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第4話 ―夢幻の王―

「…………」


 “夢幻ファンタズム”の王、レミル・ルシオルが穴に落ち、盛大な水音が響く。

 彼女はまだ10歳頃の幼い少女に見え、彼女が落ちた穴はそれなりに深いようだ。


「……ちょっ、ちょっと、何やってるんですか!?」


 悠は思わず駆け出した。

 彼女が自分より遥か格上の使い手である可能性や、迂闊な真似をすれば取り返しのつかないことになる可能性は、頭から吹き飛んでいる。

 とにかく溺れているかもしれない少女を助けようという一心で、悠は台座を駆け昇る。


 少し遅れて、我に返った美虎と伊織も悠に続いた。


「だ、大丈夫!? 今助け――」


 玉座があった場所に開く穴を覗き込もうと身を乗り出し、


「カミラァァァァァ!」


「うわぁっ!?」


 叫びながら穴から這い出てきたレミルに驚き、尻餅を突いた。


「何で!? 何で落とした!? われ、待ってってお願いしたであろうが!

 我はちゃーんとあそこから威厳を取り戻す方法を――む」


 そこまで捲し立ててから、レミルはようやく悠の存在に気付いたようだ。

 濡れ鼠の状態で、穴から上半身を出しながら悠を見つめている。

 その金色こんじきの瞳は、目を逸らすのが躊躇われるほどに怪しく美しい魔性の光彩を放っていた。


「や、やあ……だ、大丈夫……みたいだね?」


 悠は、やや引き攣った声で手を上げ、挨拶をする。


「……むぅ」


 レミルの褐色の頬に、僅かに朱が差したように見えた。

 悠は、やや躊躇いがちに手を伸ばし、彼女の両腕を取る。

 そのまま引き摺り上げ、レミルはなすがままに穴から這い上がり、台座の上へと立った。


 金色の魔性の瞳が、悠を上目遣いに見つめている。


「……大義である」


 レミルは水を滴らせたまま、ぽつりと礼を言う。

 どこか罰が悪そうな表情を浮かべるレミルに、彼女の臣下と思しき――先程の行為で少々自信が無くなった――カミラが至極冷静な声で、


「我が王、私は3秒待ちました。あの時点で王の威厳は砕け散ったと判断します」


「ボクも再起不能だったと思うなー」


「ぐぬぬ……!」


 レミルが、涙目で唸る。

 きっと悠を見上げ、その後ろで棒立ちになっている美虎と伊織を一瞥し、


「もう一回! もう一回やるから! やり直し!」


 カミラが無表情のまま頷く。


「……ほう、宜しい。では、お手並み拝見といきましょう。

 アリエス、御三方。お手数ですが台座の下に戻っていただけますか?」


「ん、いーよ。じゃあ三人とも、こっちに下りて来てね」


 悠達の意見など聞いちゃいない。

 その有無を言わさぬその空気に、


「えー……」


 悠と美虎と伊織、三人の呻きは、全くの同時であった。






 台座に開いた穴から、玉座がせり出してくる。


「それ、戻るんだ……」


 床が閉じ、玉座の間は悠達が入ってきた時と同様の荘厳な様相を取り戻していた。


 ……ずぶ濡れになっているレミルを除けば、であるが。

 レミルはぴょこんと玉座に飛び乗り、足を組んで肘を玉座へと乗せる。

 余裕ある笑みを浮かべ、鷹揚な声で、


「よく来たな、異界の者どもよ」


「そこからやり直すのかよ……」


 美虎の小さな呻きが、悠の耳に届く。

 伊織も、半眼から覚めた眼差しを茶番めいた光景に向けていた。


「我が名は――」


 レミルの魔性の声が響き、


「――ふ、ふぁ、」


 吸い込むような声が漏れ、


 無言のカミラがロープを引いた。

 かぱっ、と玉座の下が再び開く。


「へくちっ」


 可愛らしいくしゃみをしながら、“夢幻城”の主は、またもや玉座ごと床下へと落下していった。


 少し遅れて水音。

 更に暴れる水音。

 そして罵声。


「くしゃみとか有り得ないです。

 しかも……聞きましたかアリエス、あのくしゃみの声」


「あざといよねー」


 カミラの無慈悲な声とアリエスの気楽な声が響く。

 数秒ほど眺めていると、開いた穴からレミルが這い出て来た。

 ぜぇぜぇと息を荒げながら、威嚇する子猫のような形相で、


「くしゃみする前に落としたであろうがぁぁぁぁぁぁ!」


「くしゃみしかけた時点でアウトでしょう」


「アウトだよねぇ」


「うがあああああああ!

