第30話 ―紅の賢者―
悠が自分の秘密を打ち明けてから、二日後のことである。
悠は今、帝城内のホールに立っていた。
「……まったく、このマダラ様の見送りなら国を挙げてやらんかい。
のう、そう思うじゃろうが白スケよ」
「あはは……どうでしょう」
マダラが、例の“魔鍵”とやらの作成を終えたらしく、帝都を去ろうとしていた。
悠は、最後に礼を言うため、そしてどうしても聞きたいことがあったために、彼の見送りに現れていたのだ。
他には、ティオ、朱音、ルル、そしてベアトリスとあの決闘に関わったメンバーの多くが揃っている。
マダラは、いつもの派手に傾いた服装で、悪童の如き笑みを浮かべていた。
ルルは、そんなマダラに苦笑混じりの声を出す。
「あら、そうなったら面倒だ、とっとと消えるなどと仰るでしょうに」
「呵呵っ、そりゃあそうよ。
透かされて呆気に取られとる帝国の連中の顔を見るのが面白いんじゃろうが」
弟子の言葉に、マダラは意地の悪い笑みを浮かべて答えていた。
ベアトリスが物凄く嫌そうな渋面を作っている。彼女はどうやら、帝国内で“マダラ係”的な存在にあるようで、マダラが係る問題の多くは彼女に振りかかるようだ。
つくづく苦労人である。胃に穴が開かないか他人事ながらも心配になる。
悠は一歩前に出て、マダラに頭を下げる。
「あの……今回は、ありがとうございました。
本当に助かりました」
どうなることかと思ったが、終わってみれば全てが良い方向に向かっていた。
マダラがいなければ、こうなならなかっただろう。
朱音、ティオ、そしてルルも揃って頭を下げる。
マダラは4人の礼を受け、煙管を咥えた口の端をにっと吊り上げながら、
「呵っ呵っ呵、儂は儂の“欲”のために行動したまでのことよ。
結果的に、森人のお嬢が救われただけのことじゃ、畏まった礼なんぞいらんわい」
そう言って、鬱陶しげに手を振っている。
案外、照れ隠しなのでは……と思うところだが、この男に関しては本気でそう言ってるだけのような気がする。
礼を終えた悠は顔を上げ、どうしても聞いておきたかった質問を口にした。
「あの……マダラさんは、何百年も生きてるんですよね?」
「おうよ、関ヶ原もこの目で見とるぞ、石田方をうろうろしておったわ。大谷と島津んとこは面白かったのう」
有名な天下分け目の戦は西暦1600年。少なくとも彼は400年以上は生きていることとなる。
彼の肉体は、人間の寿命を遥かに超越して今も動いているのだ。
「……魔道を極めれば、長生きが出来るってことですか?」
そんな悠の質問に、周りの皆が訝しげな目を向けて来る。
マダラは顎を撫でつけながら、愉快げな眼差しを悠に向けた。
「何ぞ白スケ、お主は儂のように不老長寿でも目指しとるんかい」
「いえ……そこまでではないんですけど」
別に何百年も生きたいとは思わない。
ただ、少しでも寿命を延ばしたい。願わくば、皆と一緒に年を取りたい。皺だらけのお爺さんになりたかった。
せめて1年、2年でもこの身体の寿命を延ばせないだろうか、悠はマダラの存在を思い、そう考えている。
「確かに儂の身体が老いんのも魔道の力よ。
……まあ、ええじゃろ。愉しい喧嘩を見れた褒美じゃ、手掛かりだけでも教えてやるわ」
マダラは、紫煙を吐き出しながら、己の胸を叩く。
「この身体を不老にしとるんは、儂の魔道ではないのよ」
「えっ……?」
それは一体、どういう意味か。
悠が問いかけようとする前に、マダラは踵を返し、門へと歩いていく。
止めようと思ったが、身体が動かなかった。
マダラは手にひらひらと振って別れの意を示しながら、
「……“紅”の原本を探してみい」
そう言い、カランカランと下駄の足音を響かせて去って行った。
その姿は、帝城のホールを行き交う人々の中に紛れ、見えなくなっていく。
それ以上を教える気は無いと言わんばかりに、彼は姿を消してしまった。
