第7話 ―ゲーム―
申し訳ない、急用に次ぐ急用で更新が思った以上に遅れました。
さらに、思ったより話が進まなかったので更に分割です。明日か明後日には次話投稿します。
肉体的にも、精神的にも大きなストレスのかかった一日だった。
二人とも疲れていたのだろう、美虎と伊織は、小一時間ほど騒いだ後に自然と船を漕いでいた。
レミルも子供らしくその頃には大きな欠伸をして目をこすり、やがて悠にもたれかかりながら、安らかな寝息を立てていた。
時刻を見れば、午後の10時を回っている。
「おやすみなさい」
三人は現在、レミルの部屋の大きなベッドに並んで寝かされている。
皆、泥のように眠っており、簡単なことでは起きそうにない。
見目の良い三人の少女が身を寄せ、無防備な寝顔を見せる微笑ましい光景に、悠は思わず顔を綻ばせた。
(僕は、どこで寝ればいいんだろ……ちゃんと、部屋用意してくれるよね)
一方、悠の身体は体力そのものは大きく劣るものの、その回復力も人並み外れている。
この世界の来たばかりの頃の森での中位魔族との死闘や、10日ほど前の粕谷京介との決闘のような生死に関わるほどの極端な消耗がない限りは、疲労で意識を失うということはまず無い。
悠の未だ意識ははっきりとしており、眠気にはほど遠かった。
「うーん……楽しかったー! こんなに騒いだの久しぶりだよ」
アリエスが、大きく伸びをしながら言う。
彼女もまた微塵の疲れも見えず、その肢体には十分すぎるほどの活力が満ち満ちているようだ。
「……レミルも、喜んでくれたかな」
「それは間違いなく」
カミラが応える。
人造の存在である彼女の身体は、疲労と言う概念とは無関係なのかもしれない。相も変わらずの無表情、機械のようにてきぱきと正確な動きで、散らかった部屋を片付けていた。
身体能力も大したもので、その細腕で美虎や伊織をやすやすと担ぎ上げ、ベッドまで運んだのは彼女である。
「レミル様は、本日を心から楽しみにしておられました。昨日などは興奮して寝付けなかったようです。
……仕方が無いので、子守唄代わりに夢幻城の記録にある『理性崩壊!発狂必至!怪奇映像百選』を流したところ、ようやく寝付かれました。白目で」
「ね、寝付く……?」
「視聴した“夢幻”のメンバーの皆も、迅速に寝付くことに成功した実績もありますので。白目で」
「気絶じゃないですか!」
アリエスは優しく微笑みながら、健やかな寝顔を見せるレミルの頬をつついていた。
「ユウも、随分懐かれてたね。兄妹みたいだったよ」
「……うん」
思い出し、自然と笑みが浮かんだ。
レミルは、悠の膝の上を随分をお気に召していたようだ。
座って話をしている殆どの間は、悠の膝の上にいたように思う。まるで妹が出来たみたいで、嬉しかった。
年下で懐いてくれているのはティオも同様だが、彼女はある意味では悠より大人びており、悠をよく立ててくれ頭が上がらないことも多い。
「やっぱ、似てるからかな」
「ん……誰に?」
アリエスは、レミルの頭を軽く撫で、
「レミルのお父さん」
「えっ」
レミルの父――“夢幻”の長、ブラド・ルシオル。
多種多様な人種や経歴の者をまとめ上げた組織の長、という肩書きからもっと威風堂々としたイメージを抱いていた。
自分みたいな頼りない感じで、組織の長が務まったのだろうか。
悠のそんな疑問を知ってか知らずか、アリエスは白い歯を見せながら、
「まあ、ブラドはユウほど可愛い感じじゃなかったけどね。もっと背も高くて大人だったし」
「うぐっ……」
呻く悠を横目に、カミラが言葉を継いだ。
