第13話 -混浴-
朝早くに起き、
美味しい朝食を食べ、
鍛錬に励み、
美味しい昼食を食べて、
休憩して、
鍛錬に励み――
極めて健康的で充実した一日であった。
拉致された身の上である、という一点さえなければどれほど晴れやかな気分だっただろうか。
レミルとカミラの人柄に云々言うつもりは無いが、それでも帝都にいるであろう皆が恋しい。
そう思ってしまえば、朱音、ティオ、ルル、冬馬、玲子、省吾、他にも様々な友人や知己、仲間の顔が次々に脳裏に浮かんでくる。
皆に会いたい。
心細かったし、心配である。
第三位階である悠、美虎、伊織を欠いた状態でいつかのような大規模な魔界化が発生すれば、果たして犠牲者を出さずに切り抜けられるだろうか。
今現在、そうなっていないとも限らないのだ。
だが、ここで悶々と悩み続けていても詮無いこと。
しっかりと鍛え、休み、強くなるぐらいしか、現状の悠達にできることは無かった。
自分は生粋の前線要員であり、器用な立ち回りなど不可能である。失礼かもしれないが、それは美虎や伊織も同様に思えた。
そして今は、“休む”時である。
鍛錬を終えた後の、入浴の時間であった。
「ふぅー……」
夢幻城の浴場は、藤堂家の風呂場や帝都の浴場よりも広い、ちょっとした銭湯のような広々とした空間である。淡い青を基調とした上品なタイルの内装は、新品同様の清潔感を湯気に湿った空気に与えている。
夢幻城には太陽光発電めいた仕組みがあるようで、それは通常の空間から隔絶された夢幻城の潜む領域においても可能なのだそうだ。
日中の太陽から十分なエネルギーを得られたということで、夜はお湯を使うことが出来るのだという。
風呂好きの悠にとっては、有難い話であった。
「ふみゃぁぁ……やっぱりお風呂はいいなー、我はずっとお風呂の中で暮らしてもよいぞー……」
「同感だけど、危ないから駄目だよレミルー……」
ぽかぽかした湯の中に、悠は手足を伸ばして身を浸していた。
湯の温かさが五臓六腑に染み渡り、身も心も癒していく、顔を撫でる湯気がとても心地良い。
こてん、と二の腕に丸い感触。
レミルが、悠に寄り掛かっている。
「おー……二の腕ぷにぷにだー……腕枕したら気持ち良さそうだなー……」
力こぶの出来ない細い腕。
腕相撲でティオに負けた思い出が甦ってきた。周囲の皆の唖然とした顔はいまだにトラウマである。ちょっと泣きそうになった。
湿った空気に、乾いた笑いが響く。
「あははは……割と気にしてるんだけどねー……ははっ」
悠とレミルは、同じ湯に入っていた。
浴槽の縁に背を預け、並んで座り入浴の快楽を満喫している。
レミルは一糸纏わぬ全裸である。きめ細かな褐色の肌、その上を流れる銀の髪はとても映えて見えた。
将来的には色香の匂い立つ美しい娘に成長するのだろうが、瑞々しく健康的な幼い裸身は、まだ女性としては未成熟に過ぎる。
なので、悠も特に意識することなく一緒の湯に身を浸すことが出来ている。湯に入る前に彼女の背を流し、頭を洗ったのも悠である。
とはいえ、レミルも異性であることには違いない。彼女と一緒のお風呂に入っているのは事情があった。
エネルギーの節約のためか、夢幻城の浴場は片方しか稼働していないのだ。
つまり、今の浴場は男女兼用、混浴の状態で――
「なー! イオリもちこう寄れば良いではないかー! くるしゅうないぞー!」
「う゛っ」
「ちょっ……せっかく意識しないようにしてたのに……!」
浴場で反響するレミルの声に、呻き声が返ってくる。
同じ浴槽、悠達のいるのとは逆端の湯気の向こうに、一人の少女の姿があった。
艶やかな黒髪をまとめ上げ、肩まで湯に浸った、小柄な少女である。
島津伊織が、同じ湯船に入っていた。
……まだ子供のレミルはいい。
だが伊織はまずい、とてもまずいのだ。
彼女は年上で、れっきとした女性である。
異性として意識しないなど、不可能な話であった。
それは向こうも同じで、だからお互いに話しかけないように努めていたのだ。
元々、悠は二人が上がってから入るつもりだったのだが、どうしても一緒に入りたいと涙ぐむレミルに絆され、こうして同じ湯に入ることになっていた。
「じ、自分はここでよい……」
「えー! 一緒のお風呂に入ってるのに勿体ないのだ! お風呂でぽかぽかしながら語らうと、仲が深まるのだぞ! せっかく我がイオリのために、ユウと――」
「ふぎゃああああああああああ!」
伊織が叫ぶ。