取り残された悠は、彼の口にしていた言葉を反芻する。
「……“紅”?」
そんな悠の疑問に、ベアトリスが答えてくれる。
「“紅の賢者”。
最古にして最高の魔道師。ユウ・カミモリ、貴公が読んでいる魔道関連の書物に出てくる“賢者”のことだよ。
……そして、マダラ殿の友であったとも、弟子であったとも、師であったとも言われる人物だ。本人は詳しく語ろうとはしないがな」
魔道に関する理論の大本を世に広めたと言われる、伝説的な大賢者。
本名不明、容姿も性別も不明の、この世界の偉人だ。
たが、確か個人の実在は疑われていて、それは一つの集団なのではないか、などと書かれていたよう気がする。その偉業は、個人の才覚で成し得たにはしてはあまりに度を過ぎていたからだ。
そしてその人物は実在し、マダラはその人物と何かしらの深い間柄にあった訳なのだろうか。
マダラが誰かの弟子となるというのも想像が付かない光景だが。
「……そして、“紅の賢者”は己の魔道の理論を幾つかの書にして遺していたと言われている。
その写本は現在の魔道理論の祖となっているが、当時、誰も原本の内容を完全には理解することが出来ず、写本も不完全なものしか残っていないそうだ。
そして、その原本は残らず遺失している」
ベアトリスは、悠を見下ろしながら言葉を続ける。
「つまり、マダラ殿は“紅の賢者”の原本を探せと言っているのだろう。
そこに、不老の術のヒントがあると言いたいのではないだろうか」
「“紅の賢者”の……原本」
世界最古の魔道使いの遺した、魔道の原典。
それは世界遺産とか国宝とかそういうレベルの大変な貴重品だろう。
今の悠が、探したり見たり出来るものとも思えない。そもそも、現存しているかどうかすら怪しい。
だが、現状はそれが悠にとって唯一の手掛かりと言える。
覚えておく価値はあるはずだ。
ベアトリスは、次にティオへと目を向けた。
彼女を見下ろすその眼差しは、とても静謐で誠実なものだ。
「……ティオよ。私に言いたいことがあるなら、言うがいい」
ティオから、ベアトリスとの関係は聞いていた。
彼女はティオを助け逃亡するティオの母を追い、最終的には処刑台に送り込んだ人物であると。
しかしティオは、母の仇とも言える女性に、笑みすら浮かべながら首を振った。
「……いいのでス。
ベアトリス様が、私の死罪を回避するためにどれほどご尽力したかは分かっているつもりデス。
お母さんから頼まれていた約束だったんですヨネ?」
「……ああ」
ベアトリスは、沈んだ表情で答える。
当時のことを思い出しているのだろうか、何かの痛みに耐えるような苦しげな様子があった。
「お母さんは言ってましタ。ベアトリス様は信用できる御方だっテ。
最後の相手がベアトリス様で良かったと言っていましタ」
「……そうか」
そう呟く彼女の表情は、何とも形容しがたいものだった。
ベアトリスはティオに歩み寄ると、その頭を小さく撫でる。
「何かあれば、ユウ・カミモリか、アカネ・トウドウを通して私に言うといい。
私の立場でも幾らかの便宜は図れるはずだ」
そう言い、踵を返して颯爽とした足取りでホールを去っていく。
彼女は相当に多忙なはずである。ティオのために時間を作って来ていたのだろうか。
「……ベアトリス様、ありがとうございましタ!」
ティオの言葉に軽く手を振りながら、彼女の姿も人ごみに消えていった。
そして、ホールには悠、朱音、ティオ、ルルの4人が残される。
朱音が大きく伸びをしながら、悠へと顔を向けた。
「んー……さて、行くわよ。
悠、約束忘れてないわよね?」
「大丈夫! お小遣いもいっぱいあるから!」
今日は以前の、朱音と一緒に帝都を回る約束を果たす日なのだ。
存分に朱音を持て成さなくてはなるまい。
「……では、私達はここで失礼しますね」
