第11話 ―魔術―
美虎の作った朝食は、伊織とレミルからも大絶賛であった。
特にレミルの喜びようは凄まじく、瞳を輝かせながら子供らしい率直で素直な言葉で美虎を褒めに褒めまくった。
当初は当然のように受け止めていた美虎も、さすがに後の方では照れていたようだ。
カミラにも簡単なレシピを教えていたので、今後のレミルの食生活も大幅に改善されることだろう。
たぶん。きっと。そう願いたい。
レミルの舌の平穏のためにも。
そして朝食を終え、カミラと約束していた魔道の技法“双躯式”の鍛錬が始まる。
「まず始めにお聞きしますが――」
そこは、だだっ広い部屋である。
石造りの室内であるが、床は僅かに弾力性を感じる素材のようだ。転んだり倒れた者に無用の怪我をさせないための配慮なのだろう。
夢幻城の訓練場に、悠達は案内されていた。
カミラは、悠、美虎、伊織の3人を前にして講義を行っている。
悠達は再び戦闘服に着替えてるが、カミラはメイド服のままである。
レミルはカミラの隣で、何故か偉そうに胸を張りながら悠達を見ていた。
「魔術という技法について、どのように認識されていますか?」
「魔術……ですか?」
魔道の第二位階の技法“魔術”。
魔道からの影響力により魔素を活性化させて魔力を引き出し、物理的世界に影響を及ぼすことで本来起こり得ないプロセスで特定の事象を発生させる技術。
第三位階の魔法のように、特定の理を生み出して世界に固定する訳ではないため基本的に持続力に欠け、力の規模や深度も大きく劣る。
それが、魔道の位階に則った基本的な認識だ。
だが、ベアトリスやルルからはそこから少し踏み込んだ内容を教えてもらっている。
魔術とは、必ずしも魔法の下位の概念ではないのだと。
「……すごく奥が深いって聞いてます」
カミラは満足げに頷いた。
「然り。魔法とは、己の魂を根源とする固有の能力です。強力ではありますが、一人一つの自己完結した閉じた力。いくら磨こうとも、その者の才と経験の範疇で限界を迎えます」
悠の“斯戒の十刃”、美虎の“拷問台の鋼乙女”、伊織の“玻璃殿・剣神神楽”。
すべて固有の能力であり、悠は他の二人の能力は使えないし逆も然りである。
いかに強力な魔法でも、使い手を運命を共にして消えゆくものだ。
……もっとも、悠の身近には母の魔法を受け継いだティオがいるのだが、彼女の境遇を思えばまさしく例外というやつだろう。
「一方、魔術は資質の方向性こそありますが理解と研鑽によって異なる使い手でも全く同じ効果を発揮することが可能となります。その結果、魔術については数百年前から様々な理論や技術体系の研究が進みました」
つまり、魔術とは法ではなく術。人から人へと教え、受け継がせることが可能なのだ。
ある者が生み出し、あるいは進ませた理論や技術を、受け継いだ誰かが更に進化させる。そんな人の歴史と共に、魔術は進化し、機械魔道のような派生的な技術理論も生じてきた。
魔術の研究が、この世界の文明を支えてきたと言って過言ではない。
それに、あの“偽天”マダラが見せた超絶の魔術を思えば、下位の位階の力と馬鹿にできないのは明白である。
「“双躯式”も、そんな中で発展した技術体系の一つです。他にも魔術の技術系統は多岐に渡りますが――まあ、キリがないので今は止めておきましょう」
そしてカミラは、“双躯式”の説明をはじめた。
悠はすでに知っているが、美虎や伊織は知らないためだ。その内容は昨日カミラから聞いたものとほぼ同一のもので、二人は興味深そうに聞いている。
伊織が、自分の両手を見下ろしながら、
「……つまり、自分の魔法の加護に、更に上乗せができるということか?」
“双躯式”に成功すれば、魔道から得られる力は大きく上昇する。
身体強化も恩恵も同様であり、伊織の言葉は間違いではない。
だが、しかし、
「“双躯式”は魔術なんだろ? 魔法を使いながらじゃ難しいんじゃねえのか?」
「ああ……そういえば、そうだな」
美虎の言葉に、伊織は悔しそうに唸った。
――魔法の具象化している最中は、魔術を扱うことが難しい。
それは第三位階の皆が、身をもって体験していることである。
「マジでぶっ倒れるかと思ったからな、あれ……」
「自分は吐きそうになった」
「僕は死ぬかと思いましたよ」
魔法を出していない時はいいのだ。
だが、魔法を使っている最中に魔術を使おうとすると、脳にアルコールを流し込まれたような痛みと気持ち悪さが同時に襲ってくる。
魔術を用いるための集中は極めて困難である。
魔道のセンスはずば抜けている、とベアトリスやルルからお墨付きをもらった悠でも例外ではない。
「異なる位階の力を同時に扱うこともまた、高等技術の一つです。それは魔道面での己を、二つの位階に同時に存在させ操るようなもの。細い糸の上でつま先立ちしている自分が二人いるとお思い下さい」
そして、それを同時に成功させ続けなければならない。