発情した猫みたいな悲鳴に、レミルの声がかき消された。
ばしゃばしゃ水音を立てながら、伊織が大股で歩み寄ってきた。
伊織もまた全裸である。胸は薄くとも、その肢体は女性としての肉付きを備えていて、
「ちょっ……!」
突然の事態に、悠は慌てて彼女に背を向ける。
取り乱していた伊織も、悠の反応を見て今の自分の状態に気付き、顔を真っ赤にして首まで湯に身を沈めた。
「は、はわわっ……」
「ご、ごめんなさい伊織先輩……僕、絶対そっち向かないから……!」
身を強張らせる二人の反応は、レミルには面白くないものだったようだ。
頬をぷくっと膨らませて、不満げな声を上げる。
「むー、そんな堅苦しくお風呂入っても楽しくないのだ!」
「男の僕が、女の人の裸をみだりに見たらいけないの! ちなみにレミルは別! まだ子供だから!」
「……ほほう? ほー?」
その言葉に、レミルがにまっと笑みを浮かべた。
彼女がよく見せる、からっと明るいものではない、妙に湿度の高い笑みである。
悪戯っぽい表情で、八重歯の見える口が開く。
「つまりユウは、イオリの身体に欲情してるということだな! 良かったなイオ――むぎゅぅぅぅ!」
「きさんは余計なこと言うのやめんかぁ!」
「無礼者! せっかく我が貧しきイオリを憐れんでやったというのに!」
「うがあああああ! きさんだって人のこと言えんだろうがああああ!」
「我10歳だもん! イオリと違って将来有望――ふぎゃっ!」
背後で激しい水音が立ち、背に飛沫がかかる。
思わずちらりと振り向くと、白と褐色の肌が絡み合うように暴れていた。
悠は、恐る恐る退避してじっと背を向けて天井を仰ぎ、青みがかったタイルの数を数え始める。
50を超えた頃には水音と飛沫は収まり、伊織のため息と共に、疲れたような、諦めたような声が悠にかけられた。
「あー……悠。こっちを向いても良いぞ」
思わず返事が上擦った。
「へっ!? で……でも……」
「いいから。幸い、お湯は透明ではないから浸かっていれば見えてしまうことも無いようだ。レミルの言う通り、風呂は緊張して入るようなものではないしな」
苦笑めいた声に、恐る恐る振り返った。
伊織が、肩まで湯に浸かりながら困ったような笑みでこちらを見ていた。その言葉の通り、その湯の下の肢体はうっすらとシルエットが判別できる程度で、肝心の部分が見えてしまうようなことは無いようだ。
伊織の隣のレミルは、不服そうにぶくぶくと湯に気泡を立てていた。
「……ほら」
伊織がちょいちょいと自分の隣を指差しているので、悠はそれに従いじゃぶじゃぶと中腰で進み、彼女の隣に腰を下ろす。
伊織がはにかみながら微笑んだ。うなじがほのかに上気し、艶やかな色香を匂わせていた。
しばらく、そのまま静かに湯に身を浸し、温かな心地良さを楽しんでいた。
「まるで温泉みたいですよね、先輩……」
「んー……そうだなあ……」
同年代の異性と一緒にお風呂に入る、というのはやはり落ち着かない部分もあるが、一方で気が楽な部分もあった。
男友達とお風呂に入っていると、時折こちらを見てそわそわと変な空気になるのだ。それと後から入って来た男子が高確率で自分を見てビビる。
つまるところ、悠が女の子に見えるということであるが……体のラインやお尻が完全に女の子の型だから困るなどと言われてもこっちが困る。骨格も男性より女性に近いのだから仕方ないではないか。
そんなことを考えていると、伊織が緩んだ吐息を漏らし、寂しげに俯いて呟いた。
「……なあ、悠。自分みたいな魅力のない身体では、お前だってそんなに意識せずとも済むんじゃないか?」
唐突な話題であった。
悠は間抜け面でぽかんと口を開く。
「えっ……?」
「ほら、自分は胸だって小さいし、背だって……朱音と並ばれたら絶対に自分が年下に見られるよな……姉や妹はスタイルいいのになあ……何でおいだけこんな……」
明らかな卑下の言葉。
伊織の唇から漏れる自嘲の響きは、自らを傷つけているように見えた。
彼女は、自分の体型にコンプレックスを抱いているようだ。
自分達の周りには同年代とは思わないほどプロポーションの良い美少女達が揃っているのもあるのだろう。知己の女性陣の顔を思い起こせば、どこのアイドルグループだと言いたくなるようなレベルの高さである。
だが、悠は伊織だって決して劣ってはいないと思っている。
そして、そう思っているのは悠だけではない。
「……伊織先輩が気になってる人、いっぱいいますよ?」