「アカネ様、ユウ様! ごゆっくりして来てくださイ!」
ティオとルルは、どうしてもやっておきたい仕事があるとかで今日は別行動を申し出たのだ。
今日ぐらい、一緒に来ればいいのにと言ったのだが、二人は何ともいえない表情をしながら丁重に断っていた。
まあ、二人には二人の都合があるのだろう。
つまり、今日は朱音と二人っきりで帝都を回ることとなる。
一礼するルル、手を振るティオを見送って、悠と朱音は帝都へ続く門へと歩き出した。
先を行く朱音の健康的な背中を見ながら、今更ながらに思うことがある。
「……良かったのかな」
「何よ?」
「その……朱音の、初めてを僕が……」
悠のぼそぼそとした言葉に、振り向く朱音の頬に朱が差した。
そして大きくため息を吐き、前を向き直り、両手を頭の後ろに回しながら、
「ほんとよねー、あたし好きな人いるのに!」
突然、衝撃的なことを言い出した。
「え、えぇっ!?」
じゃあ、何故そっちに行かなかったのか。
いや、それとも行かなかったのではなく、行けなかったのか。つまり、第一宿舎の第三位階のメンバーではないということかもしれない。
……実は、彼女を抱いた後、朱音はもしかして自分のことが好きなのではないか、とも思っていた。
あの夜の朱音の振る舞いは、単なる友情にしてはこう、性質が違うというか、慈しみが溢れすぎてはいなかっただろうか。
正直、ずっと悶々としていた。
……しかし、その口振りならやはり違う人のようだ。
と、悠は安堵と落胆が入り混じったような複雑な感情と共に理解した。
クラスメートの誰かがだろうか。
妥当に冬馬か、しかし彼には綾花が……もしそうなら、自分はどっちを応援すればいいのだろう。
……まさか女の子だろうか?
「だ、誰!? 僕謝るよ! 土下座する! 殴られてもいい!
というか、それなら何で僕の方に来たのさぁ……!」
悠の必死の言葉に、朱音の肩が小さく揺れていた。
気のせいかもしれないが、笑っているように見える。
「恥ずかしいから教えてあげない。それにいいのよ、たぶんそんなに器の狭い男じゃないから」
振り向く朱音は、悪戯っぽい表情を浮かべていた。
その小さく微笑む口元が、楽しげに言葉を紡ぐ。
「ねえ……悠は好きな娘っているの?」
「え、ぼ、僕……?」
好きな娘、恋をしている相手。
言われてもパッとしない。
朱音を含め多くの女子の知己を思い浮かべれば、悠が好意を抱く相手は多い。
だが、これが恋かと言われるとどうにもピンと来ないのだ。
そもそも、友達を作ることしか考えておらず、あの夜、ティオの告白を受けてようやく恋という概念を意識し始めた状態である。
そっちの方面の成長は、下手をすれば小学生、いや幼児にすら劣るだろう。
朱音やルル、ティオとは肉体関係まで持っておいて今更だとは自分でも思うし何らかの責任を取るべきではないかとは思うのだが、そういう気持ちの自覚も無しに行動するのは、それはそれで失礼で不誠実なのではないかとも思うのだ。
だから、悠は正直に気持ちを口に出す。
「分かんないよ……でも」
でも、“あの人”が語っていた普通の子供の学校での景色。
友達と遊び、勉強して、喧嘩したり仲直りしたり――その景色の中には、“恋”もあったのではないか。
異性との触れ合い、気持ちを通わせ、互いを想い合う。
それも、悠が憧れた光景の一部ではなかったのではないだろうか。
「してみたいな」
今はまだ、良く分からないけど。
いつか悠も、年頃の少年少女らしく恋をしてみたいと思う。
それはきっと、とても素敵なことだろうから。
そうすれば、あの夜のティオの告白にも、何らかの返事を返すことが出来るだろう。
もしかしたら、目の前の朱音に恋をすることもあるのだろうか。
彼女はとても魅力的だし、悠は朱音のことが大好きである。
もしそうなって、自分が彼女に告白したら、朱音は何と答えるだろう。
