第2話 -拉致-
少し遅くなりましたが、第2話です。
「だからっ! 許可だけくれればいいんです! 別にそちらに協力してくれなんて言いませんから!」
黄昏に沈む帝城の一室、石造りの室内に、少女の切迫した声が響く。
声を張り上げているのは、藤堂朱音だ。
朱音は、執務机を両手で叩き、その向こう側に座る人物に訴えていた。
今にも噛み付かんばかりの勢いであり、今の彼女の心境を周囲に容易に窺い知らせるものだ。
「気持ちは分かるがな……」
朱音に相対しているのは、ベアトリス・アルドシュタインである。
彼女は自らの執務室で、鼻息も荒く訪れた朱音に対応していた。
女騎士の怜悧な容貌は、今は眉根を寄せて悩ましげに翳っている。
「悠が攫われたんですよ!? 美虎さんに伊織さんも! 早く助けに行かないと……!」
「……三人の反応は、領内の平原地帯を最後に特定できなくなっている。現状で正確な位置の把握は不可能だ」
「でも、でも……」
朱音は、その美貌を悲痛に歪ませた。
それを見るベアトリスの表情の翳も深まっていく。彼女は、少し辛そうにしながら、
「……アカネ・トウドウ、とにかく現状では帝都外へのユウ・カミモリ達の探索許可を出す訳にはいかん」
悠が、魔界での戦闘の終わり際に突如として攫われた。
近くにいた鉄美虎や島津伊織もそれに巻き込まれ、三人は行方不明の状態である。
朱音は、彼等を探すために帝都の外に出して欲しいと訴えに来たのだ。
しかしベアトリスは、その願いをきっぱりと拒絶した。
「……うぅぅ」
ベアトリスの言い分が正しいのは分かっている。分かっているのだが、荒れ狂う感情が、朱音の喉から唸りのような声を漏れ出させた。
……それは、昼過ぎに発生した魔界内での戦闘の終わり際での事である。
順調に魔族を殲滅していく中、悠の前に突如として蒼い髪の少女が現れたのだ。
彼女は呆然とする悠を捕まえ、そして悠の近くにいた美虎と伊織が悠を助けようとして、蒼の少女の転移に巻き込まれた。
突然のことで、離れた位置にいた朱音には止める暇も無かった。
想い人が攫われた。突然、目の前から消えてしまった。
その事実は、朱音の思考を千々に乱れさせ、常の冷静さを奪っている。
これでも、直後の取り乱し様に比べれば随分とマシにはなっていた。
ベアトリスは、嘆くようなため息を吐きながら、朱音の後ろへと視線を移す。
「……当然、貴公らもだ」
朱音の後ろに、二人の奴隷が立っていた。朱音と同じく悠達の救出を願い出た、彼と親しい二人である。
朱音の友人である森人の少女ティオと、悠の奴隷である狼人の娘ルルだ。
「…………」
ティオは、しゅんと沈んだ表情で、ベアトリスと朱音の遣り取りを見ていた。
悠を想うのは彼女も同様である。きっと、胸の張り裂けるような想いを抱いているはずだ。
その瞳は潤んでおり、小さな唇はじっと耐えるように結ばれていた。
「……はい」
ルルは、ベアトリスの返答を予測していたのだろう、憤る朱音や落ち込むティオに比べれば、冷静に見える。
しかし、狼人の感情を良く表す耳や尻尾は、気落ちする内心を隠し通せてはいないようだ。尻尾は力無く垂れ下がり、耳はぺたんと伏せっている。
そして、この場にいるのはこの三人だけではない。
「じゃあ、美虎姉さんはどうなるっスか!」
「……見捨てる気?」
美虎の取り巻きの少女達や、
「後輩が攫われてるんだ、それだけで引き下がる訳には行かねぇよ」
武田省吾に、
「……現状は、ということはそのうち許可が出ると思って良いのかしら?
それまでに悠君達が無事な保障はあるんですか?」
雨宮玲子が部屋に集まっていた。
8名の視線が、真剣な色をもってベアトリスに集まっている。
ベアトリスは嘆息しながら、
「……少なくとも、反応を見失った時点では命に別状は無かった。彼等の命を奪うつもりなら、とうにやっていたはずだ。
反応自体は、帝国の領内から出ているのだ。三人の行方は、魔道省の方でも追跡を続けている。居場所が判明した時には、貴公らに動いてもらうことになるだろう」
玲子は腕を組み、何かを見透かそうとするような眼差しをベアトリスに向け、
「危ない連中が帝国にちょっかいかけて来てる……なんて噂も聞きますけど?
