第3話 ―夢幻城―
敵は“蒼穹の翼”アリエス。
魔道使いの頂点、“天”と疑われるほどの実力者。
倒す必要は無い。勝利する必要は無い。
彼女を一時的にでも止め、その背に見える出口から脱出することが出来れば十分なのだ。
そうすれば、帝国側で悠達の居場所を把握してくれるかもしれない。悠達は帝国側にとっても貴重な人材のはずだ、助ける価値はあると判断する見込みは十分にあるし、仲間達もそのように働きかけてくれているだろう。
「……10秒で決着が付かなかったら、ボクの負けでもいいよ?」
アリエスの挑発的な声。
それでも尚、3対1という条件ですら分が悪過ぎる戦いであることは分かっていた、先程のアリエスが放った剣呑な気配で、それは確信として実感している。
出来るだけ傷付けたくない等という甘い考えは、既に吹き飛んでいた。
「……行けっ!」
両の手に白刃を握り、周囲に配した八の刃を射ち出す。
現在の悠の力量で放たれる刃の速度は、音速を優に超えている。アリエスを狙い、そして彼女の逃げ道を塞ぐべく、飛来する刃の精度は非常に正確である。
今いる部屋は広いとは言えず、回避のスペースは乏しい。アリエスが刃に全く触れずに行動することは困難なはずだ。
「おっ、なかなか――」
アリエスが、どこか感心したような様子で、呑気な声を上げていた。
そして、その口元に悪戯っぽい笑みが広がり、
「――ばぁっ」
「えっ」
目の前に、蒼穹が広がった。
それは、澄み切った蒼の髪だ。
アリエスが、目の前に立っている。おどけるように舌を出し、驚愕する悠の顔を楽しそうに見つめている。
射出した八の刃は、既に誰もいない空間を飛び去っていた。
(う、うそ)
悠は、超動体視力のための集中を全力で行っていた。
今の悠なら、ライフルの弾ですら正確に視認することが出来るだろう。対応できるだけの身体能力もある。
だが、アリエスの動きが全く見えなかった。全く反応できなかった。
理解できるのは、必中を期した攻撃が完全に回避されたという事実。
「くっ……!」
悠が咄嗟に迎撃を行おうとして、
「遅いよっ」
アリエスの掌が、優しげですらある動きで悠の胸に触れ、
悠の全身に、僅かな衝撃が奔る。
それは、悠にとってダメージというにはあまりにささやかなもので、
「ぁぐっ……!」
聞こえる呻きは、背後からだ。
美虎の苦しげな声と共に、後ろで何か硬いものが砕ける音がする。
続く音は、彼女が膝を付いた音だろうか。
美虎の魔法、“拷問台の鋼乙女”のダメージの肩代わりが発動し、そしてそのダメージが“鋼乙女”の堅牢な防御力を超過したことを示す音であった。
悠が食らっていれば、当分の間、戦闘不能となっていただろう。
「くっ……!」
速度と攻撃力、少なくともこの2面において、アリエスが悠達を圧倒しているという無慈悲な事実を、早々に突き付けられる。
だが、それで諦める悠ではない。
美虎を傷付けてしまったという事実に歯噛みしながら、悠は両の手の白刃を奔らせる。
「……優しい能力だね」
アリエスは、美虎の方を見ながら呟いている。
その姿は、隙だらけのようにも思えた。
双刃が煌めく。
「じゃ、あの人を先にしないとね」
「……!?」
双刃が空を切った。
彼女の姿が、突如として目の前から消えている。
聞こえるアリエスの声は、背後からだ。
「目に頼り過ぎだよ」
悠は慌てて振り向くが、アリエスがまだ動けないであろう美虎を攻撃する方が早いことを、焦燥と共に予感する。
だが、攻撃手は悠だけでは無い。
攻撃という一点において、異界兵でも最高峰に数えられる少女が、悠の背後に控えていた。
「ん?」