 こんな罠だらけの玉座にいられるか! 我は下りるぞ!」


「何か死亡フラグ立てているぞ……」


 ぷりぷりと怒るレミルは水を滴らせながら、鼻息も荒く大股で台座を下りる。

 最後の段差を下り、床へと足を付け、


 がこん、という何かが外れたような音がした。

 レミルの踏んだ床が、口を開ける。


「へ?」


 ぱちくりと瞬きをするレミルが三度、落ちていく。


「…………」

「…………」

「…………」


 悠達は、事態に全く付いていけずに呆然と事の成り行きを見守っていた。

 程なく、レミルが這い上がってくる。

 頭にタコような生き物を乗せたレミルは、きょとんと目を瞬かせながら、戸惑いの声を上げた。


「…………え、え? 何で? 我、今何で落ちたの?」


「臣下として、今のフリに応えない訳にはいきません」


「漫才じゃないわっ!

 ……もー! んもー! 最初に落とされなきゃ、我ぜったい上手くやれたたもん!」


 地団太を踏むレミルに、カミラは「やれやれ」と無表情なまま肩を竦めながら、


「緊張して噛み噛みになる時点で“王”失格です」


「だって、昨日からドキドキして……」


「……そのような様では、お父上の後を継ぎ、“夢幻ファンタズム”を再興するなど不可能ですね。やはりレミル様には向いてはおられないかと」


「うぅー……」


 カミラの言葉はどこか突き放すようで、レミルは涙目になりながら唇を噛む。

 力無く穴から上がり、悔しげに両手で服の裾をぎゅっと掴むその姿は、年相応の幼い少女のものだった。


(……後を継ぐ? “夢幻”の再興?)


 悠は、カミラの言葉に引っ掛かりを感じて首を捻った。

 つまり、今の“夢幻”は――


「――いい加減にしろよてめぇら!」


「ひぃぃ!?」


 美虎の怒声に、悠の思考は中断された。

 たまりかねたという様子で、彼女は柳眉を逆立てながら声を張り上げる。


 その威勢に、レミルが引き攣った悲鳴を上げてカミラの後ろに隠れた。

 メイド服のスカートをぎゅっと握りしめ、ちょこんと顔を出しながら、涙目でぷるぷる震えながらこちらを見ている姿は、まるで小動物である。


「いつまで茶番を見せる気だよ!

 オレ達が、どんな気持ちでここまで連れて来られたと思ってんだ!」


 美虎の言葉はもっともである。

 悠達は、殺される可能性すら頭に入れていたのだ。

 悠と伊織は同意の頷きと共に、レミル、カミラ、そしてアリエスを見遣る。


 アリエスは「うーん」と罰の悪そうな笑顔で、ぽりぽりと頭を掻いていた。


「ま、そうだよねー……それじゃ、本題に入ろうか。ほら、レミル?」


「……ん」


 カミラの後ろから怯えた眼差しを向けていたレミルは、意を決したように前に出る。

 悠達3人を見上げ、大きく深呼吸をして、芝居がかった大仰な表情と仕草で、


「ふははははは! 光栄に思うがいい! けいらには、このレミル・ルシオルの直属の配下となる栄誉を――」


「ごめん」

「やらねぇよ」

「断る」


「ふぇ」


 途方に暮れて泣きそうな顔をするレミル。

 そのまま俯き、床にしずくの落ちる音がぽたぽたと続く。

 漏れる声は、嗚咽めいていた。


「だよねー……」

「分かっていました」


 その姿は、自らに非が無かったとしても罪悪感や後ろめたさを刺激されて止まないものであり、悠達3人は、気まずそうに視線を泳がせていた。

 そんな3人に、アリエスが小さく手を合わせながら、レミルには聞こえないような小声で、

 

「……あのね、せめてあのの友達になってあげてくれないかな?