悠君達の救出には、何人ぐらい出させてもらえるのかしら」
ベアトリスの片眉が、“危ない連中”という言葉に僅かに動く。
その鋭い眼が、怪訝な色を浮かべて玲子を見返していた。
何かを探るような眼差しが交差する。
「……第三位階の者は絞られるはずだ。恐らく、許可が降りるのは3人か4人、良くて5人といったところだろうな」
「そうですか……」
玲子とベアトリス、二人の視線が交わり、やがて玲子がため息と共に肩を竦めた。
「……皆、とりあえず今日はもう休みましょう、今出来ることはそれだけよ」
玲子の解散の提案に、朱音が食い付いた。
玲子の提案は正しい。理性では分かっていても、抑えきれない感情が身体と口を突き動かす。
「玲子さん、あたしはまだ……!」
詰め寄ろうとする朱音の裾を、小さな手がぎゅっと掴んだ。
「アカネ様、落ち着いテ……レイコ様の仰る通り、まずは休みましょウ?
ユウ様が攫われてから、ずっと動きっぱなしじゃないですカ……」
「……そんなの分かってる、分かってるわよ……でも……!
ティオは、平気なの……!?」
ティオのつぶらな眼差しが、僅かに鋭くなる。
僅かな怒りを滲ませ朱音を見上げていた。
「本当に、そう思いますカ……?」
悲しげですらある、友達の眼差し。
朱音は息を飲み、俯きながら、
「……ごめん」
沈んだ声を漏らした。
朱音の肩に、ルルが優しく手を置く。
「今はユウ様方を助ける機に備えましょう。肝心な時に力を発揮できないのでは意味がありません」
そう言うルルの表情は、常に静かで淑やかな様子を取り戻していた。
だがその声が、時折何かに耐えるような震えを帯びる。
「分かったわよ……」
最も取り乱していた朱音の不承不承ながらの頷きに、同調する声が上がる。
「了解っス……」
「……約束破ったら、許さないから」
朱音に次いで我を失っていた美虎の取り巻き達も苦々しげに了承した。
玲子は、省吾やルルと顔を見合わせ頷くと、ベアトリスへと目を向ける。
どこか苦笑めいた表情で、そして真摯な眼差しであった。
「……私達にとって、貴女は帝国側で信用するに足ると思える数少ない人です。
個人的にも、貴女とは仲良くしたいと思っていますよ」
そう言い残し、異界兵の少年少女達は、ベアトリスの執務室から退出した。
ベアトリスは一人になると、天井を仰いで深々と嘆息する。
厄介なことになった。
心の底からそう思う。
悪名高き武装勢力“人獣”が、帝国に対して何らかの行動を起こそうとしている。
その情報を得て、対策に追われている矢先の出来事であり、まさに泣きっ面に蜂という有様である。
だが、攫われた三人ともが、貴重な第三位階の使い手だ。ベアトリスが言い出すまでもなく、責任者であるラウロは反応の追跡を指示していた。
特に、ラウロは神護悠に妙に注目をしているようだ。悠の姿を見失ったと知った際、珍しく僅かに狼狽する気配があったのが印象的であった。
恐らくは、彼等は魔道によって生み出された何らかの空間に取り込まれているのだ。
この手の魔術や魔法は、世界と完全に切り離された状態で維持し続けることは困難である。いずれは綻びが生じるはずであり、帝国の世界最高峰の魔道技術はその際に漏れ出た反応を逃さないだろう。
「それは、いいのだがな……」
問題は、三人を攫ったとされる張本人であった。
魔界の第一層であり、魔道省からのモニターをしていた訳でもなかったので、顛末を目撃した少年少女の証言のみが手掛かりであるが、共通した特徴が一つ。
「蒼い髪の少女……か」
それは、ベアトリスのような巨大な国家や組織の上層部に携わる者にとっては、特別な意味を持つ符号である。
“蒼穹の翼”アリエス。
世界を滅ぼすと公言する少女。
常ならば妄言と笑い飛ばすところであるが、彼女はそれを笑い話にさせないだけの実力を有しているのは、多くの者が知るところである。
彼女は“天”の一人、“聖天”と交戦し、退けた戦歴を持つ。
“聖天”が無用な流血を好まないこともあるだろうが、それでもアリエスが図抜けた実力者であることは疑いようもない。
現状、“天”として認識されているのは、“偽天”、“獣天”、“覇天”、“聖天”の四人であるが、その真の実力を隠した知られざる“天”がいるであろうことは、多く者が考えていることだ。
そして“蒼穹の翼”アリエスは、“天”ではないかと疑われている一人である。
仮にそうだとすれば、さしずめ“蒼天”といったところだろうか。
そのような力を有する者が、世界に災禍を振り撒くと宣言しているのだ、捨て置けるはずもない。
現状、これといって大きな事件を起こしたことは無いが、彼女は要警戒人物として扱われていた。
もし、悠達を攫った犯人が“蒼穹の翼”アリエスなら――
「異界兵では、束になっても敵うまい……」
ベアトリスは、少年達の無事を祈りながら、もう一度嘆息した。
得体の知れない石造りの城内、その門をくぐった先の一室で、悠達はようやく拘束から解放され、アリエスから服を受け取っていた。
「おい、これ胸が入らねぇぞ……?」
「そっちおいのばい! 貧乳で悪かったとなこの乳牛!
