第5話 ―笑顔―
“覇軍”。
そう称される軍勢が在る。
それは、内乱により弱体化したフォーゼルハウト帝国の支配の下、反旗を翻し誕生した幾つもの国家からなる連合軍を意味する言葉だ。
宗教や文化、人種などの差異、そして古くからの因縁も抱える幾つもの国家の連合が成ったのは、ある一人の英雄の武勇と手腕、そしてカリスマによる部分が大きい。
“覇天”ヴィルヘルム・デュオルグラム。
“天”に名を連ねる男に率いられる“覇軍”は、世界最大の軍勢として畏れられていた。
“夢幻”が、“覇軍”の攻撃により壊滅したのは、およそ1月前のことだ。
“覇軍”の精鋭魔道部隊の奇襲により僅かな隙を付かれて城内への侵入を許し、多数の犠牲者を出す死闘の末、長であるブラド・ルシオルは、己が娘であるレミルをカミラに託し、夢幻城から全ての“覇軍”を掃討した後に命を落とす。
生き残ったレミルとカミラは、夢幻城により何とか帝国の領内へと落ち延び、そして今に至る――それが、アリエスの語る“夢幻”の現状であった。
「……夢幻城は、ずっと狙われてたからね。特に、“覇軍”みたいなところからは」
アリエスは椅子に背を預け、天井を見上げて言う。
ここは、彼女に案内された一室であり、かなり広い客間のようであった。
上品な仕立ての調度品が、機能的に過不足なく配置されている。
窓一つ無い部屋であるが、不思議と息苦しさを感じず、室内は柔らかな灯りに包まれていた。
悠、美虎、伊織の3人は、各々に身体を休めてアリエスの話に耳を傾けている最中である。
悠もまた、アリエスと同様に天井を見上げる。
長い年月を経ても新品同様の、染みひとつ無い天井である。
自己修復機能を持つ、神出鬼没の移動城塞“夢幻城”。
その軍事的有用性は、悠のような素人にも容易に想像ができる。
世界各国の軍部が喉から手が出るほど欲しがるのも頷ける話だ。
……恐らくは、フォーゼルハウト帝国も狙っているのではないだろうか。
「それに、ここには珍しい人種の人もいっぱいいたし……」
「……希少亜人種?」
「そうそれ。異世界の人なのに物知りだね、ユウは」
希少亜人種。
生殖能力の低さ、生殖方法の特殊さや、生息環境の特異性などの要因により、その絶対数が極めて少ない亜人種の総称である。
極めて強靭な身体を持つ長命種、竜人。
人の血液を介して生命を維持する、血人。
他者の夢の世界に存在することのできる、夢人。
等々、その多くが他の人種とは一線を画する特性な能力を有しており、様々な意味で注目される存在である。
そしてその注目の中には、コレクションや研究材料といった意味も含まれ、彼等には“需要”が存在しているのも紛れもない事実であった。
“夢幻”は、そんな希少亜人種のような居場所の無い者に安息の場所を与えることを行動理念の一つにしていた勢力であると聞く。
そしてそれを狙う他勢力を撃退し、あるいは逃れながら世界各地を流れ、“夢幻”を必要としている者、力となってくれる者を探していたらしい。
確かに希少亜人種を欲する者にとっては宝の山だったことだろう。
「ボクは“夢幻”のみんなとは付き合いがあってね。変な人もいっぱいいたけど、いい人達だったよ。
……まさか、こんな事になってるなんて思わなかったな……」
そう語るアリエスの表情は相変わらずの笑みであるが、どこか寂しげなものであり、知己の死に素直な悲しみを表しているように見えた。
悠の中で、アリエスに対して抱いていた違和感が更に膨らんでいく。
彼女が世界を滅ぼそうとしているという話は、実は何かの間違いなのではないか、そんな考えが次第に悠の中で大きくなっていた。
暗く沈みつつある空気の中、凛とした声が上がる。
「結局、お前は自分達……いや、悠に何をさせるつもりなのだ」
伊織だ。
彼女が怜悧な眼差しをアリエスに向けている。
アリエスは、小首を傾げて伊織を見ながら、
「ねえ、イオリ……ボク、あっちの話し方の方が可愛いと思うけどなあ。
それ、キャラ作ってるの? 疲れない?」
「別に作ってなど……」
「ところで胸ちっちゃいの気にしてるの?」
「余計なお世話ばい!