「へっ……?」
きょとん、とこちらに向けられる伊織の黒瞳を、悠は真っ直ぐに見つめ返して微笑んだ。
悠としてはこういう話をするのは気恥ずかしいものがあるのだが、それで彼女が自信を持てるなら安いものだろう。
「前にこうやって男の友達とお風呂に入ってた時、女子の中で誰が1番好みかって話になったことがあって……伊織先輩、かなり人気でしたよ」
少なくとも伊織が異性から見て魅力的な容姿であるという点では誰も否定する者はいなかった。
そんな伊織に卑下されてしまったら、立場を無くす女子がどれほど出ることだろうか。
ちなみに朱音が好みであるという者もかなり多かった。かつては「美人だが怖くて近寄り難い」と言われていた朱音は、粕谷との決闘があった日から同性の友人のみならず、惹かれる異性をも増やしつつある。
朱音の最初の友達としては、自分の知っていた彼女の魅力が分かって貰えたようで、少し鼻が高い気分であった。
以前言っていた彼女が好意を寄せている相手が、その中にいれば良いのだけど。
悠はにこりと微笑みながら、
「……だから、伊織先輩はもっと自信をもっていいと思います。そんなに可愛いんだから、その気になったら選び放題ですよ」
「…………っ」
伊織が、顔を真っ赤にして俯き、黙り込んでいた。
明らかに照れている様子であるが、満更でもなさそうだ。
伊織は悠をちらりと見上げる。その眼差しは、湯気のせいか潤んでいるように見えた。
「……悠は、どう思っとっとか?」
「えっ?」
「だからっ……! 悠も、おいみたいな貧相な身体でも……その、男として、アリだと思っとっとか?」
その熱っぽい眼差しは、真剣そのものだった。
唇をきつく噤み、頬を紅潮させて真っ直ぐに見上げてくる。
自分の返事が、彼女の気持ちに大きく影響することが容易に想像できる顔だった。
悠は特に気負うことも躊躇うこともなく、思っていることを口にする。
「僕も魅力的だと思いますよ」
伊織の裸身は、アリエスが起こした一連の流れの中でちらりと見てしまったことがある。
そしてちらりとでも見てしまえば、瞬間記憶によって悠の脳裏に鮮明に焼き付けられるのだ。
全く卑下する必要の無い素晴らしい肢体だと思う。
「その、おし――」
安産型、というのだろうか。
伊織の上半身はスリムであるが、下半身は意外にも豊かな体型である。
ニーソックスの食い込んだむちっとした太もも、小柄な身体の割にボリュームのあるお尻は丸く奇麗な形をしていてたまらない――とは、友達の弁ではあるが、脳裏に焼き付く記憶を辿ればその通りだと思う。
アリエスに拘束されていた時に触れてしまった伊織の生尻の手触りは、吸いつくようにもちっとした柔らかさで、
「――り……ごほっ、おほんっ!」
危うく、勢いに任せて出そうになった言葉を飲み込む。
脳がのぼせてきたのか、うっかりとんでもないことを言いそうになった。
半透明の湯に隔たれたすぐ傍に、当の伊織の裸身があることを思い出し、悠はそれ以上の思考を打ち切った。
……どうも最近、そっち方向の想像力が豊かになったしまった気がする。
いささか以上に刺激的な体験を連続してしまったこともあるのだろうか。かつて朱音に「むっつりスケベ」などと言われたことがひどく不本意であったが、こうなってはさすがに否定し切れないものがあった。
ルルに相談した際は、「それも一種の男らしさでは御座いませんか、私個人としては好ましいですよ?」などと気楽に言われたものだが、出来るだけ知られたくはない恥ずべき内心である。ただでさえ男子の間で「ハーレム野郎」などという不名誉なあだ名が広まりつつあるというのに……
「……?」
怪訝そうに首を傾げる伊織。
悠は再び咳払いして誤魔化しながら、もう一つの想いを口にする。
何より伝えたい言葉。顔とか身体などより、悠が伊織を好いているその1番の理由。
彼女の目を真っ直ぐ見ながら、
「……伊織先輩は、面倒見もとてもいいし、真面目で、ひたむきな努力家で……僕だって、すごいお世話になってるし……伊織先輩のこと、すごく尊敬してますよ。剣舞を舞ってる時とか、すごく綺麗で見惚れちゃいますもん」
「きゅっ……!?」
伊織の顔が火を吹いた。
肩をぷるぷる震わせながら、何かを言おうとしているのか口をぱくぱくさせている。
その黒瞳はぐるぐると泳いでいたが、しかし煌々とした感情の焔がぎらついているように見えた。
照れているのは分かるが、そこまでのことを言っただろうか?