「確かに、物腰の穏やかさや話し方、全体的な雰囲気などは良く似ているかもしれませんね」
「……そうなんですか」
それでも、悠がイメージしていた人物とは少々違うようだ。
俄かに好奇心が湧き、カミラに彼がどんな人物だったのか聞こうとしたが、
「ね、ユウ」
「うわぁっ!?」
アリエスの顔が、目の前にあった。
いつの間にかすぐ傍に立っていた彼女は、無垢な笑みを浮かべて悠を真っ直ぐ見つめている。
鼻先が触れ合いそうな至近、その美貌に目を奪われている悠の心を知ってか知らずか、アリエスは特に意識した風もなく口を開く。
「ちょっと付き合ってよ、いいでしょ?」
吸い込まれるような蒼穹の瞳に覗き込まれながら、悠はこくこくと頷いた。
カミラに後を任せ、悠とアリエスは夢幻城の大広間へと来ていた。
何百人も集まれそうな、半球状の広大な空間である。
窓一つ無いのは他の部屋と同様だが、まるで月明かりのように静かな明かりが、薄く広間を照らす。
その静寂の空間に、二つの足音が響いていた。
「……前はね、もっと賑やかな場所だったんだよ」
ぽつりと呟くような声。
「色々な人種の人とか、半魔族の人とか外の世界で普通に生きられない人が集まって、楽しそうにしてたなあ。
……ご飯も、きちんと担当の人がいてね。ちゃんと美味しかったよ?」
かつては多くの人々が行き交っていたであろう大広間は、今は廃墟のように虚ろな寂しさを漂わせている。
当時を知るアリエスにとっては、余計にそう感じるのかもしれない。
蒼の髪を揺らす彼女の背からは、彼女の感情を窺い知ることは出来なかった。
立ち止まり、アリエスがこちらに振り返る。
ふわりと流れる蒼穹の向こうに見えるのは、天使のように純粋な笑顔。
「いろいろ、ボクに聞きたいことがあるよね」
夢幻城へと拉致する相手に悠を選んだのは何故か。
悠のことを以前から知っているような素振りの理由。
本当にレミルの相手をしているだけでいいのか、他に目的があるのではないのか。
……世界を滅ぼすという言葉は、何かの間違いではないのか。
言われ、パッと浮かんだけでもこれだけある。
「……うん」
悠は、真剣な表情で頷いた。
何よりも、第一に問いたいのは、
「晩御飯が終わったら教えてくれるって言ってたよね、君が本当に世界を滅ぼす気があるのかどうか。
短い……本当に短い付き合いだけど、僕には君がそんなことを考えてる娘には見えないよ。仮に本当だったとしても、何か事情があるんじゃないの?
教えてよ、アリエス」
底知れなさこそあるが、悠から見たアリエスは友達想いで、知己を死を悼む優しさをもった少女である。
当然、まだ数時間の付き合いであり、一人の人間を理解するに足りる時間だとは悠も思っていない。
だが、それでも目の前の少女が見せる振る舞いと、“蒼穹の翼”の逸話が見せるイメージの齟齬は悠にはとても無視できなかった。
アリエスという人間と付き合う上での、己の確かな立ち位置が欲しかったのだ。
「そうだね……」
いつも相手を真っ直ぐに見つめる彼女の目が、珍しく伏せられている。
その下の蒼穹の瞳が、彷徨うように泳いでいた。
しばし無言。
静寂に、わずかな息遣いが溶けていく。
アリエスが顔を上げ、意を決したように口を開いた。
「ね、ユウ。ボクと、ゲームをしない?」
「……ゲーム?」
首を傾げる悠に、アリエスが人差し指をぴんと指を立てて、
「うん、君が勝ったらさっきの質問に答えてあげる」
「え、いや、だって、そもそも普通に教えてくれる約束じゃ――」
戸惑い、手を伸ばす悠から逃れるように、アリエスは軽やかに後ろへ退く。