……うぅぅ、ぶかぶか……不公平……」
「何キレてんだよ! つーかお前さっきからキャラ変わり過ぎだろうがポンコツ巫女!」
美虎と伊織の喧々たる言い合いを背に、悠はいそいそと自分の着替えを進めている。
更に、アリエスが先程から延々と悠に語りかけて来ていた。
どうも彼女は、悠をいたく気に入っているらしい。
「――でさあ、気絶してる君があんまり可愛い顔してるから、ほんとに男の子なのかなって思って、ついつい脱がしちゃったんだけど」
帝国から与えられている戦闘服は、魔石の成分を素材に用いた特別性である。特に、第三位階である悠達に与えられた戦闘服は最新技術の試作的な意味合いもあるようで、軽量で動きやすい割には魔道の反応に応じて下手な鎧よりも頑強な強度を発揮することが出来る逸品だ。
「で、君が一人だけ裸なの可哀想だなって思って一緒にいた二人も脱がしてね。で、裸の三人見てたらさ、何かボクだけ服着てるのも変だなーって、それでボクも脱いでみた訳なのさっ。
……裸って気持ち良くていいよねー。何で皆、裸で生まれてきたのに服着るんだろ?」
ただし、使い手の肌から魔道の反応を得るために身体にフィットした状態である必要があり、基本的に一人一人の体格に合わせたオーダーメイドとなっている。長身で豊満な肢体を持つ美虎と、小柄で些か以上に胸の薄い伊織では、その拵えには大きな差異が生じるだろう。
「僕にもう一度服を着せるっていう選択肢は無かったのかな……いや、そもそも脱がせないで欲しかったけど……」
ゴム状の素材その服は脱いでしまうと着辛く、悠も四苦八苦しながらようやく自身の着替えを終える。
「だって、こっちの方が面白そうと思ったんだもん」
アリエスは、悠の近くで両膝を抱えるようにしゃがみ込みながら、そんな様子を楽しげに見ていた。
小首を傾げ、蒼い髪がさらりと揺れる。
澄み切った蒼穹の瞳が、上目遣いに悠を見上げていた。
「ん、格好いいね。ボクの服も黒にしてみようかなー。
ねね、どう思う?」
自身の白い衣服を見下ろし無防備な姿を晒すアリエスは、まるで親しい友人でも語りかけるように気楽な調子である。
一方、悠は戦々恐々としながら彼女の言葉に受け答えしていた。
「ど、どうかな……今のままでも綺麗で可愛いと思うけど……」
「えー、ほんと? 男の子にそう言って貰えると嬉しいなぁ」
天使のように汚れない満面の笑み。
思わず抱き締めたくなるような、至上の美が目の前にある。
(落ち着け僕……! この娘は悪人、この娘は悪人……)
しかし、彼女は“蒼穹の翼”である。
世界を滅ぼすと、多くの無辜の人々を犠牲にすると宣言した超危険人物なのだ。
アリエスのあまりに人懐っこく無邪気な様子についつい毒気を抜かれそうになるが、悠は懸命に萎えそうになる闘志と警戒心を維持していた。
「……よしっ、もうこっち向いてもいいぞ、悠」
「自分もだ」
振り向けば、着替えを終えた美虎と伊織が黒の戦闘服を身に纏い立っている。
美虎は、美獣めいた凄味を備えた美貌を引き締め、
伊織も、氷のように怜悧な雰囲気を取り戻し、
二人とも、表情を引き締め悠を見つめていた。
悠は、二人に頷き返す。
跳ねるようにアリエスから距離を取った。
「おや?」
アリエスが、きょとんとした顔でこちらを見上げていた。
「どうしたの?」
応えている暇は無い。
「其は悠久に流れ、過ぎ去るもの――」
「我奉ずるは、御剣の巫舞――」
「あなたはとても強い人――」
三つの詠唱が響く。
魔道の第三位階、魔法を具象するために、言霊を以て己が魂を世界の理に刻み込む。
詠唱と聞くと長々と言葉を続けなければならないように思えるが、魔法の詠唱とは物理的に声帯を震わせることで行うものではない。
それは、己が魂を震わせ声と成す歌である。聴衆は、同じく魔道を歩む者と世界の理そのものだ。