失敗すれば、下手をすれば魂が壊れ、廃人化や死に繋がることもあるのだという。
同時行使の際に感じる痛みや気持ち悪さは、その前に肉体が拒否することで身を護ろうとする防衛反応なのだそうだ。
「じゃあ、今すぐ役立つって訳じゃねぇってことか……」
美虎の声は、落胆に沈んでいた。
以前、悠と粕谷の決闘の際に起こった魔界での激戦では、あわや犠牲者が出る寸前まで追い詰められた。
朱音とティオの覚醒もあり切り抜けることができたものの、薄氷を踏むような結果だったことには違いないだろう。
もし似たような状況で、次も誰も犠牲にせずに戦えるだろうか。
もっと過酷な状況であれば――
悠達は、今すぐ力が欲しかった。
それは特に誰かを護るために戦っている第三位階のメンバーの共通認識である。
「“双躯式”まで辿り着かなくとも、それまでに覚えなければならないことは多くあります。それは、決して無駄になることは無いでしょう。魔術のために学んだことが、魔法の行使に役立つこともありますので」
そんな悠達を慰めるようにカミラは言う。
「魔法とは自己完結した能力と申し上げましたが、魔術の理解と習熟は、魔法の更なる力を引き出します。力を欲するならば、魔術は絶対に避けては通れない道と認識してください。魔道における、基本の練習のようなものです」
その言葉に、伊織は得心を得たのか頷いた。
「まあ……剣術でも地道な基礎の繰り返しが重要だからな」
朱音も道場で、地味な鍛錬を飽きずに繰り返していたものだ。
達人の域に達している正人ですらそれは同じであった。
……銃で武装した複数の人間を徒手空拳で制圧する彼を“達人”の一言に含めていいかは甚だ疑問ではあるが。しばらくの間、悠はアクション映画を見ながら「どうしてプロの軍人なのに素手で銃弾を逸らさないんだろう」などと思っていたものだ。
高みに至るとは、天高く積み重ねた基礎の上に立つことだと、と正人は語っていた。
それは魔道においても同様なのだろう。
世の中には才能だけで高みに至るような例外もいるのかもしれないが、自分がそんな例外などと思い上がったことは考えていない。
「ま……あっちじゃ練習できねぇからな」
「ですね」
帝都では魔道の鍛錬はできず、まさか魔界でこんな悠長なことをしている訳にもいかないだろう。
これは貴重な機会なのだ。
「ご納得いただけてようで何より。では、はじめに――」
そう前向きに考えながら、悠達はカミラの言葉に従って訓練を開始した――
――帝都アディーラ。
朝日の下、人々の喧噪が満ち溢れていた。
朝から活気に包まれる商業地区の一角、ブリス商会本部の2階に設けられた応接室のソファに、一人の妙齢の女性が腰かけていた。
紫の髪を伸ばした眼帯の女性。妖艶さと気品が同居した、蠱惑的な美貌の持ち主である。
エリーゼ・ブリス。
商会の会長たる彼女は苦笑を浮かべながら口を開く。
「あの“蒼穹の翼”かい、面倒なことになってるねえレイコ」
「まったくですよ。胃に穴が空いちゃうわ」
「……ま、色々と面白い話が絶えない娘だよ。是非ともこの眼で“視て”みたいもんだ」
エリーゼの対面に座るのは、艶やかな黒髪を伸ばした少女であった。
雨宮玲子。
大和撫子然とした怜悧な容貌を持つ彼女は、しかし自分より一回りは年上の大商会の長にもまったく引けをとらない威風堂々とした気風を纏っている。
玲子はやれやれといった様子で肩を竦めながらも、真剣な眼差しでエリーゼに問う。
「それで……何か、分かりましたか?」
「そうだねえ……直接、あの坊やたちに繋がるかは分からないけど」
玲子は、懇意にしているブリス商会に、悠達に関わりそうな情報を集めるために訪れていた。
複数の国家に渡って商売をしているこの商会は、ある部分では帝国以上の情報網を有している。また、帝国が機密上は明かせない情報も、この商会に流れて来る可能性があった。
玲子は、ブリス商会にとって極めて重要な取引相手である。
すでに商会に大きな利益を提供し、これからもそう期待されている。
それ故に、玲子の頼みであれば多少の強引な内容でも無碍にはできないのだ。
……それと引き換えに、まだ暖めておくはずだった手札を一つ切る羽目にはなってしまったが。
「30日ほど前に、“夢幻”と“覇軍”の戦闘があったらしい。その結果、多数の犠牲者を出しながら“夢幻”は夢幻城ごと敗走したそうだ」
“夢幻”と“覇軍”。
何よりも情報を集めることを尊んでいる玲子には既知の名前である。
“夢幻”の敗走。移動城塞である夢幻城の存在。
突如として消えた悠達の反応。
玲子の中で、一つの可能性が導き出される。
「この帝国領内に、夢幻城が入り込んでいると?」
「ま、そこまでは確定じゃないけどね。しかし広大な未利用の土地が広がるこの帝国は、あれが逃げ込むには最適だろうさ。“覇軍”との戦闘があった地点を考えてもね。
……この程度は、帝国側でも把握して予測してるだろうさ」