そのまま、先程の気弱な様子を誤魔化すように悪戯っぽい笑みを浮かべて悠を見つめていた。
「乙女の秘密を知りたいんなら、相応の実力を見せてくれないとね」
「そんなぁ……」
落胆が、声として漏れる。
世に名の知れる“蒼穹の翼”と競って、自分なんかが勝てる訳が無いではないか。
そんな悠の情けない様子に構わず、アリエスはゲームとやらの説明を始める。
「ルールは単純。10秒以内にボクに手で触れたらユウの勝ち。ボクからは一切手は出さないよ。そして――」
こつこつと、静かな大広間に響く足音。
気楽な足取りで、悠の目の前まで近づいてくる。
「――ボクは、これ以上は君から離れないよ。もしボクがこれ以上離れても、ユウの勝ち」
前かがみになったアリエスの顔が、すぐ傍にあった。
少し手を伸ばすだけで届く距離、手を繋ぐ恋人同士のように近しい距離である。
「どう? ユウにすっごい有利だと思うけど?」
蒼の瞳に浮かぶ、余裕の色。
果てなく広がる蒼穹のように揺るがぬ自信。
自分が絶対に負けないと思っているのだろう。
事実、そんなルールの有利不利では埋まらないほどに二人の実力は隔絶しているはずだ。
……だが、その目を、驚きに見開かせてみたいと思った。
彼女のびっくりした、あるいは負けて悔しがる顔を見てみたい。どんな顔をするだろうか。
アリエスに、神護悠という人間を少しは認めさせたかった。
そして一つ、試してみたいことがある。
「僕が負けたら、どうなるの?」
「えっ、うーん……別にどうこうって考えてなかったなあ……あ、そうだ!」
よほどの名案なのか、アリエスは表情を輝かせ、そして悠の胸元を指差した。
その指の先には、
「……このボタン?」
それは、悠の着ているフォーゼルハウト帝国の戦闘服。そのジャケット状の上着部分のボタンだった。
何と言うことはない、帝国の支給品であり大量に生産されている製品である。
「それ欲しい! ボクが勝ったら、それちょうだい!」
「え、えぇ……?」
何故こんなものを欲しがるのか。
当惑の声を漏らす悠を、アリエスは上目遣いに見つめながら、玩具をねだる童女のような風情で、
「……だめ?」
「いや、別にいいけどさ……」
負けて失うものがボタン一つなら、断る理由も無いだろう。
ともかく、これで二人のゲームは成立する。
「よーしっ! じゃあ、これが落ちたらスタートだよっ!」
アリエスが上機嫌に声を上げ、コインを上空へと弾き飛ばす。
コインはくるくると回しながら上昇し、すぐに落下を開始した。
落ちて、落ちて、落ちて――集中力を高める悠の目に、彫り込まれた模様まではっきり映る。
身体はアリエスに向けて構えを取り、しかし両の腕は脱力していた。
朱音や省吾から教わった、武術の心得である。
そのままコインは視界を外れ、
乾いた落下音が、広間に響いた。
「……っ!」
同時、悠は短く呼気を吐きながら右手を伸ばす。
直前まで脱力していた右腕は、悠の脳からの命令を柔軟に受け止め、そして迅速に疾る。
魔道による身体強化が合わさったそれは、常人には目視不可能なほどの速度である。
その先には蒼の少女。
その姿が消えた。
(後ろっ……!)
その動きは捉えられなかったが、少なくとも前方にはいない。
ならば、後方にいると考えるのが妥当である、避けられることを予測していた悠は、即座に身体を回し、左手で後方を薙ぐ。
残り、9秒。
振り向く後方、アリエスは――いた。
身体を逸らし、伸び切った左腕を寸前で回避していた。
僅かであるが、体勢が崩れている。
しかし同時に、悠も両手を左右に伸ばし切った無理な体勢で、
(知ったことか!)
