序話 ―夢幻―
悠が地球より召喚される、少し前のこと――
「潮時、か。“覇天”も最悪のタイミングで仕掛けてくれたものだ」
そこは、丘陵地に広がる山岳地帯。
フォーゼルハウト帝国に近接する、軍事的には敵対関係にある国家の領土である。
一つの、城があった。
決して大きな城塞ではないが、優雅さと機能美を両立させた、奇跡的な均衡。
設計者の類稀な才覚を窺わせる、芸術的な外観である。
だが、見る者によっては、その城に見惚れるよりも先に違和感を得ていたかもしれない。
すなわち、その城は、こんな場所に建築できるはずが無い、と。
「……行け、夢幻城」
その声に従うように、驚くべき現象が起こった。
城が、消えていく。
まるで夢か幻のごとく、城の存在が希薄になっていく。
「うん、いい子だ、それでいい……あの娘を頼むよ、カミラ」
それを見届ける声の主は、銀髪の美丈夫だ。
すらりとした長身に、絶世と称しても足りるか分からぬほどの美貌。
中性的な耽美さをまとったその容姿は、男が見ても胸を高鳴らせるかもしれない。
消えゆく城を背に、2mほどの大剣を手に守護者のごとく立ちながら、哀愁ただよう苦笑を浮かべた。
その唇から紡がれるのは、静かな、だがよく通る声。
「皆、すまない……すべて、僕の責任だ」
いくつもの声が応じた。
ほとんどが亜人、それ以外にも汚染者や半魔族も見られる。
豚顔の巨漢や、両手が翼になった娘、身体に蔦をまとわせた妙齢の美女や、片腕から大爪を生やした少年たちが、口元に笑みを浮かべていた。
「……なんの」
「あの娘たちが逃げられた分、良しとしましょうよ」
「らしくありませんな、我が王」
「そーそー、調子狂っちゃうよー」
「死んだ皆も、きっと恨んでなんかいねーって」
銀髪の男は、それらを噛み締めるように聞き届け、頷いた。
「……ありがとう」
誰も彼もが、傷付いていた。
四肢が欠損している者もいる。
すでに致命傷を負い、助かる見込みがない者もいる。
だがそれでも皆、笑っていたのだ。
銀髪の男も、腹部が抉れ、滂沱の血を流していた。
「では……ゆこうか。せめて“覇天”に、一泡吹かせてやろう」
『……応!』
それは、一つの夢の終わり。
歴史において幾度となく繰り返されてきた、気高き理想の終焉。
ただそれだけの、悲劇のはずであった。
この因果が、異世界から来た白髪の少年に繋がるのは、これから数十日ほど後のこと。
彼が巻き込まれることになる一連の事件が、後の“白天”が生まれる大きな一因になるとは、この時は、まだ誰にも――
「……逝ったか。よくぞ傾いたのぅ、見事じゃったぞ。“人馬”の坊主よ」
――あるいは唯一人を除き、知る由も無かった。