そして、とエリーゼは隻眼を細めた。
「これは帝国側では把握してないだろうが……“蒼穹の翼”は、“夢幻”と何度か接触している。どうやら、“夢幻”の長と懇意だったそうだ。世界を滅ぼすとか言ってる小娘に懇意も何もあったもんじゃないは思うけどね」
朱音が語るには、昨夜にアリエスが見せた悠達は、それなりに上等そうな建物の中にいたということだった。
「アリエスが、悠君達を夢幻城に連れ去った……? でも、何のために……?」
「さあね……案外、生き残った“夢幻”の連中が寂しがってたからかもね?」
「……まあ、そういう考え方も嫌いじゃないですけどね」
苦笑を交わし合う二人。
そんな時、応接室のドアがノックされる音が聞こえる。
エリーゼが促すと、彼女の片腕である禿頭の戦士ベルガー・グランが恭しく礼をして入って来た。
その手には資料が握られており、受け取ったエリーゼは顔をしかめる。
「……それともう一つ。きな臭い情報だ。今朝、帝国の“鋼翼”に妙な男が入ったという情報がある。ちょっとタイミングが気になるね」
“鋼翼”。
鋼の鳥を紋章とした、傭兵ギルドを意味する。
武力を必要とする者に、対価に応じて武力を貸す世界規模の斡旋組織であり、依頼に応じて、如何なる勢力にでも手を貸すことで知られている。
……現状、関わりの無いことなので玲子が知っているのはその程度のことであった。
「妙な男、ですか?」
「ああ……旅人のようだが……街に入って、真っ直ぐに“鋼翼”の支部に向かったようだね。街を出る時に“鋼翼”で護衛を依頼するというのは良くある話だが……入ってから向かうとなると、大抵は物騒な要件の時だよ。何を依頼するか聞こうにも、施設の奥に消えちまったらしい」
そこでエリーゼは、ちらりと傍らに立つベルガーに視線を向けた。
彼は頷き、即座に答えを返す。
「大金さえ積めば“鋼翼”は依頼内容を公表せずに極秘裏に依頼内容に応じた戦力を集めます。それが、その国家において非合法なものであっても、です」
「……良くそれで、世界各国に支部を置くことを許されますね」
「敵に回したくないのさ。色々な利権にがっちり絡んでいるし、把握されている私的戦力だけでも国家レベルと言われている。ならば多少の被害は受け入れて自分達も利用してしまえってね。
……それにね、不思議なことに“鋼翼”は国家間のパワーバランスを変えるような依頼は引き受けないのさ。場合によっては序列上位の猛者に、ギルドの長が自ら依頼を出して介入することもある」
「へえ……」
玲子は相槌を打ちながら、与えられた情報を頭の中で整理している。
無数の仮説や想定を付け加えながら、悠達が置かれている現状の可能性、そしてそれに対して自分が行える対策を用意していた。
「……“覇軍”に敗れ、帝国領内に逃れたかもしれない夢幻城。それと懇意だったアリエス。彼女に誘拐され、そこにいるかもしれない悠君達。ほぼ同時期に現れ、武力を必要とした妙な男……」
夢幻城が帝国領内に逃れた可能性がある。
それはきっと、“夢幻”の敗走を知る者ならば、予想が付いていてもおかしくないことだろう。
……それについての最も詳細な情報を知る者とは、果たして誰だろうか?
それは当の“夢幻”。そして、その事態をもたらした“覇軍”。
仮に“覇軍”がいまだに夢幻城を追っているとして、軍事的には敵対している帝国領内まで追跡するには、どうするのが合理的か。
恐らく、少数精鋭での極秘行動となる。
足りない戦力を補う方法は――
(まさか、と思いたいけど……)
まだ何も確定できるような段階ではない。
特にアリエスというこの上ないほどの不確定要素がある限りは。
だが、嫌な予感がした。
後ろ向きな想定要素を多分に含み、可能性としては高くないとは思っていても、捨て置けない想像が玲子の胸中を駆け巡っている。
エリーゼ側から提供できる情報は、今のところはこれが全てなようだ。
昨日の夜に至急で依頼したことを思えば、十分過ぎるだろう。
「……ありがとうございます、今日はこれで失礼します」
玲子は立ち上がり、足早に帝城への帰路につく。
とにかく、自分に出来ることをやるしかないだろう。
帝国内部に作った伝手からも情報を集める必要がある。
謎の男の行動については、軍人であるベアトリスの意見も聞くべきだ。
……玲人の力も、借りるべきか。
極めて気が進まないことだが。
「勘弁してよ、まったく……」
異世界の戦争。
人間同士の、殺し合い。
ついに自分達が、それに巻き込まれるかもしれない。
暖かな朝日の下、玲子はその予感に身を震わせた。
飛ばすべき話、書くべき話の取捨選択にいつも迷います。
魔術関連の設定ももっと明かすの早かった方が良かったんじゃないかと思ったり。話作りって奥が深いですね。
かなり量の設定は考えてるんですが、ただダラダラと羅列するのも何か違う気がするし、書くタイミングいつも悩みます。