アリエスの視線の先、そこで一つの神楽舞が演じられている。
巫女装束に身を包んだ伊織が、流麗な動作で以て舞を踊っていた。右手に握られるのは、伊織の小柄な身体にしては長大な日本刀だ。
「綺麗」
アリエスが、ぽつりと呟く。
伊織の舞う、美麗な神楽舞を見ている。
――伊織の魔法“玻璃殿・剣神神楽”の能力の発動条件の一つが成立する。
伊織が舞うのは、御剣の神楽。
島津家に伝わる神楽舞は、実戦的な剣技と一体化した独特なものであった。
その流れるような舞のどの動作からでも、伊織は精妙な剣技を駆使することが出来る。
「――疾っ!」
裂帛の気合い。
同時、華麗な神楽舞から、逆袈裟の斬り上げが放たれた。
その流れるような動作は、それが攻撃だと認識することを躊躇うほどに滑らかだ。
魔法を具象した伊織の身体能力は、異界兵の中では中の上といったところである。
悠の仲間達の中では、省吾、朱音、悠に続く4番手だ。特に防御面ではティオに次いで脆く、前衛で戦う剣士としては、心許ないと言っても良い。
それでも、神楽舞を演じる伊織は、異界兵屈指の攻撃手として畏れられている。
何故なら――
――伊織の魔法の、最後の発動条件が成立した。
見えざる歯車が噛み合い、その能力が発現する。
「……へぇ」
アリエスの感嘆の声。
伊織の斬撃が、急加速する。
その速度は、悠と比較しても遥かに疾く、そして剛い。
切っ先が衝撃波を纏いながら、蒼の少女へと襲いかかる。
一つ、伊織の神楽舞が一定時間続いており、
二つ、その舞を認識している相手に対して、
三つ、伊織が攻撃している状態に在る。
この三つの条件を満たした時、“剣神神楽”の能力は発動する。
その一つが、現在発揮されている身体能力の驚異的な増幅である。この時の伊織の身体能力の総合力は、異界兵でも最強だ。
その舞を止めらず攻勢にある限り、伊織はその力を発揮し続ける。
「……とっ!」
アリエスは、悠の時より若干危なげな動きでその斬撃を回避した。
だが、“剣神神楽”のもう一つの能力が発動する。
「えっ?」
アリエスの身が、僅かに傾いだ。
まるで何かの衝撃をその身に受けたように、その体勢が崩れる。
その白い衣服が、何かに切り裂かれたように肌蹴た。
――回避しても、“剣神神楽”の攻撃から逃れることは出来ない。
伊織の神楽舞を認識する知覚を介し、「攻撃したという事実」が敵手へと強引に届くのだ。
それは、本来の斬撃より希釈化された攻撃事象ではあるが、確かにアリエスの華奢な身にダメージを負わせていた。
伊織の魔法が発動するまでの時間を稼ぐ、という意味では一蹴された悠の攻撃も、十分に意味があったと言えるだろう。
「……なるほど、意外とやるね。“このまま”じゃ、10秒オーバーしちゃうかも」
呟くアリエスの背後、体勢を整えた悠が、反撃の体勢に入っていた。
一方、彼女の前方では、くるりを身を回した伊織が、間髪入れず次の攻撃に移っている。
更に美虎が苦痛に表情を歪めながらも、二人に対して“鋼乙女”の加護を与えている。如何なるダメージでも耐えて見せようと、その美貌に覚悟が浮かぶ。
前と後ろ、両方からの攻めにアリエスは、
「ちょっとだけ、頑張っちゃおうかな」
薄く笑み、唇を舐め、
「――魔法具象――」
蒼く輝く鋼の翼が、
視界が蒼穹に埋まり、
意識は、そこで途絶えた――
「――おーい、生きてるー? 死んでないよね? 殺してないから生きてるよねー?」
ぺちぺちと、頬を叩く感触がある。
頭上から聞こえるのは、気楽な調子の少女の声だ。
「ん……」
目を開けた悠の視界にあるのは、蒼の少女。