悠が小首を傾げてその様子を見守っていると、やがて伊織はくらりと身を傾がせて早口で、
「のっ……のぼせてきたから、上がるばいっ……!」
突然、ざばっと立ち上がった。
当然ながら、その湯の下は一糸纏わぬ全裸である。
もちっとした伊織の丸いお尻が、湯を滴らせながら鼻先に、
「わ、わわっ……!?」
悠が慌てて顔を逸らした。
次の瞬間、
「きゅうっ……」
幼い呻き。
ばしゃんと盛大な水音と水飛沫が、立ち上がった伊織の隣に上がる。
後には湯に仰向けで浮かぶ、褐色の少女が、
「レミルっ!?」
「ど、どうしたとか!?」
伊織が振り向き、慌ててレミルを湯から抱き上げる。
悠も心配から眉根を寄せ、伊織の腕の中のレミルを見下ろした。
「ふゆぅぅぅぅ……」
ぐったりとしたレミルは、とろんした目つきで何を見るでもなく天井を仰いでいる。
褐色の肌なので分かり辛いが、顔もかなり赤くなっているように見えた。
完全に、湯にのぼせ上っている。
どうりで先ほどから静かだった訳だ。
「早く外に出して冷まさないと……!」
「あ、ああ……」
悠が扉を開けるために湯から上がって駆けだした。
レミルを両手で抱える伊織が後に続く。
二人とも全裸であるが、そのことを恥じたり気にかけている場合では無かった。
悠はガラスの扉を勢いよく開け、後ろのレミルを気にかけながら飛び出すように脱衣所に。
顔を前に戻して、
「……っ!?」
目の前が、肌色とほんの少しの桜色に埋め尽くされ、
顔が、埋まる。
何か柔らかなものに溺れるような感触だった。
「きゃあっ!?」
「ぶっ!?」
誰かの、驚いたような可愛らしい声。
つんと、汗の匂いが鼻腔に触れたが、不思議と不快感は無かった。むしろ脳が甘く痺れるような、奇妙な心地良さがある。
「う、わっ……!」
勢いよく足を踏み出していた悠は、突然の不測の事態に足を滑らせた。
その感触を与える何かごと、前へと倒れ込み、
「ひゃんっ!」
「あぅっ!」
床へと転ぶ。
同時、素肌に滑らかで柔らかな感触。何かを、下敷きにしている。
悠は慌てて起き上がろうと、両手を床に伸ばし、
「んぅぅ!?」
むにゅっとした、中毒性を伴う感触が掌に満ちる。
覚えのある感触だった。
朱音の疼きを止めるため、あの豊かな双丘に手を埋めた記憶が、脳裏に蘇る。
あの時より弾力性は少なく、しかし更にボリュームのある掌に収まり切らない重量感と、手から伝わる本能的な幸福感。
身を起こそうと力を入れると、更に指が埋まる。
「んぁっ……」
悩ましげな声。
ひくんっ、と身体の下にある何かが跳ねるように震えた。
その段になって、慌てていた悠は何が起こっているかようやく理解し始めた。
走る悪寒。
湯に暖まった身体が、芯から冷えていく。
「まっ……!?」
まさか、と悠は身を起こし、
「う、うぅぅぅ~~……」
凄まじいプロポーションの、長身の少女。
一糸纏わぬ、白い裸身。
悠の両手を飲み込む、二つのたわわな果実。
頬に傷持つ美獣めいた相貌は、涙目で唸りながら悠を見上げている。
全裸の鉄美虎と、目が合った――