そんな事は一切顧みずに、強引に両の腕を動かす。
身体の関節や筋が悲鳴を上げる音が、確かに聞こえた。
常人であれば確実に身体を痛める動きであるが、悠の身体は即座に再生を開始する。
しかし、アリエスに触れる感触はない。
二本の腕を掻い潜り、少女は悠の顔を間近で見つめていた。
8秒。
――この程度?
悠を見つめる蒼の瞳は、そんなことを言っている気がした。
「くっ……!」
7秒、6秒、5秒、4秒、3秒、2秒――
悠の全力の攻撃を、アリエスは避け続けている。
楽しげにからかう余裕すら見せ、蒼の少女は悠の周囲を自由奔放に動き回る。
それは、白の少年と蒼の少女の舞踏のようにも見える光景であった。
残り1秒。
攻撃は全て避けられた――予想通りに。
アリエスは、悠の最後の足掻きを待っている。
見せてやろうと、悠は集中力を研ぎ澄ませた。
そして、退いた。
何の変哲もない、バックステップだ。
「えっ」
アリエスが、少しだけ目を丸くする。
(僕から離れても君の負けなんだよね……?)
ならば、悠が自らアリエスから離れても勝敗は決するはずである。
ずるい、とは思う。少し気が引ける。
だが、それはアリエスから言い出したルールである。彼女にはその状態を維持する責任があるはずだ。
あるいは、アリエスも初手では警戒していたかもしれない。
だが、この9秒の間に攻め続ける悠を見れば、その選択肢は悠には無いと頭から除外するのではないか。
そして予想通り、アリエスの表情に僅かな驚きと思しきものがよぎる。
だが、しかし、
「……!」
アリエスは即座に反応し、あっさりと追随して来た。
下がる悠と、追いかけるアリエス――
(問題……無い!)
――それも予想の範疇である。
そして、次が最後の一手であった。
「はっ!」
着地と同時、その反動も利用して悠は右手を突き出した。
初手よりも悪い体勢で放つ最後の一撃。形だけ見れば、あまりにもお粗末な一手。
当たる要素など、微塵も無い。
――その時点では。
(ヒントをくれたのは、君だよ……!)
それはアリエスを見て感じた、魔道の新たな可能性。
悠の集中力が、極限まで高められる――
「!?」
――悠の動きが、一気に加速する。
先程までとは比較にならない速さ、悠自身の超動体視力ですら視認が困難な超加速だ。
それは、アリエスが見せていた物理法則すら無視する理不尽な速さに近いもので、
「うそっ……!?」
今度こそ、アリエスの表情が明らかな驚愕を見せていた。
避けようとするが、今の悠の速さはアリエスに近い領域にある。加えて、彼女は悠を追おうと前に進んでいた状態である。回避には向かない体勢であった。
悠の右手が、彼女に触れようとして、
(いける……!)
勝利の確信。
そのまま右手を伸ばし、
――背筋が凍るような悪寒が走り、
空振った。
虚空を掴む。
アリエスの姿は無い。
「なっ……!?」
刹那の思考。
かろうじて理解できたのは、アリエスの更なる加速。
今まで見せていた悠の超動体視力を超える超速すら、まだ手を抜いていたという無慈悲な事実。
極限の集中力で成した成果をあっさりと上回られたショックを感じながら、
「あつっ!」
そのまま、勢い余って転倒した。
加速した身体を制御できずにそのまま地面を転がって仰向けとなり、
「よいしょっ」
その腹に、アリエスがちょこんと座る。
丸いお尻と、柔らかなふとももの感触。
軽い――軽過ぎるほどの身体なのに、何故か身動きが取れなかった。
「10秒、経ったよ?」
アリエスは悠の胸に両手を突き、悠の顔を覗き込みながら小首を傾げた。
その表情は、まるでご褒美を待つ子犬だ。
瞳の蒼穹は、期待に輝いていた。
悠は、嘆息を一つ。
今の自分にやれる全てを出し切ったという諦観と共に、
「……参りました」
本日二度目となる敗北宣言を口にした。
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