アリエスが、悠の顔を覗き込んでいた。
悠が目覚めたことを確認すると、彼女は表情を輝かせる。
誇らしげに胸を張り、両手を腰に当て、
「えっへん、ボクの勝ちっ!」
悠は、床に倒れていた。どうやら気絶していたらしい。
横を見れば、
「うーん……」
「きゅう……」
美虎と伊織が重なって倒れ、のびていた。
大きな怪我は無いようだが、意識を失っている。
「はぁー……」
悠は脱力し、嘆息した。
アリエスが魔法を具象した瞬間までは覚えている。
だが、その次の記憶が無い。意識はそこで途絶えている。
……瞬殺されたのだ。
ぐうの音も出ないほどの完敗。ダメージを一身に受けたはずの美虎の状態を見ると、大怪我をさせないように手加減をしていたようだ。
悠は清々しさすら感じながら、
「……参りました」
「うん、素直でよろしいっ。でも三人とも思ったより強かったよ? まさか魔法を使うことになるとは思わなかったよー」
アリエスは、白い歯を見せ無邪気な笑顔を浮かべた。
悠はそれを眩しげに見上げながら、問いを投げる。
「僕達を、どうするつもりなの?
……僕だけが目的なら、二人は返してあげて欲しいんだけど」
確かあの魔界で、アリエスは悠だけを攫おうとしていたのでは無かったか。
美虎と伊織は、悠の巻き添えを食らったようなものかもしれない。
二人の存在は心強く、いなければ心細いのは確かだが、悠の事情に巻き込みたくは無かった。
「うーん、ほんとは君だけのつもりだったんだけどね、でも賑やかに越したことはないかなーって。面白い人達だよね、あの胸おっきい人と胸ちっちゃい人」
「でもっ……!」
アリエスは、笑顔で手をぱたぱた振りながら、
「大丈夫、大丈夫。別に取って食ったりなんてしないからさぁ。お願い聞いてくれたら帰して上げるよ、ほんとだよ?」
そして、彼女の美貌が珍しく真剣な、どこか切実に見える表情を浮かべる。
断られたらどうしよう、勝者であるはずの彼女は、そんな怯えを感じているようにも思えた。
「……まずは会って欲しいんだ。このお城――“夢幻城”の王様に」
“夢幻城”――見た目は普通の城に見えるその内部をアリエスの案内で進み、悠達は城内のとある場所に立っていた。
「これは……」
「でっけぇっ……」
美虎と伊織が、感嘆の声を漏らす。
三人の目の前にあるのは、巨大な扉であった。
赤を基調とした、豪奢で荘厳な扉である。
悠もまた、二人と同様に扉を見上げながら、アリエスに問う。
「ここに、この城の……?」
「ん、そだよ。王様はこの中。この“夢幻城”の玉座の間でございまーす!」
扉の前に立つアリエスは、誇らしげな様子で両手を広げる。
この奥に、“夢幻城”の長がいる。
悠は、身に走る緊張に唾を飲み込んだ。
“夢幻城”。
フォーゼルハウト帝国の“異界戦奴”、“魔封結界”と並び称される、魔道装置の最高峰。
その存在の位相をずらすことで物質空間から姿を消し、更にその最中に座標を調整することで、移動すら可能な魔道要塞。
貴重な魔石を大量に用い、自己修復機能すら備えているという。
この移動要塞を用いる勢力は、“夢幻”と称される武装勢力だ。
その長は、この畢竟の城塞の主に相応しい、極めて強力な魔道使いであるという。
悠達など、先程のアリエスのように容易く一蹴することが出来るだろう。
対応には、細心の注意が必要である。
「じゃ、入るね」
そんな悠達の緊張などどこ吹く風で、アリエスはお気楽な調子で扉に手をかけた。
「あ、まだ心の準備が――」
悠の慌てた言葉も空しく、重厚な音を立てながら扉が開いていく。
開いた扉から流れる空気は、まるで今立っている回廊とは別世界の大気であるようにも思えた。