……あー、ごほん……当初は、悠だけを攫うつもりだったのだろう。悠に、何をさせるつもりだったのだ?」
伊織が、悠へとちらりと視線を向ける。
伊織の問いは、悠にとっても非常に気になっていた疑問である。
悠は、伊織に頷き返してアリエスへと視線を戻した。
固唾を飲み、彼女の答えを待つ。
向けられる真剣な眼差しも、アリエスは特に気負う風もなくリラックスした様子である。
「さっきも言った通り、レミルの友達になってあげて欲しいだけだよ。
……死んじゃったお父さんの志を継ぐんだって頑張ってるけどさ、まだ10歳なんだよ、あの娘。本当は悲しくて寂しくて仕方ない癖に無理してるんだ。
だから――」
アリエスは言葉を切り、悠をじっと見つめていた。
澄み切った美貌が、はにかむように綻ぶ。
悠は頬を赤らめ、顔を逸らした。直視するにはあまりに眩しすぎる笑顔である。
「ユウに、レミルと友達になって欲しいなって思ったんだ。
……君になら、頼めるかなって」
「え……?」
まるで、以前から悠を知っているような口振りである。
そういえば、彼女の悠に対する態度は異様に馴れ馴れしい気がしていた。人懐っこい性格もあるのだろうが、それでも度を越していたように思える。
どこかでアリエスと会ったことがあっただろうか?
悠の脳裏に焼き付く瞬間記憶の光景には、彼女の姿は一つも浮かばない。
「長くても10日ぐらいで解放するからさ……お願いだよ。ユウも、イオリもミコも」
三人を見渡すアリエスの眼差しは、切実な色を湛えている。
瞳の蒼穹を、不安に曇らせているように見えた。
僅かな沈黙の後、
「……ま、あのガキには友達になってやるって言ったんだ。そっちの約束は果たしてやるよ」
美虎が、その長身をソファに沈めながら頬杖をつき、大きくため息を吐きながら諦観めいた声を上げた。
悠と伊織も、それに追従する。
少なくともレミルは悪い人間には見えなかったし、事情を聞けば不憫にも思う。
友達になると聞いた時のレミルの花咲くような笑みを思い出せば、彼女を捨て置くのは忍びなかった。
「けどな、分からねぇことがある」
美虎の目が、すっと細まる。
彼女の鋭い眼差しは、アリエスを射抜くように睨んでいた。
敵意と警戒が、その瞳に満ちている。
「……何で、そんな人助けみたいな真似をする? お前にとって、人を助ける意味なんてあるのかよ?」
それは、“蒼穹の翼”アリエスが世界を滅ぼそうとしている、という前提の問いである。
悠が聞こうと悶々としていた内容であった。
その主旨の剣呑さに、部屋の空気が一気に張り詰める。
問いを受けたアリエスは、きょとんとした表情で、不思議そう首を傾げながら、さも当然のように、
「だって、困ってる人がいたら助けるよね? 友達なら尚更だよ」
「……はぁ? お前、なに普通の善人みたいなことを……」
悠達を攫ったという事実や戦闘で見せた剣呑な気配を除き、アリエスの振る舞いは友達想いの善良な少女そのものと言えた。
つくづく、世界の災厄とは正反対の姿である。
……その実、“蒼穹の翼”アリエスが何らかの破壊、殺戮行為を行ったという記録は悠が知る限り存在しない。
“天”と渡り合った、軍勢に単身で挑み制圧したなどの武勇伝には事欠かないが、その力が無辜の弱者に向けられたという話は聞かなかった。
「……ねえ、アリエス」
「ん、なに?」
悠の脳裏にこびり付いていた違和感が、一つの可能性となって形を成す。
同時に、考えるよりも先、無意識に確認の問いを投げていた。
「……君が、世界を滅ぼそうとしてるって話、実は出鱈目じゃないの?」
そもそも、“蒼穹の翼”に纏わる逸話は、何かの誤解に基づいた噂なのではないか。
あるいは彼女を疎む何者かが流した悪質なデマなのかもしれない。
それがたまたま、帝城の最新の書物に記されていただけという可能性。
そうであって欲しいと、悠は思う。
アリエスが、世界を滅ぼすような存在ではないはずだと、縋るような心地で願っていた。