彼女とはかなり仲良くなったと思うが友達と恋人はまた別であろう、悠は好みのタイプではないみたいだし、断られてしまうかもしれない。
そう思うと、少し怖かった。
「そう」
当の朱音は、そう短く答えた。
そして、
「じゃあ、好きな娘が出来たら教えてよ。そしたらあたしも教えてあげる。
……きっと、びっくりするわよ?」
そう言いながら、微笑んだ。
とても綺麗で魅力的な笑顔である。
それはたぶん、誰かに恋をしている女の子の顔なのだ。
悠はその笑顔にドキリとして、立ち止まり――慌ててその背を追いかけていった。
それは、朱音と一緒に帝都の服屋に入り、楽しそうに物色を初めた朱音の姿を眺めていた時のことだ。
(…………あ)
悠は、あることを思い出していた。
それは、“あの人”を思い出した時に呼び起された記憶だ。
“あの人”――由羅技葉月という女性。
とんでもない苗字だが、本名だ。
あの研究所の一員であるが、非人道的な方針に異を唱え子供たちの犠牲を防ごうとしていた女性。
悠のあらゆる意味での恩人であり、あの研究所を潰す一連の事件の中で命を落としてしまったと、正人から聞かされている。
正人とは大学時代の同期であり、彼の亡妻ともども親しい友人であったらしい。
彼女が、自分の名前に付いて語っていたことがある。
彼女はある旧家の出身であり、結婚して“由羅技”の姓となるまでは、別の姓であったのだという。
その旧家は、あの研究機関の設立に深く関わっていたと聞いていた。
その姓とは、“真陀羅”。
“由羅技”とは別の、古くから続く家系だったそうだ。
あの傾奇者の名と同じ響きを持っていた。
(……偶然、なのかなぁ)
マダラの名を聞いた時、心のどこかで引っかかるものはあったのだ。
だが、彼女からは1度しか聞かされていない話であり、思い出すのに時間がかかってしまった。
聞いてみようにも、当のマダラの姿はもう帝都に在るかすら怪しいだろう。
しかし、彼とはまたいずれ出会う機会もあるのではないだろうか。
根拠は無いが、そんな予感がしていた。
その時にまた聞いてみてもいいだろうと、悠はあまり深く考えず、試着した服の感想を求めてくる朱音の下へと駆けて行くのだった――
――同時刻、某国領内の山岳地帯。
そこに、一人の男の姿が在った。
鍛えられた長身に、血の如き赤い髪の男だ。
その容貌は整っていはいるものの、ただ黙しているだけでも言い様のないほどの兇気を孕む凶の美貌を作り上げている。
「……お久しゅうございます」
その場に、妖艶な女の声が、
「どぉーしたのさぁ、頭がウチらを集めるなんて」
正気を疑う危うい声色の少女の声が、
「珍しいの」
感情の読めない、幼き童女の声が、
「ケハハ、あんたの下で暴れられるなら何でもいいっすよぉ」
妙に甲高い下卑た男の声が、
「何処の国へと攻め込まれる気か」
巌のような低い男の声が、
「へへ……それとも“覇天”や“聖天”に追い付く手立てが見つかりましたかねぇ」
粘つくように卑屈な男の声が上がる。
赤の男が、その唇を吊り上げた。
それだけで、男の放つ凶の気配が幾倍にも膨れ上がる。
常人であればそれだけで正気を失いそうなほどの、悪意の奔流が男から垂れ流されていた。
そして六つの声の主は、それを涼しげに受け止めている。
「喜べ、遊び場を用意してやる」
「……遊び場?」
「“帝国”だ」
男の名はシド・ウォールダー。
史上最悪の“天”の名で知られ恐れられる、生ける災厄である。
シドは兇笑を浮かべながら、宣言する。
「“人獣”……動くぞ」
“獣天”シドの率いる、人面獣心の軍勢が動き出す――
これにて2章は終了です。
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次は章からは異能者同士のバトルの要素が濃くなっていきます。