悠達3人は、固唾を飲みながら開く扉から徐々に見える光景に見入っていた。
見えるのは、広々とした空間である。
大仰な扉に見劣りしない、まさしく“玉座の間”と呼ぶに相応しい荘厳な世界が広がっていた。
一大勢力の長に相応しいと言える。
「アリエス、お待ちしていました」
扉を開けたすぐ傍に、一人の女性が立っていた。
年齢は20歳過ぎだろうか、仕立ての良いメイド服を着た、褐色の肌の女性である。
清楚にも妖艶にも見える、不思議な魅力を備えた容貌を備えた美女だ。
しかし、その顔は愛想とは無縁な無表情を浮かべていた。
「ん、遅れてごめんね、カミラ」
カミラと呼ばれた女性は、その金色の瞳を三人に向け、優雅な一礼を見せる。
「ご客人、どうぞこちらへ――」
カミラが上品な動作で示す先、その奥に、豪奢な王座が見える。
誰かが座っており、こちらを見ていた。
「三人とも、行くよ」
硬直する悠達を笑みで眺めながら、アリエスが遠慮や躊躇の微塵も感じられない足取りで玉座の間へと入っていく。
悠達も、カミラに促されるまま慌てて後に続いた。
重く、そして静謐な空気が満ちている。
そんな気がした。
アリエスの背に続き、悠達は王座へと、この夢幻城の主へと歩み寄っていく。
次第にその姿がはっきりと目に映り、その人物を認識して、
「……えっ?」
悠は、呆けた声を漏らした。
「あれは……」
伊織が訝しげに眉を顰め、
「子供か……?」
美虎の、囁くような小声があった。
「レミル、連れて来たよ」
「うむ。アリエス、大義であったぞ」
アリエスの声に、幼い声が応える。
そう、子供の声だ。
玉座に座っていたのは、まだ10歳頃に見える少女であった。
肌は褐色、銀の長髪に、金色の瞳。
足を組み、肘を付いた尊大な姿勢で悠達を玉座の高みから見下ろしている。
まだ幼い顔は、雄々しい王者の笑みを湛えていた。
「よく来たな、異界の者どもよ」
声に似合わぬ、尊大な物言い。
「我が名は、レミル・ルシオル。
“夢幻”の偉大なる創始者ブラド・ルシオルの娘にして、“夢幻”の王である!」
しかし、それは良く通る声で、とても様になっていた。
単に空気を震わせるだけではなく、心まで震わせてくるような、深い声色である。
聞く者を魅了する、魔性の声だ。
レミルは、悠達を見下ろす金色に爛々とした光を湛えながら、
その声色が、昂ぶるように上擦り、
「卿らには、我の配下としてちゅかえりゅえいりょ――……」
噛んだ。
尊大な王者の姿勢のまま、“夢幻”の王は、盛大に噛んだ。
レミルの口上が、ぴたりと止まる。
小さく、プルプルと震えているようにも見えた。
「…………」
「…………」
「…………」
悠、美虎、伊織は、何と反応していいか分からず硬直していた。
「…………」
アリエスが苦笑を浮かべ、
「…………」
レミルの褐色の頬に、冷や汗が流れ、
「…………」
カミラが無言で天井からぶら下がったロープを引き、
「あ、ちょ、待っ―――」
玉座の下の床が、かぱっと開き、
レミルが、その玉座ごと落ちていく、
王者の姿勢のまま、床の穴へと消えていった。
少し遅れて、盛大な水音が穴から聞こえる。
暴れる水音と、罵声めいた声が、荘厳なる玉座の間に響く。
「…………」
「…………」
「…………」
流れるように進行する意味の分からない展開に、悠達は硬直していた。
「…………は?」
王の消えた玉座の間に、悠のようやく絞り出した声が溶け消える――
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