何故こんなにも切実な想いを抱いているのか、自分でもよく分からない。
真剣な悠の眼差しを受け、アリエスは、
「……知りたい?」
笑みを見せる。
目を細め、口元を緩めるその表情は、紛れも無く笑みの形であった。
だが、しかし、
「……っ」
悠は、その表情に目を見開いた。
息を飲み、絶句する。
それは一瞬のことで、アリエスは、舌をぺろっと出し悪戯っぽくウィンクしながら、
「……んふふー、ひ・み・つ。
ほら、ボクってミステリアスな存在で通ってるし?」
「ふざけんなよ! 誤魔化していいことじゃ――」
息巻く美虎が立ち上がり、
伊織も表情を鋭くしながら身構え、
乾いたノックの音が、無機質に響く。
木製――に見えるドアの向こうから、女性の声が聞こえた。
「――長らくお待たせしました。夕食の準備が終わりましたので、食堂までお越しください。我が王がやたらとテンション上げてお待ちです」
カミラの冷静な声が、煮立ちかけた空気に冷や水を打つ。
「はーい! 今行くよー!」
アリエスは気楽な調子で立ち上がった。
美虎や伊織の刺すような視線を平然と受け止めながら、軽い足取りでドアの前に立ち、こちらに振り向く。
その表情は、いつもの緩く無邪気な笑みである。
「……じゃ、行こっか。レミルが楽しみにしてるよ。この話の続きは、夕食が終わった後じゃ駄目かな?」
「ちっ……次は誤魔化すんじゃねぇぞ」
「仕方ないな……ん、どうした、悠?」
美虎に続き立ち上がった伊織が、座ったまま固まっている悠を見て首を傾げた。
悠はようやく我に返る。
誤魔化すように愛想の良い笑みを浮かべて、
「あ……いや、何でもないです伊織先輩」
その視線は、アリエスの華奢な背中に向けられている。
先程の彼女の表情を思い出していた。
悠の「本当に世界を滅ぼすのか」のかという問いに、一瞬見せたあの笑みだ。
透明な笑み。
感情の見えない、透き通るような無色の笑顔だ。
アリエスの顔は、紛れもない笑いを浮かべていた。
しかし、喜びや楽しみを意味するはずの表情が、悠には――
――泣いている、ように見えた。
“覇軍”とは、元々はフォーゼルハウト帝国の支配からの解放を目的として生まれた連合軍である。
当然ながら、“帝国”とは険悪を通り越した敵対状態にあり、“覇軍”の軍勢が帝国の国境を越えたなどと知れれば即座に戦端が開かれることになるだろう。
そして、領内での防衛戦という環境下では、“帝国”は他勢力に対して圧倒的なアドバンテージを誇っていた。
故に、“覇軍”が帝国領内に落ち延びた“夢幻”を追跡するには、帝国側に気取られないように少数精鋭、あるいは単身で以て行う必要がある。
そのような場合に重宝される“覇軍”の精鋭が一人。
夜の帳が落ちる闇の中、一人の男が高台から、先刻まで悠達のいた平原を見下ろしていた。
「時すでに遅し、か……ふむ、面倒だ」
禿頭の巨漢である。身長は2mに届こうかというほどだ。
筋骨隆々の体躯は巌の如き威容を誇り、神父や牧師を思わせる黒ずくめの服装を押し上げていた。
強壮極まりない容姿であるが、しかし顔色は異常なまでに悪い。
まるで死体のように青白いその顔は、その存在感溢れる巨漢に幽鬼のような薄ら寒い不気味さを纏わせている。
この男がそこに在るだけで、まるで朽ちた墓場のような陰鬱とした雰囲気が漂っていた。
男の名は、ユギル・エトーン。
“棺”の異名を持つ、“覇軍”の特殊工作員である。
「だが夢幻城よ、いつまでも隠れ潜む訳にもいくまい?」
ユギルが、にやりと唇を吊り上げた。
それは嗜虐的な愉悦に満ちた、昏い笑みだ。
死人めいた青白い顔が浮かべるその表情は、不吉な凄味を湛えている。
「あの小娘の残り少ない命を、少しでも長らえたいのならな……」
幽鬼の如き巨躯が、踵を返し闇夜に溶けていく。
剣呑な兇気を、瘴気の如く漂わせながら――
何でもいいので感想いただけると嬉しいです。




