座の間だ……アリエスが、レミルと会わせてくれた場所だよ」
悠は今、レミルとはじめて出会った広々とした空間に立っていた。
いや、正確にはそれを模した仮想の世界。
ここは、物質で作られた世界ではない。
「ん、カミラは成功したみたいだね。ここは夢幻城の機能と、レミルの夢人の能力を使って作り上げた、夢の世界。それを、レミルの魂の奥深くに繋げてる」
今、現実の悠はあのブラドの研究室で、レミルに触れたまま意識を失っているはずである。
その意識は今、こうしてこの仮想の世界へと導かれていた。
悠にとっては、現実とまったく遜色ない質感や色鮮やかさに感じられている。
仮想現実の構築。
ファンタジーというより、SFじみた話である。
「……うん、そっか。ここがレミルの魂の心象風景。そうだね、そうなるよね」
「どういうこと?」
「ここはね、一ヶ月前にレミルが初めて暴走した場所なの……一ヶ月前、何が起こったかはもう話したよね」
「えぇと……あっ」
“夢幻”の壊滅。
“覇軍”の襲撃を受けて、レミルとカミラを残して殺されたと聞いている。
……王であるブラドも含めて。
「あれぐらいの襲撃はね、ブラドたちは何度も切り抜けてたんだよ。あの時だって、何の問題もないはずだった……レミルの暴走がなければ」
つまり、夢幻城は内と外から苛烈な襲撃を受けたことになる。
ましてや片方は守るべき王の娘だ。
「神殻武装がレミルに移ったおかげで、ブラドもかなり弱ってたからね。あの時の暴走はさっきの比じゃなかったようだし……あの時の“夢幻”のみんなには、両方に対処する余力は無かった」
「……ちょっと待って。ここがレミルの魂の心象風景って、それってつまり……レミルは、」
「知ってるよ。ぜんぶ」
悠は二の句が継げなかった。
「みんなは、レミルを救うか、見捨てて自分たちが助かるかの選択を迫られて……レミルを助けることを選んだの……そしてレミルは夢幻城に匿われて、フォーゼルハウト帝国の領地に逃げ込んだ。あとは悠の知ってる通りだよ」
レミルが、カミラに匿われた。
その物言いは意味するところは、つまり、
「……狙われてるのは、夢幻城だけじゃない?」
「そう、“覇軍”は、レミルの中にある神殻武装も狙ってる。本来の持ち主なら隠して持ち歩けるけど、レミルが持ってるままじゃどうしても反応が漏れちゃうの。だから、ユウの中にしまっておいて欲しいんだ」
「僕だって、本来の持ち主じゃないと思うんだけど」
「大丈夫だよ。ユウの身体は、ボクたちにとても近い。だから、“繋がる”ことができるの」
「……え、ボクたち?」
アリエスは、何でもないようなあっさりとした口調で、
「ボクも神殻武装を持ってるよ」
「な……初耳だよ!?」
「うん、言ってなかったもん。
……だから、ここから先はボクの仕事。レミルの中にある神殻武装に繋がることができる、ボクだけができる役割」
アリエスの言葉と共に、仮想の世界に変化が生じた。
正確には、その一点。
中央に鎮座した、王の玉座の上である。
空間が、歪んでいく。
世界を抉じ開けるような軋みの音が、広々とした空間に響き渡る。
歪みの中に生じた隙間、そこから、何かが出現しつつある。
「剣……?」
馬鹿馬鹿しいほとに巨大な、大剣である。
その全長は2mほどはあるだろうか。
その刀身は、青みがかった銀。
禍々しさと神々しさを併せ持ったような、芸術的に剣呑なフォルム。
およそ人間の手による作品とは思えない、美しくも異形の剣。
一目で分かる。
これが、神殻武装。
あのレミルの右腕から生じていた異形の兵器の、本来の姿。
そして、その柄を持つ手があった。
ピアニストのようにほっそりとした、繊細な指先。
だが大剣を軽々と保持するその腕力は、いったい如何ほどのものか。
その手の主が、姿を現す。
青年である。
長い銀髪をなびかせる、人間離れした美しい色白の容貌。
すらりとした長身は、しかし微塵の弱さも感じさせず濃厚な存在感を帯びている。
それは、まるで神話をモチーフにした絵画が具現化したような、幻想的な光景であった。
「…………ふむ」
男は気障ったらしく、それでいて恐ろしいほど絵になる仕草で銀髪を描き上げた。
その紅の瞳が、王の風格をもって悠を見下ろしている。
「……っ」
これから起こることは、悠はすべて知らされている。
だがそれでも、悠は圧倒されて言葉を失っていた。
「やあ、久しぶり……でいいのかな?」
アリエスが、気楽な様子で声をかける。
その声色には、どこか懐かしさが滲んでいた。
彼女の言葉を受け、青年が口を開く。
「さて、どうだろうね。僕は神殻武装に残った残滓だからして、その認識は間違っているかもしれない」
穏やかで、よく通る声であった。
高い知性を感じさせると同時に、揺るがぬ自負心が滲み出ている。
「だが、そんな考え方は浪漫が無い。僕は好かないよ。故に、久しいねアリエス。こんな形で再開するとは思わなかったよ」
「ん、ボクも思わなかった。ごめんね、あの時に傍にいられなくて」
「君の事情は知っている。ならばそれが君の限界だ。あれ以上の結果は無いし、思い悩む必要など無いさ」
「……相変わらずだなあ。やっぱり君だ」
アリエスの苦笑の滲んだ声。
そこで二人の会話はひとまず終わったようだ。
男は、再び悠へと紅瞳を向ける。
悠は恐怖と緊張に身を強張らせながらも、その視線を真っ向から受け止めた。
「さて、事情は理解している。ならば名乗らせてもらおう、少年」
男は、涼やかに微笑みながら気取った仕草で胸に手を当てる。
思わず同性の自分が見惚れそうになるほどの典雅さが、たったそれだけの動きに備わっていた。
「君の友人であるレミルの父、“夢幻”の前王、ブラド・ルシオルだ。そして――」
ブラドは、手に持った大剣をゆるりとこちらに向けながら、
「神殻武装を得るために、君が倒さなければならない敵手だよ」
傲岸不遜に、笑うのだった。
「大丈夫だろうか、悠は」
「今更言っても仕方ねーだろ……まあ、気持ちは分かるけどな」
悠がこれから何を行うのか。美虎と伊織にも知らされていた。
神殻武装は、レミルの魂と結びついている。
それを引き剥がして悠の魂に移植するのが、今回の目的であった。
そのために、悠は戦いに行っているのだ。
夢幻城のシステムとレミルの特性を用いて仮想世界を構築して魂の内側に侵入し、アリエスの力を用いて出現させた神殻武装――その本来の使い手の魂の残滓と戦い、ねじ伏せる。
つまりは、レミルの父であるブラド・ルシオルを倒すということである。
残滓ならば大幅に弱体化しているのではないか、と思えるのだが、それはあの仮想領域では期待できないという。
悠は今、この異世界に名立たる強者との戦いに身を投じているのだ。
心配であったが、美虎と伊織には待つことしかできない。
はずだった。
「……む、これは」
夢幻城の機能の行使に集中していたカミラが、声を上げる。
あいかわらず抑揚の感じられない平坦な声だが、何か異常があったことを窺わせる物言いである。
「どうしたよ」
カミラは、しばしの吟味の後に口を開いた。
「夢幻城に、侵入者があります」
書籍化作業が完全にひと段落したら、定期更新ペースを作っていきたいと思います。
駄目だしでも結構ですので感想などいただけると、画面の向こうで筆者がとても喜びます。