空気を通さぬ歌声は、魔道の素養を持つ者の耳と鼓膜を介さずに魂を直接揺さぶるのである。
己が魂は、世界の理を超越すると高らかに謳い上げ、この世に本来在り得ない法則を固定する。
それが、詠唱の目的である。
「時よ、止まれ――」
「我が神楽、御照覧あれ――」
「それは、わたしの愚かさへの罰なのだから――」
詠唱の完成までに要した時間は、半秒にも満たない。習熟すれば、刹那の刻すら要しないだろう。
三人の“法”の干渉により活性化した魔素が励起し、濃密な魔道の気配が満ち満ちていく。
停滞の十刃が、
神秘の巫女服が、
加護の盾が
それぞれの魂が形を成し、理として具象化していく。
「「「――魔法具象――」」」
彼等の魂の銘が、高らかに響く。
「“斯戒の十刃”!」
「玻璃殿・剣神神楽!」
「“拷問台の鋼乙女”!」
ここに、三つの魔法が具象化した。
アリエスは、それを相変わらずのきょとんとした表情のまま眺めていた。
「……あ、そっか。“ここ”なら使えるんだ、なるほどなー」
アリエスは気楽な調子を崩さずに、納得したように手をぽんと打つ。
「はっ、油断したなバカ野郎」
「何を企んでいるかは知らないが、容赦はしない。怪我をしたくなければ降伏するといい」
美虎と伊織が、獰猛な眼差しをアリエスに向けている。
この城に入った瞬間から、魔道が使えるようになったことに悠達は気付いていた。
恐らく、帝国の魔道の封印装置の射程範囲外なのだろう。
三人は、戦闘服の装着が完了し次第、この蒼穹の少女を制圧しようと意思疎通を行っていた。
“蒼穹の翼”の脅威ことは話していたが、さりとていつまでも言う通りにしている訳にもいかない。
今が逃げ出す最後のチャンスなのではないか、このまま城に閉じ込められれば手遅れになるのではないか。そう思った故の決断であった。
二人とも、強気に見えるがその目に油断の色は無かった。
「…………っ」
悠は、多分に緊張感を滲ませながら十の白刃をアリエスに向けている。
可憐な少女に刃を向けるということに若干心が痛む部分もあったが、彼女の素性を思えばそんな余裕は無い。
「……アリエス。僕達をこの“城”から出してくれるなら何もしないよ」
本来は、即座に襲いかかるべきなのだろう。
だが、やはり人と戦うのは本意では無いというのが三人の正直な気持ちである。
出来れば、降参して欲しかった。この得体の知れない城から脱出して皆の所に帰れれば、それでいいのだ。
三人は、そんな想いを以てアリエスを凝視していた。
「ふーん……」
アリエスは立ち上がり、両手を後ろに組みながら、三人の魔法の使い手を眺める。
彼女が自分達を少しでも脅威と感じてくれるように、悠は内心の怯えを悟られないように努めて堂々と構えていた。
彼女の一挙一動を見逃ぬよう、その超動体視力を限界近くまで発揮する。
その唇が、次なる言葉を紡いだ。
「いいよ」
アリエスが、どこか寂しげにぽつりと言う。
こちらの要求を呑んでくれるのか――悠は甘いと思いながらも僅かに期待した。
しかし、天使の美貌が怪しげな笑みを浮かべ、
「ただし……ボクに勝てたら、ね」
総毛立つ。
“蒼穹の翼”から、今まで感じたことの無いような気配が溢れ出た。
それは、意識を一瞬で凍らせるような寒気を伴うものである。生物の生存本能を極限まで掻き立てる、濃密で剣呑な気配が奔流のように悠達を包み込む。
捕食者に睥睨される、被食者の心境だ。
自分は、彼女の下位に在る――そんな、根拠なき確信が総身を震わせた。
同じ人間と相対している気がしない。
「……どうしたの? 3人同時にかかって来てもいいんだよ?」
突き動かしたのは戦意か、恐怖か、あるいは絶望か――三人は、“蒼穹の翼”に一斉に駆け出した。
批判でも結構ですので、感想いただけると大変嬉しいです。
更新予定については活動報告で行わせていただきます。