 数日ぐらいで解放してあげるからさ。ね、ね、お願いだよ」


 その願いは、世界を滅ぼすと謳う少女の言葉にしては、あまりに優しい内容で、彼女の瞳の蒼穹は切実な色を浮かべている。


 カミラに視線を向ければ、こちらに深々と頭を下げていた。


「…………」


 どうしようか、と悠は二人と顔を見合わせる。


 美虎は、怯えさせてしまったことを気にしているのか、どこか後ろめたそうな表情をしていた。

 伊織は、困り果てた表情で渋面を作っている。


 ここは、得体の知れない勢力の居城である。如何なる場合においても気を抜いてはならないことは分かっている。

 だが正直、先程の茶番めいた遣り取りですっかり毒気を抜かれてしまったことも事実であった。ひどく緊張していた反動か、脱力感が身も心も覆っている。

 とても疲れた。


 3人は、嘆息混じりに頷きあう。


「えーと……まずはお友達から、じゃ駄目かな?」


 顔を上げたレミルの表情に、花咲くような笑顔が浮かぶ。






 ――ほ、ほんと!? そ、そうか……そっかー! けいら、われの友達になりたいのかー! どうしようかなー! うん、そこまで言うなら、仕方ないから友達になってやろう! 感謝感激するがよい! カミラ、夕餉ゆうげにしようぞ!


 玉座の間を後にした悠達は、再びアリエスに案内されて夢幻城の回廊を歩いていた。

 年季ある貫禄を感じさせながらも傷や汚れの一つすら見当たらないその通路の材質は、よく見れば魔石を思わせる質感がある。


 前を行くアリエスは振り向き、安堵に和らぐ笑みを見せた。


「……みんな、ごめんね。あと、ありがと。もう少ししたら休める部屋に着くからさ」


 夕食を振る舞うので、しばらく休んでいて欲しい。

 カミラのその申し出により、悠達は寝泊まりする予定の部屋に案内されていた。


「少しの間でいいから、レミルと仲良くして上げて欲しいな。

 ちょっと変わってるけど、いいなんだよ」


 その物言いは、友人を案ずるただの善良な少女に見える。その表情は、とても嬉しげであった。

 とても世界を滅ぼそうとしているような人間には思えない。

 先程からアリエスの振る舞いから抱く印象は、その剣呑極まりない評判からはかけ離れたものである。


「……あのさ、アリエス」


「ん、なぁに?」


 玉座の間に案内される道中は緊張して余裕も無かったが、今は多少の心のゆとりも出来ている。

 悠は胸中に渦巻く疑問をアリエスに問うことにした。


「えーと……」


 だが、無邪気な笑顔を向けて問いを待つアリエスに「君は本当に世界を滅ぼすのか?」といきなり真正面から問うのは、悠には躊躇われた。

 だから、アリエスについての問いは一先ず後回しに、他の疑問を口にする。

 それは同時に、レミル達の前では聞き辛い問いでもあった。


「この城、さっきから他の人を全然見ないんだけど……」


「そういやそうだな……」


「……む、確かに」


 “夢幻ファンタズム”とは、この世界における魔道に通じる勢力としては指折りの規模を誇るはずである。“帝国フォーゼルハウト”のような国家規模の基盤は無いものの、それでもそれらの勢力と渡り合ってきたのだ。

 その構成員は少なくとも100人を超えていたはずである。


 とはいえ、悠が“夢幻”の名を知ったのはルル達との話の中であり、彼女が最新の情報を知っているかどうかは分からないだろう。


 カミラの口にしていた“再興”という言葉が引っかかっていた。

 その言葉の意味するところとは、つまり――


「……ああ」


 アリエスの顔に、悲しげな色がよぎる。


「みんな、死んじゃった」


「え……」


「“夢幻ファンタズム”はね、ひと月ぐらい前に戦争に負けて壊滅したんだ。リーダーだったレミルのお父さんも、その時に死んじゃったみたい。

 ……ボクが直接見た訳じゃないけどね」


「…………」


 豪奢で荘厳に見えた夢幻城の回廊が、急に薄ら寒い寂しさを帯びた気がした。

 立ち止まり、黙って見ればその回廊は不気味なほどの静寂に満ちていた。新築同様の綺麗な状態なのに、どこか廃墟を思わせる虚ろな雰囲気が感じられる。


「生き残ったのは、あの二人だけだよ」


 アリエスの足音が、回廊に虚しく響いていた――

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